幕間 [鈴の心]
残暑の残る日差しが続くなか、今日は珍しく涼しくカラっとした天気で気持ちが良い。時折吹く柔らかな風も秋の訪れを予感させる。昼を過ぎて少し太陽が傾いたのを見計らい、私とかぐやさんはいつもお世話になっている漁師の奥さんの所へ出かけていた。
「それにしてもいいんですか。せっかく桃太郎さんがあなたに贈ったものなのに」
「いいのいいの。もうこれは私のものなんだし。私がどう使おうが勝手だし、私より必要としてくれる人に持っていてもらったほうがいいわ。それに今から行くおうちには桃も私もお世話になってるから」
なんでもその女性は冷え性が酷く夏でも水仕事は息子にお願いする程らしくとても困っているとか。火鼠の裘は耐火性に優れているだけではなく、保温性、耐水性、代謝機能の向上もあり女性には嬉しい機能を備えている。
そんな希少な代物を、これ朱乃さんにぴったりだわ、の一言であげてしまうのだから衝動的なのか思いやりが深いのか。呆れると同時に人の為ならなんでもしてしまうし、できてしまうかぐやさんに関心せざるをえなかった。損得勘定が板についていた過去の私なら理解できなかっただろう。でもかぐやさんの元で付き添いを始めて自分の意識の変化に驚かされる時がある。素敵な人だなと心の底から思った。
「あらいらっしゃいかぐやちゃん。それからそっちの子は最近紀州から来たっていう見習いさんね。初めまして、朱乃といいます」
「これはご丁寧にどうも。鈴といいます。どうぞごひいきに」
「この子は元々商家の出なんだけど色々あって実家で救護院を始めたいんだって。それでわざわざ私のところまで武者修行しに来てるのよ」
「まぁ勉強熱心なのね」
「いえそんな。ただやりたいことが見つかっただけというか。良き縁に恵まれまして、本当に感謝しているところです」
嬉しさと恥ずかしさで赤面してうつむく。ここは、ごひいきに、じゃなくて、よろしくお願いします、程度でよかったのについ癖がでてしまった。仕事でもないのに、私はあなたと取引をするような関係になりたいです、みたいな印象の言葉を使うのはご法度。相互扶助に金銭のやりとりを匂わす言動は慎むべきなのに。それをすかさず補わせてしまったかぐやさんにも申し訳がたたない。
朱乃さんはお返しに今朝獲れたばかりの魚を用意するといって席を外し、二人きりになった所でかぐやさんが笑いかけてくれた。
「ほらもう気にしないの。商人癖が出ちゃうのは仕方ない事だし、反省してるなら次から気をつけようね。鈴は頭が回るし客観的に自分が見えてるから大丈夫よ」
褒めて伸ばすのが本当に上手だ。褒めるべき所は褒め、反省する所はきちんと反省させる。子供達に対しても誰に対しても決して頭ごなしに怒ったり、意見を押し付けたりしない。こういう所が彼女の魅力の一つであり、私が身につけていかなければならない最も大きな素養の一つ。勉強になります。
かぐやさんはもう一度笑みを作ると居間に鎮座している小さな仏壇の前で手を合わせた。位牌には没年と名前が刻んである。歳から逆算すればかぐやさんと同い年の女の子。無言の言霊を紫煙に乗せ、故人に思いを紡いでいる。
その横顔はとても穏やかで、だけど少し寂しそうな表情。きっと大切な友達だったんだ。亡くなった人について聞くのははばかられる事だと分かっていたけど、どうしてそんな表情ができるのか知りたくて言葉を投げてしまった。
私にも大切な人がいた。人生の恩人と言ってもいいほどにその存在は大きく、今も心に大きな影を落とすほど。彼の笑顔を思い出すたびに、生きて助けられなかった悔しさで胸が張り裂けそうになる。誾は仕方のない事だったのだと割り切るように諭したが、振り返るたびにもしもの事を考えてしまった。
自分の問いかけを放り出して、気付いたら心の内をぶちまけている。質問なんてただのきっかけで結局は自分の苦悩をぶちまけたかっただけなんだと思うと心底自分が嫌になった。いつも自分の事ばかり考えてしまう。
それなのに、どうしてこの人は受け入れてくれるのだろう。何も言わずただ優しく抱きしめてくれる。それだけなのに優しい心が伝わってくるように心が暖かくなっていった。
「辛い事も悲しい事も沢山あるけれど、それ以上に嬉しい事や楽しい事もあるんだよ。でもあなたはその全てが大切だから思い悩んでる。苦しい事も嬉しい事も悲しい事も楽しい事も全部々々背負って生きてる。それってとっても強い事だと思う。確かに過去は変えられない。だけど過去を忘れないで。そこにはあなたとあなたを大事に想ってくれた人がいるのだから。そして前を向いて。あなたの目の前にもあなたを大切に想ってくれる人がいるのだから」




