黒衣の娘
「はい、お邪魔ぁ」
あまりにも軽々しい挨拶とは裏腹な轟音を立てて豪奢な装飾を施されていた木製の玄関が粉々に吹き飛ぶ。
暴挙の正体はダブラスが放った前蹴りであり、原因はと言えば罠の存在を危惧しアジト内部への進入路を決めあぐねていたのに業を煮やしたのだろう。
短気にも程がある。
「ふむ……。どうやらお迎えは無いみたいだぜ? 良いか悪いかはまだわかんねえけどな」
玄関の脇からゆっくり内部を覗いてみると暗い玄関ホールが広がるばかりで確かに何の気配も無い。罠にしてもそうでないにしても魔力炉を内包する建物としては些か無用心に過ぎる気がする。
「放っておかれていた別荘にしては埃が堆積していないな。人の出入りはあったという事だから一先ず、当たりだ」
開け放たれた玄関からズカズカと踏み入ったクオ・ヴァディスが奥の登り階段の手すりに指を這わせながら言う。
確かに別荘内は妙に小綺麗で、人の出入りが無い建物特有のカビ臭さのようなものが無い。適度に人が入り、空気が撹拌されていた証拠だ。
「ブービートラップでも仕掛けられていると思ったけど、本当に何も無いね。仕掛ける時間が無かったのか、それともその必要が無いのか」
「必要無い……とは?」
「魔力炉自体が罠、とかね」
いとも簡単に言うが可能性は低いように思う。先ず魔力炉の価値が罠として消費するに見合わない可能性の方が高いからだ。道徳的観点を度外視して見るならば、魔力炉を1つ捨てるのはそれこそハルメニア相手でもなければ採算が合わない。生きた人を燃料とする炉の性質上、燃料確保のリスク諸々掛かるコストが莫大である以上、最悪不発に終わる危険がある罠になど使える物ではないはずだ。
勿論、あくまでモ・タクシャカ・タントラがある程度常識的範疇に収まるであろう組織だと見た場合の話ではあるのだが。
「後手に回ると術中に嵌ってしまう危険もある。取り敢えず警戒は最低限に炉に向かおう。何かあるならば、恐らくそこだ」
言われ魔眼を起動。前衛のダブラスが物理的なトラップを警戒し、後衛の自分が魔法的トラップを魔眼により警戒する。こういう分業が可能なのもパーティーを組む利点だ。普段は単独行動が多い故、有り難みも一入である。
建物の奥へ進み始めて暫く、地下への階段は特に隠蔽されているでもなくあっさりと見付かった。その間、トラップがある訳でも無く、勿論襲撃も無かった。
無いに越したことはないのだがこうも事が易々と進むとかえって不安になる。
「もしかして奴等、あの野良で俺ら全員片付くとか思ってたんじゃねえのか?」
同じ様に不安に思ったのであろうダブラスが地下へ続く階段を前に口を開く。
「どの道トラップが無い理由にはならんよ。それに自分達がどれだけ目の敵にされているかは理解しているはずだ。高位代行者が派遣される可能性を考えればあの程度では問題にならないのはわかりそうなものだけど」
「クオさんからするとあの程度呼ばわりですのね……」
一応曲がりなりにも高位代行者である自分には仇敵ということを差し引いても十二分な脅威であった訳で。
「火星天の彼との攻防を見るにリーリエの実力であれば問題無く殲滅出来たと思うよ? 今回は私が邪魔してしまったけれども」
結果的に邪魔されて良かった訳だが、正直あの野良4体を相手に上手く立ち回れたかは自信が無い。最初の1体だけならばどうにかなったかも知れないが、その後に現れた3体を処理出来たかどうか。と言うより後3体は完全に埒外だった。恐らく1体目に全力を尽くし、残りを相手取る前に魔力欠乏にでもなっているのが関の山だっただろう。
いい加減学習しなければならないのは身にしみてわかっているのだが、どうにも余力を残すのが下手だ。そもそも雷撃系の駆動式は要求される魔力量が他と比べて多いというのもあるのだが、クオ・ヴァディスと会ってから戦闘終了と共に昏倒というパターンが多過ぎる。
それまで全く無かった訳ではないがそれにしても酷い。我ながら目に余る。
理由は、ある程度自覚はしている。
もしかしたら敵の罠の真っ只中かもしれないのにも関わらず、いつもとかわらぬ笑顔を称えるクオ・ヴァディスの顔を見遣る。
自慢ではないがありとあらゆる魔法使いの文献を読み尽くした自分でも想像の片隅にすら引っ掛からない程規格外の魔法使いであるこの牧師。
何度か戦場を共にし、その力をまざまざと見せ付けられて憧憬を覚えると共に、自分は嫉妬しているのだ。
人たる我が身では見上げる事すら叶わない極地に座すその業に、浅はかにも焦っているのだ。
本物になれると言われてしまったから。
「えもいわれぬ顔で見つめられると、さすがに反応に困るねぇ」
いけない。
多分相当変な顔で見つめていたのだろう、クオ・ヴァディスは困った顔でぽりぽりと頬を掻いている。
「す、すみません。ちょっと考え事をしていまして」
「キミが考え事をしているのは何時もの事だが、今のは見た事が無い顔だったな。もしかして私にミョルニルを撃った事をまだ気にしているのかい?」
「気にしていない、と言ったら嘘ですが今考えていたのは別件ですわ。……単刀直入にお聞きしますけれど、クオさんは私に甘過ぎませんか?」
びっくりした顔をされた。
本気で何でそんな事を聞くのかわからないらしい。
「甘いかい? 怪我を治す時も痛覚は残しているし、魔法を教える時も結構スパルタだと思うけれど」
いや、まあ確かに怪我を治される時は地獄の苦しみだし駆動式の書き換えの勉強も実践ありきで散々暴発させられたが、そういう事ではない。
「その、随分と手厚く魔法の手解きをしてくれますけれど、何故、私なのでしょう?」
純粋な疑問だった。
永きを生きるクオ・ヴァディスが何故態々こんな子供に魔法を教えようなどというつもりになったのか。
「ただの人でしかない私はどう足掻いても200年と生きられません。後継者、と言うならば役不足ですし、イルガーの魔眼を持っていると言ってもクオさんの出会った人の中にはもっと優れた魔法使いが居た筈です」
そしてその魔法使い達も自分と同じようにクオ・ヴァディスの魔法に魅かれ、その秘奥を欲した筈だ。
「何故、私なんですか?」
固有魔導体系を持ちながら協会に申請もしないような魔法使いが何の気紛れで他人に魔法を教えようというのか。それがそもそもわからない。
師事しておいて今更だがあんなにあっさりと受け入れられた理由が今をもって全く理解出来ないのだ。
「んー」
クオ・ヴァディスが空を仰ぎながら呻く。
「面白そうだったからかな」
呆気に取られた自分よりも先に反応したのは何とも形容し難い渋い顔で振り向いた、先頭を行くダブラスだった。
「いや、旦那。そこは『リーリエだからだよ』くらい言うところじゃねえのか」
「ああ、いや。勿論リーリエが面白そうだったからだよ? 耳触りが悪いかも知れないが、永く生きてると面白そうと思う事自体がなかなか無くてね。特に他人に興味を惹かれる事なんかそうそう無いんだよ」
「やっぱり飽きちまうのか?」
「と言うより歳を取り過ぎるともの凄く個人主義になるんだ。基本的に友人は皆先に逝ってしまうからね。何かと関わりを持つのが酷く虚しくなる時がある。ハルメニアやトリスタンのような者は稀有な例だよ」
背中がゾワリとした。
周囲と時を同じように刻めない孤独というのはどのような恐怖なのだろうか。
協会で嫉妬や侮蔑の目に晒されたかが数年の孤独にすら痛め付けられていた自分には凡そ耐え切れないものであるのは間違いない。
友人達が、老いて死んで行く中自分だけはずっと変わらずにそれを見送らなくてはならない苦痛に、きっと自分では耐えられない。
「私や『常夜の王国の吸血侯』みたいに引き篭もるのが、多分普通なんだと思うよ? まあ引き篭もりだけに他の長寿の友達なんか居ないから比べようはないんだけどもさ」
言って笑うクオ・ヴァディスも、やはり老いて死に行く友人を看取り続けたのだろうか。同族も無く、本当の意味で肩を並べて居られる友人も居なく、角の回収以外の物事に憂いた結果が田舎の牧師なのだろうか。
それならば、尚の事。
「何故、私は面白い、と?」
気になる。
面白いという語感は些かいただけないが、クオ・ヴァディスともあろう者が何故自分をそう思ったのか。
碌に友人も居ないため他者の評価に興味を抱いてこなかったが、これは別だ。
「敵地でお喋りとは大物だなぁ。……いや、まあ先ず興味を惹かれたのは魔眼だよ。他ならいざ知らず、よりにもよってイルガーから魔眼を授かるなんて人類史上初だろうからね」
「あの方の人嫌いはそこまでですのね……」
「前にも言ったけれど此方への現界自体、例が無いんだ。と言っても精霊界に直接介入出来るハルメニアですら直接会ったことは無いはずだけども」
「でも前にここ1000年は、と言っていませんでしたか?」
確かアゥクドラの夜半で、ここ1000年は現界した記録が無い、と言っていた記憶がある。
「ああ、語弊があったね。私が表に出てから知る限り、ここ1000年で現界の記録は無い、という意味だよ。1000年前には現界していたという事ではないんだ。少なくとも私が閲覧した書物には一切現界の例は表記されていなかった」
言われて、あの時見た緑色に輝く巨大な猛禽の姿を思い出す。ガーヴとエルバクが殺され、自分も死を覚悟したあの瞬間現れたイルガーは、間違いなくこちら側に現界していた。
「では、現界したイルガーを見た事があるのは私だけなのですね。……ふふ、何だか誇らしいですわ」
「イルガーが? 現界した? なんだいそれ詳しく……」
新しい玩具を見付けた子供のような顔から即座に戦闘態勢に移行したクオ・ヴァディスが階下を見遣る。
ポッカリと地下に口を開けた石造りの階段の下から、何かの、気配。
「……敵か?」
いつの間にか背の大剣を抜き放っていたダブラスがこちらを庇うように矢面に立つ。
「敵地でする私達以外の気配ならば、まあ敵だろうね。妙な魔力波長だ。ダブラス、気をつけ……」
クオ・ヴァディスが言い終わるかというところでヒタリと、裸足の足音が聞こえた。
仄暗い階下からヒタヒタと不規則なリズムで階段を上って来る音は、暗がりの境目でふと止まった。
魔眼を起動すると暗がりの中にぼんやりと人影が浮かぶが、体表面を覆う魔力波長の量からして魔法使いのそれではない。それに、輪郭が妙に歪だ。
訝しむ間も無く意を決したかのように人影が明るみにまろび出るとその理由がわかった。
「た……助け……て」
階段を上がって来たのは、どのような凶器を用いられたのか身体のあちこちを削ぎ落とされ、異様に滑らかな肉の断面を晒す半裸の男だった。
「……酷ぇな」
顔を顰め、ダブラスが吐き捨てるように言う。
致命傷にならないように死に難いところを偏執的に削ぎ落とされたその男の身体は、最早動く人体模型を思わせる風体だ。その惨状と、途端に漂ってきた濃い血臭に込み上げてくる吐き気を堪える。
その瞬間。
集中が乱れ魔眼が切れたと同時に、音が聞こえた気がした。
「ダブラス!」
叫ぶと同時にクオ・ヴァディスがダブラスを突き飛ばそうとしたその左手首が、まるで何かの冗談のようにするりと落ちる。
一拍遅れてダブラスの左胸から右脇腹にかけて一直線に上着が断裂。同じく断裂した鎧留めのベルトが支えていた肩部プレートが脱落するけたたましい音と共に、服の裂け目から噴水のように血飛沫が噴き出した。
「……マジかよ」
力無く膝をついたダブラスの、その腹からピンクがかった薄灰色の肉の表面が露出する。
「仰向けになれダブラス、傷が深い。内臓が溢れてしまう」
「うわ、旦那で慣れたつもりだったが自分事となるとすげぇ怖いな」
口調は努めていつも通りだがその表情から余裕は失われ、痛みを堪える脂汗が額を伝っていた。
「傷口が大き過ぎて止血帯じゃ間に合いませんわ……。ダブラスさん、先に傷口を止血爪で綴じます。少し、痛いですわよ?」
「痛過ぎてもうわかんねえよ……。やってくれ」
補助式によって無菌処理されている爪付きクリップでダブラスの傷口を塞いでいると、クオ・ヴァディスが立ち上がり階下を睨みつけた。
「やってくれるじゃないか、後ろのキミ」
「あらやだ、何、バレてたの?」
この場に似つかわしくない年端もいかぬ少女の声で応えたそれは、弾むような軽やかな足取りで人体模型の背後の暗がりから姿を現した。
一見すると、それは普通の少女だった。
腰の辺りまで伸びた流れるような黒髪、新月の夜空を写したかのような黒瞳、焚き火に揺らぐ影を模ったかのような流麗な装飾を施した黒衣。
白磁のような肌以外全てが黒で統一された姿のその少女はさも楽しげに顔を歪め笑っていた。
「あの肉ダルマどもを制圧して乗り込んで来たからどんな奴かと思えば、変わった一行ね。丸腰の魔法使いに、変な剣士に、あんたは……何?」
ころころと表情を変えるその風貌は王都の女学生となんら変わりない。それだけにこの場との乖離が凄まじく途方も無い違和感がある。
「何と言われてもただの牧師だけれど、キミは邪龍教団の関係者かな?」
「質問を質問で返さないでちょうだい。……まあ良いわ。関係者と言うか、技術提供者かしら。あたしとしても炉の実験をしたかったから丁度良かったのよね。ほら、生きた人間の調達なんてちょっと面倒じゃない?」
「あー、そうか。教団に魔力炉を提供したのはキミか。聞いてもいない事までペラペラ話してくれるのはアレかな、冥土の土産ってやつかな?」
クオ・ヴァディスのその言葉を契機としたように黒衣の少女から爆発的な魔力波長が発生する。
「ついでに死出の餞に名乗っておいてあげる。ベルセルダ・モンゴメリーよ。勿論、本名じゃないけど良いわよね、牧師さん」
「あぁ、なんだ」
少女の名前を聞いた途端、クオ・ヴァディスは興味を失ったかのようにこちらに振り返り、床に落ちていた自分の手首から先を拾い上げる。
「リーリエ、補助器無しで大変かもしれないけれど、ダブラスにセーフリームニルをかけ続けていてくれ。少し、時間が掛かるかもしれない」
「意地でも保たせますわ。ダブラスさん、気を失ってはいけませんよ!」
「おっかねえ師弟だな、まったく……」
ゼフィランサス無しでどれだけ続けられるかわからないが、とにかく少しでも出血を抑えなければ。
ただでさえ自分では治癒効果の低いセーフリームニルの血液凝固作用だけを徹底的に促進。これによって、体外に溢れた血液のフィブリノーゲンを強制的に重合させ生成されたフィブリンにより、通常では凝固作用が間に合わない出血量でも多少はマシになるはずだ。
ダブラスの腹から止め処なく溢れていた血液が、少しだけその流量を落とす。
ゼフィランサスによる演算補助も魔力増幅も無いため雪崩のように魔力を消費して行くが構うものか。
クオ・ヴァディスがあの少女を撃退するまで、気絶してでも続けてやる。




