第百九話 対決――嫉妬の魔人
静かなお屋敷の中を進んでいく。
魔物の気配は驚くほどなくて、余計に警戒心が強くなってしまう。
自分のコツコツと歩く足音が大きく感じてしまい、忍び足を心がけた。
二階に上がり、長い廊下をまっすぐに進めば、重厚な二枚扉の前に辿り着く。
筋肉妖精のローゼとリリーが顔を見合わせ、扉を開いた。
内部は驚くほど広い。大理石の床に、キラキラ煌めくシャンデリア。壁には歴代領主とそのご夫人と思われる肖像画が。
ここは夜会などが開催される大広間なのだろう。
二、三歩進めば、ふと、違和感を覚える。
「エルフリーデ!!」
アルフレートが叫ぶのと同時に、景色がくるりと入れ替わった。
なんだ、これ?
グラグラと左右に揺れる世界。じゃなくて、私が揺さぶられているのだ。
脚を蔓のような物に絡めとられ、シャンデリアに括られてぶら下がっている。
『ウフフフ、お間抜けな精霊さんね』
「な、なんだと~~!!」
上から聞こえた失礼な発言に、反発する。
姿を確認しようとしても、上手く見えなかった。
年若い、少女の声だということだけわかる。
アルフレートが私を助けるために動こうとすれば、謎の少女は「下手に動けば丸呑みにする」と宣言していた。私を人質に使うなんて、なんてことを。
一度冷静になる。相手は少女体だ。精神が幼い可能性もあった。
ゆっくりと、優しい声で話しかけた。
「あなた、魔人なの?」
『ええ、正解』
するりと、隣に黒い物が下りて来た。反射的に見てしまう。
『はじめまして』
「あ、どうもご丁寧に――ぎゃっ!!」
普通の黒髪少女と思いきや、下半身は蜘蛛だった。どうやら、私はこいつの糸に捕まってしまったのだ。
『あなた、名前は?』
「エル……勇者の」
『ふうん。精霊が勇者ねえ、変なの』
「否定しないけれど」
勇者になるために夫婦で精霊になったとか、人類の歴史で初めてだろう。
まあ、聖剣と魔剣になった元聖女勇者夫婦もいるけれど。
『アタシは魔王軍七ツ柱、【嫉妬】のインウィディアよ』
ぐっと、顔が眼前に迫る。
長くて絹のような漆黒の髪が、サラリと私の頬に触れた。
細められた目は真っ赤。にやりと開いた口からは、鋭い牙が覗いている。
上半身も普通の人間ではなかった。
『あなた、夫もいて、仲間もいて、友達もいて、ずるいわ』
「インウィディアも、仲間、いるじゃん」
『ちがうわ。あれは仲間ではなく、配下よ。アタシが怖いから、従っているだけ』
「へ、へえ」
会話が途切れた。
魔人インウィディアは手先から糸を垂らし、私の体をぎゅうぎゅうと締めていく。
「えっ、あ、あの……これは?」
『あなたを今から食べようと思って』
「うわっ、なんてことを。私なんて美味しくないから!」
どんどん糸を体に巻きつけられ、ミノムシのような姿になっていく。
『首は縛って鬱血させて、下半身からゆっくり血を吸い、脳みそはデザートにしようかしら』
「オオ……ワタシ、美味シクナイ。血、腐ッテル」
あまりの恐怖に、片言になってしまった。
『何を言っているのよ。こんなに美味しそうな香りを漂わせておいて』
「ヒイイイイ!」
『肉体がある若い精霊なんて、凄く稀少だわ。血は赤葡萄、お肉はほっぺが落ちそうなくらい、柔らかいのでしょうね』
ぺろりと、首筋を舐められる。
舌にトゲトゲの突起がついていて、地味に痛かった。
それにしても、私も『美味しそうな精霊』だったとは。そんなの、メルヴだけかと思っていた。
『ああ、なんて美味し――』
恍惚の表情で語る魔人インウィディアだったが、発言の途中で硬直する。そして、口からゴポリと血を吐いた。
なんと、魔人インウィディアの腹部に、魔剣が刺さっていたのだ。
氷柱の先端に魔剣を埋め込み、突きあげるようにして刺されている。
これは、もしかしなくても、アルフレートの魔法だ。
『エルサ~~ン!!』
メルヴの声が聞こえたかと思えば、ザクリという音が聞こえる。
その後、すぐさま落下。
足を絡めとっていた蜘蛛の糸が切れたと、落ちながら気づく。きっとメルヴが葉っぱを投げてくれたのだろう。
喉がカラカラで、炎狼を呼べない。このまま地面に落下かと思って瞼を閉じる。が、ガッシャンと金属同士がぶつかり合う音で我に返った。
アルフレートが私の体を抱き止めてくれていた。
「わっ、アルフレート!」
「大丈夫か?」
「うん、平気。ありがとう」
鎧姿のまま、ぎゅっと抱きしめられる。
小さな声で、ごめんと呟いた。
「まだ、終わっていない。謝罪はあとで聞く」
「う、はい」
また、あとで説教を受けなければならないようだ。反省はあとにすることにした。
アルフレートの膝から降り、シャンデリアを見上げる。
魔人インウィディアは、まだ息があるようだった。
『よ、よくも、魔剣なんか刺してくれて……ふふ、ふふふふ……』
氷柱でしっかりと固定されているので、インウィディアが動けない。けれど、口や手、お尻付近から大量の糸を垂らし、針のように飛ばしてくる。
炎で燃やすけれど、相手は無尽蔵に攻撃を仕かけてくる。
『ワア~~!』
メルヴは糸を回避するだけで精一杯のようだ。
ローゼとリリーも同様に。
聖剣に炎を纏わせ、糸を断ち切る。
炎狼を召喚し、背中に跨って近づこうとしたけれど、魔人インウィディアは急に糸を全身に巻きつけ、繭のような物の中に閉じこもってしまった。
アルフレートは魔剣が繭に取り込まれる前に、回収した。
聖剣を振り上げて力の限り斬りつけたが、キインと音と共に跳ね返される。魔人の繭は、聖剣をも弾き返す、強力な物であった。
「うわ、どうしよう……」
おそらく、繭の中で回復しているのだろう。
聖剣、魔剣も効かず、当然ながら魔法もだめ。
繭を見上げ、呆然とするわたくし達。絶望デス。
どうしてこうなったのだと頭を抱えていたら、目の前に魔法陣が浮かび上がる。
『あなた達、なにしてんのよっ!!』
魔法陣の中から現れたのは、真っ白くて大きな狼さん。雪の大精霊様だ。
なんでも、村人の救出が早く済んだので、やって来てくれたとか。
雪の大精霊様の傍で、これまでの経緯を説明する。
兜を外し、耳元でぼそぼそ喋っていたけれど、フワフワな毛が頬に触れて幸せな気分になる。
いや、魔人と戦っているのに、なんてことを考えているのか。しゃっきりしなければ。
でも、すんごいモフモフ~~。
説明を終えると、雪の大精霊様はキリっとした表情で言った。
『わかったわ。いい考えがあるの』
「本当ですか?」
『あなた達は何もしなくてもいいから、じっとしていてね』
「わかりました」
雪の大精霊様は策があるらしい。いったいなんなのか。
前足を屈め、姿勢を低くする雪の大精霊様。
とん、と跳び上がり、あろうことかアルフレートに飛びかかった。
「うわっ!!」
アルフレートは悲鳴をあげて倒れ込む。
「えっ!?」
意図がわからず、呆然とする。
何もするなと言われているので、じっとしているけれど、大混乱だった。
『いただきま~す。バリバリ、ムシャムシャ!! チッ、男の精霊はマズいわね!!』
食べる振りをしているの? いったい、これは何をしようとしているのか。
続いて、メルヴに取りかかる。
『口直しに食物繊維取るわ! う~ん、美味しい!』
あれ? メルヴの葉っぱは普通に食べている?
メルヴも言いつけとおり、大人しくしていた。
雪の大精霊様はメルヴの葉っぱを一枚完食した。けぷっと、満足そうにしている。
ローゼとリリーの前は通り過ぎる。
『妖精は食べないから!』
そういうことらしい。
最後に、私に飛びかかってくる雪の大精霊様。
『やっぱり、女の精霊肉よね!』
ゆっくり、優しく押し倒してくれる。
耳元でぼそりと、大人しくしておくように言われた。
そこで、雪の大精霊様の意図を理解する。私の肉を食べる振りをして、魔人インウィディアを呼びだそうという作戦だったのだ。
『がお~~、がお~~!! 食べてやるぞ~~!!』
「キ、キヤー、ダレカー、タスケテー、食ベラレルー!」
上手く演技ができているだろうか。いや、多分ダメダメなんだろう。
私の演技力に期待なんかしてはいけない。
『ふはは、やっぱり、若い娘精霊の肉は美味い。血は、芳醇な赤葡萄酒のようだ。いくらでも飲める』
「やあん」
振りだけかと思いきや、本当に首筋をペロペロしてくる雪の大精霊様。
毛はフワフワだし、舌は冷たくてくすぐったいし、どうしていいのかわからない。
『どおれ、肉も齧ってみよう。あ~ん……』
『ダメ~~!! その精霊肉はアタシのなの!!』
その叫びと同時に、パキリと繭が割れる。
糸を伝って、魔人インウィディアが地上に降りてきたが――ずるりと後方にその身は引かれて行く。
メルヴが魔人インウィディアの足を蔓で絡めとり、引き寄せたのだ。
魔人の左右の腕を、筋肉妖精が掴んで動けなくする。
その背に、アルフレートは氷魔法を纏わせた魔剣を突き刺した。
『ガフッ――!!』
魔人インウィディアは血を吐きだし、その場に膝を突く。
その後、氷柱に体を貫かれ、息絶えた。
「お、終わり?」
『みたいね』
「や、やった……!」
起き上がって、もう一度万歳をする。
「倒せた、やった~!」
雪の大精霊様の機転でなんとか倒すことに成功した。
▼notice▼
残念な演技力
エルフリーデの渾身の演技はひどいものだった。アルフレートは作戦は失敗だと思ったが、見事成功。
魔人が抜けていてよかったと感謝する事態に。
あと、雪の大精霊は演技と言っていたが、メルヴはガチ食べしていた。