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正義の問題

 目が眩む。

 大気中の魔素の粒子をありったけ掻き集め、紙縒のように細く細く紡ぎ、魔導回路に、そして駆動式に流し込む。

 それを全て自力で、間断なく続けなければいけない。

 普段は補助器がこの作業を肩代わりしてくれているため式の制御だけに集中出来るのだが、ゼフィランサスが無い今、魔法を使うにはこうするしかない。大昔の魔法使いは簡易とはいえ体系化してすらいない魔法をこうして使っていたと言うのだから、全く頭が下がる。


 尽力の甲斐あって、ダブラスの出血は止まらずとも幾分かマシにはなっている。しかし予断を許さない状況に変わりはない。クオ・ヴァディスが戻って傷を塞ぐまでの時間をどうにか稼がなければならない。


「杖も無いのにすまねぇな、リーリエ。……だいぶ、痛みは引いて来た……」


 力無いダブラスの呟きに血の気が引く。

 止血作用に特化させたセーフリームニルでは傷は塞がっていないのだ。


 痛みが、引くはずが無い。


「気を、確かに、ダブラスさん! 直ぐにクオさんが戻って来て傷を塞いでくれますからね!」


 ダブラスの意識を保たせようと声を掛けるが、必死過ぎる声音がかえってダブラスに事の重大さを悟らせてしまった。


「……そうか。治ってきてる訳じゃねえんだな」


 痛みは言わば、身体の警告だ。これ以上傷付くと危険である事を察する為の本能だ。

 経験上、痛くない方が、危ない。


 失血により緩々とダブラスの身体が死んでいく。


 セーフリームニルの出力を上げようにも、先に撃ったミョルニルで消費した分、自前の魔力容量があまりにも乏しい。


 ちくしょう。


 何たる愚鈍か。

 何たる無力か。


 歯噛みしているのが伝わったのだろう、ダブラスがこちらを見て、笑う。


「気にすんなよ? 間に合わなくても恨みはしねえよ」

「ふっ……!」


 ふざけるな。

 間に合わないなんて事があってたまるものか。

 もう目の前で、助かる命を取り零すなんて事があってたまるものか。


 戦場に出る以上、どんなに準備を整えようと、どんなに最善を尽くそうと容易く人は死ぬ。

 しかし、目の前でまだ生きている人が居るというのに見殺しにする事などあってはならない。


 これは、自分の『正義』の問題だ。


 魔力の節約にと切っていた魔眼を起動。周囲の精霊の密度を視界で確認する。理想を言えば水に属する精霊の方が都合は良いのだが、周囲に満ちているのはエメラルドグリーンに輝く、風に属する精霊だ。しかし、暫く人の手が入っていなかった平原の真っ只中だっただけあって密度は十分だ。


 これならば、いける。


 幼少期、庭で精霊と戯れていた時のように、意識の深度を落とすイメージ。


 思い付きのぶっつけだがやるしかない。

 やれなければ目の前のダブラスが死ぬのだ。


 それだけは許せない。


 セーフリームニルの制御を手離さぬよう細心の注意を払いながら意識を精霊達と同期させる。基本的に精霊は従属を嫌うが、頼み事を聞いてくれないという訳ではない事は経験則から知っていた。


 意識を深化させ、風の精霊達と同期を完了。

 仲間達から『魔力の抽出』を開始する。


 精霊達からハルメニア式魔導回路を経由して、駆動式に流入する魔力量が一気に増加する。


 発想は魔力炉だ。人間から魔力が抽出出来るのなら、精霊から出来ない道理はない。ましてや精霊はいわば純粋な魔力の塊だ。自分になら、精霊と同期出来る自分になら魔力を借りる事くらい出来るはずだ。

 確信めいた思い付きは功を奏し、むしろゼフィランサスを介するときの倍近い魔力の確保に成功した事によりセーフリームニルの効果領域を拡張する。


 止血作用を一時的に弱め、今度は傷口の細胞のアポトーシスを促進。傷付いた細胞を選択的に除去し新しい細胞を活性化、顔を出した新たな細胞の分裂を加速し周辺組織の再生を図る。更に胸骨、肋骨、脊椎の造血幹細胞の生成を促進。サイトカインによる血球への変性も同時に助長してやり流れ出た血液を補填する。


「うっ……」


 一瞬、ダブラスが苦痛に顔を歪める。無理矢理に加速させた傷口の再生で神経が反応したのだ。詰まる所、着実に治り始めている証拠だ。


 しかし。


「ゔううううううっ⁈」


 脳を灼く制御の負荷に思わず呻き声が漏れる。ジャッカル戦での『ケベンセヌフ』の時の比では無い程の怒涛の如き情報量に脳神経がオーバーヒートしているのだ。

 化学系、特に人体に関する駆動式はその性質上、特に制御が複雑ではあるのだが、書き換えている訳でも無し少し効果を拡張しただけでこれか。改変駆動式を数億も常時稼働しているクオ・ヴァディスの頭は一体どうなっているのだ。


「やめろリーリエ……。お前が死んじまいそうじゃねえか……!」


 恐らく脳の生体電流が滅茶苦茶になっているのだろう。視界は七色に明滅し、耳に届く音量は大小を秒単位で行ったり来たりしている。


 魔力量は確保出来たというのに自分の頭の出来の悪さが恨めしい。


「い、嫌です……!」


 必死に声を搾り出す。


「やめません! 絶対に、や、やめません……! 意地でもしなせませんからね、覚悟して下さい!」


 プチプチという目の奥の痛みを感じながら、叫ぶ。

 覚悟とはダブラスに充てた言葉だったのか。それとも自分への言葉だったのか。


 肉眼と魔眼の視界の狭間に意識を置き、セーフリームニルの出力を更に上昇させる。

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