2 儀式の準備?
自分の置かれた状況を確認してみることにした。
目が覚めたときにはぼやけていた視界がはっきりしたものに戻ってきた。
これは麻酔から醒めたときの感じに似ている。酒になにか入れられたのかもしれない。
手や足が動かせないのは、座らされている椅子にそれぞれ紐でしばりつけられているためだ。
ちなみにその椅子は車椅子だった。
私たちのいるのは、酒を飲み交わしていた部屋ではなく、天井が高く家具もなく特に荷物もない殺風景なところだった。埃っぽい感じはしなかった。いやな匂いもない。自分から見て左右に窓があるのだろうかカーテンが閉まっている。照明器具は壁にブラケット灯があるだけのようだが、その割に暗くないのは高いところにいくつも明り取りの小窓があるせいだろう。なんとなく使っていないアトリエか倉庫といったかんじがする。
天井や壁には装飾もなく実用的なつくりに見えた。床は丈夫そうな石張りだ。普通なら板張りか土間作りだろうから少しアンバランスに思えたが、用途によってはこれが最適なのかもしれない。床に何かを書き込むには。
そのときは後ろを見るのは不可能だったので想像するしかなかったが、私の座る椅子を中心に何重もの円が描かれていた。その円と円の間にはよくわからない記号らしきものが書き込まれていて、それは今もリチャードによって増殖中だった。
彼は大きな画用紙に細かく書き込まれた数字や記号を床に書き写そうとしていた。数学の教師が授業で使うような大きなサイズの定規類やコンパスも転がっている。
黒板に書き込むようにチョークを使って床に正確に描こうとしているようだ。
自分の腕時計は腕ごと紐の下で見えない。壁に時計も掛かっていないので時刻は分からないが、明り取りから差し込む光は早朝のものではないようだ。なんとなくだがお昼前後の気配がする。腹時計もそんな具合だ。酒を飲み過ぎた翌朝は食事どころではなくなるのが常だから、やはり意識を失ったのはアルコール以外に原因がありそうだ。たぶんその原因をつくってくれた犯人にあらためて声を掛けた。
「あーミスターリチャード、お取込み中とは思うが一旦休憩するというのはどうだろう。軽く食事などして気分をかえるころ合いじゃないかな」
私はできるだけ優しく聞こえるように言ってみた。
「あと少しだ。あと少しで完成する。そうしたらすぐに儀式を行う。僕はお腹はすいていないし君は食べない方が良いだろう」
彼はこちらを向きもせずそっけなく応えた。
だからといって、はいそうですかですますわけにはいかない。
「そうは言ってもねえ、私は窮屈で身体のあちこちが痛くなってきているし、お腹もすいてきているんだよ」
今度は顔をこちらに向けてくれた。
「あと少しで完成するんだ、少し黙っていてくれないか。だいたい君は食べないほうが良いんだ」
さっきもそんなことを言っていた。かなり気になる。
「なんで食べない方が良いんだ、儀式とか言ってたがそれはなんのことなんだ」
顔つきが少しうんざりしてきたようだ、ついでに手の方も止まっている。
「君は気にしても仕方がないんだ、僕は後始末の心配があるあるんだ」
なんだよ後始末って。
(買付時の注意)
車椅子はたまにマーケットに出ていることがあります。椅子とはいえ家具とは使い方が異なりますから良い状態のものは少ないようです。私自身は一度しか買付していません。古い道具として面白いとその時は思いました。車輪を動かすためのハンドルが左右にあってチェーンで駆動するようになっていました。椅子の座面は籐張りで、きっと専用のクッションがあったことでしょう。
歴史的には随分と古くからあったもののようですが、各地の博物館などでもあまり見かけません。希少性のわりに売り易い商材でもないというところです。
ちなみに作中の車椅子は最近の物のようでした。