第九十八話 竜――なんも言えねえ
飴作りをした翌日。
ローゼとリリーが作ってくれた蜂蜜飴を持って、離宮から離れた広場へと馬車で向かう。
馬車の中にはアルフレート、お義母様、メーガス、メルヴがいる。グラセと炎狼はお留守番だ。
お義母様の膝にちょこんと座っているメルヴに話しかける。
「ねえ、メルヴ。竜の夫婦って、どんな性格だったの?」
『ウ~ントネ~、トッテモ、優シカッタヨ』
「そうなんだ」
竜って言ったら、なんか『人間よ……!』みたいな厳かな感じがするけれど、メルヴの知る竜夫婦はそうではないらしい。
『仲ガヨクテ、静カデ、ポカポカダヨ』
「そっか」
突然呼びだしたりして、血をわけてくれなんて言ったら怒りはしないか。
はらはらしてしまう。
心配をよそに、目的の場所へと到着した。
そこは、竜が着地できるような開けた場所である。
中心に敷物を広げ、献上品である蜂蜜飴を並べた。
『オ花畑ミタイデ、綺麗ダネエ』
「そうだね」
太陽の光を受けて、飴細工はキラキラと輝いている。
『ジャア、メレンゲチャント、プラタクン、呼ンデミルネ』
「お願い、メルヴ」
コクリと頷き、飴細工の前で葉っぱのついた手を挙げる。
『メルヴダケド、メレンゲチャント、プラタクン、イルカナ~?』
特別な術とかは何もなく、ただひたすら空に向かって話しかけていた。
しばらく続けていたが、ある程度時間が経つとその場に座り込んでいる。
どうやら、今から待ちの時間らしい。
一時間、二時間とその場で待つ。
途中、昼食も食べた。
午後からも三時間ほど待機する。
『ウ~~ン』
メルヴはこちらを振り返る。
近くにいないので、もっとかかるかもしれないと言った。
『メルヴ、ココデ、待ッテル』
私達には離宮に戻るといいと、提案をしてくれた。
「私もここにいるよ」
「俺も残ろう」
メーガスも一緒に竜を待ってくれるらしい。
「だったら、アルフレートとお義母様は家に戻って」
「しかし――」
「大丈夫だから。それに、一人で仕事をしているホラーツも心配だし」
「まあ、そうだな」
なんとか説得して、離宮に帰ってもらうことにした。
「嫁子、地面に落ちている物を拾い食いするでないぞ」
「お義母様、酷い……」
「いや、お前、前に落ちていたパンを拾い食いして腹を壊したことがあっただろう?」
「それ、子どものころの話!!」
まさか、子ども時代の黒歴史をメーガスに暴露されるとは。
そのおかげで、お義母様の疑惑の目が強まってしまった。
「嫁子、お師匠の言うことは聞くのだぞ」
「はい、お義母様」
アルフレートは私に上着をかけてくれた。優しい。
「メルヴ、エルフリーデを頼む」
『了解!』
そんな、アルフレートまで。
もう、人妻で一人前の女性なのだから、心配など要らないのに。
そう主張すれば、訝しげな視線を向けてくるアルフレートとお義母様。メーガスまで。
「みんな、酷いんだ!」
こうなったら、今後、しっかりしているところを見せつけるしかないと思った。
◇◇◇
師匠と二人、空を見上げながら竜がやってくるのを待つ。
メルヴはメーガスの膝にちょこんと座っていた。
「思ったのだが」
「うん?」
何か思い出したかのように話しかけてくるメーガス。
「良い家に嫁いだなと、思ってな。夫も、義理の母親も、周囲の親戚共も、総じてお前を大切に思ってくれる」
「そうだね。本当に、ありがたいなって」
ぜんぜん偉ぶっていなくて、何も知らない私を温かく見守ってくれる優しい人達。
「奇跡のようだ」
「本当に」
「お前が曲がらずに育ったことも」
なんでも、親元から離され、隔離された世界で暮らす神官達は、どこか性格に影を落とすことが多かったらしい。
「真面目な神官に育ったのも、師匠の愛のおかげかな」
「馬鹿を言う」
そんな話をしているうちに、雲の流れが早くなる。
こんなに空の様子がめくるめく変わっていくのは、嵐の前くらいだろう。
「師匠、これって……」
「ああ」
メルヴはメーガスの膝から離れ、空を見上げていた。
突然ぴょこんと跳び上がったかと思えば、両手を挙げ叫んだ。
『メレンゲチャ~~ン、プラタク~~ン、メルヴ、ココニ、イルヨ~~!!』
空に黒い点が二つあった。
目を擦り、もう一度見ようとすれば、ぶわりと、強い風が吹く。
「おおっ!」
「エルフリーデ!」
メーガスが私に向かって、姿勢を低くするようにと叫ぶ。
言われた通りにすれば、風はさらに強くなった。
「メルヴは!?」
「心配いらん。自分で地に根を張っているようだ」
「さっすが! 植物系」
どんどん強くなる風圧。
飛ばされそうになりながらも、なんとか耐えた。
風が止んでホッとしたら、今度はドシンと、地響きに驚くことになる。
先ほどの騒ぎが嘘だったように、しんと静まりかえる。
「……師匠、もういい?」
「ああ、いいだろうが」
恐る恐ると、顔を上げる。目の前に在ったのは――
「うっわあ~~」
「これは」
メーガスと二人して、言葉を失ってしまう。
なぜかと言えば、見上げるほどに大きな、二頭の竜の姿があったからだ。
ただただ、圧倒される。黒と白の美しい竜の姿に。
鱗の一枚一枚が宝石のようで、こちらを見つめる瞳は驚くほど優しい。
首が長く、背に大きな翼を持つ竜は、メルヴのお友達の竜、メレンゲとプラタだった。
『ウワ~~ン、メレンゲチャン、プラタクン!』
メルヴは震える声で二頭の元へ近づき、ヒシっと抱擁していた。
感動の再会の瞬間である。
その後、メルヴは竜のご夫妻に私達を相談してくれた。
竜は長い首を下げて、メルヴの話を聞いている。
『この人はエルサン! リンゼイ様ミタイニ、スゴイ炎ガダセルノ!』
『クエ~!』
『クルル!』
リンゼイというのは、前のご主人様の名前なのか。
メルヴがその名前をだせば、竜のご夫婦は長い尻尾を振っていた。目もきらりと輝きだす。
『アトネ、メルヴハ、アル様ッテイウ、坊チャンミタイニ、氷の魔法ガ得意ナ人ニ、オ世話ニ、ナッテイルヨ』
『クエクエ!』
『クル!』
ますます嬉しそうにする竜のご夫婦。
なんだか怖そうなイメージがあったけれど、そんなことはぜんぜんなくて、びっくりした。
「ど、どうも、初めまして」
会釈をすれば、白い竜――プラタが顔を近づけてくる。
目が合ったと思えば、頬ずりしてきた。なんだ、この懐っこい竜は。
黒い竜――メレンゲは微動だにせず、こちらに視線を向けていた。
紹介が終われば、本題へと移る。
メルヴは世界の危機が迫っているという説明を竜の夫婦にしてくれた。どうやら、魔王の降臨については気づいていたようで、神妙な顔つきをしているように見える。
『ソレデ、血ヲ、ワケテホシイナ、ッテ』
『クエクエ~』
『クルルル』
メルヴになんと言っているのか聞いてみる。
すると、頭から生えている葉っぱで、ぐっと親指を立てる形を作ってくれた。
どうやら、血をわけてくれるようだ。
「あ、ありがとう。メレンゲ、プラタ!」
メーガスと共に、頭を深々と下げる。
竜のご夫婦は『よいよい』と言わんばかりに、穏やかな鳴き声を上げていた。
「えっと、じゃあ、どういう風に血をもらえばいいのかな?」
『アノネ、鱗ヲ一枚、抜ケバ、デルッテ』
「そ、そっか」
なんか、緊張する。
血はプラタが提供してくれるとか。
「プラタ、いい?」
『クエ~~』
心の準備はできている模様。さっと、足を差しだしてくれた。
メーガスが手袋を差しだしてくれる。これはホラーツが作った、竜の血が付着してもわりと大丈夫な素材で作られた物。一部、炎狼の毛が編み込まれているらしい。
それを装着して、血の採取に挑む。
「じゃあ、ごめんね!」
小さな鱗を一枚掴む。意を決し、一気に引き抜いた。
血はジワリと玉のように滲みでるばかり。
小瓶を取りだし、ぽたりと一粒落とす。
もう一本にも、血をもらった。
抜いた鱗は戻す。これで、止血完了らしい。
「プラタ、痛かったね。ありがとう。本当に、ありがとう。メレンゲも」
『クエエ~~』
『クルル』
メルヴは竜夫婦の言葉を訳してくれた。お安いご用とのこと。
用意していた飴細工は喜んでもらえた。久々だったようで、プラタの目はキラキラと輝いている。
『アリガトウダッテ』
「いえいえ、こちらこそ」
あともう一点。メルヴが竜のご夫婦の言葉を訳する。
『少シ、ココニ、イテモイイカッテ』
「それは、いいと思う。ここは普段、誰も近づかないらしいし」
なんでも、最近魔物が増えてゆっくり休めなかった状況だったらしい。
戦う力はあるけれど、関わりたくないのが本音なんだとか。
ここはホラーツの結界もあるし、魔物が近づけないようになっている。
好きなだけ、ゆっくりしてほしいと思った。
▼notice▼
竜の血
精霊化に必要なアイテム。
その正体は高濃度の魔力で、人間は浴びただけで死んでしまう危険な物。