思考の続きと従者
「車のナンバーは?」
志穂がグラスに口をつけたのは僕が三杯目のおかわりをした後だった。 長く感じたけど、時計を見ると三分ほどしか経ってない。
「四桁の数字だけは覚えているみたいですよ」
僕も同じ質問を三科さんにしていた。零と七を含まない四つの数字を空で答えて、それぞれ左から足して掛けて割ると七になるなと少し感動した。
「ふーん」
手元の飲み物を一息に飲み干して、志穂はグラスを床に置く。そんなんだから部屋が汚くなるのに。
「なにか思い当たることでもありますか」
「いや別に」
即答。
「呆れたねキミも」
出し抜けに志穂が呟く。
「えっ?」
「どうせあれだろ。キミのことだから犯人を見つけようとか考えてるんだろ?」
おかしい。なんで分かるんだろう。
「人の行動なんて気まぐれに見えてもある程度の理論に基づいているからね。キミみたいに単純ならある程度予想できるよ」
そんなものだろうか。まあ実際彼女のいうことは当たっているのだけど。
「関わっちゃった以上ほっとけないというか、ほっとくと気持ち悪くて」
聞いたからには、無関心ではいられなかった。
「別にこの炎天下で警察のまねごとをするのを止めやしないけどね」
そう前置きして志穂は続けた。
「忠告はするよ。単純に肩入れしない方がいい。生きてようが死んでようが他人の問題は他人の問題だ。それはキミが背負う課題じゃない。まして、幽霊だなんて怪しいものなんかにはね」
眠そうな目で、昨日の天気の話をするみたいな気楽さで志穂は言う。
ほどほどにしますよ。声には出さず、心の中だけで返す。なんだかんだ言っても、僕のことを心配してるのが伝わるから。
二つのグラスを片付けて玄関で靴を履いていると、背後から志穂の声が覆いかぶさってきた。
「あっ車の鍵は置いてってね。幽霊に憑かれても困るから」
鬼め。
***
志穂のいる部屋にはクーラーなんてものはついてないが、それでも直接日の当たる屋外に比べれば暑さはマシだった。厚いドアを開けた瞬間から僕は少し汗が出るのを感じる。外階段を下ると、建物の影に三科さんがしゃがんでいた。こうしてみる限り、死んでいるなんて見えない。
「お待たせしました」
日陰の中から雑草とそれらの間を渡るアリの行列を眺めている彼女に声をかける。彼女も、この暑さを感じているのだろうか。
「ひとりでゆっくりできたので良かったです」
そう言う彼女の顔色はいくらか明るく見える。
「こんなところで待たせちゃってすみませんでした」
「平気です。ずっとアリの行列を見てましたから」
彼女の見ていた辺りに僕も視線を這わせる。
「僕ああいうのダメです。うじゃうじゃいるの見てると離れたくなります」
うじゃうじゃというより虫全般が嫌いだ。子どもの頃はそうでもなかったのにいつの間にか触れなくなっていた。
「私もうじゃうじゃは嫌いです。でもアリは統制されてるから平気です。知ってます? アリって自分勝手に動かないできちんと決まった道を歩くんですよ」
「ああ、それなら小学校の教科書で読んだ気がします。特有のフェロモンを辿ってるんですよね」
「アリの行列ってタイトルです。面白いですよね、あの本」
そうだったかな。読んで感心した気はするけど面白いなんて思ったかな。
僕があいまいな顔で笑っていると、立ち上がった三科さんが手をまっすぐ上に伸ばした。
「あんまり暑いとかは感じないけど腰は疲れますね」
こうして見ている分には、彼女がもう死んでるなんて思えない。むしろ手の込んだイタズラだったらいいのに。
「じゃあさっそく行きましょう」
僕がビルに背を向けて歩き出すと、三科さんもついてくる。
「もう車は乗らないんですか?」
ビルのそばに並ぶアウディーとそれよりも高い外車二台、そして肩身が狭そうに置いてある軽自動車の横を通り過ぎると、うっそうとした林道に入った。
「持ち主が飛び切り意地悪なんですよ。きっと炎天下で苦しむ僕を想像して笑ってるんです」
「仲がいいんですね。その人と」
「とんでもない」
どこをどうつないだらそうなるんだ。