第八十八話 神鳥アーキクァクト――召喚
夜、鼠妖精の村に移動し、召喚の儀式を行う。
魔力の籠った蜂蜜を、とろりと垂らした。指先で滑らせ、文字を書いていく。
魔法陣に知りうる限りの情報を書き移して、自分達が今、いかに困っているかを伝えるように記す。
最後に、魔法陣の中心に名前を書き込む。
「え~っと」
「どうした?」
「鳥の名は?」
「神鳥アーキクァクト」
「あ、そうそう!」
一瞬びっくりした。本から記述がなくなったように、私の記憶からアーキクァクトの名前がなくなったかと思った。
ただ忘れていただけだとわかり、ほっとする。それから、アルフレートの抜群の記憶力に心の中で乾杯した。
本日の召喚の儀式にはお義母様も来てくれた。メルヴと炎狼も。
グラセは今回、召喚の媒介となるので強制参加。お義母様の腕の中でぐっすり眠っているけどね。ホラーツ曰く、意識の有無は関係ないとのこと。
召喚術を行うのはアルフレート。杖を構える後ろ姿がかっこ良過ぎる。
お義母様が魔法陣の端にグラセを置く。
低い声で、詠唱を淡々と始めるアルフレート。
隣にいたメーガスが、腕を組みながら感嘆していた。魔力の構成が上手いと。めったに人を褒めないので、凄いことだ。私も師匠として鼻が高い。
詠唱の途中、魔法陣がひと際大きく光る。
「あれ、早くない?」
「伏せろ、嫁子よ!」
「ひやん、お義母様、いきなり抱きしめたら、びりっと」
「いいから伏せろ!」
お義母様のビリビリな抱擁を受けつつ、姿勢を低くする。
メーガスには炎狼が覆いかぶさり、ホラーツはメルヴがひしっと抱き付いている。
グラセは――呑気にぐうぐうと眠っていた。媒介なので、動かすわけにはいかない。術者であるアルフレートも。
魔法陣から放たれる光は部屋全体を包み込む。眩し過ぎる光景に、瞼を閉じてしまった。
数秒後、光は治まったと思いきや、心臓がどくんと跳ねる。私の中の内なる魔力が、震えているのがわかった。
何かが、部屋に降り立っていた。
それは言うまでもなく、神々しい何か。瞼を開き、見上げる。
「あ、あなたは――!」
鷲の頭部に、真っ赤な羽毛に包まれた筋肉隆々な体。首から下は人と同じ形をしている。腰回りを包む織物は不思議な幾何学模様で、この辺では見かけない意匠。腿から下は鳥の足となっていた。背には、真っ赤な羽が生えている。手には、精緻な細工が成された杖を持っていた。
神鳥と呼ばれていたので、大きな鳥を想像していたら、まさかの鳥獣人の姿をしていた。
なんて神聖で、美しいのか。
私達は息を呑み、その姿に見とれている。
呆然としていたアルフレートは、膝を突いて頭を垂れる。
魔法陣の端に立てていたグラセも、ちょうどそのタイミングでごろんと寝転がった。
それにしても、術式は完成していなかったのに、どうして来てくれたのか。やっぱり、本にあったとおり、慈愛に満ちた存在なのか。
向こうから声がかかるのを待つ。
『やだあ、イケメンに跪かれるのってゾクゾクしちゃう!』
ん……? 今、男性の弾むような裏声が聞こえたような。
聞き間違いかと思い、再度、神鳥アーキクァクトの姿を見上げる。
彼、否、彼女か――は、体をくねらせて、アルフレートの前に立っていた。
『ねえ、あなた、立って、立って。顔、もっとアタシに見せてちょうだい』
アルフレートは固まっていた。それも仕方がない話だろう。
威厳たっぷりの神鳥の中身が、乙女だったのだから。
背後で見ていたお義母様が、アルフレートに「言う通りにしろ」とぴしゃりと言う。
そろそろと立ち上がるアルフレート。
『いやん、素敵! アタシの中の【このイケメンがすごい! 眼鏡部門】ぶっちぎりの一位だわ~~!』
良かったね、アルフレート。素敵な男前眼鏡一位だって。
アルフレートの後姿は悲壮感に満ちていた。
『あら?』
そして、後方にも注目するアーキクァクト様。
どこを見ていたのかと思えば。
『やだ~~、渋いジジイがいるじゃない! アタシ、結構枯れているもの好きなのよ~~』
まさかのメーガス狙い。
メーガスはぐいぐいなアーキクァクト様の様子に、明らかに引いていた。
いや、そういうの、隠そうよ。世界の命運がかかっているんだから。
メーガスのほうに接近しようとしていたけれど、その前にアルフレートが声をかける。
「あの、神鳥アーキクァクト様で、間違いはない、でしょうか?」
『ええ、そうよ。ごめんなさいね、久々の人間界で興奮してしまって』
アルフレートは一人一人、紹介していく。
ホラーツには「猫ジジイ? 新しいジャンルね……」と興味津々な様子だった。
一方で私には欠片も興味を示さず、メルヴや炎狼、グラセ、お義母様には「あら、精霊」とわずかに反応するばかりである。
『それであなたたち、困っているのですって?』
「はい」
この世界の現状を、アルフレートが語る。
『大丈夫なんじゃないの? 勇者もいるし』
アーキクァクト様は、くるくると回していた指先を私に向ける。
『そこのおまぬけ顔の娘っ子。勇者、太陽の子の祝福、神杯――ああ、魔力生成がないから、不完全なのね。なるほど』
「私が、勇者、なのですか?」
『ええ、そうよ。あまり、自覚はなかったみたいね』
どうやら、アーキクァクト様は鑑定の力が使える模様。
やっぱり、私が勇者だったんだ。
うっすらわかっていたことだけど、衝撃を受ける。
【太陽の子】という祝福も初めて知った。
『太陽の子っていうのは、通称ヤンデレ製造機って呼ばれていて、その祝福を持つ者は愛され過ぎて、周囲がもれなく嫉妬深くなるらしいの!』
「へえ、そうなんですね」
そういえば、一時期アルフレートの嫉妬が凄かったような気がする。あれも、【太陽の子】の影響だったのだろう。納得してしまった。
『あら、そっちの眼鏡男子のほうに魔力生成の力があるの。それで、娘っ子と夫婦なのね。ふうん、面白い。二人で一つの完全勇者って』
そっか。そうだったのか。私とアルフレートが出会った意味は、そこにあったのだ。
勇者という称号が重たくのしかかっていたけれど、少し軽くなったような気がする。
『それで、具体的にアタシにどうしてほしいの?』
アルフレートは乞う。
魔王討伐に力を貸してほしいと。
『でも、アタシ、清らかな女神だから、戦えないのよ?』
「ええ、白きエリクシルの勇者の物語にも、そのように書いてありましたので」
アーキクァクト様にはさまざまな助言をいただければと思っている。
魔王と勇者の戦いを知る存在として、傍にいてくれたら大変心強い。
『そうね……だったら、対価を提示しようかしら?』
アーキクァクト様の望む対価……!
どうしよう。アルフレートにその身を捧げよ、とか要求したら。
世界を救っても、アルフレートがいないなんて……。
でも、アルフレートはその身を犠牲にしそうな気がする。
「そんな……アルフレート……!」
嗚咽を堪えていれば、メーガスに突っ込まれる。
「まだ、神鳥は何もおっしゃっていないだろう」
そうでした。
居住まいを正し、アーキクァクト様を見上げる。
『眼鏡男子に――』
ほら、やっぱり! アルフレートが目的だよ!
涙をボロボロと流してしまう。
『抱きしめてもらおうかしら?』
……んん? 願いは、それだけ?
アーキクァクト様は身をよじらせ、チラチラとアルフレートを見ている。
願いを聞いたアルフレートの後姿は、やっぱり悲壮感に満ち溢れていた。
『ダメ?』
「いえ、そのような願いならば、喜んで」
アルフレートはアーキクァクト様に近寄り、ゆっくりと手を伸ばすと、ぎゅっと抱きしめた。
一瞬の沈黙。
アルフレートが離れようとすれば、アーキクァクト様はガッと荒々しく抱き返す。
『やだ~~、力強くって、素敵! 文系男子と思っていたけれど~~、意外と筋肉あるし、情熱的だしぃ、なんか、魔力が良い匂いがする~~!』
全力で魔力匂い(?)を嗅がれている。
なんていうか、アルフレートの犠牲は忘れない。
▼notice▼
神鳥アーキクァクト
おかま神鳥――ではなく、乙女神鳥。
かつて、勇者と聖女を見守る存在であった。
彼女の愛する者は、見目麗しい少年から青年、中年、老人と節操なし――ではなく、博愛なのだ。




