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 ゾワリ、と。

 薄皮一枚隔てた内側で大量の蛆が一斉に身じろぐような不快感が全身を襲う。

 その形容し難い生理的な嫌悪に、維持していたヘイムダルの制御が瓦解。滑らかさを失った駆動式が青白く光る魔素に量子還元されていく。


「大丈夫かい、リーリエ?」


 不快感に全身を両手で抱き震える肩をクオ・ヴァディスが優しく抱き留めてくれる。

 誰かの体温がこれ程に有難いと思ったことは未だ嘗て無かった。

 しかしそれでも先程感じた途方も無い不快感は微塵も拭えない。


「ク、クオさん、あれは……」

「そうだね、最悪だ」


 クオ・ヴァディスが不快感の正体を見据えるように丘の向こうを見遣る。


「魔力炉があるな」


 魔力炉。

 ある手法によって物質に内包された魔力を抽出し、貯蓄する機構のことだ。炉と言っても形状が確立されているわけではないので魔力炉という呼称は便宜上のものなのだが。


 魔力炉を説明する上で語っておかねばならない話が1つ、ある。

 魔法使いが技術を錬磨し、様々な研究を重ね、最終的に行き詰まる地点というものが存在する。史実に名を馳せる凡ゆる魔法使い達も須らく通って来た地点だ。

 それが、内在魔力量の限界である。

 産まれ持った魔力の量というものは基本的に殆ど増減する事は無いのだ。それ故に魔法使いが魔法を研究する際には自身の限界を基準として研究を進める事になる。せっかくの研究成果を自分で証明出来なくては意味が無いからだ。


 魔力炉はこの限界を突破出来る唯一の方法だ。

 魔法使いにとって此れ程都合の良い物は無い。


 しかし、言ってしまえばそれだけだ。

 敵が絶えず潤沢な補給を得られる、という点では確かに不利だが『最悪』ではない。


 では、何が『最悪』なのか。


 魔力炉に焼べられる薪は、生きた人だ。

 構造式で囲まれた井戸なり釜なりに生きたまま投入された人は、その構造式によって1度魔法的な組成式状に解かれるらしい。らしい、というのは結局のところ内部でどのような変化が起こっているのかを能動的に観測する術が無く、魔力を抽出された人体が見るも無惨な様相を呈しているためそう言われているからだ。


 抽出された魔力は炉に施された構造式を循環し、そこに接続された結界の範囲内に居る者に間断なく魔力を供給し続ける。

 戦乱の際、籠城戦における最後の最後に使われる外法だ。


「何て、何て事を……!」


 ヘイルダムで触れてしまった融け混ざった人間の感触に当てられ、涙が溢れる。

 アゥクドラのような只々吐き出されるだけの呪詛ではなく、まだ生きた人間の生々しい嗚咽、憤怒、混迷、懺悔。

 それらが混濁したドロリとした生温い液体が全身を包むような言い様のない不快感は、まだ千切れかけた腕を繋げられる時の激痛の方が幾分かマシに思える程だった。


「トリスタン、魔力炉だ。儀式魔法を敷いている様子は無かったからこちらに大砲を撃たれる事は無いだろうが、事実上数の有利は無くなったと思って良い」

「外道共め。奴等道徳というものを知らんのか。……何にしても厄介だな。彼方にどれだけの戦力が在るかわからん以上、全員で突っ込むのは無謀だぞ」

「仮にミョルニルやレーヴァテインを使える魔法使いが居た場合、率先して潰さないと余計な死人が出る事になる」

「ならば……」

「クオさん! トリス様!」


 言葉を遮る叫び声に戦略を練ろうとしていたトリスタンとクオ・ヴァディスが訝しげにこちらに向き直る。


 直接触れた自分にだけわかる非常事態。

 最早戦略がどうのという話ではなくなっているのだ。


「地中です!」


 その言葉を契機としたように突如として眼前の丘が膨れ上がった。

 そして、まるで臨月の母親の胎を裂くように、崩れた丘から肉色をした巨大な物体がその威容を顕した。


「で、でけえ⁉︎ なんだこりゃあ⁈」


 反射的に背中の大剣を引き抜きダブラスが叫ぶ。


「見た所、野良……ね。先日の鉱脈にも居たけれど、その倍近い大きさ……ね」


 通常、土塊や鉱石などを媒介に受肉する野良は媒介に準じた体表面をしているはずだ。

 ならば、目の前で赤黒い肉色を晒すこの野良の媒介は……。


「これは、人の肉か……?」


 トリスタンの呟きに応じるように野良の体表面に無数の亀裂が走り、内側から光沢のある球体が突出。それらはぐるりと裏返り、黒や青の瞳をたたえた眼球へと姿を変えた。


 見る者の生理的嫌悪を容赦無く引っ張り出す醜態は四肢を備え、頂点に座す頭部のような器官にはそこだけが妙に統制の取れている美しい歯並びの口があった。


 その口が、ニヤリと嗤った。


 轟音。


 おぎゃあ、と。数十人の大人が同時に赤ん坊の泣き声を真似したかのような叫び声だった。

 聞くに堪えない悍ましい咆哮によって周囲の魔素が励起状態に移行。巨大な野良の周囲に青白い燐光が漂い出す。


「おい、野良がこんな出鱈目な魔力を持っているなんて事が有り得るのか? あれでは竜と変わらないではないか」


 竜が持つ莫大な魔力によって引き起こされるはずの大気中の魔素の励起現象を見て、ジェドが訝し気にカルラに問い掛ける。


「わからない……わ。私もこんな大きな野良は見たこと……無い」

「恐らく」


 口に出すのも悍ましい最悪の可能性だが、状況とヘイルダムによってもたらされた反応が、その可能性を現実的なものに変えていく。


「魔力炉に投げ込まれ魔力を抽出された人間の成れの果てに、低位の精霊が受肉した結果だと思いますわ……」


 その場に居た全員の顔が強張る。

 人肉で出来た怪物ということもさる事ながら、あれだけの大きさを形どるだけの人を炉に投げ込んだという事実が嫌をなく胸を掻き毟る。


「教団の障害は炉にぶち込んでしまえば口封じにもなり、魔力炉の燃料にもなり一石二鳥という訳か。反吐が出るな」


 唾を吐き捨てながらジェドが上着を脱ぎ、上半身に纏った強化礼装を起動。筋肉に沿った帯が膨れ上がり戦闘状態に移行する。

 同じくアリエルが魔弓を起動。優し気な笑みがなりを潜め、『血塗れ聖者』の二つ名に相応しい氷のような殺気を称えた瞳が野良の巨体を睨めつける。

 周囲の代行者達も一時的な混乱から立ち直り各々が戦闘態勢に移行するが完全に機先を制されている。結果的に、この間が致命的だった。


 野良の腹に当たる部分が泡立つように盛り上がり、内側から何かが産まれようとしているかのように蠢いた。

 ゴポリと音を立て、肉の隙間から生えてきたそれは、逆さまの、人の子供の顔だった。


 強烈な既視感。


 それと同時に、その子供の顔は逆さまに嗤った。


 ぐじゃ、とかべちゃ、という音が右手側から聞こえた。

 反射的に目を向け、そして後悔する。


 右手側に居たはずのセロの集団が纏めて赤黒い水溜りに姿を変えていた。水溜りには白や桃色のコントラストが鮮やかで、まるで草原に花が咲いたようだった。

 しかし香る芳香は生々しい血臭だ。


 途端に込み上げる吐き気。

 目の前の惨状に、だけではない。

 あの野良は似ている。


 あの日、ガーヴとエルバクを惨たらしく殺した正体不明の怪物に。


 記憶が既視感と繋がった瞬間、怒りとも歓喜とも恐怖とも言えない正体不明の感情が爆発した。


「うああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 迸る絶叫が自分の口から出ているものであることにも気付けぬまま、手にしたままだったゼフィランサスのリミッターを解除。補助式による増幅と演算加速を臨界駆動。安全域を大幅に越える魔力の奔流に式が歯車が軋むような悲鳴をあげるが構わずハルメニア式魔導回路、並びに魔眼を起動。周囲に漂う精霊と展開した魔導回路を同調させ自身の魔力に上乗せする。

 次いで所持している駆動式の中でも最も強力なミョルニルの駆動式を魔導回路に接続。超高速で循環する魔力を駆動式に注ぎ込むと、増幅された魔力の流入速度に耐えられなかった余剰魔力が周囲の大気を電化させ青白い空中放電を発生させた。


「リーリエ殿! いけません!」


 叫ぶトリスタンの声も何処か遠く、視界には目の前の仇だけが映っていた。


 撃て。

 ガーヴとエルバクの仇に最大の一撃を見舞ってやれ。


 頭に反響する声に従い、文字通り全身全霊を込めた魔法を起動する。


「ミョルニ……!」


 駆動式が極大の雷を放とうというその刹那。視界を占めたのは状況に似つかわしくない程いつも通りの困ったような顔で笑うクオ・ヴァディスだった。


 撃鉄は既に落ちていた。


 白光が、クオ・ヴァディスを塗り潰す。


 雷鳴は耳に届かなかった。

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