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革命

 青に黄に紫に橙。散々色調を狂わせた視界は最終的に赤に落ち着いた。落ち着いたと言って良いのかはわからないが、取り敢えず目紛しい色彩の明滅からは脱した。

 未だ眼球の奥が疼くのは恐らく毛細血管が破裂しているためなのだろう。皮膚の感覚はとうに無いが、どうせまた血の涙を流しているのであろう。


 出力を上げたセーフリームニルの制御は正直、手に余るものだった。演算負荷によりハルメニア式魔導回路はずっと臨界稼働したままだし、自身の魔力容量を遥かに超えた流量をコントロールし切れず、余剰魔力のバックラッシュで脳神経が圧迫され通しだ。


 しかし、それでも効果は出ている。

 血で烟る視界は着実に癒着していくダブラスの傷口を捉えている。


 だが。


「……ぅぶっ⁈」


 込み上げてきた嘔吐感に負け反吐を吐く。

 反吐は赤い視界の中でもそれとわかる赤黒さを示していた。

 見れば、ダブラスに向かって掲げていた両手の爪の間からも出血している。


 容量を超え過ぎた過度の魔力を身体に流した事により、反動で体細胞が崩壊を始めたのだ。


 基本的に魔力容量は生まれた時から殆ど変わる事はない。それは人でも、魔法に長けた種族であるセロでも同様だ。特殊な装具などの使用により多少の拡張は可能だが、生来持つ容量というのはどんな鍛錬をもってしても増やす事は不可能なのだ。

 そして、魔力容量というのはそのままその者の魔力への抵抗力でもある。

 魔力は劇物だ。

 過ぎた脳内麻薬の分泌により身体がバランスを崩すのと同じように、過分な魔力は文字通り身体を壊すのだ。


「ぐぅ……!」


 呻きと共に喉の奥から血が溢れてくる。さっきのように胃酸と混ざった赤黒さではなく、鮮血の赤だ。味覚も嗅覚も死んでいて体感出来ないが、食道か胃の出血がイオン化し、その催吐性で吐血しているようだ。


「ホン……に……ぞ、リーリエ……。お前……血だら……ねぇか……」


 こちらの惨状に気付いたダブラスが声を掛けてくるが、脳神経の圧迫によるけたたましい耳鳴りが邪魔で良く聞き取れない。


「も、うす、ぐ、クオさん、が、来て、くれま、す、から、ね」


 ダブラスを安心させようと精一杯穏やかな声で話したつもりだが、込み上げてくる血と縺れる舌が上手く言葉を紡いではくれなかった。


 想定よりも自由の利かない身体を自覚してしまい、目眩が襲う。

 ハイエステスの斥候との戦闘でも、ジャッカルの東国の少女との戦闘でもこれほどではなかった。


 しかし。

 竜やアゥクドラに較べればまだ幾らかマシだ。


 意を決し、セーフリームニルの駆動式を書き換える。

 再三クオ・ヴァディスによって手解きされた事だ。


 絶対に出来る。


 ダブラスの傷口周辺の細胞を魔素で強制的に未分化細胞に置換。塩基配列のメチル化が進んでいない胚細胞はどの細胞にも分化出来る全能性を有している。後は隣接した筋細胞、神経細胞、上皮細胞に従い細胞分化を促してやれば理論上、問題無く傷口は修復される。


 残る問題は、その進行速度だ。


 魔素置換によって現象を誘発させる物理系現象魔法と異なり、細胞そのものを魔素置換する事は限りなく困難だ。治癒魔法の研究が蝸牛の歩みの如く進まないのが良い例である。

 しかし困難なだけで、可能ではあるのだ。

 では、何故今の今まで出来なかったのか。

 理由は単純である。


「———‼︎」


 脊椎反射とでも言うのか、セーフリームニルを書き換えた瞬間、全身の筋肉が硬直。踵からつむじまで一直線に、焼けた鉄の棒を刺し込まれたような感覚に襲われ意図せず天を仰いだ。

 どうやら自分は絶叫しているらしい。

 とは言っても既に五感はどれも殆ど働いておらず、ただ肺の空気を吐き出しながら喉を震わせているような遠い感覚がそう教えてくれているだけだ。


 治癒魔法は人体の構造に干渉する。

 複雑極まりない人体に強制的に介入する事は単純に人の頭には難し過ぎるのだ。


 完全にオーバーフローした情報量が脳を灼く。

 肉眼の視界は既に暗く、魔眼の視界にすら砂嵐のようなノイズが混じる。

 幸いにも痛みは感じないが、これはただ単にわからなくなっているだけだろう。

 知覚は、ただセーフリームニルの制御の手綱だけを必死で掴んでいた。


 身体が、精神が。リーリエ・フォン・マクマハウゼンという存在自体が駆動式の1部に組み込まれているような感覚。

 最早自動的に制御されているかのような微睡みにも似た知覚の中で、絶叫は露と消え、ノイズ混じりの視界は遂に黒の帳を下ろした。


 星1つ無い夜空を揺蕩うかのような安寧。暑くも寒くもなく、感覚を遮る隔たりと隔絶した世界。

 人のカタチが夜空に溶け出し、無限に拡がって行く。

 軛から解き放たれた精神は恐怖よりもむしろ解放の喜びに満ちて———。


「お疲れ様、リーリエ」


 心臓が、爆発したかと思った。

 同時に、一気に帰ってきた五感の情報量に前後不覚に陥る。目が、耳が、鼻が、皮膚が、筋肉が、神経の隅々までが急に脳に接続されたような感覚。比喩ではなくぐるぐる回る視界に平衡感覚を失い後方に倒れかけたところで、いつの間にか目の前に立っていたクオ・ヴァディスの腕で抱きとめられた。


「やあ、私がわかるかい? キミの名前は?」


 まるで幼子に言い聞かせるようなものの言い方だ。


「ク……くぉ……さん……?」


 口が回らない。まるで舌を始めて動かすかのように呂律が怪しい。なんだこれは。


「無理に喋ると舌を噛む、頷くだけで良いよ。私の事はわかるね?」


 何を当たり前の事を言っているのだろう。抗議の声を上げようにも確かに舌を噛んでしまいそうなので腑に落ちないながらも、頷く。


「よし。じゃあキミの名前はリーリエ・フォン・マクマハウゼンだね? 覚えているかい?」


 自分の名前を忘れるはずが無いだろうとは思ったが、クオ・ヴァディスの珍しい真剣な剣幕に圧され、取り敢えず頷く。


「うん、良かった。どうやら脳は無事なようだね。あぁ、でもどんな後遺症が出るとも限らないから不調があればちゃんと教えるんだよ?」


 何の話をされているのかわからず、混乱する。と言うか、脳が無事とかちょっと馬鹿にされているような気がしてきた。


 腹が立つと共に平衡感覚が回復し、抱きとめられていた身体を自立させる。まだ少しふらつくが、抱きとめられたままというのは気恥ずかしさに耐えられそうにない。

 地に着いた自分の両足を確認し、思い出した。


「ダっ、ダブラスさんはっ⁈」


 ダブラスの安否を確認する問いに、予想外の『何を言っているかわからない』という顔をされた。


「そこは憶えてないのかい?」

「途中から駆動式の制御に手一杯で状態の確認まで気が回らなかったんです……! クオさんは間に合ったんですか⁈」

「間に合ったも何も」


 クオ・ヴァディスが目の前から身体をずらすと、その先には床に仰向けに寝転がったダブラスが居た。


 その腹は傷痕こそ痛々しく残っているものの、すっかり塞がっていた。

 厚い胸板が、呼吸で上下する。


 生きている。


 せっかく立っていた膝からまた力が抜け床にへたり込む。

 どうやらクオ・ヴァディスは間に合ってくれたようだった。



「良かった……。私、ちゃんとクオさんが来てくれるまで時間を稼げましたのね……」

「あー、そうか。うん。なるほど」


 こちらの安堵などつゆ知らずと言うかのようにクオ・ヴァディスは腕なんぞ組みながら頷く。


「私が治したのはリーリエだけだよ」


 ……うん?


「ちょっとてこずってしまってね、リーリエがダブラスを治してくれなければ正直間に合わなかっただろう」


 ちょっと待て。

 誰が、誰を治したって?


「おめでとう、キミは魔法学において数百年頓挫していた治癒魔法という分野に革命を起こした。しかも補助具無しで、だ。やはりキミは面白い」


 他人事のように上滑りする言葉に思考が停止する。

 本当に楽し気に笑うクオ・ヴァディスからダブラスに視線を移す。

 あの傷を。治したと言うのか。自分が?


「うん、憶えていないのも無理はない。キミ、私が来た時は冗談抜きで一瞬死んでいたからね」

「ぶっ⁈」

「驚いたよ。死にかけていたダブラスは治っていて、応急処置をしていたはずのリーリエがほぼ死んでいたんだから。言ったじゃないか、死んだら治せないって。今回は運が良かっただけで本当に一か八かだったんだからね?」


 ほぼ死んでいたという物騒極まりない耳触りに鳥肌が立つ。クオ・ヴァディスの何でもないような語り口のおかげでだいぶ円やかに聞こえるが、どうやら自分は1度死んで生き返ったらしい。黒1色の世界で意識が溶けていくようなあの感覚はそうか、臨死体験というやつか。漸くクオ・ヴァディスの『脳は無事なようだね』という発言に合点が行った。


「まあ、今回は叱ってばかりもいられないか。本当に、素晴らしい快挙だ。まさか初めて成功した書き換えが治癒魔法だとは思わなかったけれども」


 そう言ってクオ・ヴァディスは嬉しそうにくつくつと笑う。

 全く記憶に残っておらず完全に実感が無いが、書き換え、しかもセーフリームニルの書き換えを成功させたのだ。


 力が抜けていた全身に血潮が巡る。

 最初に魔法を使った時よりも、ましてや神天の称号を得た時よりも強い手応え。


 まだ高みを目指せる。

 魔法使いとしての求道心が思わず拳を握らせた。


「でも手放しでは喜べないよ? ここから余計な部分の添削や見直しが待っているからね。経験上、この作業が1番地味で、辛い」


 心底げんなりした顔でクオ・ヴァディスが言う。


「まあ私も手伝うし、と言うかキミ1人でやっては駄目だよ? 万が一暴走でもしたら本当に死んでしまうからね」


 感覚が無くなる直前までの途方も無い苦痛を思い出して、浮かれた心を引き締める。理論だけならば誰でも組めるのだ。それを扱えなければ何の意味もない。


「また、御指導御鞭撻お願いいたしますわ、クオさん」

「心得た。じゃあ一先ず私は魔力炉を片付けて来るからダブラスと待って……」

「嫌です」

「うん?」


 沈黙。

 被せ気味に即答したものだから聞き間違いかと思ったのだろう。クオ・ヴァディスは再び言い聞かせるように同じ文言を吐いた。


「私は魔力炉を片付けて来るからダブラスと」

「嫌です」

「今日は一段と強いな」


 当たり前だ。

 魔杖も無いのにノコノコとついて来た理由の半分はこれだ。半分は言い過ぎか3分の1くらいにしておこう。

 クオ・ヴァディスは魔力炉をどのように処理するつもりなのか。

 当人は魔力を喰って空にして壊すと宣っていたが、実際問題どうやってそれをするつもりなのかに強い興味がある。

 それを見ずしてどうして待っていられようか。


「クオさんがどうやって魔力炉を処理するのか、しかとこの目で視させていただきます。ですので……」

「……ですので?」

「ちょっとおぶって行って下さいませ……」


 待っていられずとも、やはり足腰はガタガタだし動けないものは動けないのだった。


 軽々と自分をおんぶしたクオ・ヴァディスに散々笑われたのは言うまでも無い。

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