不審
結果として、当然の事ながら。
咒式車は一切合切破壊されており、唯一無事だった馬車も肝心の馬が逃げてしまっていてただの箱と化していた。
結局のところ現在10km先の魔力炉に向けて草原を行軍中であるのだが、遮蔽物の全く無い平野を敵地に向かって進むというのは思いの外精神にくるものがある。未だ敵の戦力は不明なのだ。
ゼフィランサスが破損してしまい『ヘイムダル』が使えないため詳細な探知が行えず、無事だった代行者に探知を頼んだのだが魔力炉の発する魔力波長が探知魔法を阻害し意味を成さなかった。万が一、魔法使いの大軍でも控えていようものなら絶体絶命である。
「まあいざとなったらダブラスを盾にすれば良い」
あっけらかんとこう言い放ったクオ・ヴァディスに賛同するわけではないが、最悪そうするしかないのが心苦しい。
「つーか旦那はまだ駄目なのかよ? パっと見完全回復してるんだが」
「単純な損壊は粗方治ってはいるけども、電撃というものはなかなか厄介でね。伝達系がまだしっちゃかめっちゃかなんだよ。人体は電気信号で動いている訳だから高電流によって加減が狂ってしまったみたいだ」
「……つまり、どうなんだ?」
「物理的にも魔法的にも加減が効かない。リンゴを掴むつもりで握り潰したり、ちょっと火を出すつもりが大爆発したりする」
「怖いわ」
道中、状態を語るクオ・ヴァディスに表立った異常は無い。いやむしろ無いのが異常な訳だがとにかく普通に歩いてはいる。
『ミョルニル』によって駄目になった外套の代わりにテントにあった兵站軍のコートを羽織っているのだが、着替える際に外套を脱いだ姿はそれは酷いものだった。
最低限の再生しかしなかったのであろう身体には電撃で焼け爛れた火傷の痕がありありと残り、ただでさえ修復されていなかった刺青は殆ど残っていなかった。
三半規管と歩行に必要な器官を優先的に再生し、今をもって神経伝達系を再生している状態では体表面の再生が追い付かないのだそうだ。
「またアレッサに怒られるな」
何の含みも無くそう言って笑うクオ・ヴァディスはどうかしていると思うが、アレッサの手によるせっかくの作品を駄目にしてしまったのは自分なのであるから怒られる時は一緒に謝ろう。
「それにしても……」
思わず口をついて出た。
前哨基地から既に1時間、距離にして凡そ5kmほど歩き続けているが至って平穏な歩みだ。幾ら何でも何事もなさ過ぎる。
魔力炉を保有する程のアジトだと言うのに、まさか炉を残して完全に放棄してしまったと言うのだろうか。
「今のところ敵の気配はありませんわね」
「このまま何事も無いと助かるんだけどね」
「だとしたら引き際が見事に過ぎるぜ。アジトって言うからにはそれなりの人数が居ただろうに撤収が早過ぎる。普通、資料とか物資の運び出しに手こずる筈だ。こっちの襲撃を前以て知ってでもいない限りこんな早く引き払える筈がない」
考えられる要因としては内通者であったとされる国防省の高官か。恐らくは協会に身柄を拘束されている筈だが何らかの手段で教団に襲撃を知らせたのだろうか。
「まさかとは思うが」
顎に手を当てて何事か考えていたクオ・ヴァディスが不意に立ち止まる。
「アジトの情報自体がブラフというのも有り得るか」
思い掛けない最悪の想定にこちらも思わず歩みを止める。
「協会が嘘の情報を摑まされたと?」
「いや、そもそも情報源が本当の情報を与えられていなかった可能性がある。敵方には潤沢な資金があるんだ。こういう時に備えてダミーのアジトを持っていてもおかしな話じゃない」
「じゃあ俺ら完全にトラップに嵌ったって訳か?」
「仮に本物のアジトだったとして、ダブラスはあんな制御も出来てなそうな野良を4匹も抱えたまま悪巧み出来るかい?」
「う……、確かに気が気じゃないな」
あのアジトが罠だとすればまんまと最大の効果を発揮させてしまったということか。現状における代行者側の損耗は著しい。少なくとも100人近くの中位代行者を喪ってしまったはずだ。安全圏でほくそ笑む小悪党の姿を想像してしまい思わず歯噛みする。
「せめて魔力炉をどうにかしないと割に合いませんわ。でも、具体的にどうしますの? 強制停止が出来ないなら封印とか……」
「封印……でも良いけれど、破られでもしたら元の木阿弥だからね。潰してしまうに越したことはない」
「ですからどうやって……」
「簡単だよ。空にして、壊す」
何を言っているのかわからない。
いや、言葉の意味自体は当然わかるのだが、魔力炉は間断なく莫大な魔力を吐き出し続けているのだ。確かに無尽蔵というわけではなく、それは薪として焼べられた人の総量によるがその薪が燃え尽きるまで、炉は魔力を生み出し続ける。単純な話、炉が沈静化するまで待てば良いのかもしれないが、それがいつなのか、人を投入した教団も恐らくわかってはいないだろう。
「さっき『ヘイムダル』で触った感じだとむこう半年は稼働し続けるだろうからね。封印しても魔力生成が止まる訳じゃないからまたあの野良が産まれないとも限らない。だから」
だから?
「私が炉の魔力を喰ってしまえば、それで炉は壊せる」
今。
今なんと言った?
『喰う』と言ったのか? 魔力を?
「そんなことが……」
出来るものか、と言いかけて、止まる。
出会ってからこの短い間に、学園で必死に勉強した魔法学の常識やら定説を悉く足蹴にしてくれたクオ・ヴァディスの言うことだ。言葉にするということは方法があるということだ。
魔素と違い概念上の揺らぎのような存在である魔力を喰うという状態が既に想像の外だが、出来ると言うからには出来るのだろう。
全くもってこれっぽっちも想像がつかないが。
「リーリエはまた何やら小難しい事を考えているね? まあ、視たらわかるよ。まだ罠かどうかも確定した訳ではないし、取り敢えず目的地に急ごう」
話を切り上げ、クオ・ヴァディスが再び歩き出す。
その歩みはすっかりいつもと変わらぬ様子で、どうやら身体は元どおり再生したようだ。その事に安堵しつつ、しかし再び鎌首を擡げ始めた不安を胸に、軍のコートが恐ろしく似合っていないクオ・ヴァディスの背中を追うのだった。




