詐欺被害者の心境
早速だが、リーリエ・マクマハウゼンは後悔していた。
リーリエが幼い頃、父親が先物取引詐欺に引っ掛かり家が傾いた経験から短慮はいけないとわかっていた筈なのにも関わらず同じ轍を踏んでしまった気がする。
30分前の自分を引っ叩いてやりたいと憤慨しながら、リーリエはクフの森の最奥部へと向かって歩くクオ・ヴァディスの背中を追った。
「キミの精霊魔術の腕を見込んでお願いしたい事があるんだ」
そう切り出したクオ・ヴァディスは茶器を片付けたテーブルに地図を広げて見せた。地図にはレゾ村を中心としたクフの森の詳細な地理が描かれていた。
「一昨日ミョルニルを使った時にわかっただろうけど、この森は重霊地なんだ。それが今脅かされつつある」
「脅かされる?」
「一昨日倒した竜は穏健派のようだったんだけど変革派の竜達が同胞が殺されたのを嗅ぎ付けたようでね。クフの最奥部に集結している。行動を起こすのに良い口実だったんだろう」
浮かれていたリーリエの気分が一気に氷点下に落とされる。変革派の竜の行動と言えば一つしか無い。
人類の蹂躙だ。
元来竜は住処に立ち入る事さえしなければ人類に危害を及ぼす事は無い。しかし竜の中にはそれを良しとしない派閥があり、魔導協会はそれを変革派と呼び区別している。
変革派の竜は自らこそ万物の霊長であると主張し生息域を制限されている現状を打破しようと機を伺っている状態だ。穏健派に比べて少数である為今迄大きな動きは無かったが万が一暴走した場合人類にとって未曾有の危機になる。
「そ……れは……」
唐突な事態に舌が縺れ上手く言葉が出て来ない。
リーリエ程の魔法の使い手であっても、竜とはそれ程の脅威なのだ。
しかし、
「うん。さすがに私1人だと重霊地の保全まで手が回らないからそっちをキミに任せて良いかな? と言うか、祖霊を宥めなきゃいけないだろうけど私は専門外だから丸投げして構わないかい?」
まるでちょっと煙草買って来て、程度の気楽さでクオ・ヴァディスは尋ねてきた。
「わ、私達だけでこの事態を収拾するつもりですの⁉︎変革派の暴走なんてS級どころか超級の魔導災害ですわ! 協会に連絡して……!」
「時間的に間に合わないと思うよ? 王都まで3日、人員が派遣されるまで更に3日。しかも最短で受理されて運良く複数の高位代行者の手が空いていればの話だ。既に集結しつつある竜達がそれ程待ってくれるとは思えない」
それは死刑宣告に近かった。
先日のまだ若い竜でさえ手に余ると言うのに、更に強大な竜が複数居るであろう事態にリーリエの身体は震えを抑える事が出来ない。だが今にも折れそうな膝をどうにか支えているのは、必死にパンにかぶり付いているリーリエを満面の笑みで眺めているアレッサの顔だった。
一昨日は運良くクオ・ヴァディスのおかげで悲劇を回避する事が出来たがリーリエ自身からすれば失態もいいところだ。
今回は。
今回こそは。
アレッサを、村を、人々を。
「守らなくちゃ……」
そう、護らなければ。
「おぉ」
様子を伺っていたらしいクオ・ヴァディスがリーリエの堅い覚悟とは裏腹に気の抜けた声を漏らす。
「折れなかったね。さすがは金星天ってところかな?」
「知ってらしたのですか?」
「一応欠かさず新聞は読んでるからね。最年少で金星天を授与された天才魔法使いの女の子の事は知ってたよ。あんな見事なミョルニルを使うものだからもしかしてとは思ってた」
「・・・なんでしょう、試されているみたいで釈然としませんわ」
言われてクオ・ヴァディスは一瞬目をパチパチさせ、それから急にバツが悪そうに頭を掻いた。
「あぁ、いや、すまない。最初に聞こうとは思ってたんだけどクリームのリアクションがあまりに良くて舞い上がってしまってね。タイミングを逸してしまった。手伝いの内容は正直本当にお手上げ状態なんだよ。私では祖霊を宥めるどころか逆に火に油を注ぎかねない」
「素性に関しては私も正式に名乗るタイミングを逸してしまいましたから……お互い無かった事にしましょう。と言いますか、変革派の動きに気付いていながら何を悠長にスコーンなんか焼いているんですか⁉︎冷静に考えてお茶してる場合じゃありませんわよ⁉︎」
冷静に考えるのが遅すぎるとわかってはいたが思わず声を張り上げてしまう。
この優男は竜の事を話していても何の緊張も気負いも表に出さない。勿論感情の制御がずば抜けて優れている可能性はあるがそれにしても自然体に過ぎる。まるで微塵の恐怖も感じていないかのような。
そこまで思い至って、リーリエは1つの仮説に辿り着く。
「もしかして貴方にとって竜と相対するという状況はそれ程問題にはならないとでも?」
口に出してみて途轍もない違和感に襲われる。感覚的にその問いは、太陽から氷を取って来れる?と聞いているに等しいからだ。
竜が絶対強者なのは揺るがない。それは生きとし生けるものの常識だ。
幾らクオ・ヴァディスが強大な魔法を使えるとしても成熟した複数の竜と相対出来るはずがない。
しかしやはりこの優男は先程と変わらない、世間話のような気楽さでこう答えた。
「穏健派のアノードステル辺りだとちょっと自信無いけども変革派にはそれ程年経た竜は居ないからね。手段を選ばなくて良いならキミに態々危ない事をお願いなんかしないよ」
何だかやり手の詐欺師と話している気分になってきた。のこのこ森の奥について行ったら身包み剥がれた挙句姦淫にでも及ぼうとされるパターンの方が余程現実味がある。
あったら困る現実味ではあるが。
「夢の世界で出会った王子様に『お願い! 世界を救って!』と頼まれる絵本を思い出しましたわ」
何気無く言った他愛も無い独り言の積もりだったが、それを聞いたクオ・ヴァディスが破顔一笑、『良いねそれ』と呟いたのをリーリエは聞き逃さなかった。
クオ・ヴァディスがおもむろに立ち上がり、椅子に座っているリーリエに歩み寄る。真顔だ。
事態を飲み込みきれず固まるリーリエの右手側に立ったクオ・ヴァディスは何を思ったか突如として跪き、そっとリーリエの手を取った。まるで姫をエスコートする王子のように。
「絵本の王子様とはいかないけど」
ルビーのような紅の双眸がリーリエを真っ直ぐに見つめる。
「こうして出会ったのも何かの縁だ」
ただでさえ七顛八倒する事態にショート寸前のリーリエは慣れない異性の接近という状況にアワアワすることしか出来ない。
「手始めに」
手始めに?
「2人で世界を救ってみないか?」
ちょっとキュンとしたのは死んでも秘密だ。
あれ、チョロイン臭がする…