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夏の日のユーレイ  作者: マヤ
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あなたが奇跡と呼ぶこと

「分かって、いたんですか?」

 志穂の背中に、思わず強い口調で迫る。

 自分でも声が出せるのが不思議だった。叫ぶ声も、吐き出すだけの息も、全部あの火の中に置いてきてしまったみたいに思ってた。

 僕に背を向けるように椅子に座り、彼女はひたすら窓から遠くの街並みを見つめていた。炎のオレンジとそれよりも濃い赤色灯の赤が、まるで体内を蠢く血みたいで気持ち悪い。

「分かってたってなにが? 幽霊に怯えた彼がなにかから逃げるみたいに車を走らせることかい? いや、幽霊の呪いかなにかで事故が起きることかな? それとも」

 彼女は一度声を抑え、嫌気が差したみたいに街から目を逸らす。

「それとも、私を怒鳴るためにキミがここに来る事かい?」

 分かってる。分かってるよ。ここで志穂を責めるのは間違ってるって。

 そんな顔をするくらいなら、それこそ怒鳴ってくれた方が楽なのに。

「人はね、どうやったって全員が幸せにはなれないんだよ。自分が幸せになるための行いは誰かを不幸にする。世界に設けられた幸せの枠には限りがあるし、自分と他人では幸福が異なるから」

 誰かを愛すれば、他の誰かの恋は終わる。誰かがお金を手に入れれば、誰かはその分お金を失う。それだけだよ、と彼女は諭すように笑う。

「ただ、もし、もしも自分のための幸せが、誰か他人にとっても救いになるなんてことがあるなら、それはきっと奇跡と呼ぶにふさわしい出来事なんだろうね」

 いつもはわがままで、僕のことなんか気にしないで勝手に振舞っているのに、どうしてこの人は、ときどきこんなことを言うんだろう。

「でも僕は今日なにもできませんでした」

「知ってるよ」

「誰かのためとか言いながら、結局ひとりじゃどうしようもなくて、あなたに助けてもらったのに、なにもできませんでした」

「うん、知ってる」

「起きなくていい事故が、僕のせいで起きてしまいました」

「ほぅ」

 小さく漏らして、椅子から立ち上がった彼女は、机を迂回しスタスタ僕の方へ歩いてくる。彼女が僕の正面で立ち止まる。僕の胸くらいまでしか背丈のない彼女は、それでも目いっぱい腕を伸ばすと、僕の額に痛くもないチョップをしてきた。

「それは傲慢だね。キミごときが事故の責任を感じるなんて。きっと彼女は独りでもぶつかった相手を見つけただろうだ。それこそ何十日かかってもね。それだけの執念があったからこそ現世にとどまってたんだから。それにきっと運転手の方だって相応に過ちを犯してたんじゃないかな。私は会ったこともないから知らないけど」

 彼女らしい、割り切った考え方。

 もうこれでこの話は終わり。志穂はそう言いたげに椅子に戻ると、机に平積みされた本をめくり始める。昼間僕が借りてきた、例のスイーツ大全だ。僕はなんと返せばいいのかも、なにをすればいいのかも分からず、彼女がページをめくる姿と時々パソコンをいじる姿を見ていた。

「ねえ、ひとつ頼みたいことがあるんだけど」

 パソコンの画面と、スイーツ大全のとあるページをこっちに向けて志穂が僕を見る。

「栗とメロンの競演。マロンメロンケーキ。とても興味がそそられるね。セーイチ君は食べたことある?」

 見せられたページには、薄茶色のクリームと黄緑のクリームに彩られたケーキの写真。正直、彩りでいったらおいしくなさそう。

「いや、ないですけど」

「だろうね。私だって見たことないし食べたことない。だからさ、このケーキが存在するということの証明をしてほしいんだ」

「でも僕は」

 そんなふざけたことに付き合うような気分じゃない。そう言い返そうと思ったのに、志穂は有無を言わさぬ迫力でパソコンの画面を見せてくる。

「奇妙な店でね。夜中だけ開いてるケーキ屋らしいんだ。なぜ夜中だけなのか。実に興味深い事案だけどそれはまた次回以降だ。どうもそのケーキ屋は件のマロンメロンケーキを置いているらしい」

 どこから取り出したのか、志穂は印刷された地図と一枚の紙幣を押し付けてくる。

「くれぐれも路上で寝るんじゃないよ。それから火事の現場には近づかないこと。どんなにゆっくりでもいいから、ただおいしいケーキを食べることだけ考えて歩くんだ」

 そうまくしたてて、早く行けと言わんばかりに彼女は手を振る。それが、志穂の在り方。

「ならせめてお茶の用意くらいはしておいてください。そっちはあなたの方が得意分野でしょ」

 上司の命令だから仕方ない。

 僕は靴を履くと、少し重い扉を押して外に出る。廃ビルの裏側にはほとんど人口の建物は見えない。暗い森がどこまでも広がっている。街の方の喧噪が嘘みたいに静かな森が広がっている。

 螺旋階段を降りると、踊り場にはいつも通り、カクカクした奇妙な文字の看板がある。

 今歩き出そうとしている場所がこの廃ビルじゃなく、自分の住むボロアパートだったら。きっと僕はもう一度部屋に戻ってしまったと思う。

 一人じゃ何もできないし、誰かのためと思って行動しても、それが本当にその人のためになるか分からない。だから僕は、自分一人じゃ動けない。

 それを彼女は知っているから、僕をそばにおいてくれる。

 彼女の言う通りだ。

 どこに向かえば分からない僕でも、倒れないように進ませてくれる。僕の行動で誰かが笑ってくれる。何をすればいいのか見えなくて、それでもとにかくどこかへ行きたくなって。その思いを、この廃墟への道のりで埋める。それで彼女が笑ってくれるなら。なるほど、それこそ奇跡と呼ぶにふさわしい。

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