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ヴェーダ

 腹部に残る鈍い衝撃の残滓が粘性を帯びた憤怒に変換される。それに呼応するようにギチギチと、発条と糸の音と共に背部の可動域が拡張を開始する。


 ふざけやがって。


 石畳から身を起こし吹き飛んで来た方向に向き直ると上階の灯りは遥か20mは向こうだ。

 恐ろしいことにあのクソ牧師の打撃でそれだけの距離を吹き飛ばされたらしい。


 何が牧師だ。いくら軽量の素体とは言え拳闘士でもこうはなるまい。しかもあの滅茶苦茶な魔法はなんだ。見た事も聞いた事もない魔法を恐ろしい速度で使ってくる。あんなものは牧師では、いや、最早魔法使いですらない。


 駆動式の起動速度。

 異常な身体能力。

 竜にも匹敵する再生速度。


 既に人族かどうかも怪しい。


「くそっ!」


 悪態をつきながら背中から生えた8本の脚で身体を支える。この形態は些か見目麗しくとはいかないためあまり好きではないのだが背に腹はかえられない。美という観点から見れば機能美の極致ではあるのだが、やはり形態変化に伴う外観の歪さはどうしても拭えない。これを人目に晒すのはやはり少々気が引ける。


 まあ、いい。


 一切合切殺して、また組み直しだ。


 進んで行くと階段に人影。暇潰しに刻んでいたここの拷問吏だ。

 何をそんなところに突っ立っていやがる、邪魔だ。


 脚の1つから糸を発射。

 補助式によって硬度を増した直径0.5nmのカーボンナノチューブが拷問吏の首を容易く切断する。

 いくらあの牧師の再生速度が早かろうと、この肉眼では決して視えない糸でバラバラに刻んでしまえばそれで終わりだ。

 死体は甦らない。

 刻んで、潰して、肉ダルマの一部にしてやろう。


 階段から顔を出すと、牧師は死体になった拷問吏を見て困ったような、不可思議な笑顔を浮かべていた。


「酷いことをするな、キミは。わざわざとどめを刺す必要は無かったろうに」


 言葉とは裏腹に、声音には別段何の痛痒も含んではいない。

 戦争にでも行って砲煙弾雨の中嫌ってほど血と臓物を見て精神を擦り減らしたか、それとも御自慢の魔法で自ら死体の山を築いて来たか知らないが大したタマだ。

 味方を開きにされて、目の前で人の首を落とされたらもう少し動揺があってもおかしくないだろうに。


「あたしの前に立っていたのが悪いのよ。と、言うか、あたしのこの姿を見た奴は全員殺す事にしてるの。悪く思わないでね」


 階段から全身を起こし、牧師を見下ろす。


「これはまた随分と前衛的な姿になったものだね」


 8本の脚を壁に突き立て天井付近で身体を固定する蜘蛛のようなこの姿を見ても、牧師の顔には不可思議な笑顔が張り付いたままだ。想像していた嫌悪感満点の顔ではないのが不満だが、それはそれで腹が立つのでまけといてやろう。


「驚きもしないのね?」

「驚いてはいるよ? でも早くキミを片付けないと開きにされた彼が死んでしまうし、さっきからどうも私の弟子が無茶をしているようでね。私としてはさっさとキミを片付けて2人を助けたいのさ」


 言い終わるか否かというタイミングで牧師の眼前に駆動式の虚像。それを中心に筒状に風景が歪む。


 それが、5つ。


 悪寒に従って全力で下方に回避行動。ほぼ同時に頭上で大質量の何かが空気を切り裂く悍ましい音。


 衝撃は後から来た。


 腹に響く着弾音と共に頭上から瓦礫が降り注いで来た。それが止むと、照明がないため仄暗かった廊下陽の光が差し込む。貴族の別荘としてそれなりに頑強に作られているこの2階建ての建物を、どうやらまるまる貫通したらしい。

 発射音はしなかったが、熱量や爆発ではなかった。ならば砲弾魔法か。弾体をどうやって加速しているかはわからないがそれを5つ、同時展開してみせたということか。


 生身ではない肌に、鳥肌が立つような寒気を覚える。


 砲弾魔法ということはケルト系統物理系現象魔法『カラドボルグ』だろう。軍用規格ではない砲弾魔法となると他に選択肢が無いはずだ。しかしあの馬鹿げた威力はなんだ。弾頭にもよるが建物を丸ごと貫通するような威力は無かったはずだ。駆動式を5つ同時展開するという事実だけでも規格外だというのに、弾頭と、恐らく加速度も改変されている。


 まるで人と戦っている気がしない。

 この理不尽さすら感じる強さは最早、竜と変わらない。


「ちっ!」


 思い至ってしまった最悪の想像を振り払うように、左右8本の脚から糸を複数同時発射。都合160本もの不可視の糸が牧師に襲い掛かる。いくら強かろうと視えない攻撃を防ぐ事は不可能だ。


「バラバラになって死ねええっ!」


 期せずして迸った絶叫と共に糸を引き絞る。殺到した糸は凡ゆる物理防御を斬り裂き、牧師をバラバラの細片に変える。


 はずだった。


「だから嫌だと言うに」


 牧師の声に呼応して、再び駆動式の虚像が出現する。今度は1つだが、大きさが有り得ない。直径1m以上の威容を誇るその駆動式は大きさもさる事ながら、その緻密さは最早魔導回路本体のように見える。

 構造式が赤光を放つと同時に、その駆動式が接続されている牧師の魔導回路の虚像が脈打つように姿を現した。


 馬鹿な。

 あれが魔導回路か?

 すっぽりと牧師を包み込むように脈動する光りの渦はどう見ても半径6mは下らない。

 あれが魔導回路だとするならば、一体どれ程の処理能力と魔力容量が必要なのだ。


 千々と乱れる思考を余所に牧師の駆動式が起動。

 見た事の無い駆動式は周囲の大気を根刮ぎ飲み込んだかのように、巨大な竜巻を吐き出した。


 突如として屹立した竜巻は大気と共に糸を、そして当然の結果としてそこにあった天井や壁を巻き込み、消えた。


 豪奢な装飾の施されていた廊下や壁は既に見る影もなく、遥か天井までを貫かれた大穴からはまるで天使が降臨するかのように陽の光が差し込む。

 有り得ない事だが、式によって制御された竜巻は破壊の規模を必要最低限に留められ、不要な破壊を撒き散らす事無く魔素に還元されたのだ。


「冗談でしょ……!」


 考えるより早く声が出た。


 あれは、あの竜巻を発生させた駆動式は『ルドラ』だ。遥か昔、喪われたとされるヴェーダ系統の物理系現象魔法だ。

 人形の制御の研究の折、何処だかの国立書庫で強奪した禁書に書かれていた魔法。ヴェーダ系統自体があまりにも破壊に特化していた為早々に研究は打ち切ってしまったが、書かれていた内容の恐ろしさは今も憶えている。

 言ってしまえば荒唐無稽とすら見える程の威力に絵空事だと思っていた。何故ならば、実在したなら既存の軍用規格の魔法すら凌駕する程のものだからだ。


 しかし、それは実在した。

 出力を絞られて尚、一瞬で全てを飲み込む途方も無い威力。

 物理系現象魔法?

 馬鹿な。

 あれは最早災害の顕現だ。


 天井に空いた穴を確認。どうにかして退路を確保しなければ。

 あれは不味い。

 正面切ってどうこうなるような相手ではない。


「逃げてくれても構わないよ?」


 声に、ビクリと身体が震える。


「それなりに長く生きてるだけあって『ルドラ』を知ってたみたいだね。一応威嚇と思って弱目に撃ってみたけども」


 ポケットに手を突っ込んだまま足を進めてきた牧師が天井から差す光りの中心で、止まる。


「次は、当てる」


 うつむき気味の陰った顔に、亀裂のような笑み。

 本能が警鐘を鳴らす。


 死。


 恥も外聞もなく、逃げた。敵に背を向けて、敵を殺すための8本の脚で必死に瓦礫を駆け上った。

 光に向かって行く自分の姿を本当に虫のようだと、何処か冷静に客観視してしまうがそれでも、屋根が近付き、雲が、空が見えた瞬間凄まじい安堵に襲われた。


 嗚呼、これで助かった。


 助かったと思うと現金なもので平時の感覚が戻ってくる。また新しい魔力炉でもっと強い身体を作ろう。それこそあの牧師を殺せるくらいに。そうだな、これを機にヴェーダ系統の研究を進めても良いかもしれない。


 新たな黒い思考に、いつか殺すべき敵をしっかりと目に焼き付けようと首を巡らせる。


 見えたのは、足元の穴から外よりも遥かに明るい金色の光が駆け登る瞬間だった。


『ガーンディーバ』。


 光は、思ったよりも熱くはなかった。

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