開戦3
詰まるところ足りない魔力や技量をクオ・ヴァディスの魔導回路を使って補強し、アゥクドラと接触。演算やら調律やらをクオ・ヴァディスが一任してリーリエがアゥクドラの精神と同調し怒りを鎮める。
という手筈らしい。
「無っ茶苦茶ですわ‼︎」
思わず叫んでしまった拍子に左眼を開いてしまいそうになって慌てて手で押さえる。
理論上、他者の魔導回路を経由して魔法を行使する事自体は可能であるとされている。しかしそれはあくまで認知されている魔導回路での話だ。そもそも構造がわからないような魔導回路をどう扱えと言うのか。
「それに私の魔力容量で貴方の魔導回路を扱うのは無理があると思います」
リーリエが魔眼で視たところだと、クオ・ヴァディスの魔導回路は展開自体にハルメニア式魔導回路の凡そ300倍もの魔力を使用している。稼働時は実に500倍だ。リーリエでは展開すら出来そうに無い。よしんば出来たとしても、その瞬間魔力が枯渇して下手をすればそのままあの世行きだ。
「それは……まあ……その、なんだ」
「何故そこで言葉を濁しますの……」
「いや、大丈夫。理由は言えないと言うか言いたくないけど大丈夫」
何にも安心出来ない太鼓判を押されても困る。
此処へ来て言いたくないとは何事だ。
明らかに不服気な顔をしていたのだろう。クオ・ヴァディスが頬をポリポリと掻きながら初めて困った顔を見せた。
竜達と対峙しても尚笑っていた男が見せた何とも言えない表情はこの上なく人間くさく、先程までの超越者然とした様子は微塵も見えない。すっかり毒気を抜かれてしまったリーリエは溜息を一つ、頭のスイッチを切り替えた。
「全部上手く行ったら洗いざらい説明していただきますからね! 回路の事とか!」
「とか?」
「クオ・ヴァディスという人物についても、ですわ‼︎」
「うん?……おぉ?」
予想外、と言わんばかりに目を白黒させるクオ・ヴァディスは、当たり前のことだがやはりどこまでも人間だ。
魔法使いという人種はどこか浮世離れした、悪く言えば偏屈な変人が多い。それは極めた者であればある程に顕著だ。クオ・ヴァディスは確かに浮世離れしてはいるが、特有の煮詰まった鬱屈としたものを感じない。
人間性を失うこと無く、どうしてあれ程までに魔導を極め、尚且つ世界の危機を救おうなどとする事が出来るのかリーリエにはわからない。
魔法使いは無償を嫌う。
魔法使いの多くは、何かを成したくて魔法を修めるのでは無く、魔法自体に魅入られた者である。協会に所属するのはその権能を利用し禁書指定の書物や魔具を取扱う為。協会の仕事を請け負うのは研究にかかる費用を賄う為でもあるし、名声を得る事によって出資者を募る為でもある。
リーリエのような正義を行う為の手段として魔導を志す者は本当に極少数なのだ。
「辺鄙な田舎に住んでいるちょっと魔法が得意な料理好きの牧師さん、じゃあ御不満かな?」
「今日の経緯を経てその肩書で納得出来るほど幼稚でも無知でもないつもりですわ。私も貴方に及ばないとは言え魔法使いの端くれです。未知との遭遇をむざむざ見逃すのは無理と言うものでしょう?」
「回路だけ、という訳にはいかないかな?」
「今は、どちらかと言うと回路を使う貴方自身に興味がありますわ」
「むぅ……」
呻いたクオ・ヴァディスは腕を組み、天を仰ぎ何かを考え始めた。どうやら本気で困っているようだ。
戦闘時とは丸っきり別人である。どこか余裕に満ちた不遜とも取れる態度はすっかりなりを潜め、今はただ子供の我儘に困っている親のように見えた。見えてから自分を子供に当てはめてしまう自爆に気付き、脳内に斜線を引いておく。
「あー、わかった。思ったより大事に巻き込んでしまったのは私に責任があるし、了解しておく。ただ……」
「ただ?」
「恐らく今頃協会が事態に気付いて人員を派遣しているだろうから、今回の魔導災害は全部キミが解決したと報告しておいてよ。それが条件」
一瞬言っていることが飲み込めなかった。
「じゃあ早速取り掛かろうか。先ずは此処から生還しないと話も何も無いからね」
リーリエが混乱から立ち直る間も無くクオ・ヴァディスが魔導回路を展開する。リーリエを飲み込んだ回路はまたも見た事も無い文字列で構成されている。乱舞する文字列は地面からも噴出しており、回路がドーム型では無く球体である事を物語っていた。つまり、視えていたのは回路の半分でしかなかったという事だ。
「これは74層の積層型立体構造式魔導回路だ。基底部は私自身を構成式として、稼働部は変性式。駆動式の接続に合わせて文字列を書き換えることによって古今東西、凡ゆる魔法に対応できる。必要な魔力容量は展開時にハルメニア式のざっと300倍、稼働時に500倍。あと必要なのは最低でも式が読める事かな。読めないと合わせようが無いからね」
解説をされていてもさっぱりわかる気がしない。
見ている側から74層全ての構成式が随時変動しているのだ。それらは僅かな歪みも無く滑らかに行われておりそれはクオ・ヴァディスの神懸かり的な演算能力を象徴している。
回路の構成式自体を書き換えるなど通常の魔導回路を使っている者からすれば狂気の沙汰だ。回路からのフィードバックで脳神経が灼き切れてもおかしくない。それを74枚同時に行っているというのか。
回路を巡る魔力を辿っていると、ふと異常に魔力の密度が高い箇所があることに気付いた。
クオ・ヴァディスの頭部にヘラ鹿の角のような突起が1対。そしてもう1つ、額のやや上方から突き出した30センチメートル程の突起だ。3本の突起は回路のちょうど中心に組み込まれ膨大な魔力を吐き出し続けている。
「その角のような突起が回路の基底部ですのね?」
反応は劇的だった。
満ちていた余裕は何処へやら、信じられない物を見たかのように目を剥く。動揺は回路にも伝わり淀みのなかった式の流れが一瞬だけ揺らいだ。
「まさかキミの魔眼は神格級かい? 人間の身で恐ろしい物を持っているなぁ」
動揺は一瞬だけだったようだが、それでもあの角がクオ・ヴァディスという人物に於いて重要な要素である事はリーリエにも理解出来た。
生還して、根掘り葉掘り尋問する良い材料が出来た、と心中で北叟笑んでおく事にする。
「この魔眼は翠嶺王イルガーとの契約の際に授かったものですわ」
その言葉を聞いた瞬間、今度は盛大に吹き出した。
「あの人嫌いのイルガーが⁉︎ 人間と契約⁉︎ そりゃ凄い! その若さで神天に選ばれる訳だ!」
どうも本当に驚いているらしい。
「あの御方はそんなに言われるほど人嫌いなんですの? 魔導協会でも契約を信じて貰える迄に随分と時間が掛かりましたわ」
証明しようにも前例が無かったらしく、しかも後から判った事だが当人が人嫌いの為出て来て貰えずとんでもない時間を労したのは苦い思い出である。
「むしろどうやって拝謁までこじ付けたのか想像すら出来ないくらいだよ。少なくとも1000年以上此方に現界した記録は無いはずだ。戻ったらその辺の経緯も聞かせて欲しいな。凄く興味深い」
目を輝かせて息巻く様はやはり魔法使いだ。また、お茶でもしながら話に花を咲かせるのも良いだろう。魔法使いにとって全ての知識は無駄たり得ないというのが1つ。もう1つはどんな突拍子もない話がこの男から飛び出してくるかという怖いもの見たさに近い感覚だ。明らかに格上に対してこんな言い方も無いが、彼我の距離が開きすぎていて話の内容がビックリ箱に近い。
魔導の秀才たるリーリエと言えどまだ年端も行かぬ少女である。
少女の好奇心はこのビックリ箱に何が入っているのか、もっと確かめずにはいられないのだ。
その為にも。
「その為にも、全て上手くやるしかないのですね。やり方を教えて下さいまし」
優しく、クオ・ヴァディスが微笑む。
「大丈夫。キミなら、いやキミだから全て上手くいく」
今度の太鼓判は、先程より何故か安心出来た。