幕間 [火鼠の裘]
馬車に揺られて西へ向かう。ここは真備。天領川の流れる白壁の町並みが美しい。
実家の紀州と比べると煌びやかさには劣るがしっとりとしていて厳かな雰囲気を感じる景色に心を躍らせる自分がいる。それと同時に思うのはあの子達の笑顔。きっと今の私のように、まだ見ぬ世界に胸躍らせて、見るもの全てが輝いていたに違いない。
お目当ての屋敷はどの家よりも一際大きく、そして手入れもしっかり行き届いて、だけどまったく偉ぶっていない姿に関心と、なるほど本当に噂通りの女性が住んでいるんだなと思わせた。門をくぐってすぐ右には人工の池。川から直接引いているようで、川魚が楽しそうに泳いでいる。左には大きな松の木が空を覆うように広がっていた。
石畳の導くままに玄関の前まで進み、一度深呼吸をして戸を叩く。中から綺麗な女の人の声がして、そのまま部屋まで案内される。二十代後半だろうか。お鶴と名乗るその人は成熟した大人の魅力を持ち、まるで天女のような淡く白い着物を羽織り、物腰柔らかそうな立ち居振る舞いは優雅に躍る鶴を思わせた。
同じ女の私ですら色を覚える彼女の行く先は客間ではなく土間。それもどういうわけか子供達の元気な声が響いている。お鶴さんとはまた違った意味で美しい女性が子供達に囲まれていた。長く癖のない黒髪はまるで星に輝く夜のように美しく、その肌はまるで玉のように磨かれ、太陽の匂い香るお布団のように柔らかそう。
立てば芍薬、座れば牡丹、走る姿は万華鏡。
一見しておしとやかそうだが、行動するとなれば電光石火の如く動き回るような躍動感のある、そんな不思議な印象を受けた。
その女性は見た事のない奇妙な道具を前にして、なぜか切り分けられて凍らせた果物を脇に並べている。夏の日差しが強くなってきたこの時期に凍った果物とは風情があるが、しかしそのまま食べるのであれば解凍しないと食べられないだろう。
不思議そうに見ている子供達もきっと同じ事を考えているに違いない。だけどこの黒髪の女性は自信満々に構えている。聡明そうに見えるし何かするのだろう。であれば前に置いてある機械に仕掛けがあるのだろうか。
じっとその様子を見ていると、機械の蓋をとって凍ったままの果物を放り込んだ。蓋をして変わった形の取っ手を回し始めると、氷の削れる音とともに機械の下から雪のようなものが勢いよく降り注ぐ。
どうやら凍った果物をカンナ削りのようにしてすり削っているらしい。器に盛られたその雪は桃を使っているせいかほのかにピンク色をしていていた。一人一杯ずつ惜しむ事なく手渡して子供達の笑顔を誘っている。
美味しそう。
つい心の声が漏れる程、彼等は本当に幸せそうに雪の果物を頬張っていた。塊の氷とは違い雪のように細かくなった果物はきっと口の中に入れれば、ふわっと溶けて甘い果汁が口いっぱいに広がるのだろう。しかもひんやりとしていてこの暑い日にもってこいの食べ物。
食べたい。
心の声が漏れるより早く彼女は私に器を差し出していた。一度は断ってみるものの、さらに勧められてしまっては仕方がない。ありがとうございますいただきます!
ぱくっ。ふわっ。じゅわぁ。
美味しい!
こんな甘味があるのか。このふわふわの触感。口に入れては溶けていく儚さ。なにより果物の甘い果汁が口の中いっぱいに広がっていく幸福感。こりゃあたまりませんなぁ。
幸せな時間を堪能し、子供達が思い思いに遊び始めた頃、黒髪の女性に促されて客間へ案内された。なんてことはない客間もよくよく観察すると面白い物が見えてくる。背もたれ付きの座椅子は竹でできている。掛け軸に見える絵は竹を細く割いて編み上げられた半立体の近代アート。生け花の器も花も全て竹でできていた。
この家の家主は竹一筋で財を成し、帝にもその芸術を献上する程の腕前だと聞いていたけれど想像以上だ。単に芸術というだけでなく実用品においても数世紀先をいっているような感性を持っている。だからこれほどの豪邸を建てる事ができたのだろう。妻と娘を残して逝っても裕福な暮らしをさせてあげられるのだろう。
「珍しい物が多いでしょ。全部おじいさんが作ったのよ」
「本当にすごいですね。この座椅子なんかとても頑丈だし、背を預けて座るのがこんなにも快適だなんて知りませんでした。是非私も家族分欲しいです」
「気に入っていただけてよかったわ。座椅子ならお弟子さんが作ってるのがあるから帰り際に買っていったらいいわ」
是非と答えて心に浮かんだ不安はすぐに沈んだ。娘を授かってすぐに病で還らぬ人となってしまったと聞いたから、もう手に入らないなら残念だと思っていたけれど、お弟子さんがいるなら安心だ。それに半立体の掛け軸もあるなら是非手に入れたい。きっと兄が喜んでくれるはずだ。それどころか自分の目で見て買い付けにくるかもしれないな。
まだまだかき氷の事やら庭とか話したい事は山ほどあったけど、まず最初にここに来た目的を済ませるとしよう。一つ目は救護院の助力に関して。もう一つは桃太郎の事について。
救護院の創設のノウハウを彼女から教わる事と実際に手ほどきや指導をしてもらう為にここに来たのだ。なぜなら彼女が指導しているこの孤児院の成功と方法は各地の寺院や役人が参考にする程に優秀で救護院を始めるなら彼女の元で学ぶより他にないと思ったから。
和気広虫姫の再来とまで言わしめたこの人の元でならその真髄を学べるかもしれない。
期待通り彼女は助力を惜しまない事を約束してくれた。多くの行き場のない子供達や困窮した人々を助けるという私の想いに賛同してくれて、とても胸の奥が熱くなる。そのまなざしは光輝いていて用意していたメモ用紙が全て墨で埋め尽くされてしまう程だった。
私は殆ど頷いて感心するばかりで何も言えなかったけど、本当に彼女の元に来て良かったと心の底から思わせられる。
日も暮れて夕餉をご馳走になる前に南高梅の壺を渡すと中身を見るなりおおはしゃぎ。今日はこれでお茶漬けだと小躍りする姿は一変して子供のよう。こんなにも大声上げて喜びを表現する姿を見て唖然とする反面、なんかいいなぁと思ってしまった。あの子達の姿がちらついて、私もこんな風になれたらと憧れる。
「さぁ今日はごちそうよ。なんとかの皇子から貰った新鮮な鯛があるから御造りに兜煮でしょ、それから鯛の澄まし汁。南高梅のお茶漬け。あ、鯛茶漬けも捨てがたいわね。まぁどっちも作ってもらっちゃえばいいか」
「そういえば、風の噂では何人かの皇子から求婚されていらっしゃるのですよね。かぐやさんは本当にお美しいですから、羨ましいです」
「まあね。でも鈴ちゃんも超可愛いから周りの男どもの視線独り占めでしょ」
「そ、そんな事ありません。男の人から話しかけられる事なんて殆どありませんし。少なくとも紀州では私は地味なほうでして」
「えーそうなの。それじゃあ紀州の男の目は節穴ね。女の股下しか見えてないのかも」
はっきりと肯定してくれる彼女の言葉は素直に嬉しかった。あまり自己肯定感の強くない私にとっては少し救われた気持ちになる。
それにしても闊達な人だと思ってはいたが、言葉の言い回しも大胆不敵。それに自分が美しいというのも謙遜せずにはっきり肯定したし、鈴ちゃんも可愛いって、自分も可愛いって言ってる所が凄い。凄い自己肯定感だ。その点、特に羨ましい。
「ああそうだ。紀州で起こっていた怪事件を解決してくださったお礼に桃太郎さんに渡した品なのですが、彼の要望であなたに渡して欲しいという事です」
「あいつまた厄介事に首突っ込んだのね。鬼退治があるっていうのに、まぁ桃らしいといえば桃らしいけど」
悪態をつくその表情はとても楽しそうだ。眉をひそめながらも自分の事のように誇らしそうに笑顔を作っている。そんな風に笑えるなんて本当に羨ましいな。
彼女は手渡したそれを見て肌触りを確かめている。私も鑑定書を見て疑ったが、中国に棲む火鼠の毛皮で作られた裘という事だ。なんでも身に着けている人を火や熱から守ってくれるらしい。それだけでなく、冬場その裘を着ているだけで寒空や高山の中でも元気に走り回れるのだとか。鼠というから毛皮はてかてかしてそうなイメージだけど、意外にもふかふかしていて暖かいし、裏地は滑らかな肌触りでじかに皮膚に触れても心地の良い仕上がりになっている。、火から身を守るというのが眉唾だとしても私も一着欲しい。
「うわぁ凄く良い肌触り。鯛を持って来た皇子のやつとは違って本物っぽいな」
「その皇子の名前って」
「覚えてない」
あっけらかんとそう答えた。可哀相に。名前も覚えてもらえず、鯛を持って来たから鯛の皇子とは。ご愁傷様です。
そうだ台所へ行こうと言って手を引かれるままに竈の前まで来ると、何を思ったのか彼女はその裘を炉の中へくべてしまったではないか。一応もう彼女の持ち物なんだけど、出自が実家の倉庫だっただけに、なんていうか特に愛着はないんだけど自分の物を燃やされたようで、悲しいようなもったいないような気持ちに襲われる。
哀愁のようなものを感じながら、しばらく炎の揺れを楽しんだ後、長い木の棒で燃えたはずの裘をあさり始めた。引きずりだされたそれは少し灰を被ってはいるものの全くの無傷。焦げの痕もなく灰を払えばそのまま着れてしまう。
「おおぅ、凄いわこれ本物よ。本物の火鼠の裘だわ。全然燃えてねぇ! 凄ぇ!」
凄いのはわかったけどさっきの私の後悔みたいな物を全部返して!
心で叫んで、声に出すのはやめておいた。だって彼女の姿は本当に楽しそうだから、こっちまで楽しくなってしまう。呆れる程に騒がしくて、眩しくて、輝いていて、なんかいいなぁって思っちゃう。きっと私は彼女のように天真爛漫ではいられないけれど、憧れを見つけた私はこれからずっと迷う事なく走り続けられるだろう。




