生まれ持った素質
気不味い。
何が気不味いかって、トリスタン見たさに集まってしまった聴衆に囲まれたまま魔法を使わなくてはいけないことだ。しかも、作ったのはクオ・ヴァディスとはいえ固有魔法という目立つ魔法を、だ。
神天などという大仰な肩書を持っていて何を今更と思われるかも知れないが、学生時代に図書館か自室に篭りきりだった典型的なガリ勉魔法使いに目立ちたがりはそう居ないと思う。
いや、一般的には研究の成果を世界に知らしめたいという動機も聞くし、一概にそうは言えないのかも知れないが自分には無理だ。出来れば陽の下にすら出たくない。
陽の光を避け、月光の元、正義を執行する正義の味方。
……ちょっと格好良い気がする。
それはさて置き、こちらの心境を知ってか知らずかクオ・ヴァディスは、おイッチ二と身体の筋を伸ばし準備運動の真っ最中だ。
魔法を使うのに準備運動も無いだろう、と心中で突っ込んでおき、こちらはこちらで引き抜いたゼフィランサスを伸長。可能な限り覚えているヘイムダルの構造式を頭に思い描く。
目標となる建造物までの距離は10km。効果範囲ギリギリではあるが幸い遮蔽物も無く、且つほぼ平地だ。念の為10m程地下に食い込むように探知範囲の座標を据えておきたい。
その為には出来るだけ詳細な、可能ならば等高線が引かれているような地図があれば良いのだが……。
考えていると、ふわりと頬を風が撫ぜる。
冬に差し掛かる頃の少し乾燥した匂いの風はまだ然程冷たくはなく、足元のまだ緑を残した草葉を揺らし丘を越えて行く。
思い付いた。
魔眼を起動。そして生身の方の眼球だけを閉じ、魔素に象られた異層の視界に身を委ねる。
吹き抜ける風は、点々と明滅するエメラルドグリーンの粒子を孕んでいる。
これは低位ではあるが列記とした風の精霊なのだ。
原理は良くわからないが確実に知性を備えており、しかもどういう訳かその一帯の精霊達は完全に意識の並列化が為されているのだ。
群体のような概念であると勝手に仮定しているがいかんせん精霊に関する文献の数は涙が出るほど少ない。立証するには材料が足らな過ぎた。
時間が出来たら是非とも研究してみたい題材である。
兎に角。
並列化の為された風の精霊はこの平地一帯の地形を完全に把握しているのだ。
ならば。
精霊に直接干渉出来る我が身に、紙の地図など不要である。
「『契起—エンゲージ—』」
ゼフィランサスの補助式を臨界駆動。精霊達の聲に周波数を合わせる為に演算を開始する。
聲、と言っても人間のように言葉を発する訳ではない。クオ・ヴァディスの魔導回路と自分のハルメニア式魔導回路を接続するように彼等に自分自身を接続することによって、一時的に彼等と並列化するのだ。
そうすれば……。
「おぉ……」
「ふむ」
その様子に気付いたクオ・ヴァディスとトリスタンが同時に声を漏らす。
「凄いな、流石フヴェズルングに踏み込めるだけの事はある。完全に精霊と同調している」
「ハル様に聞いていたがこれは……。イルガーと契約したというのは伊達ではないといったところか」
妙に外野が盛り上がっていて少し恥ずかしい。
かと言って、始めた作業を放り出すのも忍びなかったので同調を更に深める。
魔眼を起動したままそちらの瞼も閉じると、精霊達の意識の海に身体が溶け込んで行くかのような錯覚に襲われる。
肉の在る身としての境界が曖昧になり、細胞が解けて大気になって拡がっていくかのような不思議な感覚。通常の視界は完全に遮断され、瞼の裏で視えているのは精霊の住む隠世の風景。黒とエメラルドグリーンだけだったその世界は次第に色付き、その頃には身体を縛る重力の感触すらも薄れ、知覚だけになった自身の存在が風に溶ける。
広大な平野に点在する建造物をあらゆる角度から同時に視ている不思議な感覚。いつしかそれを不思議とも思えなくなった辺りで、溶けていた触覚に鮮烈な痛みが走った。
我に還り、両目を開けると眼前にクオ・ヴァディスの困り顔。
「にゃにほしゅるんへふは」
どうやら頬っぺたを両側からむにゅっとされていたらしい。この牧師、どうも最近乙女の扱いが雑ではないだろうか。
「やあ、戻って来たね。アゥクドラの時にも思ったんだけど、キミは向こう側との同調が神懸り的に上手いね。……と言うより上手過ぎる」
「その言い方だと上手過ぎる事を手放しで喜べる訳ではなさそうですわね……」
「察しが良くて助かるよ。キミはどうも無意識でやっているようだけども、今のアレは同調と言うよりは同化だ。私の魔導回路を介したとは言えアゥクドラにやたらとあっさり干渉していたからもしやとは思っていたけれど、まさか魔導回路も無しに意識を精霊界側に溶け込ませるなんて事が出来るとは思ってもみなかった」
全く想定外だと言うのだろうか?
この生ける魔導書のような存在を以ってして?
「視える人が視たら分かったろうけども、先刻意識が向こうに行っていた時のキミからは魔力波長が一切視えなかった。どういう事かわかるかい?」
この世界に生きとし生けるもの全ては身体に少なからず魔力を内在している。魔力を体内で完全に循環させているクオ・ヴァディスや、特殊な体質で魔力を持たないダブラスのような存在以外は魔眼で視ればそれは体表面を覆う液体のような、靄のような、差異はあれど確実にそういった何かが漏れ出ているはずなのだ。
今、自分の手を視ても魔力波長が靄のように全体を包んでいるのが視える。
それが視えなかったということは、つまり。
「キミは肉体をこちら側に置いたまま、完全に向こう側に踏み込んでいたんだ。魂だけが、とでも言えば良いのか。言わば幽体離脱みたいなものなのかな」
珍しく物言いがハッキリしない。
「其れ程珍しい事なのですか? 子供の頃に読書の息抜きに実家の庭園でこうして遊んでいたもので……」
「子供の頃……。そういえば聞いてなかったけれども、イルガーと契約して魔眼を手に入れたのはいつの事なんだい?」
「私が7つの頃ですわ。いつものように庭で風の精霊と遊んでいたら、その……思ったより深く入り過ぎてしまって……」
「ふはっ!」
突然クオ・ヴァディスが噴き出した。
顔を手で覆い、耐えられないといった具合にプルプルと震えている。
何がそんなに面白おかしかったのか。
「そうか、イルガーがこちらに現界した訳ではなかったのか。イルガーはさぞかし驚いた事だろう。まさか人が彼女の層に入って来れるとは思ってもいなかっただろうから」
「そうですわね……。随分お怒りだったようで契約を交わして帰して貰えるまでにこちらでは7日ほど経過していまして……。その間私は意識不明で、もしや死んでいるんじゃないかと家族は大騒ぎだったそうですわ」
しかも意識不明から回復した娘は精霊と契約していた挙句、制御出来ない魔眼を宿していて一時的に日常生活にすら支障を来す有様だったのだ。幼いながらも迷惑を掛けている自覚は当時からあり、家族に悪い事をしたと今でも思っている。
「その精霊との親和性と異常な程の空間把握能力は持って生まれたものだったのか。恐れ入ったよ、キミは世間が持て囃す以上に天才だ。本当に本物になれる程に」
優しげに言うクオ・ヴァディスの背後で満足げにトリスタンも頷く。
「ハル様が一目おいておられる理由が良くわかりました。私、久しぶりに感動致しましたぞ」
やたらと持ち上げられて悪い気はしないのだが何だか凄く恥ずかしい。
「それで、視えたのかい?」
「え、ええ。目標の旧ヌーノ邸、確認しましたわ。一応、地下10m程まで探知出来るよう座標設定済みですわ」
「さすが、仕事が早い」
言いながらクオ・ヴァディスが巨大な魔導回路を展開。それを目にした周囲の代行者達から歓声のようなどよめきが起きる。
「なんだアレは⁈」
「アレが魔導回路だと⁈ なんてバカげた大きさだ!」
「術者は誰だ⁈ 誰か、奴を知らんのか⁈」
騒然とする聴衆達を見てクオ・ヴァディスは笑い、トリスタンは頭を抱える。
微妙に状況を楽しんですらいるようなクオ・ヴァディスの顔を見て、こちらも腹が極まった。
もう開き直るしか無い。
「『契機—エンゲージ—』」
ゼフィランサスの補助式を再び臨界駆動。クオ・ヴァディスの魔導回路との同期の為に魔力の循環速度と出力を完全に固定する。
基本的にどんなにこちらの出力が暴れようがクオ・ヴァディスが意味不明な処理速度で合わせてはくれるのだが、一定の方が向こうも楽に決まっている。
展開したハルメニア式魔導回路をクオ・ヴァディスの魔導回路に接続する。
「おや、前と制御系が違うね?」
ズバリ言い当てられた。
「今回はほぼ平地ですから前回ほどノイズが無いはずなので出力の調整に制御を割いています。少しは楽して貰おうという弟子の気遣いですわ」
それを聞いたクオ・ヴァディスがハッと鼻で笑う。
「うちの弟子は成長が早くて楽しませてくれるね。よし、じゃあ、やろうか」
クオ・ヴァディスがヘイムダルの巨大な駆動式を魔導回路に据える。回転する駆動式に魔力が循環し淀みのない芸術的な速度で演算が開始された。
構造式に魔力が行き渡るにつれ知覚が式を理解して行く。
最初は読めもしなかったクオ・ヴァディスの式が今ではボンヤリとではあるが理解出来てきている。
これが成長というものだろうか。
いや、単純にあの奔放牧師のハチャメチャ振りに慣れてきたというだけのような気もする。
釈然としない。
「ふぅ」
何だか笑えてきてしまったのでそれを誤魔化す為に溜息を1つ、気持ちを切り替える。
「……いきます」
魔力の循環を一息に臨界点ギリギリまで加速。巨大な駆動式隅々にまで行き渡った魔力は構造式に従い一気に駆動式を励起状態に引き揚げる。
「『ヘイムダル』!」
引き鉄となる声と共にヘイムダルが起動。
4点の導体からなる結界の内側の情報が凄まじい速度で脳内を駆け巡った。




