モ・タクシャカ・タントラ
「……来ちゃっ……た」
エレンディア秋のパイ祭が明けた翌日、魔導協会の練兵場での魔法講義を終え、件の青緑亭で昼食をとっていたリーリエとクオ・ヴァディスに声を掛けて来たのはやたらと短いスカートを履き、やたらとぴっちりした薄手のシャツを着て豊満な胸を強調している癖に、やたらと真っ黒なケープを目深に被り顔を完全に隠した女だった。
控え目に見て不審者である。
その女の姿を認識したリーリエはアクアパッツァのメバルを取り落としてしまい、クオ・ヴァディスに至ってはトラウトのホイル焼きを切り分けている途中の姿勢で硬直し、『うへぇ』だか『うわぁ』の類いの表情を顔に貼り付けている。
無理も無い。
つい先日死闘を繰り広げたばかりの者がこんな街中でいともあっさりと声を掛けて来たら、それはもうこんな顔にもなろうというものだ。
「……やあ、カルラ。こんなところで奇遇だね」
どうにかこうにか愛想良く応対したクオ・ヴァディスだが、やはり『うへぇ』の顔はそう簡単には払拭出来ないようで何とも複雑な表情を浮かべたままだ。しかし不審者、カルラはそのことを何ら気に留めるでもなくクネクネとした謎の小躍りを止めようとしない。
「奇遇……でもない……わ。近くを通りかかったら貴方の心音が聞こえたから辿って来ただけ……よ」
「せめてただの奇遇であって欲しかったかな……。と言うか街中でもシャックスを使っているのかい? 見かけによらず図太い神経をしているね」
「つい先日殺し合った敵にサラリと話し掛ける時点で神経は破格に図太いと思いますわ……」
「あら……そんなに褒められると、照れる……わ」
表情が見えないため確認出来ないがケープの端を摘んでモジモジとしている様子を見るにはどうやら本当に照れているらしい。
「でも本当に奇遇ではないの……よ? 貴方が王都に居るのがわかったから、会いに来た……の」
「私が? 王都に? どうやって?」
「これ……よ」
カルラが何故か胸元から取り出したビラを2人が覗き込むと、それは昨日の日付の夕刊の切り抜きで、それには写真付きでデカデカとこう書かれていた。
『刺青の牧師、ハナイノシシと大立ち回り! 青緑亭に急げ!』
「うわぁ」
今度は声に出た。
恐らくハナイノシシに跳ね飛ばされるショッキングな映像を捉えようとしたのであろうその写真は、物の見事にクオ・ヴァディスがハナイノシシを踏み付けた瞬間を押さえていた。
ギリギリで顔迄は写っていないが、ジャッカルとの戦闘で欠損したままの特徴的な刺青は知っている者であれば特定は容易であろう。
「クオさん……迂闊でしたわね……」
「まあ……ほら、一先ず例の件は片付いているし辛うじてセーフという事で」
「例の……件?」
カルラが小首を傾げる。
リーリエが危惧しているのはこの写真とクオ・ヴァディスを関連付ける事により魔導災害の肩書きが露見する危険性だ。現状、その事を知るのはリーリエの知人の中ではハルメニア、トリスタン、ハイエステス支所の双子にあの悪趣味な騎士だけのはずだ。それ以外はもう永い年月の間に忘れ去られているのを願うよりほか無い。
「キミみたいな追っ掛けが居たんだがその子には御退場願ったって話だよ」
「あら……残念……ね。私が手ずから殺してあげたかったのに……」
「キミは本当に強烈だな」
げんなりしつつも諦め、トラウトのホイル焼きの消化を再開する。リーリエも冷めてしまっては勿体無いとアクアパッツァに取り掛かるがテーブルの横に立ったままのカルラが気になって思うように食が進まない。
不審者が横に立ったままの食卓など、どんな美食が並んでいようが美味いも不味いも無かろうというものだ。
「……カルラさん、今日はお1人ですの? その、ジャッカルの皆さんは?」
沈黙に耐え切れなくなったリーリエが堪らず声を掛ける。
「今日は単独……よ。少佐は里帰りしてて、何人かは療養中だから今回は1人で仕事をするつもり。……貴女達も受けていると思ったのだけど……」
「今回?」
何の事やら話が見えない2人の顔を見て、カルラがテーブルに着いて1枚の書簡を広げる。
それは魔導協会発行の依頼受諾書だった。しかも依頼元は国連である。
「武器密輸及びテロ行為の容疑から国際手配されている反魔導協会連合『モ・タクシャカ・タントラ』の拠点を発見。代行者及び臨時資格代行者は合同で戦線を展開。速やかに対象を駆逐されたし……⁈」
リーリエが思わず立ち上がる。
『モ・タクシャカ・タントラ』とはここ数年で異様に勢力を伸ばした邪竜信仰教団が語る名である。
竜を神として崇める竜神信仰団体自体は然程珍しくもないのだが、いかんせんこの教団は信仰している対象の竜とその目的が不味い。クオ・ヴァディスも幽閉されていたカル・カサスの地下に今も尚拘束されている邪竜『タクシャカ』を信仰しており、その復活とそれによる世界の滅亡を掲げる超過激派筆頭とも言える教団である。
教祖を名乗るのは『イ・マ・ヴォジャ』と呼ばれる人物らしいのだが、魔導協会が血眼になって情報を掻き集めていながら今をもってその詳細は不明。余程隠蔽工作に卓越しているのか、それとも本当はそんな人物は存在していないのではないか。魔導協会内でも意見が割れている程である。
「今迄何の手掛かりも無くて捜査が暗礁に乗り上げたと聞いていましたが……」
「そう……ね。噂だけれど政府高官にも信徒が居るから捜査が進まないんじゃないかと言われていたようだけど、今回どうやら身内の錆び落としをしたよう……ね」
「まさか……」
「ええ。うちの飼主が探りを入れたら情報源にマクベス・リッケンバッカーの名前があった……わ。彼、国防省のお偉いさんだけど、昨日付けで退職になっているのよ……ね。多分そういうことでしょう」
「世知辛いねぇ、全く」
何事も無かったようにトラウトを綺麗に片付けたクオ・ヴァディスがグラスの白ワインを空けながら呟いた。昼間からワインとは生臭牧師極まりないが本人曰く、『セーフリームニルの恒常効果で酔えない』という事で、リーリエとしては納得いかないが見て見ぬ振りをしている。
「実際問題、カル・カサスからタクシャカを引っ張り出す事なんて出来やしないのに御苦労な事だよ」
「まるで、見て来たみたいに言うの……ね?」
「カル・カサスを墜とすという事はあのハルメニアを墜とすという事だ。オリジナルのハルメニア式魔導回路を使い、数多の精霊を従えたあの熾天使級代行者を倒すという事だ。まるで冗談にもならない」
リーリエも無言で頷き、椅子に座り直す。
ハルメニア・ニル・オーギュストはなにも人気だけで永く女王の座に就いている訳では決してない。
詰まるところ、彼女以上に強い者が居ないのだ。
戦闘に強い。
知略に強い。
人脈に強い。
そして何より愛が強い。
愛国という意味も然り、しかしそれよりも人類への愛だ。
ハルメニアは人類を強く愛している。
母のように、娘のように、家族のように。それは人類総てに対して注がれている。そんな彼女だからこそ精霊達も彼女を愛するのだ。
その強い愛故に、彼女は家族を害する者を許さない。それがたとえ愛する人類であろうと、だ。
ハルメニアは愛故に人類を護り、愛故に敵を倒すのだ。
その彼女を倒せる程の強い意志を、強い者を、クオ・ヴァディスは知らなかった。
「まあハルメニアの手を煩わせると彼女はまた悲しむだろうからね。ここは私達が引き受けるとしようか。デニス、ご馳走様。やはりキミの魚介料理は素晴らしい」
言いながらリーリエの分も纏めて勘定を置き、クオ・ヴァディスは立ち上がる。
「クオさんも受けますの?」
リーリエも立ち上がり、クオ・ヴァディスが置いた勘定から自分の分をクオ・ヴァディスのポケットに押し込み、自分の財布から改めて勘定を置く。
「可愛げのない……。ほら、1市民としてはさ、女王様には心安らかに過ごしていただくためにこの細腕を奮おうって気になったりするわけだよ」
「クオさんが言うと本当に何の冗談にもなりませんわね」
「最近私の扱いが良い意味で雑で小気味好いな。まあ理由は他にもあって、モ・タクシャカ・タントラは武器メーカーのバッタ物を横流ししているからね。フィッツジェラルドのお抱えとしては無関係じゃないだろう。多分、協会で確認を取ればエナから名指しの依頼が来ているはずだ」
「うちのリッテンバーグ・クラフトワークスからも無関係の証明の為に私を派遣しているようなものよ……。恐らく中大手はどこもそうでしょう……ね」
モ・タクシャカ・タントラがここ最近で一気に勢力を伸ばした理由の1つがこの武器の横流しだ。粗悪な模造品ではなく、型番を打たれる前、まだロットに入る前の正規品を安価で捌いて収入を得ているのが協会の調査で判明している。このことから武器メーカー内部にも信徒が居るものと断定され一気に外部監査の目が厳しくなったのだ。
今回の事態を静観するような事があれば教団との癒着を疑われても仕方がない。メーカー側からしたら自らの潔白の証明のためにも臨時資格代行者を派遣せざるを得ないのだ。
「魔導協会も相当数の高位代行者を派遣するつもりらしい……わ。貴女にもお声が掛かってるんじゃないかし……ら、金星天さん?」
洞のようなカルラのフードがリーリエの方を向く。
「……私、名乗りましたかしら?」
「グレイプニルに捕まっている間シャックスであなた達の会話を聞いていたけど、貴女リーリエと呼ばれていたでしょ……? 代行者。魔法使い。リーリエという名。となれば最年少で神天を授与されたリーリエ・フォン・マクマハウゼンに間違い無い……わ」
カルラのその言い振りに、リーリエは見えぬフードの奥で歪んだ笑いを浮かべる女の唇を見た気がした。
「別に……身元を知ったからと言ってどうこうするつもりじゃないから安心して……ね? あの時は商売敵だから敵対したけれど、依頼がかち合いでもしなければ戦う理由はないか……ら」
カルラは両の手の平を見せ敵意が無い事を示す。
良くも悪くも、ジャッカルはプロだという事だ。理の無い戦いに身を投じるつもりは、あの戦闘狂を絵に描いたようなザラはとにかくとして少なくともカルラには無いのだろう。
「むしろ、今回の仕事は私1人だから……出来れば共闘をお願いしたい……わ。探知系特化の魔法使いが居れば、何かと不便しないはず……よ?」
リーリエとクオ・ヴァディス両名が揃って苦い顔をするが、実際問題カルラの言う通りなのだ。どちらかと言えば戦闘特化の2人にとって常時展開型の探知系魔法を可能とするカルラの能力は、本来ならば雇ってでも欲しいところなのである。
渡りに船であるはずの申し出に二つ返事で応じられないのは何もつい先日に死闘を演じたばかりだからというわけではない。
2人の胸に去来するのは、『こいつでさえなければ』という単純なただの生理的拒絶反応だ。
「詮方ないとはこの事だな……」
やがて諦めたようにクオ・ヴァディスが溜息を吐き、カルラに向かって手を差し出す。
「頼むよ、カルラ。実際問題キミのその探知能力は頼もしい限りだ」
「うふふ……あらためまして、カルラ・グレイプウッド……よ。ピチピチの302歳。宜しく……ね」
「ピチピ……」
ピチピチの判断基準がわからない。と言いかけてリーリエは押し黙る。
当然、ただの人たるリーリエからすれば300歳どころか100歳であろうがとんでもない長生きの範疇なわけだが、ハルメニアをはじめとするセロのような長寿の種族からすれば300歳はまだまだ若者に含まれるのではなかろうかと考え至ったのだ。
第一、同じ女性として年齢に対しての言及は失礼ではないか。
「なんだ、キミはセロだったのか」
握手をしながらクオ・ヴァディスが言う。
「そう……よ。貴方は……セロではなさそうだけど、ただの人でもないわよ……ね? 一体何者かし……ら?」
「どこにでも居るしがない牧師だよ。ちょっとだけ魔法が得意な、ね」
数秒の沈黙。
「そ……。教えるつもりは無いってこと……ね。まあ、良い……わ」
カルラが思わせぶりに息を吐き、握手のままクオ・ヴァディスにずいと顔を寄せる。
「『世界樹の末裔』、『角の人』」
カルラの呟きにクオ・ヴァディスの目が、凍る。同時にリーリエも身体が強張るのを隠せない。
「ふふ……良い心音……ね。あの竜……ギアニルステン、だったかし……ら。あんなのと旧知だなんてまともな訳が無いも……の。これから、ゆっくり、貴方を知り尽くしてあげる……わ」
艶めかしく言うカルラにクオ・ヴァディスは今日何度目かのうへぇの顔で深い溜息を1つ。
「出来ればこれっきりの関係にしたいなぁ……。リーリエ、何はともあれギルド庁舎に向かおう。この分だと混雑してるだろうから早く向かわないと夜になってしまう」
「そ、そうですわね」
言われて荷物をまとめ出すリーリエだが、その頭の中を占めているのは動揺と、それよりも大きな疑問だった。
あの時は失血と、ギアニルステンに対する恐怖からまともに思考できずにいたが改めてその言葉に引っ掛かった。
『角の人』。
これは甲角族の事だとリーリエにも理解出来る。
『世界樹の末裔』。
問題はこの言葉だ。
世界樹とは一体何を示す言葉なのか。クオ・ヴァディスがその末裔であるとは一体どういう意味合いなのか。王立図書館の蔵書を散々読み漁ったリーリエにもその言葉に心当たりは無い。
疑念の答えは出るはずも無く、リーリエは外に向かう2人の背中を追うしか無かった。




