第百話 儀式――精霊化
店をでて、石畳の道を歩いて行く。
ガラスケースの中の服に一目惚れをしたので買ってもらったり、お菓子屋さんでみんなにお土産を買ったり、アルフレートのタイを真剣に選んだりと、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
最後に、お義母様が変化していた猫のぬいぐるみを買って店の外にでれば、離宮からの迎えがやって来る。
「そろそろ帰るか」
「うん、そうだね」
お義母様猫を抱いたまま離宮に帰る。
いつの間にか、すっかり陽が傾いていた。夕日が街の屋根や石畳を橙色に染めている。
子ども達は走って家に帰り、商人は店じまいを始めていた。
まだ、王都は平和に見えた。けれど――
ぶんぶんと首を横に振る。
「エルフリーデ、どうした?」
「ちょっと、不安になって……」
果たして、魔王に勝てるのか。
勇者を名乗って、きちんと最後まで勤め上げることができるのか。
再び、アルフレートと街歩きをする日々はやってくるのか。
陽が沈んでいく街並みを眺めていると、どうしても感傷的になってしまう。
アルフレートは私の肩を抱き寄せ、手を握ってくれた。
それから、一言もしゃべらずに家路につく。
どうか今晩の精霊化が上手くいきますようにと、心の中で願った。
◇◇◇
夜、鼠妖精の村へ移動した。
竜の血を飲むにあたって、周囲に迷惑をかけないよう、結界などを張って対策する。
「嫁子よ、本気なのだな?」
「うん、本気」
お義母様はアルフレートにも同じ質問をする。答えは同じだった。
一応、何かあった時のために、メルヴにも来てもらった。炎狼とグラセはお留守番である。
メーガスとホラーツは、二人で何やら打ち合わせをしていた。
その傍らには、聖剣魔剣ご夫妻が。
『ねえ、スノウ、鼠妖精の村ですって』
『……』
あちらは相変わらずのご様子。
お義母様はイライラしているように見えた。落ち着かないご様子。
メルヴを抱き上げ、うろうろと歩き回っていた。
『エルフリーデ様、準備が整いました』
「了解」
まずはホラーツに近づき、手を握る。
「ホラーツ、今までありがとう」
『エルフリーデ様』
「これからも、よろしくね!」
『は、はい!』
ホラーツには本当にお世話になった。いつか、アルフレートとホラーツ孝行をしなくてはと思う。
次に、隣にいたメーガスに抱きついた。
「うわ、お前、突然!」
「師匠も、ありがとう」
「……」
「精霊になったら、眷属にしてあげるからね」
「ああ」
嫌がられるかと思ったけれど、案外あっさりと了承してくれた。
素直過ぎたので、離れて顔を覗き込む。
「なんだ」
「いや、あっさりと了承してくれたなって」
「当たり前だ。精霊化したら、研究の材料にする」
「自分自身を?」
「そうだ」
メーガス、なんということを。
目がらんらんとしていた。きっと、楽しいことを考えているに違いない。
前向きな姿勢で良かったなと思う。
「お義母様」
「……」
「お義母様~~」
逃げるお義母様、あとを追う私。
部屋の角に追い込んで、背後から捕獲した。
「ぬう、離せ、嫁子!」
「抵抗しても、無駄ですよ~~」
バタバタと身じろぐお義母様には、耳元で「大丈夫です、心配いりません」と囁いておいた。
すると、抵抗を止めて、こちらを振り返る。
「嫁子……」
「はい」
「自分をしっかり持って、頑張るのだぞ」
「ありがとうございます」
お義母様の抱いていたメルヴにも、お礼の言葉を口にする。
「メルヴも、ありがとうね」
『ウン! メルヴモ、アリガトウ』
葉っぱの手を握手した。
それから、励ましの言葉もかけてもらう。
『メルヴモ、前ハ精霊ジャナカッタカラ、大丈夫ダヨ』
「そっか……そうだったね」
最後に、アルフレートの元に行く。
「アルフレート、その……」
「話はあとで聞こう」
「うん、わかった」
何か言えば、別れの挨拶みたいになってしまう。そんなの、嫌だ。
だから、軽く抱擁するだけにしておいた。
結界魔法が敷かれた魔法陣の上に立ち、ホラーツより竜の血を受け取る。
昨日は液体だったそれは、今は結晶化していた。真っ赤な宝石の粒にしか見えない。
蓋を取れば、部屋の中の魔力の濃度が上がったことを感じた。
さすが、竜の血。
緊張で、胸が張り裂けそうだった。
けれど、意を決し、瓶の中の竜の血を呑み込んだ。
刹那、ドクンと、心臓が大きな鼓動を打つのを感じる。
体全体が熱くなり、体が燃え上がっているようだった。
魔力の核はどうなっているのか。
集中して確認したかったけれど、上手くいかない。
その場に立っていられなくて、倒れ込んでしまう。
誰かの悲痛な叫び声が聞こえた。
まだ、大丈夫。
そう言おうとしたけれど、上手く舌が回らない。
今度は全身の皮膚に棘が突き刺さっているような感覚となる。
息をするたびに、深く刺さっていった。
苦しい。
頭も痛い。
どぷんと、血の海に沈むような感覚に襲われる。
足には何かが絡まっており、ぐいぐいと地底に引きずられていた。
息を止めて我慢していたけれど、あっさりと限界が訪れる。
ゴポゴポと酸素が吐きだされ、血のような物をたくさん呑み込んでしまった。
きっと不味いだろうと思っていたけれど、あれ、これ、葡萄味?
やだ、意外と美味しいかも。
じゃなくて!
しようもないことを考えている間にも、どんどん引きずられて行く。
どうしよう。誰か――!!
助けを求めれば、頭の中に誰かの声が響く。
――わたくしを呼びなさい!!
これは、この声は……。
すぐに必要な存在に気付いた私は、残りの力を振り絞って、叫ぶ。
――聖剣、ヴィクトリアール!!
手の平に、何かがするりと入り込んでくる。それをぎゅっと掴んだ。
上半身を捻らせ、足を引っ張る何かを覗き込む。
うわ、気持ち悪っ!!
黒い手みたいな物が、私の足首を掴んでいたのだ。
苦しい。けれど、ここで断ち切らなければならない。
剣を持つ手を振り上げ、黒い手に向かって振り下ろす。
ザクリ、と斬った手応えはなかった。
けれど、足首の拘束は消えてなくなった。
ふわりと、浮遊感を覚える。引かれる力がなくなり、血の海をゆらゆら漂う。
――あなた、早くお帰りなさいな!!
聖剣ヴィクトアールの叱咤が聞こえるけれど、ほとんど力尽きていた。
もう少し休みたい。そう答えたら、時間がないと怒られてしまった。
そこで気づく。血の海が下のほうから黒く染まっていることに。
あれはやばい。
そう思ってバタバタと足を動かすけれど、黒の勢力のほうが早い。
聖剣を手放したら、もっと早く上がれるんだけど。
そんなことをちらりと考えたら、再び怒られてしまった。
わかっています、冗談です。
どんどんと迫る黒い勢力。
足、膝、腰と、侵食されていく。
これに飲み込まれたら終わりだ。ゾッとする。
頑張って足をバタつかせるも、胸元まで上り詰め、首の辺りまで迫って……。
――ああ、終わりだ。
トプンと、飲み込まれてしまった。
何も見えなかった。
ホロホロと、自分の体が分解されているような気がする。
一刻も早く脱出したいのに、体がまったく言うことを効かない。
なんだか、意識も朦朧となる。
私は誰?
ここはどこ?
何をしていたんだっけ?
頭の中が真っ白になっていく。
――あなた、ねえ!!
誰かの声が頭の中に響いた。
――こんなところにいたら、消えてしまいますわ!!
手に握っていた何かが、ぼうっと光る。
――しっかりなさって!!
そうだ、しっかり、しなきゃ。
――エルフリーデ、聞こえていますの!?
私の名は、エルフリーデ。思い出した。
元炎の神官で、この時代に召喚されて――旦那様の名前はアルフレートで、可愛い子どもの名前はグラセ。
だんだんと意識が鮮明になる。
ここは、精霊化の分岐点。早く抜け出さないと、失敗してしまう。
私は聖剣を力いっぱい振るった。
すると、周囲にあった黒い物が元の赤い色に戻っていく。
聖剣で振り払いながら、上へ、上へと泳いでいった。
最後に、蔓のような物が目の前に垂れてくる。
これって、メルヴの蔓?
手を伸ばせば、くるくると蔓が巻きついて、上にぐいぐいとひっぱってくれる。
ようやく血の海から脱出する。
「――ぷはっ!!」
目の前に広がる光景は――鼠妖精の魔法研究室。
「あら?」
『エ、エルサ~~ン!!』
メルヴとグラセが胸に飛び込んできた。炎狼も、私の周りをウロウロしている。
メルヴとグラセは、ぽろぽろと涙を流している。
「メルヴ、どうしたの?」
『エルサン、エルサン……!!』
『母様、母様~~!!』
周囲を見渡せば、誰もいなかった。これは、はて? お食事の時間とか?
『あなた、一ヶ月も意識がありませんでしたの』
「え!?」
近くから聖剣の声の指摘するこえが聞こえ、ぎょっとする。
「い、一ヶ月も……?」
『ええ』
『メルヴ、ア、アル様、呼ンデクル!!』
メルヴは涙を拭い、テッテケテ~と走っていった。
それにしても、いったい、どうして精霊化に一ヶ月もかかってしまったのか。
髪に触れたら、異変に気づく。
「あら?」
短かった髪が腰の辺りまでになっている。それに、色が黒から赤になっていた。
ふわふわと波打っていて、変な感じ。
「はっ、そうだ!!」
む、胸は――残念。大きくなっていなかった。
聖剣に聞いてみれば、髪の長さと色以外見た目に変化はないとのこと。