第百二十話 最終話
渾身の一撃――だったけれど、魔王は回避した。
ぐっと奥歯を噛みしめる。簡単にはやられてくれないようだ。
『エル、なぜ、私を攻撃する……?』
「アルフレートの顔で、そんなこと言わないでよ!」
泣きそうになった。
けれど、やらなければいけない。
あの人はアルフレートじゃなくて、魂がからっぽの魔王だから。
「聖剣、炎狼、私に、力を貸して!!」
『ええ、わかっていますわ!』
『わうわう!』
私は一人ではない。きっと勝てる。
自分に言い聞かせる。
魔力を全部放出させた。これが全力。
次の一発で仕留める!
『エル……また、炎に……呑まれて……』
わなわなと震える魔王。
私の死因はすべて炎に関連していたことらしい。
炎を纏う姿を見て、過去のトラウマスイッチを押してしまったのか。
『ああああ……あああああ!!』
「うわあ」
薄くなっていた闇の空間が濃くなる。
それはゆらゆらと漂って、剣の形となった。
魔王が叫べば、私のほうへと飛んでくる。
避けきれない! ――そう思って目を閉じたが、衝撃はなかった。
私の前に、何かがある。
これは――勇者の盾。
触れたら消えてしまった盾が、守ってくれたのだ。
『さすが、ヤンデレ製造機ね』
「アーキクァクト様!」
『あ、アタシ、美と清浄の女神だから、戦闘に参加できないわよ』
「なんか、頼りになりそうな筋肉をお持ちなんですが」
『無理なものは無理』
「ええ~~」
と、そこで思い出す。切り札があったことを。
ここまで呼べるかわからないけれど、物は試しだ。
「ローゼ、リリー!」
筋肉妖精の姉妹達を大集合させた。
魔王を屈強な筋肉を持つ者達が取り囲む、
「みんな、魔王を取り押さえて!!」
即座に飛びかかる筋肉妖精達。魔王は逃げていたが、あっという間に拘束されていた。
渾身の魔力を注いだ聖剣を握りしめる。
とても重かった。上から誰かに押さえつけられているような、そんな感じ。振り上げるのに結構力がいる。
「う……ん、ぐぬぬぬぬ!」
視界の端でアーキクァクト様が慈愛に満ちた視線を向けているのが見えた。微妙に集中力が削がれる。
今、息を吐きだしたら、背後に倒れ込んでしまいそうだ。
必死に耐える。
もう少しで振りかぶれるだろう。けれど、力がもう一歩たりない。
「あ、え? 嘘ぉ!」
だんだんと萎んでいく魔力。
どうして?
『時間をかけすぎたのよ』
「そんな!」
魔力を放出して一定時間経つと、その力は大気に溶け込んでしまうらしい。
そんなのってないよ。
涙が一筋零れる。
その場に崩れ落ちそうになっていたが――
『しっかりしろ、エルフリーデ!!』
「せ、師匠」
メーガスの激励が聞こえた。
アーキクァクト様を見れば、片目を瞑っている。どうやら、外界の声を届けてくれたらしい。
『嫁子! 帰って一緒に寝るぞ』
お義母様……。微妙に寝相が悪くて、寝台から落とされるけれど、また、一緒に眠りたい。
『父様、母様、頑張れデス!』
『あと少しですわ』
『あなた達、戻って来なかったら許さないんだから!』
グラセに雪の花ちゃん、雪の大精霊様……。待っている家族がいる。彼らに悲しい思いをさせたくない。
『エルフリーデ妃殿下、お帰りをお待ちしております』
ホラーツ。そうだ。私達は帰らなければ。
もう一度、しっかりと聖剣を握りしめる。
絶対に、魔王を倒して、憂いのない世界を作るのだ。
『――あら、枢要徳じゃない』
枢要徳――それは人を救い、健全な道へと誘う善行の力。
正義
節制
勇気
知慮
みんなの思いが力となる。
再び聖剣は輝きを取り戻した。
奥歯を噛み締め、剣を振り上げようとしたら――
「エルフリーデ!」
「アルフレート!?」
バラバラになったアルフレートが奇跡の生還をする。なんと、メルヴが治してくれたんだとか。
ぎゅっと、聖剣の柄を一緒に握ってくれる。
真っ赤な炎は青い炎となった。
熱くて冷たい、最強の魔法である。
「終わらせよう」
「うん」
アルフレートと二人で聖剣を魔王に向かって振り下ろす。
剣が触れる瞬間、筋肉妖精達は退いていく。
『ギャアアアアアアア!!!!』
魔王は叫ぶ。悲痛な声を響かせた。
その身は凍ったかと思えば燃え広がり、青い炎に包まれる。
魔王は死んだ。
跡形もなく散っていった。
私は膝の力が抜けて、その場に倒れ込む。
アルフレートがすぐに支えてくれた。
「良かった……」
「ああ。しかし――」
「どうかしたの?」
「この空間が消えないのは、なぜかと思って」
確かに。
ここは魔王の精神世界。死んだのならば、ここもなくなるはずだ。
『それは魔王の思念が残っているからよ』
「そ、そんな」
肉体が滅んでも、思いは簡単に消えやしないということなのか。
アーキクァクト様が指を差す。
そこには、黒くてモヤモヤとした塊があった。
『あれ、しばらくは何もできないと思うけれど、何かきっかけがあったら、また魔王になるわ』
「魔王の素、というわけですね」
『そう』
なんじゃそりゃと頭を抱える。
「アーキクァクト様」
『なあに?』
「あれ、私の中に取り込めますか?」
『できるけれど、ここから持ちだせないわよ』
「……」
アルフレートに止めろと言われた。
けれど、放っていたら、あれは魔王になってしまう。
だから、悲しい気持ちを私の中に引き込んで、受け入れようと思った。
「ならば、私もここに残る」
『残念だけどこの空間、そんなに容量ないから。炎の娘っ子一人が限界ね』
アルフレートの顔を見ることができない。
「これ、私の中にいたら、更生すると思うんだ。綺麗になったら、外界に戻るから」
「エルフリーデ、そのようなこと、許せない」
「でも……」
せっかく一生懸命魔王を倒したのに、原因を残して帰ることはできない。
それに、封印みたいな処置をしても、再び歴史を繰り返してしまうだけだろう。
『炎の娘っ子、いったん落ち着きなさい!』
アーキクァクト様にぽんっと、頭を叩かれる。
『あなたがここに残れば、眼鏡男子が魔王になるかもしれないのよ』
「それは、よくないなあ」
でも、魔王の思念はどうすればいいのか。
『メルヴニ任セテ!』
「え?」
『メルヴガ、取リコンデ、イイ子、イイ子スルカラ』
振り返れば、メルヴがエッヘンと胸を張っていた。
アルフレートの治療に頭の葉っぱを全部使ったからか、のっぺりとしている。
魔王の思念を取り込んでくれるって言うけれど――
「いやだ、メルヴがいなくなるなんて!」
「待て、エルフリーデ、いったん話し合いを――」
再度、アーキクァクト様に頭を叩かれた。アルフレートも。今度は結構強い力だった。地味に痛い。
『馬鹿! この、我儘勝手夫婦! うだうだしていたら、何も解決しないわ』
一番いいのは、私とアルフレートが一緒に帰ることらしい。
メルヴは、浄化がすんだら迎えに行けばいいと。
『アル様、エルサン、メルヴ、大丈夫ダカラ』
メルヴはそう言うけれど、簡単に頷けるものではなかった。
またまたアーキクァクト様に怒られる。
精霊の生涯は果てない。その中で、こんなことなど小さなことだと。
そうかもしれない。
いや、ぜんぜんそう思わないけれど、自分を無理矢理納得させた。
「ありがとう……ごめんね、メルヴ」
「すまない」
『イイヨ!』
メルヴは最後に、抱きついてきた。
『エルサン、今マデアリガトウ! 大好キ!』
「わっ、私も、メルヴのことが好きだよおおおお~~」
涙が止まることなく溢れてくる。
滴った雫が、メルヴの頭上に落ちれば、葉っぱが生えてきて、中心に赤い花を咲かせる。
『メルヴモ、アリガトウ。エルサンノ、温カイ気持チ、モラッタヨ』
「うん……。私も、本当に、ありがとう」
涙を拭う。
今度は、アルフレートに抱きつく。
『アル様、タクサン、タクサン、メルヴニ、蜂蜜水作ッテクレテ、アリガトウ』
「メルヴ……」
『アル様ノ愛ガ、タクサン入ッテイテ、美味シカッタ』
「そうか。それはよかった」
アルフレートもぎゅっと抱き返す。しばらくして、離れた。すると、メルヴの胸に青い花が咲いた。
『コレガ、アル様ノ、温カイ、気持チ』
メルヴは私達に手を振った。
『ジャア、マタネ!』
そう言って、テッテケテ~と魔王の思念に走っていく。
ぎゅっと、黒い靄を抱きしめた。
「メルヴ……!」
『ボサボサしていないで、帰るわよ!』
「エルフリーデ、行こう」
メルヴの後姿に手を振った。
涙が溢れて、姿もよく見えなくなる。
魔王の精神世界から脱出しようとした刹那、メルヴは眩い輝きを放った。
それが、最後に見た姿だった。
外界へと戻れば、大変なことになっていた。
北の国の城が崩れそうになっていたのである。
「帰ってきた途端これなんて!」
「魔王の魔力で形を保っていたのだろう」
「なんてこった!」
メーガスやお義母様、グラセ達はアーキクァクト様が避難指示をだしていたらしい。
ギリギリで城の外に脱出し、プラタに乗って大空へと退避する。
上空では、みんなが待っていてくれた。
「嫁子、無事だったんだな!」
「はい、おかげさまで」
よかった。本当によかったけれど、メルヴは――
みんなに事情を説明すれば、暗い雰囲気になる。
「大丈夫だ、エルフリーデ。時期がきたら、迎えに行こう」
「うん……」
アルフレートは励ましてくれたけれど……。
『あれは?』
ホラーツが崩れた城を指差す。
かすかに、光っているように見えた。
「あ!」
「なんということだ」
崩れた魔王城が豊かな緑に包まれる。
草木が育たない北の大地に、緑色が広がっていたのだ。
中心部からは、巨大な樹が生えてくる。
『世界樹ですわ』
雪の花ちゃんが呟いた。
妖精界にしかない世界樹が、人間界に生えたのだ。
魔王降臨で魔力が減り、バランスを失いつつある世界だけれど、世界樹があれば、心配はいらないだろう。
「メルヴ……!」
ボロボロと涙が流れる顔を、両手で覆う。
あの子は、なんて素敵なことをしてくれたのか。
魔王は倒れ、世界は救われた。
やっと、平和が訪れたのだ。
役目を果たせたので、安堵する。
けれど、メルヴと離れ離れになった喪失感からは、なかなか解放されなかった。
◇◇◇
一年後。
ようやく世界樹の魔力が安定したので、近づくことを許された。
アルフレートとメルヴの大好きな蜂蜜水を作った。
それから、魔王に手向ける花束も。
北の小国は一年中厳しい雪と氷に覆われ、貧しい暮らしをしていたらしい。
けれど今、この地は豊かな草花が広がっている。
世界樹には、赤と青の花が咲いていた。
別れ際に、メルヴに咲いていた花だと思う。
ここの国の人々は現在、アーガンソウで生活しているらしい。王女は王族に輿入れして、友好な関係を築いているとか。
快適な大国暮らしを始めた民達も、祖国への執着はまったくないらしい。
チュチュやチュリンは鼠妖精の村へと戻っていった。
ドリスも一緒だったのは驚いたけれど。まあ、幸せそうなのでいいかなと思った。
ヤンはあのクレシル姫と婚約したらしい。戦場で育んだ愛だとか。びっくりだ。
そんな感じで、周囲の状況は変わりつつある。
世界樹が生えるこの地は、立ち入り禁止区域となった。
強力な結界が張られ、誰も入れないようになっている。
美しい花々が咲き、うさぎやリスなど、小動物が元気に走り回っていた。
メルヴは一人ぼっちじゃなかったんだと思ったら、涙がでてしまう。
世界樹の前に、蜂蜜水を置いた。
手と手を合わせ、感謝する。
「メルヴ……」
アルフレートがそっと肩を抱いてくれた。
「いつか会える」
「うん、わかっているけれど、メルヴに会いたいよ」
『ハ~~イ』
「ん?」
なんか、頭上から聞き慣れた声が聞こえたような?
しゅるしゅると、何かが下りてくるような音がする。
上を見れば――
「あ!」
「なっ……」
蔓に吊られた生きものは、大地に降り立ち、先端に葉っぱのついた手をぴっと伸ばす。
『オハヨ~!』
「う、嘘……!」
「こんなことが、あるのか?」
震える手を伸ばす。
ちょこんと、手を添えてくれた。
「あなたは――」
『メルヴダヨ!』
ダラ~っと、堰を切ったように涙が溢れてきた。
メルヴはいた。私達に会いに来てくれた。
「メルヴ~~!!」
一年ぶりとなったメルヴの姿を前に、喜びと感激と安堵と、さまざまな感情が押し寄せて来た。
良かった。本当に良かった。
「メルヴ、会いたかった!」
『メルヴモ!』
どうやら、最近目覚めたとか。
現在、世界樹に繋がっている状態だけど、蔓はどこまでも伸びるので、移動は問題ないらしい。
けれど、蔓が切れたら大変なことになる。
そんなわけで、私達はこの北の地に家を建て、みんなで暮らすことにした。
◇◇◇
朝、アルフレートは城に出仕する。転移陣で魔導研究局に向かうのだ。
『父様、いってらっしゃいデス』
「ああ。行ってくる」
グラセは手をぶんぶんと振って、アルフレートを見送る。
『今日は、クッキーを差し入れにしておきますわ』
「楽しみにしておこう」
グラセの妹、雪の花の妖精はネーヴェと命名された。可愛い可愛い娘である。
「アルフレート、行ってらっしゃいのチュウは?」
「お前は、子ども達の前でなんてことを言っているのだ」
朝から怒られてしまった。反省反省。
メーガスは世界樹の近くに研究所を建て、暮らしていた。多分、研究漬けなのだろう。
楽しそうなので、何よりだと思う。
ホラーツは相変わらず、アルフレートの爺やをしている。
私達を見る眼差しは、とっても優しかった。
お義母様はグラセやネーヴェの面倒をよく見てくれた。
毎日、ほとんどの時間を世界樹の前で過ごしている。
魔人アケディアは世界樹にハンモックを作って、ぐうぐうだらだら過ごしていた。
まあ、お約束である。
雪の大精霊様はたまに遊びに来てくれる。アルフレートのアイスを食べて鼠妖精の村に帰るのだ。
私は昼食を作って、世界樹のお義母様の元へ持って行った。
お手製の蜂蜜水をメルヴに渡す。
『アリガト~~!』
メルヴは元気いっぱい。
今日は薄紅色の花を頭の上に咲かせている。
『エルサン、嬉シイ』
蜂蜜水を受け取ったメルヴは、私にひしっと抱きついてくる。
『ン?』
「どうしたの?」
『エルサンノ、オ腹カラ、声ガキコエルノ』
「え?」
「まさか!」とお義母様が叫ぶ。
『三人、イルヨ』
「わ~お」
どうやら私のお腹の中でおめでたいできごとが起こっていたらしい。しかも三人も。
お義母様が笑顔で抱きついてくる。
まだなんか実感がないけれど、じわじわと喜びが広がってきた。
アルフレートに報告するのが楽しみだ。
きっと、驚くだろう。
「嫁子、やったな。さすが、炎の大精霊!」
「いやいや、滅相もない。私は大精霊ではございません」
そんな感じで、私達はゆったりのんびりと暮らしている。
これからもずっと、幸せな時は続くだろう。
炎の神子様は大精霊様ではございません 完
▼notice▼
めでたし、めでたし