悲
シャルロット・ルーベンハインは神天でありながら神天の会合に顔を出さない。これは彼女が神天に任命されてから300年間1度たりとも、という意味だ。宮仕えがそんな事で許されるのかという話だが、彼女は神天任命の際に条件としてこれを協会に容認させた。それ故に、会合の際には彼女が座るべき席に人口精霊の瓶と、誰かの嫌味なのか洒落っ気なのか水のデキャンタが置かれるのが名物になっている。
トゥアロ平原から王都までの空路で結局終始キャビンの隅で体育座りしていて、王都着と同時に姿を消した、あの人付き合いが心底嫌いであろうウェッジ・グレイプウッドすら参加する神天の会合に断固として顔を出さない理由は1つ。
彼女が筋金入りの引き篭もりだからだ。
是が非でも、それこそ王都にアノードステルが襲来した時ですらも彼女は頑として自分の工房から出る事を拒んだという。
宮仕えどころか一般の勤め人すら難しいであろう彼女がそれでも神天で在り続けられるのは、ひとえに彼女が生み出す莫大な利益ゆえだ。
彼女が修めている物理系及び化学系鉱石魔法は非常に特殊な系統であり、その制御の難易度から使用者は極めて少ない。作用対象が鉱石そのものに限定される事と、鉱石という安定した物質を操作する事が難しい事がその理由だが、生み出される利益は計り知れない。
例えば鉄鉱石を鋼に精製する為に、彼女が1人居れば溶鉱炉も転炉も要らないのだ。
コークスと石灰石を燃やして鉄鉱石から銑鉄を精製し、そこから酸素を投入しながら転炉に入れて不純物を取り除くという工程を飛ばして、優れた化学系鉱石魔法の使用者は常温下で鉄鉱石から鉄を単離する事が出来る。
そしてこれは金など諸々のレアメタルにも当て嵌まる。加工どころか精製すら難しいレアメタルも彼女が居れば金も時間も掛けずに処理出来るのだ。
彼女は、シャルロット・ルーベンハインはエレンディアのマテリアル系企業ほぼ総てと契約を結んでいる。彼女の功績により生み出された利益は直接的に国の利益となっている。
これこそがシャルロット・ルーベンハインが引き篭もりでありながら神天で居続けられる強い理由だろう。
「ちょっとシャーリーの工房まで行ってウルカトニウムを分けて貰えないか直談判して来て欲しいのヨ」
その知り合いでもない稀代の変人の元に赴き、剰え貴重なレアメタルを分けてくれと頼みに行けと言うのか。この活字が友達を自負する根暗に。
確かに会合の際に人工精霊から発せられる声色は比較的快活な女性のものだった。人工精霊越しに何度か会話を交わした事もある。
しかし。
しかし、だ。
その程度の関係性の者が自宅に押しかけて来て金目の物を分けてくれと頼んできたらどうか。
自分ならばそっと扉を閉める。何なら通報も辞さない。
「そんなに青ざめなくても大丈夫ヨ。ちゃあんと紹介状は持たせるかラ」
「だ、だだっだ大丈夫でしょうか⁉︎ 門前払いとかされないでしょうか⁉︎」
「おぉ……、これはまた見事な取り乱しっぷりだねぇ」
「だって、私、友達のお家にお邪魔するような経験もありませんし、殆ど知らないような間柄の方のお宅に訪問するとか、ハードルが高過ぎて……」
「心配してるところガ斜め下ネ……」
少々呆れた顔をしながら、エナはテーブルに備え付けられた引き出しから書面を取り出し、恐らく自分の体長に合わせて特注したのであろうやたらと短いペンでスラスラと紹介状を書き始める。
「シャーリーについてハ……、まあ大丈夫ヨ。こと研究においてハ変人だけド、同業者を邪険にするような人じゃないワ。むしろ心配するなら道中の方ヨ」
言ってエナは書き終えた紹介状をテーブルの端に寄せ、新たに取り出した地図を広げた。
「シャーリーの工房はココ。ガルゼト南東部の麓、イグナ大森林を越えた先ヨ。ルート的には遠回りになるけド、レゾを経由して大森林の東を迂回するルートをお勧めするワ。大森林を徒歩で抜けたくなんてないだろうシ、そこの牧師様も着慣れた服に着替えたいでショ?」
言われてクオ・ヴァディスを見て、そう言えば暫くあのちょっと胡散臭いキャソックの姿を見ていない事に思い至る。
考えてみればハイエステスの一件以降1度もレゾに帰っていないのではなかったか。
「と言うか、えらく自然に私も同伴する流れになっていないかい?」
「調達の仕事なんだからクーちゃんも行くのは当然じゃなイ。今後の為にも土星天にコネを作っといて貰わないト。それに魔杖を使えない今のリリちゃんを1人で行かせられないでショ」
「まあそろそろレゾに戻らないとと思っていたから丁度いいけれども……。今更だがリーリエは協会直属の代行者な訳だから基本的には同じく直属の代行者と組んだ方が体裁が良いんじゃないかい?」
「あ……、いえ、私は、その……」
言い淀んだ事により、2人が怪訝な顔でこちらを見やる。
「あまり協会内での評判が良くないので、組まなくて良いのであれば1人の方が良いと言うか……」
言っていて悲しくなってきた。




