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アルルトリス・エナ

 ぎょりぎょりとか、めぎょめぎょとか、そういった類の聞き慣れない異音だった。そんな地獄の底から聞こえてきそうな音が、リノリウム張りのやたらと綺麗な廊下の奥の、これまたやたらと設えの良い扉の中から聞こえてくるのだからその異界を覗くかの如き違和感は推して知るべしである。


「ああ、取り敢えず生きてはいるようだね」


 これが平常とばかりにクオ・ヴァディスが扉をノックする。


「エナ。クオ・ヴァディスだが開いているね? お邪魔するよ」


 そして相手の返答を待つでもなく普通に扉を開けた。


「ク、クオさん! 職場とはいえ女性の私室ですわよ⁈」

「返事を待っていたらいつ迄経っても入れやしないよ」


 静止の声も何処吹く風と部屋に踏み入るクオ・ヴァディスの後を追うと、我が目を疑った。

 部屋の中には、黒い積層甲冑の巨人が居た。

 身の丈は凡そ3m。先日事を構えたジャッカルの頭領、ザラ・ハックよりも頭1つ以上巨きい。


 殆ど脊髄反射で魔眼を起動し腰のゼフィランサスに手を伸ばすが、当然そこにある筈の手応えは無く、寒気が背筋を駆け上る。


「落ち着いて良いよリーリエ。おーい、エナ。お邪魔するよ。ちょっとお茶にでもしないか? 手土産にプロミーズのシュークリームを持って来た」

「シュークリーム‼︎」


 積層甲冑から返ってきた声は、その厳つい姿からはまったくもって想像もつかない可憐な少女の声だった。


「やあ、エナ。久しぶりだね」


 クオ・ヴァディスが平然と笑顔で積層甲冑に語り掛けると、甲冑の胸部装甲が突然展開。ちょうど子供が1人収まる程のスペースから黒い真ん丸の毛玉が飛び出し、クオ・ヴァディスの顔にへばり付いた。


「クーちゃん、お久しぶりネ!」


 事もあろうに、可憐な少女の声はその毛玉から発せられた。


「はっはっは。こらこら、急に抱きつくなと言っておろうに」


 毛玉を顔から引き剥がしクオ・ヴァディスがその毛並みをわしゃわしゃと整えると、顔と思しき場所に黒目がちな、やはり真ん丸の双眸が覗いた。


 まさか。


「紹介するよエナ。こちら『金星天』リーリエ・フォン・マクマハウゼンだ。今日は彼女の魔杖の件で来たんだ」


 声に反応し、こちらを確認した毛玉がどうやってかクオ・ヴァディスの腕から此方へ飛び移って来た。

 反射的に両手で受け止めると一頻りモゴモゴと身動ぎした後、キラキラした目と目が合った。


「直接会うのは初めましてネ、リリちゃん。アルルトリス・エナ。貴女の魔杖を担当させて貰っているワ」


 腕にすっぽり収まる程の、ほぼ球体のほわほわした生き物に自己紹介された。良く見ると頭頂部と思しき辺りで控え目な大きさの耳がぴこぴこと忙しなく動いている。

 え?

 嘘。

 可愛い。


「む、その顔はワタシの毛並みに夢中になってる顔ネ? リリちゃんはワタシのお気に入りだから特別に撫でても良いのヨ。と言うか撫でなさイ、ほらほら」


 撫でた。

 もう癇癪でも起こしたのかというほど撫でた。

 漸く落ち着いたのは毛の逆撫でを始めてエナのサイズが倍ほどになり、さすがに見るに見かねたクオ・ヴァディスが止めに入った時だった。


「申し訳ありません……。初対面の方にとんだ無礼を……」

「あっはっは、良いのヨ。なかなかの撫でられ心地だったワ」


 お気に入りの場所なのかクオ・ヴァディスの頭の上に乗った状態でエナが笑う。しかしそのポジションはクオ・ヴァディスがアフロヘアーになったようで一言で言って仕舞えば異様だ。

 丸縁の遮光眼鏡とか掛けさせたら多分、もう完璧だ。

 何がとは言わないが。


「それで、魔杖の件だったかしラ? どうしたノ?」

「先日の邪竜教団の一件はさすがに知っているだろう? リーリエもあれに参加していたんだが、事故で魔杖の構造式を破損してしまってね。ただ直すのも芸が無いからこの期にオーダーメイドしてしまおうかとお願いに来たんだ」


 クオ・ヴァディスの言葉をその頭上で聞いていたエナがピョンと跳ね、ソファーに降り立ち聞き返す。


「破損しタ? 構造式ヲ?」

「私見だが、どうやら増幅と加速のリミッターを外して全力で『ミョルニル』を展開したみたいでね。流入した魔力量に回路が耐え切れず破断したようだ」


 あの最中そんなところまで視ていたと言うのか?

 どういう神経をしているのだこの男は。


「……ちょっと見せてくれるかしラ? 現物はあるノ?」

「……こちらに」


 愛着から、使えないとは言えども家に置いておくのも落ち着かず、縮めた状態でポーチに忍ばせておいたゼフィランサスを取り出し、目の前のテーブルに置く。


「フム……」


 ソファーからテーブルに飛び乗ったエナがテーブルに備え付けてある単眼鏡を器用に装着し、魔杖を検分する。すると、その単眼鏡に構造式の煌めきが視えた。魔眼を起動し確認すると、その小さな単眼鏡に恐ろしく精緻な補助式が施されているのが視て取れた。


「それは……」


 何かと声を掛けようとしたが、エナの真剣な剣幕に作業の邪魔をしては申し訳無いと思い言い淀んでいると、それを察したクオ・ヴァディスが相変わらずの的確さで疑問に答えてくれた。


「あの単眼鏡はエナの特注品さ。エナは魔眼を持っていないからね。構造式を直接視る為に創ったと言っていた」


 あっさりとクオ・ヴァディスが言い放つ。


 創った?

 構造式を視る事が出来る装具を?


「それは……人造の魔眼ということですか?」

「そうなるね。私は機械工学には然程明るく無いからどうすればそんな事が出来るのか皆目検討もつかないけれども」

「魔導工学ヨ。魔法と言えど、技術だと言えるならバワタシに創れない物は無いワ」


 検分を続けながら、エナはさも当たり前のようにとんでも無いことを言う。


「殆ど、だけどネ」


 単眼鏡を外してそのまま隣に置いてあったシュークリームに手を伸ばし、一口。


「クーちゃんの使うようナ、言葉通りの意味で魔法みたいなモノは無理だけれド、物理体系に基づいた現象であるならバ大概再現してみせるワ」


 小さな口をモニモニと動かし、少女の声で、エナは厳かに宣う。これを言っているのがエナでなければ大言壮語として聞き流すところだ。


「それはそれとしテ、リリちゃん。確認なんだけド、ちょっと魔導回路を視せてくれるかしラ?」

「魔導回路を、ですか? わかりました」


 言われた通りにハルメニア式魔導回路を展開。細部を思い返す必要も無いほど馴染んだ魔導回路は直ぐさまその虚像を空間に投影する。

 エナは手に着いたクリームをペロペロと舐めとると再び単眼鏡を装着。そのまま此方を見遣る。


「成る程。成る程なるほどナルホド」


 最後の方は母国語なのであろう言葉で何度か呟き、合点がいったとばかりに頷く。


「クーちゃん、ちょっト」


 エナに手招きされたクオ・ヴァディスが何事かと近付き、更に促されるままに魔眼で此方を見遣る。


「あ」


 あ?

 真ん丸に開けた口からエラく間の抜けた声を出したクオ・ヴァディスがそのままの形で固まる。

 

「魔杖が壊れるわけだワ。クーちゃん、何で気付かなかったノ?」

「いやぁ……。これはさすがにちょっと予想外だったかな」


 エナに何事か指摘され後頭部を掻くクオ・ヴァディスは酷くバツが悪そうな顔だ。


 本当に何事だ。


「え……と、話が見えないのですが……」

「あぁ、うぅむ、どうしようかな。これは大変にデリケートな問題でね。キミに言うべきか言わざるべきか、今、迷っている」


 近年稀に見る驚きの歯切れの悪さだ。


「でモ、『論理使い』としては兎に角『魔法使い』としては良い傾向なんじゃないノ?」

「早過ぎるんだ。駆動式の書き換えから順を追って教えてからじゃないと……」

「どの道、時既に遅し、ヨ。多分クーちゃんの魔導回路を視たからこうなったんでショ? 責任取りなさいヨ」

「それを言われるとなぁ……。あー、良いかい、リーリエ。落ち着いて聞いてほしい」


 その前置きが既に落ち着くには怖過ぎるのだが。


「キミのハルメニア式魔導回路だが、細部が改変されている。心当たりは……多分無いよね」


 ……は。


 ……は?


 またまた何を言っているのだと自らの魔導回路を確認。慣れ親しんだハルメニア式魔導回路は細部を思い返す必要も無い程記憶のままの姿を見せて。


 は、いなかった。


 極端な差異は無い。しかし視れば視る程、それこそ指摘されなければ分からないほど本当に細かな部分が見覚えの無いものに書き換わっている。


 認識してしまった瞬間に襲う強烈な違和感。


 頭の中にあるものなのに見覚えが無いという気持ち悪さも相まって、身体に馴染みきったはずの回路図がどうやって動いていたのかわからなくなる。


 それと同時に、空間に投影されていた魔導回路の虚像がぐにゃりと歪む。

 それはどんなに抗おうとも元の形に戻る事はなく、湯気のように消えてしまった。


「え……? あれ?」


 改めて魔導回路を展開しようと回路図を頭に思い浮かべようとするが、出来ない。元の形を思い返せば良いだけのはずなのに何故かそれが出来ない。


 焦る。


 改変前の、それこそ書に噛り付いて覚えた元の形のハルメニア式魔導回路を思い返せば良いだけのはずだ。なのに、頭に霧がかかるように細部を思い出す事が出来ない。


「やはりか」


 クオ・ヴァディスの声に弾けるようにそちらに首を向ける。


「無意識の内に書き換えていた魔導回路が、記憶に刷り込まれていた元の魔導回路との齟齬を修正し切れなかったんだ」

「つ、つまりどういう事ですの⁉︎」

「つまり、キミはもう、ハルメニア式魔導回路を使えない」


 それは死刑宣告のように耳に届き、混乱する頭を素通りして逆側から出て行った。

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