集結地へ
トゥアロ平原。
王都エレンディア南街区を出て馬車で凡そ3時間。王都南側から西街区に流れ込んでいるセレナ川源流を上流へ更に3時間進むと2本の川が合流している地点に街道が突き当たる。そこから南に広がる、王都が丸々10個は収まるであろう広大な深緑地帯がトゥアロ平原だ。
平原内に飛地のように存在する竜の緩衝区の影響で疎らに集落は存在するが基本的に人の手は入っておらず、トゥアロ平原に入る辺りからは街道も舗装されていない。所々申し訳程度に馬車道を示す魔素灯が設置されてはいるがそれはもう悲しくなる程に小さく、陽が落ちてからは進行方向を確認する為の灯台の役割しか果たしていなかった。
しかし開拓には邪魔な緩衝区のおかげで魔獣の類は少なく、豊富な自然から富裕層の別荘地として流行った時期がある。交通の不便さから来る管理のし難さからその流行は廃れて久しいが、放置された豪邸達はその費やされた金額を誇示するかの如く、その威容を未だ誇示し続けている。
その1つがモ・タクシャカ・タントラの拠点として使われている。というのが今回国防省高官の錆落としによって判明した内容らしい。
「……で、その……モチャクチャなんちゃらとやらは結局なんなんだ?」
判明した拠点から10km程離れた地点、ギルドで指定された結集地点を取り敢えずの目的地とした馬車の中で、そう切り出したのはダブラスだった。
「モ・タクシャカ・タントラです、ダブラスさん。ギルドで説明を受けませんでしたの? と言うか傭兵をしているなら名前くらい耳にした事がありませんか?」
「いやなんか招集が掛かってたから他の誰かが内容聞いてるだろうと思ってな……。それに俺、公国語以外はちょっと……」
言っておいてなんだがリーリエとて公国語以外を修めている訳ではない。邪竜信仰で反魔導協会の集団であり各地で手広くテロ活動をしている。以外の知識を持ち合わせてはいなかった。
「竜言語を無理矢理公国語読みにしているんだよ。意味は『我、タクシャカを信奉す』。正面から平和にケンカを売るにはこの上無い名前だと思うよ」
そう答えたのはいつもの改造したキャソックの上に長袖の外套を羽織ったクオ・ヴァディスだった。
「旦那はなんだ、イメチェンでもしたのか?」
「デカデカと写真付きで新聞の一面を飾ってしまったからね……。昨日の今日だし人数も集まりそうだからせめても目立たなくしようと思ったんだよ」
「なんかアレだな……。歓楽街の客引っぽいな……」
リーリエが思わず噴き出しそうになり、堪える。
既に肌寒い収穫期が過ぎたこの季節、深夜に屋外で客を引く娼館の従業員等は身体をスッポリと覆う丈の長い外套を羽織っている事が多いのだが、今のクオ・ヴァディスの風体は正にそれなのだった。
思ってはいても敢えて口には出さなかった事柄をピンポイントに突かれ、リーリエは口を抑えプルプルと震えていた。
「しょうがないだろう、儀礼編みを施されていない外套がこれしか売ってなかったんだから……。リーリエ、キミはちょっと笑い過ぎだな」
「貴方達、本当に仲が良いの……ね」
そのやり取りを見ていたカルラがボソリと呟く。
表情は伺えないが恐らく、笑っているのだろう。声の調子に柔らかい響きが混じる。
「キミ達だってそうだろう? あの戦役を乗り越えて尚一緒に居るって事は仲が良いということじゃないのかい?」
「私達は、ジャッカルは少佐のカリスマ性に魅かれて今に至る感じだから……仲が良いというのとは少し違うかしら……ね。死地を共にしたから相応の信頼関係はあるんでしょうけど……正直、貴方達が少し羨ましい……わ」
フードから漏れる声に、郷愁とも悲哀とも取れない色が混じる。
「私はこんなだから……家族にも見放されてて……ね。弟は私と少し似ているから仲は悪くなかったけれど、魔導協会所属の代行者になってからは各地を転々としているからゆっくり会う時間も無い……し」
「弟さんは協会付きの代行者なんですのね。名前を教えていただければ何かの折に言伝くらいは出来ますわよ」
「ウェッジ……よ。ウェッジ・グレイプウッド」
その言葉と同時に、カルラを除く3人が同時に噴き出した。
「ウェッジ・グレイプウッドって、火星天じゃねえか⁈ なんだ、姉貴はジャッカルで弟は火星天か⁈ とんでもない姉弟だな!」
「ああ、どこかで聞いた姓だとは思っていたけれど、そうか、ウェッジ・グレイプウッドか」
「1度だけ協会でお見掛けしたことがありますけど、あの方もフードを目深に被っていましたわ……。なんだか納得です」
ウェッジ・グレイプウッド。
唯1つの固有魔法しか使えないという極めて特殊な魔法使いでありながら、その唯一の固有魔法があまりにも強力であるが故に火星天の称号を授与されたという稀有な経歴を持つ代行者だ。徒党を組まず単独行動を常とするウェッジの素性は謎に包まれているが、火星天の称号を象徴する有名な言葉がある。
曰く、火星天は万の軍隊を持つ。
それが何を示すのか明確な情報は公表されていないが、彼の持つ固有魔法を指すのであろうことは想像に難くない。
「姉弟揃って顔を隠しているのは何か訳ありなのかい?」
クオ・ヴァディスの問いにカルラの肩がほんの少しだけ揺れる。
「ああ、すまない。勿論答えたくないなら無理に答えなくても良いよ」
「ふふ……嘘つき……ね。貴方の心音は興味津々の音を立てている……わ。魔法使いはそうでなくては……ね」
嘘はつけないなとクオ・ヴァディスが鼻を掻く。
女性に不躾な質問であるとはリーリエも思ったが、正直興味があった。得てして魔法使いには凝り性が更に凝り固まったような人物が多い。何らかの願掛けなのか、コンプレックスなのか。徹底して顔を晒そうとしないその理由に魔法使いの本能が強く反応してしまう。
「あら……、リーリエちゃんもダブラスくんも興味がありそう……ね。女がわざわざ隠している顔を暴こうなんて……お行儀が悪い……わ」
ケープから覗いた真っ赤なルージュの唇が弧を描くように歪む。その異様な色気にダブラスのみならず同性のリーリエも息を飲んでしまう。
「別に構わない……わ。同行させて貰ってる身だし……等価交換……ね」
そう言って、カルラは目深に被っていたケープを外す。
陽光の下に晒されたその顔は一言で言えば、美しかった。
ウェーブがかった艶やかな黒髪。色香漂うやや垂れ気味の双眸。八重歯が特徴的な口角が上がった厚めの唇。一般的な目線で評価するに文句無しに美女であると言える。
しかし、その美女の顔にはその美貌よりも目を引く特徴があった。前髪の生え際から顔の上半分を通り首にまで伸びる、恐らく頭頂部から続いているであろう紋様。
通常であれば肩や背中に発現するはずのセロの魔法的素養を示すアルジャーノンが、カルラの顔を狩猟部族の入墨のように彩っていた。
「思い出した。『狂貌のグレイプウッド』か」
クオ・ヴァディスの言葉にカルラが目を丸くする。
「貴方は本当に何なのかしら……ね。そう呼ばれていたのは500年前、父がまだ……金狼騎士団に居た頃……よ? 騎士団を退役してからはその二つ名は忌名として秘匿されていたはずだけど、セロでもない貴方がどうしてそれを知っているのかし……ら?」
言うカルラの瞳に強い興味が宿る。
事情を知らなければ、クオ・ヴァディスは外面上人にしか見えないのだ。史実に残る、セロ以外のどんな魔法使いも300年以上を生きた記録は無い。勿論正史に残らぬ者も居ただろうが、人で在りながら全く老化する事もなく永きを生きた者は皆無だ。
それこそ人ならざる者以外は。
「どうという事も無いよ。その金狼騎士団の団長と知己というだけさ」
「トリスタン・エインズワース……。あのお転婆女王の側近と知己だなんて……それならクオ・ヴァディスという名ももっと知られていそうなものだけれど……ね」
「狂貌の二つ名がそれ程知られていないのと一緒さ。それにしてもネブラ・グレイプウッドに子供が居るとは知らなかったな」
「その名前で私も思い出しましたわ! 金狼騎士団の『鏖殺卿』ですわね!」
「あぁ、それなら俺も知ってる。何たらって魔弓を使う凄腕の狙撃兵だったか?」
「ダブラス……さっきから固有名詞が適当過ぎやしないか。『イオ・カリーナ』だ。残念ながら今は消息不明だが、トリスタンの『リュミナリティア』、ハルメニアの『アリエストリマグナ』と並ぶティア・ブルーメが誇る神具だよ」
「ふぁっ⁈」
変な声が出た事に自分で驚きリーリエが口元を抑える。
深呼吸を3度。息を整えて妙に神妙な顔つきになったリーリエが改めてクオ・ヴァディスに問い掛ける。
「ハ、ハル様も神具をお持ちでしたの?」
「もう1000年近く持ち出していない筈だから知らないのも無理はないね。8つ存在すると言われている神具の内3つを、当時ティア・ブルーメは保有していたんだよ。リュミナリティアはそれ程戦闘向けではないけれど、アリエストリマグナとイオ・カリーナは超戦闘型だからね。ティア・ブルーメの常勝無敗を支えていたのはこれらの神具とその使い手の存在が大きい」
未だ旧態依然とした男尊女卑の慣習が抜け切らない国連のような政治の世界で、ティア・ブルーメが女王制でありながら高い地位を確立している理由は極めて単純である。
国として、ティア・ブルーメは1度として戦争に負けた事が無いのだ。
此方から攻め入る事はせず、しかし侵略者には徹底的に鉄槌を下す堅牢堅守なその武力はハルメニアが女王に即位してから微塵も緩いでいない。
少なからずタカ派が存在する国連で辛うじて平和の体裁が保たれているのはハルメニアを国の主としたティア・ブルーメの存在があるからなのだ。
「それにしても、そんな英雄として讃えられて然るべき方に『狂貌』なんて忌名が何故……」
「この際だから話すけど……このアルジャーノンはグレイプウッドの血筋特有のものらしくて……ね。私達の代ではだいぶマシになったけれど、父の代までは酷かったの……よ。それこそ上半身全体を覆うほど……に」
リーリエは息を飲む。
アルジャーノンの大きさはそれそのままその者の魔力量の大きさだ。上半身全体を覆うアルジャーノンということは、つまり。
「それは、単純な魔力量で言うならばハルメニア以上という事だね」
クオ・ヴァディスとハルメニアという人知を越えた者達を直接視たリーリエだからこそ感じる驚愕。
1度、クオ・ヴァディス宅で視た源流のハルメニア式魔導回路を展開したハルメニアの魔力量は少なく見積もってもクオ・ヴァディスと同等だった。
その、ハルメニアよりも更に、上。
「でも……ね。話はそう簡単ではないの……よ」
溜息がちに言うカルラの顔には英雄たる父を、優れた血筋を誇る素振りはまるで無い。
「このアルジャーノンは、呪い……よ」
「呪い……?」
「そう。このアルジャーノンは優れた魔力容量と引き換えに持ち主の精神を侵す……の。父の『鏖殺卿』の二つ名は何も敵だけの話ではないの……よ」
「イシュバルナ事変だね?」
クオ・ヴァディスの言葉にカルラが苦い顔で頷く。
凡そ250年前にティア・ブルーメ、イシュバルナ地方でのセロと竜の戦乱で、それは起こった。
国連会議に出席する為にハルメニアとトリスタンが国を空けている隙を狙い侵攻して来た多数の改革派の竜達をネブラ・グレイプウッド率いる1個師団が迎撃した。
開戦当初は互角であった戦況が長引くにつれセロの側に疲弊が見え始めズルズルと戦線が後退する中、本来であれば後方からの狙撃を役割としているネブラが最前線に立ち瓦解しかけの戦線を維持していたのだという。
結果として両陣営が全滅し、その際にイオ・カリーナも喪われた、というのが史実に基づいた情報なのだが真実は少々異なる。
「激戦で魔力欠乏に陥った父は完全に理性を失って、アルジャーノンに飲まれた……の」
「それはまるでアルジャーノンが意思を持っているかのようではありませんか……」
「そう……ね。正確には器を超えた魔力容量から来る破壊衝動、かしら……ね。詳しい事は分かっていない……の。調べるべき対象は飛んで戻って来たハルメニアに半狂乱で襲い掛かって、返り討ちにされてしまったから……」
馬車の中に沈黙が満ちる。
「気不味くして御免なさい……ね。でも私も弟もそれ程気にはしていないの……よ? 父は優れた騎士ではあったけれど決して良い父ではなかったか……ら」
儚げな笑顔を浮かべ、カルラは再びケープを目深に被り直す。
彼女は顔を縁取るアルジャーノンを隠したいのではない。父を狂わせたアルジャーノンの呪い自体を隠したいのだろう。
「それにしても」
空気を切り替えるように、洞から覗く唇を笑みの形に歪ませてカルラが言葉を紡ぐ。
「貴方本当に何者なのかしら……? 見た事も無い魔導回路、少佐と正面から斬り結ぶ剛力、最早不条理とすら言えるような魔法……。挙句にトリスタン・エインズワースと知己……。普通の人間であると片付けるには些か異常……よ?」
「ふむ、此方だけ一方的に話を聞いているだけと言うのも不公平だし、私も1つ秘密を教えよう」
クオ・ヴァディスは一呼吸置き、含みを持たせた笑みを浮かべよりにもよってな内容を宣う。
「実は私は魔導災害なんだ」
お前何言ってるんだ、と言わんばかりにリーリエが目を見開くが、言った当の本人は相変わらずぽややんとした表情のままだ。
突如として飛び出たあまりにもな内容に恐る恐るカルラを見やるとその身体は小刻みに震え、数秒後、瓦解した。
「ふ、あははははははは……! 酷い、冗談……ね。良い……わ、教えるつもりは無いの……ね。今はその冗談に免じて手を打っておいてあげ……る」
安堵。
恐らくシャックスを展開しているであろうカルラに気取られぬよう、胸中だけでリーリエは深く息を吐いた。
考えてみれば当たり前なのだ。
一個人が魔導災害指定であるなどという話を誰が信じられると言うのか。
存在そのものが人族の尊厳を脅かすもの。
個である事を放棄され事象として認識される程のそれが目の前の胡散臭い優男と結びつくはずが無い。
リーリエにしたところであの場にハルメニアが居なかったら信じていたかどうかわからない。
「あー、でも旦那ならあり得るかなぁとか思っちまったぜ」
余計なこと言うなと、やはり胸中でダブラスにチョップをくれてからこれ以上話が広がらない内に空気を変えようとリーリエが動く。
「魔導災害案件では無いはずなのに、今回の招集はそれに相当する警戒度の高さですわよね! 高位代行者も招集されていますがもしかしたらウェッジさんも参加していらっしゃるのでは?」
流れ的に苦しいとは思ったがこんなもの言ったもの勝ちだ。
「可能性は高い……と思う……わ」
勝った。
流れは変わった。
「でももし見掛けても近付いては駄目……よ?」
「どういうことです?」
「戦闘状態のあの子は、軍隊……よ。あの子の兵士が敵と貴女を区別してくれると思わない方が良い……わ」
軍隊。
火星天を語る際、必ずと言っていいほど出て来る単語だ。
協会で見た登録簿によればウェッジ・グレイプウッドが使用している魔導回路はハルメニア式のはずだ。ハルメニア式が対応している駆動式に軍隊という言葉尻が当て嵌まる効果の魔法は見当たらない。詰まる所、クオ・ヴァディスの花火のように完全に1から創り上げた固有魔法のはずだ。
リーリエの好奇心が疼く。
他の神天の戦闘行為を見る機会などそうそうあるものではない。不謹慎ではあるがこの機会に是非とも魔眼で観察してみたい。
「あら……、随分と楽しそう……ね」
昂ぶる内面をカルラに見透かされ赤面する頬を隠し、馬車の窓から車外を臨む。
目的地までは後数10分と言ったところか。




