第九十三話 複雑な思い――それから
アルフレートはなかなか目を覚まさない。これは自分との戦いで、私にできることは何もないらしい。
額に玉の汗を浮かべ、歯を食いしばっているようだ。いったい、どんな状況にいるのか。
「ねえ、師匠。アルフレートは魔力の核を掴めなくても、ここに帰って来られるよね?」
「もちろんだ。長くても二日以内には戻るだろう」
「二日も……」
ちなみに、この試練は一度しか挑戦できないらしい。精神状態が影響するので、説明しないで飛び込ませるのが一番なのだと言う。
額の汗を拭うおうとすれば、触れないほうがいいと止められる。
本当に、何もできないのだ。
「待つほうは辛い」
「耐えろ」
待つ間に、魔力の核に慣れるよう言われる。
意識をすれば、自分の中に赤い宝石のような球体があった。
自由に形を変えられるようになるらしいけれど、今のところくるくると回すことしかできない。
けれど、不思議なことで、以前よりも魔力量が高まっているような気もした。
「魔力は自身に在る物ではなく、持つ物なのだ」
「自分の物であるっていう自覚が大事ってこと?」
「まあ、そうだな」
メーガスの話は簡潔でわかりやすい。さすが、私のお師匠様だ。
その後も、上位魔法についていろいろと話を聞く。
早く習得して、魔王なんてぶっとばそうと思った。
気合は十分入ったけれど、アルフレートは目覚めない。
その日は、一人で眠ることになった。
翌日。
アルフレートはいまだ、メーガスが授業を行った部屋で意識を戻さない状態でいる。
本当に目覚めるのだろうか。心配になる。
今日、王宮のお茶会の日だったけれど、アルフレートが心配でそんな気分ではなかった。
代わりに、お義母様が行ってくれるようになった。果たして、大丈夫なのか。気の利いた優雅な会話とか――できなさそう。まあ、私もそうなんだけど。
サリアさんが一緒なので、大事には至らないと思いたい。
お義母様、どうか、空気を読んで平和なお茶会を楽しんでください……。そんな祈りを捧げる。
いまだ、眠り姫……ではなく、眠り王子なアルフレート。
『父様……』
膝の上に乗せているグラセも悲しそうだった。
アルフレートは彫刻のように動かない。が、突然顔を顰め、苦しみだす。
「――うっ!」
「アルフレート!」
『父様!』
グラセはぴょんと机の上に飛び上がり、自身の額をアルフレートのおでこに当てた。
『父様、おでこ、冷たくしたら、楽?』
「グラセ……」
止めようとしたけれど、額をくっつけた瞬間、アルフレートの表情が和らいだように見えたので、好きにさせておく。
けれど、グラセの額が溶けていっているような。
「グラセ、大丈夫!?」
『平気、デス!』
早くしないとグラセが溶けてしまう。
なので、私は力の限り叫んだ。
「アルフレート、早く帰ってきて~~!!」
刹那、アルフレートの瞼がカッと開く。
ガバリと起き上がり、傍にいたグラセを抱き上げ、手のひらをかざす。
すると、溶けていたグラセの額が元通りになった。
『と、父様、ありがと、デス』
アルフレートはグラセを抱いたまま、ぼんやりしていた。
「ア、アルフレート、大丈夫?」
すると、弾かれたようにこちらを見る。
私の顔を見て、ぎょっと目を見開いていた。
「エルフリーデか?」
「そうだけど」
返事をすれば、ぐっと腕を引かれ、抱きしめられる。
やだ、こんなに激しく抱きしめてくれるなんて、初めて。
アルフレートと私の間にグラセもいるけどね。地味に冷たい。
一度離れ、どうしたのかと聞けば、とんでもない事実を聞くことになる。
「周囲は薄暗くて、血色に染まった湖が合って、その畔で、エルフリーデが、死んでいたんだ……串刺しになって」
なんだ、その怖い世界観は。
アルフレートは絶望し、ずっとその場で動くことができなかったらしい。
「けれど、途中でグラセがやってきて、帰ろうって……そこで、私は家族が待っていたと思い出した」
そして、グラセの手を掴んだ途端、周囲が輝いて、青い宝石が出現したと言う。
「それが、魔力の核なのか?」
「うん、そうみたい」
良かった。無事に魔法の核は手にできたようだ。
それにしても、個人によってこんなにも精神世界が違うとは。
「エルフリーデはどういう世界だったんだ?」
言えない。色っぽいアルフレートがいいか、優しくて甘いアルフレートがいいか聞かれて悩む世界なんて。
そんなの聞かれるまでもなく、実際のアルフレートが一番に決まっているのに。
「わ、私のは、森の中に湖が合って、なんか、神様みたいなおじいちゃんがいて……」
「そうか。辛い世界ではなくて、よかった」
「う、うん……」
アルフレートはそっと、手の甲を握ってくれた。じっと、真剣な目で見つめられる。
グラセは『ハワワ……!』と言いながら、手で顔を覆っている。
「エルフリーデ、願いがある」
「何かな?」
「魂の契約を、結んでくれないだろうか?」
「え!?」
「私はもう、エルフリーデが息絶えているところを見たくない。だから、頼む」
アルフレートは頭を下げる。
そんなことやめてくれと、顔をあげさせれば、追い詰められたような目があった。
「アルフレート……」
「一生の願いだ。私はこれ以上のことを、何も望まない」
神鳥アーキクァクト様が提案してくれた、死と運命を共にする契約魔法。
来世でも会えるという特典付き。
だけど――
「前も言ったけれど、この先生き残れるかわからない戦いを挑む中で、そんなこと……」
「一緒に死ぬことは、そんなに難しいことなのか? 怖いのだろうか?」
「怖くないよ。私だってアルフレートのいない世界で、一人で生きたくない! でも――」
ぼたりと、涙が零れる。
静かな雨のように零れる涙は、何故が結晶のように固まり、小さな粒となって机の上に転がって行く。
どうやら、グラセの魔法のようだ。
落ちた涙を、凍らせたのだろう。
グラセは私の涙を一粒一粒拾い集めている。
どうするのかと思えば、涙の粒をアルフレートの手のひらに載せていた。
『父様、それは、母様の、気持ちデス。凍らせても、冷たくない。不思議』
アルフレートはじっと涙の粒を眺めていたかと思えば、ぎゅっと握る。
それから、こちらを見ないで話しかけてきた。
「エルフリーデ……何か、隠しているな?」
「……うん」
核心をぐいぐい突いてくるアルフレート。
隠し事なんて、できるわけがない。
どうしようか迷った。けれど、話してしまったほうが楽になる。そう思って、勇気をだして告白してみた。
「私、歴史を変えたら消えちゃうかもしれないんだ」
アルフレートは、ある程度予想していたのだろう。冷静に受け止めているように見える――と、思っていたら。
私の体を抱き上る。お姫様抱っこだ。わ~い、やった~!
いや、喜んでいる場合ではない。いったい、何をしようとしているのか。
アルフレートは足で扉を蹴破り、廊下をずんずんと進んでいく。
向かった先は、お義母様のお部屋。
「母上!!」
「アルフレート、お義母さんはお茶会に行っているよ」
「なん、だと……?」
お義母様に何を話そうとしていたのかと問えば、アルフレートは至極真面目な顔で言う。
「母上の眷属にしてもらおうと思った」
「え、なんで!?」
「そうすれば、この身は精霊となり、何があろうと滅びることはない」
「へ、へえ、そうなんだ~~」
けれど、炎属性の私が氷属性の眷属になれるのか?
無理矢理属性を変えれば、せっかくの魔力も無駄になるような気がする。
それを指摘すれば、アルフレートも微妙な顔になった。
ちょっと落ち着きたまえと助言する。
アルフレートは下ろしてくれた。
いや、お姫様抱っこは続けてくれてもよかったんだけど。
アルフレートは頭を抱え、その場に蹲る。
グラセが心配そうに、顔を覗き込んでいた。
「私は、どうすればいい」
「ホラーツとか、師匠とかに相談しよう」
そういえば、歴史を変えたら消えるかもしれない云々は言うなと口止めされていた。
メーガスに怒られるの必至だろう。
これは、今までにないくらいの説教が待っていそうだ。
額に変な汗を掻いてしまった。
▼notice▼
エルフリーデの涙
何かに使えそうなアイテム。溶けないので、アルフレートはハンカチに包んで持ち帰った。




