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朱の草原

 世界を塗り潰した白光が収まり視界が戻る。

 先程の視界のように真っ白の頭が認識したのは、変わらず眼前に聳え立つ肉色の巨体と、ブスブスと音を立てながら地面に仰向けに倒れ煙を上げるクオ・ヴァディスだった。


「クオさんっ⁈」


 一も二もなくゼフィランサスを投げ捨てクオ・ヴァディスに駆け寄り容態を確認する。

 何をどうやったのかはさっぱりわからないが、蒸発していないという事は何かしらの防御をとったようだ。


 しかし、その様相は贔屓目に見ても、どう考えても即死だ。


 先ず閉じられた眼窩から赤黒い血が流れている。逆に開かれた口からは煙と、そしてやはり血が溢れ続けている。1億V、3万℃に及ぶ雷のエネルギーに人体が耐えられる訳が無い。こうして原型を留めている事の方がおかしいのだ。


「ああ……、嫌……どうして、こんな……」


 千々に乱れる思考は碌に言葉も紡いではくれない。ただ必死にクオ・ヴァディスの見せてきた不死性に祈りを捧げているのだが、今までとは損傷の度合いが違い過ぎる。

 恐らく、無事な部分など有るまい。

 セーフリームニルが細胞を復元する前に全ての細胞が壊れてしまえば、いくらクオ・ヴァディスと言えど無事では居られないのではあるまいか。事実、焼け焦げたり裂けたりしている体表面にセーフリームニルの作用は一切見てとることが出来ないのだ。


 ミョルニルの発動の瞬間に垣間見たあの笑顔がフラッシュバックする。


 途端、涙が溢れてきた。


「ク、クオさ……」

「落ち着きなされ、リーリエ殿」


 混乱が恐慌に一線を踏み外す直前に、トリスタンの声が意識を引き留めてくれた。


「トリス様、クオさんが……。私、クオさんを……!」

「良く見て下されリーリエ殿」


 促され、もう1度クオ・ヴァディスを見やる。

 そこには変わらずあちこちが焼け焦げたクオ・ヴァディスの成れの果てが横たわっている。


 しかし、その内変化があった。


 ゴポリ、と。

 血に溢れた口腔内から血泡が上がるのを、確かに見た。


 頭で考える前に体が動いた。

 クオ・ヴァディスに飛び付き胸元に耳を当てる。

 微かにゴポゴポと泡の音が聞こえる。気道に血が溜まって呼吸が出来ないのだ。


 直様仰向けの顔を横に向け口腔内に溜まった血液を除去。しかしそれだけでは自発的に呼吸は始まってはくれない。気道の血を除去せねば。


 除去。


 顔を仰向けに戻し、細かい事を考える前にクオ・ヴァディスに覆い被さり、血を、吸い出す。


 クオ・ヴァディスの喉から逆流してくる血液の匂いにむせそうになるが必死で堪える。自分の所為でこうなったのだ。

 責任を、取らねば。


 2度、3度と血を吸い出し、吐き出す。

 口元と襟がクオ・ヴァディスの血でどす黒く染まっていくが構うものか。

 早く呼吸を再開させなければ。


 5度目の血を吐き出したところで、横たわっていたクオ・ヴァディスの身体が跳ねた。


「げほっ、げふっ……! あー……。誰だかわからないけど、助かったよ。丘で溺れるかと思った」


 自発呼吸を再開したクオ・ヴァディスは血泡の絡む喉でいつもと変わらぬ軽口を吐いた。

 生きていて良かったという安堵もそこそこに、そのクオ・ヴァディスにくってかかる。


「何を考えているんですか! 発動直前の駆動式の前に立ちはだかるなんて自殺行為もいいところですわ!」


 辛うじて残っていた襟元を掴み、揺さ振るがクオ・ヴァディスの身体は揺れに任せるままだ。


「……良かった。生きててくれて……」


 力の戻らないクオ・ヴァディスの胸元に顔をうずめる。

 か弱いながらも耳に届く確かな呼吸の音に、今度はこちらの身体から力が抜けた。


「あー、多分リーリエかな?」


 恐らく鼓膜も感覚神経もまだズタズタなのだろう。こちらを丸っきり認識していないまま、クオ・ヴァディスが笑う。


「あんな撃ち方をしたら私やトリスタンはとにかく、他の皆が巻き込まれて死んでしまうよ」


 確かに言われてみれば平時であれば制御に割いている分のリソースを一切合切威力に費やしていたかも知れないがだからと言って態々それを一身に受け止めなくても良いのではないだろうかと言うか開口一番ダメ出しとかその前に何か言う事があるだろうに。


「何かしらアレに因縁があるみたいだけど先ずは落ち着いてみようか。正義の味方を自負するキミが激情に身を委ねてしまっては格好がつかないじゃないか」


 此の期に及んで諭された。

 アゥクドラの時もそうだが、何故この男は恨み言の1つも吐かないのだろう。前回も今回も、完全にこちらの不始末で重傷を負っているというのに。


「あー、それと」


 クオ・ヴァディスの言葉に覆い被さるように頭上から影が落ちる。


「私は暫く動けないからダブラス辺りに背負わせといて貰えないかな?」


 影の正体、野良の拳が降ってくる直前に駆け寄って来たダブラスが自分とクオ・ヴァディスを両脇に抱え、踵を返し拳の落下を回避した。


「うおおぉ⁈ 何ボーッとしてんだ⁈ つーか旦那、重っ!」

「うぷっ……ダブラス、かな? 抱えてくれるのは良いんだがあまり揺らさないでくれないか。ぶっ……まだ内臓が治りきってなくて……混ざる」


 表現の仕方が恐ろし過ぎてダブラスと揃って鳥肌が立つ。


「ダブラス殿、クオ・ヴァディスとリーリエ殿を戦闘範囲の外へ」


 合わせて野良の拳を回避していたトリスタンがダブラスと併走し、声を掛ける。


「リーリエ殿は1度落ち着いて。この阿呆は……この損傷だと暫くは使い物になりますまい。安全な位置まで後退していて下され」

「そんな、私も……!」

「先程のミョルニルで魔杖の補助式が焼き切れております。これでは増幅器としての役割は果たせぬでしょう」


 そう言って差し出されたゼフィランサスを魔眼で確認すると、言われた通り基底部の補助式が完全に破断していた。これでは魔力を流し込んでも、いやそもそもそれすらも出来そうにない。

 無理な使い方によって壊れた愛用の魔杖に胸が痛む。


「フィッツジェラルド製の魔杖をオーバーフローで壊すなど大したものです。そろそろ新調を考えても宜しいのでは?」


 状況的に間違い無く窮地のはずなのにトリスタンは世間話のように聞いてくる。クオ・ヴァディス然りトリスタン然り、どうしてこう長生きしている実力者というのはどこか緊張感が無いのか。

 これが実力故の余裕というものか。

 毛先程で構わないから少し分けては貰えないだろうか。


「……申し訳ありません。私、我を忘れて……」


 おかげで漸く自らの行いを客観視出来る程度の冷静さを取り戻す。と同時に凄まじい自責の念に囚われた。

 クオ・ヴァディスにはああ言ったが、身を呈して止めて貰えなければ危うくあの場に居た皆を、最悪殺してしまっていたかも知れないのだ。それだけ雷、特にミョルニルの制御は繊細だと言うのに。


「訳ありなんだろ? じゃあしょうがないんじゃねえのか。俺だって、例えば恋人を殺された相手が突然目の前に現れたら考える前にぶった斬りに行くぜ? まあ居ないけどな、そんな仇」


 台無しか。


「人間、生きていれば因縁の1つや2つあるものです。あまりお気になられぬよう」


 言って微笑み掛けてくれるトリスタンの心遣いにだいぶ救われた気になった。

 それと同時に、野良の周囲で複数の魔法が発動し始める。

 初撃の混乱から立ち直った代行者達が一斉に攻撃を開始したようだ。


「よし、ここいらで良いか」


 野良から200mほど離れた地点でダブラスは立ち止まり小脇に抱えていた自分とクオ・ヴァディスを降ろす。背中に大剣を背負ったまま人間2人、しかも体組成の置換によって150kgを超えるクオ・ヴァディスを抱えたまま全力疾走していたと言うのにダブラスの息は一切乱れてはいない。クオ・ヴァディスの異常さに隠れがちだが、ダブラスもやはり尋常な鍛え方ではない。


「しかし、どうすんだアレ。見た感じ魔法が効いてる風じゃないんだが……」

「竜と同じように、身体から無意識に発生している魔力波長が強過ぎて魔法の威力が散ってしまうんですわ。『カラドボルグ』のような砲弾魔法ならとにかく、半端な現象魔法では野良に到達する前に式が意味崩壊してしまうのでしょう」

「……もう少し簡単に説明して貰えないか」

「……あれでは火力が足りません」


 成る程、と手を叩くダブラスだが、ふと何か思い付いたようにその体勢のまま固まる。


「じゃあどうすれば良いんだ? あのサイズじゃあ俺がぶった斬っても擦り傷だし、あの目付きの悪い双子も似たようなもんだろ」

「私といたしましても、あの統制の取れていない弾幕に飛び込む無謀さは持ち合わせておりませんな」


 確かに、物理攻撃を仕掛けようにも間断なく魔法や飛び道具が撃ち込まれている現状では射程に入る前に流れ弾を喰らうのが関の山だ。

 と言うより、対象が巨大過ぎて有効な近接攻撃を与える事がそもそも出来そうにない。


「旦那ぁ。早く治っていつもみたいに大砲ぶっ放してくれよ」

「あー、あー。凄いな。頭蓋骨の中で鉄球が転がってるみたいな音がする」


 恐らく徐々に再生しているのだろうが一々表現が怖い。感覚神経は戻って来ているようだが未だ両の目が閉じられたままなのを見るに体内の再生で手一杯なのだろう。


 どうしたものか手をこまねいていると再びベシャンという音と共に代行者達の一角で紅い花が咲いた。

 代行者達の悲鳴が上がり、その声に呼応するように野良にへばり付いた子供の顔が笑みの形に歪み、耳障りな声で笑う。


 肉片と、悲鳴と、嬌声と。

 阿鼻叫喚を絵に描いたような地獄がそこにはあった。


 歯痒い。


 目の前の敵を見ている事しか出来ないというのも確かにあるが、ガーヴとエルバクの仇を前に何も出来ない自分が何よりも歯痒いのだ。

 噛み締めた奥歯がギシギシと音を立てて軋む。


「どうやらリーリエ殿はアレを知っている風ですが、聞いても宜しいですかな?」

「あれは……私の先輩方の仇に似ているのです。当時正体不明とされて同一種の存在も認められなかったので捜索が頓挫していました。まさか……。まさか、人によって造られたものだったなんて……!」


 あれがモ・タクシャカ・タントラの魔力炉の副産物なのはほぼ間違い無い。詰まる所、あの時ガーヴとエルバクを殺したあの個体は恐らく実験体だ。意図して放逐したのか逃げられたのかはわからないが、場合によっては戦闘力の実験という線も可能性としては有り得る。

 そんな事に巻込まれて2人は死んだのかと思うと、遣る瀬無さと怒りが綯い交ぜになり行き場の無い負の感情が胸を締め付ける。


「成る程」


 鼓膜が再生したらしく話を聞いていたクオ・ヴァディスが地面に横たわったまま相槌を打った。


「仇が相手じゃ我を忘れるのも納得だ。私もそうだったしね」


 なんと言うか、我の忘れ方が全世界スケールだった人物にそう言われるとそれはそれで何だか申し訳なくなるような気がしてしまう。


「私は時既に遅し、というやつだがキミはまだ若い。間違っても仇を討つ事がキミの全てだと思ってはいけない」

「わかっている……つもりですが」

「少なくとも、さっきみたいな負の感情に任せてはいけないな。それで仇討ちが達成された場合、大体その人間は燃え尽きる。残るのは達成感なんかじゃない。ただの空虚だ」


 恐らく、経験談なのだろう。そこから、今のクオ・ヴァディスという人間に至るまでに一体どれだけの時間と労力が必要だったのか。保有する時間が圧倒的に少ない、ただの人たる我が身では想像も付かない。


「まあでも、さ。アレを、ひいては邪竜教団を倒す事に関しては大賛成だ。私も、微力ながらリーリエの仇討ちに協力させて貰うよ」

「勿論、俺も全面的に協力するぜ?」

「僭越ながら、不肖トリスタン・エインズワースも協力を惜しみませぬぞ、リーリエ殿」


 何だか泣けてきた。


「私は、恵まれていますね……」


 その言葉に3人が揃って笑った。


「いやしかし、差し当たって、マジでどうすんだ、アレ」


 視線を戻すと相変わらず代行者達の必死の攻勢が続いている。野良は散発的にしか攻撃してこないため被害は広がってはいないが、さりとて事態が好転する訳でもない。


「ふむ。思い切って私が斬り込んでみるか」

「キミを認識すれば代行者側の弾幕は止むかも知れないが、野良の攻撃は斬れるのかい? 原理的には『エラトー』に近いように視えたけれど、式で制御していると言うよりは魔力放射で圧倒してるだけのようだったよ?」

「多分リュミナリティアでは斬れぬな。避け損ねれば私も地面のシミの仲間入りだ」

「俺でも無効化出来ないのか?」

「十中八九無理だな。式で制御されてない以上、割り込む余地が無い」


 大威力の広範囲魔法というのが1番効果的なのは言うまでもない。対竜戦闘でも言える事だが巨躯というのはそれだけでも脅威なのだ。大質量の前では半端な攻撃は意味を成さない。レゾで鋼竜を撃ち漏らした時の事を思い出す。しかもあの野良は鋼竜の3倍近い体躯を誇る。少なくとも、自分の手持ちの駆動式で効果がありそうなものはミョルニルくらいしか思い付かない。

 あと思い付くのはクオ・ヴァディスの『ガーンディーバ』、『レーヴァテイン』、『カラドボルグ』くらいか。

 しかし肝心のクオ・ヴァディスは自分の所為で身動きが取れないと来ている。再生を待つ間にもどれだけの代行者が犠牲になるかわかったものではない。

 やはり魔杖が無いと言えども自分が責任を持ってクオ・ヴァディスが復帰するまでの時間を稼がねば……。


 意を決しかけたところで、地響き。

 地震、ではない。地の底からゴリゴリと、何かが掘り進んで来るかのような断続的な揺れ。


 最悪の想像が脳裏に結像され、数瞬の後にはその想像そのままの映像が視界に広がっていた。


 地面を割って現れた同じ、若しくはそれ以上の大きさの野良が更に3体。合計4体の野良がこちらの正気を削り取るようにゲラゲラと嗤っていた。


 代行者達の攻撃が、止まる。

 4体の威容を前に絶望を自覚してしまったのだ。


「何てこと……!」


 野良達が同時に魔力放射を開始すると同時に大気中の魔素がそれに共鳴し青白い燐光が発生。

 それは代行者達全体を覆い尽くさんばかりに拡大して行く。


 遠目に、茫然と燐光を見上げるダンブラスマン姉弟とカルラの姿が見えた。


 いけない。


 駆け出そうとすると同時にトリスタンとダブラスが得物を抜き、疾駆する。


「一か八か野良に斬り込んでみますので、ダブラス殿は可能な限り代行者達の退避を補助して下され」

「冗談。俺も斬り込んだ方がまだ確率が高いぜ」


 瞬きの間に距離を詰める2人だったが、彼我の距離はまさしく絶望的だ。


 間に合わない。


 野良の魔力放射が臨界に達しようとした瞬間、4体の野良が同時に西の空を見上げた。


 刹那。


「新しい魔力波長だと?」


 トリスタンの困惑の声と共に、まだ夕刻には早いと言うのに西の空が紅く染まるのを見た。


 紅い空から、炎の雨が降った。


 断続的な轟音と共に、炎の雨が的確に野良だけに降り注ぎ続ける。

 絨毯爆撃のようなその炎に野良達は攻撃態勢を解除。悲鳴と共に後退して行く。


 炎の雨に見えたのは、炎で形成された無数の矢だった。

 反射的に魔眼を起動。矢の射手を探して西の方角を見やる。


 そこに広がるのは異様な光景だった。


 軍勢だ。

 一見して数百騎は下らないであろう弩弓兵が一切の乱れ無くこちらに進軍して来る。

 何より異様なのは、その軍勢が炎で出来ている事だ。

 身体も、装具も、勿論手にした弩も全てが炎で形成されている。


 まさか、あの軍勢自体が魔法だと言うのか。


 見た事もない光景に言葉が出ないで居ると、騒ぎに乗じて後退したカルラがこちらに合流。炎の軍勢を見てやけに冷静にこう言った。


「やっぱり来ていたの……ね」


 来ていた?

 誰が?


 軍勢を魔眼でつぶさに確認すると信じられない事に兵1人1人がそれぞれ独立して制御されているのが見て取れる。数百騎を一斉に制御しているのではなく、それぞれを1個体として制御しているのだ。

 クオ・ヴァディスとはまた違う、異次元の演算効率である。


 制御式を辿った先、朱に煙る草原に1つだけ炎ではない人影があった。炎で出来ているわけではないのに紅で彩られたその人影は、以前見た時とは印象が違うが確かに見覚えがある。


 火星天は万の軍勢を持つ。

 今更ながらにしてこの言葉を実感した。


 その身に赤々と燃える駆動式を纏い、火星天ウェッジ・グレイプウッドは超然とそこに在った。

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