下準備
一切の乱れ無く後頭部で1本にまとめられた白髪。
サッパリと整えられた気品溢れる口髭。
これぞ執事、といった風情の糊の利いた黒いスーツの腰に下げた細身の直刀。
噴水のある豪奢な御屋敷が似合う佇まいで野営地に立つその姿はある種異様であるが、歴戦の勇者だけが漂わせる類のそのオーラのようなものは最前線であるこの場に居るに相応しいと誰の目にも映る事であろう。
ティア・ブルーメ現女王、ハルメニア・ニル・オーギュストが近衛師団長。並びにティア・ブルーメ正規軍『金狼騎士団』団長、トリスタン・エインズワースは、しかしどこか人懐っこい笑顔を称えそこに居た。
「何かと縁が御座いますな、リーリエ殿。私のようなセロの身ですと気付いたら相手は既に老いて墓の下、という事がありますからなぁ。再開、嬉しく思いますぞ」
優雅に頭を下げるトリスタンにこれでもかというほどリーリエが狼狽する。
「あああ頭を上げて下さいませトリス様⁉︎ 先日のお礼もまだ正式に出来ていませんのに!」
「何を仰いますか。お礼を言いたいのは此方の方なのですよ? あれ以来ハル様は随分と気を良くされたようでしてな。公務の最中に前ほど勝手に出歩かなくなりましたから」
「……勝手に出歩くのは日常茶飯事でしたのね」
「クオ・ヴァディス絡みとなると些か釈然とはしませんが良い骨休めになったのでしょう。主に代わってお礼申し上げます」
改めて頭を下げるトリスタンにリーリエはもうどうして良いやらわからず手足をばたつかせる。
挙動不振極まりないが、無理も無い。
「呆れ……た。本当に知己……と言うより、友人なのかし……ら」
「リーリエは神天だからまだわかるとして、旦那は何だってこんな大物と知り合いなんだよ……」
「おや」
声に気付いたトリスタンが、興味を惹かれたようにカルラとダブラスに向き直る。
「失礼、挨拶が遅れましたな。私、トリスタン・エインズワースと申します。リーリエ殿のご友人ですかな?」
頭を下げるトリスタンに、強者としての驕りは一切無い。それがかえって2人にはプレッシャーなのだが顔を上げたトリスタンは相変わらず柔らかい微笑を浮かべている。
「お、お初に御目に掛かります、ダブラス・E・シュトラッセと申します。ト、トリスタン様におかれましては……」
「お止め下されダブラス殿。友人を共にする者同士堅苦しい問答は無しに致しましょう。こういう場でもなければ酒杯を傾けながらといきたいものですが残念ですな。……そちらの御令嬢は」
「カルラ……よ」
ピシャリと、カルラが言い放つ。
姓を名乗らないのはやはり父の事を隠したいが故なのだろう。これ以上話し掛けるなという態度がありありと見て取れた。
「カルラ……はて、聞き覚えがあるような……。失礼ですが姓は何と申されますかな?」
「ただのカルラ……よ。聞き覚えがあるのは私がジャッカルだからでしょう……ね」
「ふむ……」
カルラの言葉にトリスタンが一瞬腑に落ちない表情を浮かべるがこれ以上追求するのも無粋と判断したのか息を吐き、今度はハイエステスの双子に向き直る。
「御二方共ご健勝のようですな。その後を見るに、あの騎士は随分と懲りたようで」
「元よりあの親父殿には荷が勝ち過ぎていたのですよ。貴方の主が出て来た時点で全て私達に任せてしまえば良かったのだ」
「ジェド、トリスタン様になんて口のきき方ですか。……先日は御手を煩わせてしまって申し訳ありませんでした。父に代わって深くお詫び申し上げます」
「お止め下されアリエル殿。あれはそこなクオ・ヴァディスの短慮が招いた事。彼奴が地を舐めるように頭を垂れればいいだけの話、貴女が詫びをする必要は御座いませぬ」
「相変わらず私には当たりがキツイなキミは」
苦笑気味に頭を掻くクオ・ヴァディスに対してトリスタンは溜息を1つ、本当に呆れた顔で歩み寄る。
「自分の境遇を知りながら堂々と一面を飾った阿保に優しくする趣味は無いぞ」
ごもっとも過ぎる程の正論である。
「さっきジェド君にも言われたよ。と言うかキミは何故ここに居るんだい? ティア・ブルーメに関与する問題に際して呼び出されたにしてもエレンディアに着くには早過ぎるだろう」
その言葉にトリスタンの肩がピクリと動くのを、リーリエは見逃さなかった。
クオ・ヴァディスの言う通り、ティア・ブルーメからエレンディア迄は通常の海路で凡そ3日は掛かる。魔法国家ティア・ブルーメが誇る、魔素を原動力とする魔導船でも最短で1日だ。敵性集団の拠点の奇襲という速攻を尊ばれる任務の性質上、事態の判明からギルドによる召集までの時間はそうは空いてはいない筈なのだ。
で、あれば。
今朝の召集にティア・ブルーメに居る筈のトリスタンが応じれる筈が無い。
「む……」
さっきとはうって変わってへの字に結ばれたトリスタンの口から何とも小難しげな声が漏れる。
ここ暫くクオ・ヴァディスを見てきたリーリエには、それが言い淀む時の響きというよりは何か言いたくない時の響きだと感じた。
憎まれ口を叩き合うこの2人ではあるが、何処となく似通っているのだ。
長く生きている人はやはり似るものなのだろうかと取り留めもない事をリーリエが考えていると、トリスタンがバツが悪そうな顔で話し出した。
こんな時の表情も、やはり何処か似ているような気がする。
「……れたのだ」
「!……」
掠れるように小さな呟きにも似た声は前半が不明瞭で聞き取れなかった。しかしシャックスを常時起動しているカルラには聞こえたようで何故か一瞬噴き出し、そしてそれを堪えるように震えている。
「すまないトリスタン、もう1度言ってくれないかな?」
「あの後、帰りの船に間に合わず置いて行かれたのだ! 公用の船はハル様が先に乗って帰ってしまって呪式車が載る貨物船が無かったのだ!」
今度は全員が噴き出した。耐え切れず、ギリギリの一線で持ち堪えていたカルラも再び噴き出し腹を抱えてへたり込む。
一国の英雄が。
おいてきぼりを喰らった。
とてもではないが耐え切れない。
「き、キミはじゃあアレか……。1週間と少しの間エレンディアに居たという事か……」
込み上げてくる笑いの波に必死で抗いつつクオ・ヴァディスが言うが、引き波の後の波濤の如く引き攣った口角からは爆笑の波が堰を破ろうと俄然奮闘中だ。
「ハル様には人工精霊で許可を取ってな……。次の定期便が出る迄アルタの協会支所に身を寄せていたのだ。只々世話になっているのも歯痒くてな、ギルドの仕事の手伝いでトゥアロの南端にある駐屯地に出向いていたところで今回の報を受けたのだよ」
「トリスタン・エインズワースがギルドの手伝いとは……、なかなか贅沢な話だな」
「魔獣駆除などなかなかに新鮮な心持ちだったぞ。民草の安全を守ることの重要性を改めて実感する良い機会であった」
顎に手を当て、うんうんと頷くトリスタンは極めて満足げだが、それを送り出したアルタ支所の協会員の心境は如何許りだったであろうか。通常であれば国賓として迎えて然るべき人物に仕事を、ましてや言ってしまえば低位代行者が糊口を凌ぐ為に受けるような仕事をさせてしまうなど、自分の首が飛ぶどころか何なら政治的影響が出るのではないかと勘繰ってしまっても何ら不思議ではない。
「しかし」
細められていた目を片方だけ開けて、トリスタンは話題を切り替える。
「集めに集めたものだな。念には念を、ということなのだろうが敵の拠点の規模に対して過剰戦力過ぎやしないか」
トリスタンの存在に気付いていつの間にか周囲に集まって来ていた代行者達を見回しながら、トリスタンが半ば呆れ気味に言う。
「資料にあった建物の規模から鑑みるに詰め込めるだけ詰め込んでも精々が数百人程度でしょう。向こうに余程の手練が集結している訳でもなければ単純な物量で片が付く」
ジェドの言葉に、確かにその通りだとその場に居る者全員が頷く。
「キミの探知では人数とかわからないのかい?」
「私の探知ではこの距離だと詳細には無理だな。カルラ殿はゴエティア系統を使うようですが、探知は可能ですかな?」
「ゴエティアにそこまで繊細に探知をする魔法は無い……わ。此処へ来てからずっと最大出力でシャックスを使っているけれど、やはり平地だと音が散って駄目……ね」
「と、なると……」
一瞬、考える素振りを見せたクオ・ヴァディスだが、直様思い出したようにリーリエを見やる。
その視線に気付いたリーリエは何故自分が見られているのかわからず、暫くキョトンとした後、やはり思い出したように口を開き、こちらはげんなりとした表情を浮かべた。
「まさか……」
「あるじゃないか、探知」
「あるにはありますが、その……良いのですか?」
リーリエが遠慮気味に投げ掛けた質問にクオ・ヴァディスは何の事かわからないといった表情を見せる。
「ヘイムダルを使うという事はクオさんの魔導回路を衆目に晒す事になりますのよ?」
しかもただの衆目ではない。代行者の集団ともなれば程度の差はあれど魔眼を持った者も居るだろう。それでなくても、例え虚像であってもクオ・ヴァディスの魔導回路は一目見てわかる程異常だ。王都から離れた僻地に隠れるように生きてきた魔導災害指定の烙印を押されているクオ・ヴァディスにとって、その異常さ具合が露見するのは都合が悪いのではないか。そうリーリエは考えたのだ。
考えたのだが。
境遇を慮るリーリエを尻目に目の前の魔導災害はあっけらかんと笑ったのだった。
「大丈夫大丈夫。ちょっと見た事ない魔導回路を晒したところで私の素性とは繋がらないよ」
シャックスを起動しているカルラの手前、魔導災害の単語は控えたようだがそれにしても相変わらずの脇の甘さだとリーリエは辟易する。
「でも、今まで隠していたのではありませんの?」
「使う機会が無かっただけで別に力を隠していたつもりはあまり無いよ。それに使うべきところで持っているものを使わないのはキミの正義感に反するんじゃないかな?」
「痛いところを……」
しかしそれはそれである。
己の主義主張の為にクオ・ヴァディスを巻き込むのはやはり相応に気が引けた。
「もしかして心配してくれているのかな?」
「当たり前です!」
語調を荒げたリーリエを見て、しかしクオ・ヴァディスは眩しいものを見るように目を細めて笑う。
「キミは優しいねぇ」
いつものどこか困ったような笑顔ではなく柔らかな、それでいて何故か不思議と寂しげな笑顔だった。
「まあ、ほら」
リーリエには見覚えの無い表情は一瞬で鳴りを潜め、直前の表情を誤魔化すようにクオ・ヴァディスは話題を切り替える。
「長距離探知なんて多分キミしか使えないしさ、それによって無駄に怪我をする人を減らせるかもしれないじゃないか。我が身可愛さで出し惜しみするには勿体無いだろう?」
そう言われてしまってはリーリエには止めるだけの理由は無かった。
しかし少し、ほんの少しだけ見知らぬ大勢より見知った魔導災害の身柄の方が大事に思えたのは口が裂けても内緒だ。
「距離的にギリギリですが、やりましょう。皆さんの安全の為と言われたら是非もありません」
腰のゼフィランサスを引き抜くリーリエを見て、クオ・ヴァディスは今度は満足げに笑ったのだった。




