6 天使登場
車椅子に固定されたま横倒しになった私は、床に頭を打ち付けられた。痛みとは別に何かがはじけるような、感電でもしたような、そんな感覚があった。
自分の目が、たとえばカメラに例えると、ピントがずれたままレンズの絞りを開きすぎたようなような感じで、そして対象に対して照明を強く当てすぎているような、そんな風に周りの情景が見えた。
昔、強めの運動をしていて熱中症になったことがある。その時の感覚に似ているなあとも思った。あの時も自分では冷静なつもりで、まわりの風景が随分綺麗に見えるなあとか、少しやり過ぎたのかなあとか、いろいろと思うのだが身体は全く動かなかった。しばらく倒れていると仲間が集まってきて騒ぎ出した。結局どうしたんだったか。水でもかけてもらってしばらく横になって自力で回復したような記憶があるんだが。
今のところ身体はまったく動かすこと出来なかった。指先も動かせる感覚がない。顔も動かないが目玉は動くようで視線を動かすことはかろうじて出来た。
リチャードに激しく詰め寄り何事かを怒鳴り続けている女性がいる。なんか見覚えがあるな。ああ、お姉さんじゃないか、リチャードの。
彼女には前に訪れたとき店で挨拶された事があった。初めは奥さんかと思って挨拶を返すと笑いながら否定された。リチャードが姉妹だというので、妹さんですかと返すと姉ですと軽く強調された。少しほほが染まって可愛らしく見えたので「お若く見えます」と言ったのだが、早口の何か分からない言葉を話すとすぐに店の奥に引っ込んだ。
失敗したと思った、どうも若い女性への対応は苦手なんだ。初対面だろうと既知であろうと、人種・国籍に関わらず。年配の方々なら割と上手くいくんだが。それでもしばらくしてお茶をサービスしてもらえたからそれはそれで良かったと思うことにした。その時のお姉さんだ。怒った顔はなかなかの美人に見えた。
一瞬のうちにそんなことを考えていた。
お姉さんは(名前は思い出せなかった)倒れたままの私の方を見ると、慌てた様子で駆け寄って来た。そして車椅子に縛り付けられている事に気が付いて縄をほどきにかかる。その間ずっと何か話しかけて来るのだがまったく意味が分からない。
縄を解かれても私は動くことが出来なかった。彼女は反応のない私の顔を覗き込み、ハッとして私の呼吸の様子を確かめ次に腕をとって脈をとりだした。脈をとられると自分でも脈動を感じることが出来た。少し早いがとりあえずは動いていた。
彼女は大きく息をはき出した。そして私を車椅子から引きずり出すと、自分の肩にかけていたショールを丸めて枕がわりに仰向けになった私の頭の下に入れた。
「大丈夫ですか?」
やっと英語で訊ねてもらえた。言葉は返せなかったが何とかうなずくことが出来たと思う。意味は伝わったのだろう彼女の表情が少し緩んだように見えた。私にとっては天使のほほえみだ。
そしてそのまま私は意識を失った。
気が付くと今度はベッドの上だった。身体は固定されてはおらず、清潔なシーツが掛けられていた。
(買付時の注意)
骨董品でベッドというと、天蓋付きのものをよく連想される。まあないこともないですが実際によく取引するのはヘッドボードとフットボードとそれらを繋ぐフレームというありきたりの物がほとんどです。それらをうまく改造して使用に耐えるものにして売るのは骨董店の人の仕事。私としてはヘッドボードやフレームの美しい物を見つけるところまでです。