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幕間[燕の子安貝]

 秋晴れの空の下、無事に鬼退治の終わった俺達は幕府へ向かう途中、建設中という日光東照宮を訪れていた。


 出来れば越国から船で備中まで戻りたかったが、この時期は潮の関係で京に上る船は出ていないらしい。鬼退治も終わったし、焦る事もないだろうということで、観光がてら世間を見て回っているというわけだ。


 故郷と地続きの大地にいるはずなのに、ところ変われば人も物も文化も全く違う風景がそこにある。山の色づきから星の瞬く姿さえ一日歩けば違って見えた。

 おじいちゃんが見聞を広めるべきだと常々言っていた理由がわかった気がする。

 実に、実に世界は広い。きっと海の向こうには想像を絶するような出会いがあるに違いない。


「桃見ろ! こっからだと屋根の下っ側がちょっと見えるぞ!」


「お、ほんとに? おぉ凄ぇ! 屋根瓦だけでも三重とか五重になってる。あ、ずっと奥の反対側の屋根の裏っ側見てみろよ。すんごい装飾に彫刻に、何色使ってるかわからないほど極彩色だぞ」


 建設中ということもあって遠くから覗き見るぐらいしかできないが、さすがは天下の大将軍を御祭神にまつる神社。その建物をはじめ庭も敷地も全て最新で壮大。天下人にふさわしい佇まいだ。


 一回りして、やっぱり近くで拝見できない事を確認すると、突撃を敢行しようとする渾沌に腹パンを入れて立ち去った。


 しばらく歩いて誾が大きな水の流れを嗅ぎ取ったものだから、後ろをついていくと天から降り注いでいると見紛うばかりの巨大な滝が現れる。以前、誾が潜伏していた神社にも滝があったからか、懐かしいのか感動しているのか、息を荒げて興奮している。

 一段目の滝つぼの近くまで来ると白い煙がたちこめている部分が見えた。流れ落ちる滝の水は冷たく冷やされているのに、不思議な事に湯気の立ち込める部分は暖かく非常に良い湯加減。


 こうなるともう誾は止まらない。一目散に飛び込んで湯気の中を泳ぎ始めた。

 渾沌に胡喜媚も続く。野宿もするけど時々は宿に泊まっている俺達はとくに埃まみれというわけではないが、そこに天然の温泉があるとなれば入らねばなるまい。しかも滝を横目に風流を仰げるとなればなおさら心は走り出す。

 ちょうど卵の用意もあるしな!


 昼から温泉。お酒に温泉卵。いやぁ~、素晴らしきかな人生!


「おや? 先客がおったか」


 湯煙の向こう側に恰幅の良いご老人がゆっくりと湯につかる姿が見えた。

 地元の人だろうか。手慣れた様子で湯の中に沈んで階段になっている石を踏みしめながら底に足をつける。

 年齢は六、七十程のご年配。体のあちこちに刀傷をこさえていた。きっとこの人も戦場で槍を振るっていたのだろう。この時代、この歳で生きて元気でいられることのなんと素晴らしき事か。


「お先に失礼しております。地元の方でいらっしゃいますか?」


「いや、ここより少し離れた所に居を構えているただの老人じゃよ。それより良い酒を持っておるようじゃな。すまんが一献頂けないか」


「勿論、喜んで。温泉卵もありますよ」


 それからしばらく世間話をしている内にすっかり息が合い、老人がこれから江戸へ帰るところだと言うので無理を言って便乗させてもらうことにした。


 もう少し話しを愉しみたかったが、身分の高い人なのか、一人用の御簾に乗って先に走っていってしまう。俺達は用意してもらった馬車に乗り込み、御簾の轍を追いかけた。

 改めてお礼が言いたいので、江戸へ入ったらもう一度会えないだろうか、と御者に相談すると、彼の御仁もまだ話し足りない事があるそうですよ、と会わせてくれることになる。


 さてさてそれから先が驚きの連続。

 連れてこられた場所は江戸城城内。

 襖の奥には温泉で酒を飲み交わしたご老人。傍には険しい顔をした屈強な男が数人。

 あぁ~…………そんな偶然あるのか。


 この時は知らなかったのだが、俺が珍しい温泉と言って入ったのは華厳の滝。なんと徳川家康将軍の領内に滝を持っているという。東照宮からそこまで相当な距離があると思って、まさかそんなと思っていたのに、俺は将軍の所有地で素っ裸になっていたというわけ。

 ちなみにあんなところに温泉が湧いていた理由は、鬼怒川温泉から長い長い亀裂が入って吹き出してたんだって。どうでもいい情報だね。


「よく来たよく来た。鬼退治ご苦労だった」


「あ、はい」


「そう強張ることもないだろう。一緒に風呂に入った仲じゃないか」


「そ、そうですね」


 随分と機嫌が良いようだけど、偉い人を前にすると緊張する。それが雲の上の人だと思えばなおのこと。とにかく隣の二人が余計なことをしないか不安で仕方がない。

 目線で合図すると、二人は同時にウィンク。

 それどういう意味だ。任せろって意味じゃないよな。黙ってるって意味だよな!


「さて、桃太郎よ。お前さんにいくつか質問したいことがある」


「はい。何でございましょうか」


「今からおよそ七年前に、なぜか前田利家から鬼退治の結末についての手紙が儂宛てに届いていた。当時は何の事だかわからないから無視していたが、心当たりはあるか」


「それでしたら、先日、土佐国で鬼退治をした際、前田利家殿と会いました」


「先日というと、七年前ではなかろうな」


「十日前の事です」


「もしや、竜宮城にある玉手箱など空いてはおらなんだか」


「確かに開封されていました。乙姫はいつ誰が空けたのか分からないと」


「そういうことか。伝説によると玉手箱の中には過去(・・)が入っているそうじゃ。詳しくは儂も知らんが、どうやらお主らは過去へ行って来たようだな」


 信じがたい話しではあるが信じざるをえない。

 七年前の越国に入り、亡くなったはずの前田利家に会い、そこで鬼退治を成した。帰ってくる途中で元いた時間に戻ってきたというところか。

 未来の幕府からの手紙は過去に飛ばされて利家のところへ行き。過去の利家の手紙は、また時空を超えて家康将軍へ届いたに違いない。


 憶測ではあるが事の経緯を説明すると、信じがたいが利家はへうげものではあれど嘘を吐くような男ではないと信じ、俺の言葉も信用してくれた。

 これで信じてもらえなかったら俺どうなってたんだろう。マジこえぇよ。よかった本当に。温泉に勝手に入った事も気にしてないようだし、酒と卵にも救われた。


「これで長年抱えていた喉の痞えがとれたわい。それとは別にあと二つ、お主に話しがあるのじゃ。まぁ話しというほどのことでもないのだがな。鬼退治の褒美をと思ってな。儂の名を出したからにはそれ相応の礼をせねばな」


「そんな恐れ多い。将軍様にお会いできただけで十二分でございます」


「ほほう。随分とまた謙虚な若者よ。武蔵のやつは、さる戦の褒美に刀千本よこせと言うたというのに」


 何があったのか知らないが、何て物を欲しがったのか。戦国の世で刀一本手に入れるのがどれだけ大変かなど想像に難くない。それを千本とは、さすがおじいちゃんだ規模が違う。


 ぱんぱんと手を叩いて扉の向こう側に控えている従者を呼んだ。

 こんな露骨に将軍っぽい光景を見るのは初めてだ。待ってましたと言わんばかりに扉が開き、可愛らしい女の子がよたよたと将軍のお膝元に歩み寄って行くではないか。

 どうやら将軍のお孫様のようで、それはもうでれっでれの骨抜きじじいになるほど溺愛している様子が見てとれる。


 それはまぁいい。大好きなおじいちゃんと遊びたくて仕方なかったのだろう。

 ただそのお孫様の後ろを胡喜媚がついて回っているのはどういうことか。

 さっきまで隣に座っていたはずなのにいない。ついでに誾と渾沌の姿もない。あいつらいつの間にいなくなったんだちくしょう!


「こらこら千や。今おじいちゃんは大事な話しをしてるところでな。胡喜媚ちゃんとむこうで遊んでおいで。このおねえちゃんはお歌もお琴も上手だからねぇ」


「おねーちゃんおこと弾けるの? 弾いて弾いて!」


「いいよ! じゃああたちといっちょにおことひこう!」


「いやぁすまんなぁ。千は遊び盛りなもんでなぁ。可愛い盛りなんじゃよ。あっはっは!」


 もうつられて笑うしかない。

 それはいいんだけど、なんでそんな当然のように溶け込んでるの。俺が非常識なんですか。

 そう思っているのは俺だけではないようだ。警備にあたっているお侍さんも気が気でないご様子。付き人も目を丸くしているし、誰の目にも異常な光景に映っていた。


 そういえば、彼等の性格をホトトギスで表した句があったっけ。

 鳴かぬなら鳴くまで待とう、ほととぎす by 徳川家康

 鳴かぬなら鳴かせてみせよう、ほととぎす by 豊臣秀吉

 鳴かぬなら殺してしまえ、ほととぎす by 織田信長


 家康は自然に任せて時期を待つ人。秀吉はあれこれ試行錯誤する人。信長は気に入らなければ殺す人。

 あぁ~……目の前にいるのが信長じゃなくてよかった~。


 気を取り直してもう一度、手を叩くと改めて戸が開き、お盆を持った誾が現れる。とっくりに御猪口。ほかほかの温泉卵。しっぽり飲むにはもってこい。


 …………なんで!?


「温泉卵を食べ忘れ…………お酌をし忘れてしまったので、改めて注ぎたいと思います!」


「こりゃどうもご丁寧に。おっとっと。はっはっは、こりゃあ美味い!」


 なんの冗談だちくしょうもう勘弁してくれ。何がなんだかわからないまま流れに乗れない俺達はゲシュタルト崩壊を起こして目の前が真っ暗になる。

 二人はさも当然のように酌を交わし合いながら温泉卵に興じる始末。誰か助けてくれ。


 心の叫びを聞いたのか、徳の高い袈裟男が横から颯爽登場するやいなや、ほろ酔い心地に、本日は熱海から湯をお持ちしました。湯加減も丁度いい塩梅に仕上がってますぜ、と囁いた。

 座敷の上にたっぷりと湯の張った桶が置かれ、静かに体を沈めれば夢心地に舌鼓。まさにこの世の春とはこのことよ。


 なんでそうなる!?

 渾沌だけにカオスってか。行動力の化身か!

 将軍様ったらすっかりご満悦だよ。話しが先に進まないよ。

 やべぇ、腹が痛くなってきた。早く帰りたい。


「おおぅそうだそうだ。褒美の件がまだだったな。たしか桃太郎の幼馴染の、かぐやと言ったか。そのおなごが欲しがっておるという燕の子安貝をやろう。なんでも素晴らしい安産のお守りだということらしい」


「お言葉ですが家康様。それは千姫にと、帝が献上したものでは」


「千は儂が死ぬまで嫁には出さん!」


 溺愛しておられますがな。気持ちはわかるけどおじいちゃん。そこは駄々を捏ねちゃダメなところだよ。

 家臣もやれやれと言った様子で手元の箱を俺の手元まで運んでくれた。

 どうりでこの人、家康公が手を叩くたびに、ぴくっと動いていたわけだ。本当にうちの二人が余計なことばかりしてすみません。


 はぁ~……。ため息がとまらん。今日は人生で一番多くため息をついてる日だ。きっと生涯忘れる事はないだろう。

 横に並んで満足そうな笑顔を浮かべている二人を見ていると、緊張しまくって腹痛を起こしている自分がばかばかしくなる。こんな風に自由気ままに生きていける彼等が羨ましい。


 さてさて最後の話しとはなんだろうか。大仰な話しでなければいいのだが。まさかもう一匹鬼が出たから行ってこいってのは勘弁してくれよ。もうそんな気分じゃない。早くかぐやの顔が見たいし、おばあちゃんに翡翠の簪を渡したい。村のみんなを安心させてあげたい。誾に殆ど食べられてしまったまんぢゅうも懐かしい。


 家康公の爆弾発言が待っているとも知らずに、ひと心地ついたつもりでいる俺はこの後、自分でも驚く程の大声で絶叫するのだ。場もわきまえず、呆然としてすぐに我に返って走り出す。


「京の帝が、かぐや姫と結婚するって噂になっとるぞ」


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