第二十六話 潜入――エルフリーデ、思わず同情する
二階に駆け上がったのはいいものの、なんの作戦も考えていないことに気付く。
チュチュ達が奥様の部屋にいるのは限らない。無計画に押し入って、何もなかったら目も当てられないような結果になるだろう。せめて、お茶かお菓子を持ってくればよかった。
けれど、一階にある厨房まで引き返す時間がもったいないので、そのまま先に進む。
さっそく、奥様の部屋らしき扉を発見。耳を当ててみたけれど、声などは聞こえない。
様子を探るため、隣の部屋に入る。
露台に出て、手すりに足をかける。屋敷の壁から突き出ている胴差しを伝って、隣の部屋の窓まで移動する。
強い風が吹き、煽られて足元がおぼつかなくなる。落下しそうになり、心臓がドクリと跳ねあがった。
春風といえど、暖かなものではない。寒さで震えているのか、恐れで震えているのかわからなくなっていた。とりあえず、動きを止めて壁にしがみ付き、風が治まるのをじっと待つ。
風が止めば、行動を再開。
やっとのことで、隣の部屋の屋根部分に辿り着けた。
幸運にも、窓は軽く開いていた。薄いカーテンが引かれているが、中の様子は見ることができる。
見つからないよう、身を縮めつつ部屋を覗き込んだ。
「まあ、困ったわあ~」
中から、おっとりとした女性の声が聞こえる。
「鼠ちゃん達、どうして何も食べてくれないのかしら。果物の載ったケーキはお嫌い? お喋りも、できるのよねえ? どうしたのかしらあ~……」
鼠ちゃん達!? チュチュとチュリンはここにいる?
疑惑が確信となり、奥様がこちらに背を向けて座っていることが確認できたので、カーテンを捲り、部屋の中を覗き込む。
チュチュとチュリンは――いた!!
二人は並んで椅子に座っており、何故かふりふりのレースたっぷりなドレスを着せられ、頭には大きなリボンが結ばれていた。
……やだ、すごく、可愛い。
いやいや、そうじゃなくって!!
机の上にはケーキやクッキーなど、たくさんの甘い物が並べられていたが、チュチュとチュリンは『どうしてこうなった……』という困惑の表情を浮かべるばかりで、奥様に勧められても手をつけようとしていなかった。
そもそも、無理矢理連れて来られた場所で食べ物を口にするわけがない。
それに、鼠妖精は食べ物を取らなくとも、周囲から魔力を摂取するだけで生きることができるのだ。
けれど、村の鼠妖精はパンやお菓子は大好物だと言っていた。
村の郊外にある畑で育てた麦は、多くの魔力を含んでいる。そこから魔力を摂取することも可能なのだ。ただ、食べなくとも生きていけるので、嗜好品的な意味合いが大半を占めるようだが。
さて、これからどうしようか。
奥様の周囲に使用人や護衛がいるようには見えない。
このまま部屋に押し入っても、危険な目に遭うことはないだろう。
一瞬で腹をくくる。
チュチュやチュリンは不安そうにしていた。なので、今、助けようと思う。
窓枠に足をかけ、部屋に侵入した。
着地音を聞いた奥様が振り返る。
年は二十代後半くらいだろうか? とても綺麗な人だった。
「――だ、誰!?」
突然誰だと聞かれても困る。
通りすがりの女中だと答えておいた。
「な、何故、窓から……?」
「そういう日もある!」
「そ、そうなの?」
そうだと言えば、わかったと言って頷く奥様。意外と、素直な御方のようだった。
「えっと、通りすがりの女中さん? あなたは、何をしにここへ?」
「チュチュとチュリン――そこにいる鼠妖精を助けにきたんだ」
「助けに?」
ポカンとする奥様。何やら話が噛み合っていないような気がする。
「あの、そこの二人は、誘拐されたんだけど」
「まあ、そうだったの?」
「え~っと、知らなかった?」
「ええ。夫が、お世話をして欲しいと言って、連れて来てくれたから、鼠ちゃん達は帰るお家がなくて、困っているとばかり」
「あ、そうだったんだ」
奥様は何も知らないでチュチュやチュリンのお世話を焼いていたらしい。
嘘を言っているようには見えなかった。
可愛らしいドレスは、鼠妖精にいつか着てもらおうと思って、半年前に注文していた物だとか。
「――それで、彼女達を村に連れて帰りたいんだけれど」
「ええ、そうよねえ。ごめんなさいね、鼠ちゃん達の気持ちも知らないで」
チュチュとチュリンはふるふると首を横に振っていた。なんて優しい娘達なのだろうか。心がじんわりと温かくなる。
「なんだか、寂しくなるわ。村にも、いつ戻れるのか……」
憂いの表情を浮かべる奥様。
ふと、疑問が浮かんだので質問をしてみた。
「あの、もしかして、今回の事件はご存じないとか?」
「事件?」
「凄く言いにくい話なんだけど――」
私は前領主の奥様に、事件の全貌を語って聞かせた。
「あらあら、まあまあ、本当に、困った人」
おっとりとした様子で感想を述べる奥様。今まで知らされていなかったらしい。
「せっかく隠居が出来ると思ったのに、また私は衆目に晒されてしまうのね」
「晒される?」
「ええ、今の夫は二人目の夫で、一人目の夫も脱税とか何かで事件を起こして、今も牢の中にいるの」
なんとか家の力で一人目の夫と離婚をし、現在の、八歳年下の夫と結婚したのはいいものの、今回もまた、犯罪に手を染めてしまったようだ。
多くの愛人を囲っていても、何も言わずに耐えていたらしい理由が判明した。
「夫は今日、鼠ちゃん達の村に行くと言っていたけれど、どなたかと話し合いをされているのかしら?」
「今、第五王子であるアルフレートが領主をしていて、双方の間で話し合いを」
「まあ、そうだったの」
奥様は何度かパチパチと瞬きをして、深く頷く。
そして意を決したように立ち上がり、チュチュとチュリンに頭を下げた。
「夫が、失礼をしました。許してくれとは、とても言えないけれど、ごめんなさいね」
『い、いえ……』
『私達は、別に……』
「ありがとう」
村に帰ると言えば、奥様も一緒に行くと言う。
「夫を、叱らなければいけないわ」
「あ、うん。そうしてくれたら、助かるかな」
オスキャル・ミキアンは二十歳と若い青年であった。若年ながらも野心を持ち、働き者の鼠妖精達の資産を食い物にした。それは許せないことであると、奥様は話す。
「私はドリスっていうの。あなたは?」
「エルフリーデ」
自己紹介がすめば、ヤンとチューザーの元に戻る。
二人は、救出されたチュチュとチュリンを見て、大喜びをしていた。
「あ、そうだ。ドリス、その、言いにくいんだけれど」
「何かしら~?」
「村まで、翼竜に乗って行くんだよね」
翼竜を見たら卒倒するのではと思ったが、ヤンが連れて来た相棒を見て、艶やかな笑みを浮かべつつ呟いた。
「まあ、素敵~」
どうやら、心配は無用だったようだ。
◇◇◇
村を出て四時間ほど経過していた。
アルフレートは大丈夫だろうか。ホラーツもいるので、そこまで大事にはなっていないと思うけれど。
庭先で翼竜から降り、急いで玄関まで向かう。
けれど、お城に近づくにつれ、ぞくぞくと悪寒が強くなっていった。
前を走っていたヤンが、ぴたりと足を止める。
『こ、これは――』
「え、何?」
視力が良いヤンは、何かに気付いた模様。
どうしたのかと聞いてみれば、驚くべき事実を口にした。
『――城全体が、凍りついている』
「な、なんだって!?」
自分の目で確認しなければと、ヤンの制止を振り切って城に近づいた。
「――!?」
信じられない光景を前に、息を呑む。
城の壁は薄く氷が張りついているような状態になっていた。
ヤンの言う通り、城全体が凍りついているように見える。
階段を駆け上がり、扉に手をかける。
当然ながら、取っ手を引いても開かない。
どうしようか迷っていれば、地面に魔法陣が浮かび上がった。
そこから出てきたのは、村長と役場の局長で――私の顔を見るなり、焦ったように訴えてくる。
『大変です、炎の御方様! ご、ご領主様が――』
嫌な予感しかしなくて、額に浮かんでいた汗がつうと頬を伝って落ちていった。
▼notice▼
鼠妖精用のドレス
チュチュの着ていたドレスは可愛らしく、チュリンが着ていたドレスはエレガント。
王都の夜会にも着ていけるような、流行の最先端を追った一着。




