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クオ・ヴァディス

挿絵(By みてみん)


 リーリエが案内されたのは教会の外周を左回りに進んだところにあった木造一軒家の庭だった。正面からは見えなかったが此方が居住スペースらしい。

 畑や教会と同様に庭の芝生も綺麗に揃えられており、座るように促された椅子とテーブルも外に置いてあるというのに極めて清潔だ。来客の有る無しに関わらずマメに清掃しているであろうことが見て取れる。


 リーリエは本が出しっ放しの自室を思い出して女子としてちょっとした敗北感を感じてしまっていた。


 牧師はと言えば、お茶を用意して来ると言い残して引っ込んでしまったままだ。

 手持ち無沙汰なリーリエは辺りを見渡すが、改めて美しい場所だなという感想を持った。


 教会は開けた丘陵にありレゾ村とその先にあるクフの森が見渡せる。村に広がる収穫直前の春小麦の畑がまるで金色の絨毯のようで、絵画から切り出して来たかのような幻想的な風景を描いていた。


 聖書に出てくる一場面みたいだなぁ、とリーリエがぼんやり考えていると牧師が家から出て来た。手にはティーセットが乗った銀のお盆とスコーンと何やらクリームが乗った皿を持っている。


「紅茶に合わせてスコーンを焼いたんだが、ちょっと焼き過ぎちゃってね。村で配る程でもないし消化を手伝ってくれないかな」


 そう言って置かれたスコーンの皿からなんとも言えない甘い香りが立ち上りリーリエの鼻腔をくすぐる。南瓜だ。


「クロテッドクリームも自家製だが、まあ味は保証するよ」


 曲がりなりにも貴族の生まれであるリーリエの舌は自慢じゃないが肥えていると自負している。持って来た男の胡散臭さの所為で少々手を出すのが躊躇われたが、丘の風景のおかげで午後のお茶会のシチュエーションとしてはなかなか悪くないとも思えた。


「いただきます」


 散々穿った見方をしてみたものの実は南瓜のスコーンにクロテッドクリームの組み合わせが大好物であったリーリエは、スコーンにたっぷりとクリームを乗せ、かぶり付いた。


「……!」


 絶句。

 不味かったからではない。逆だ。

 抜群に美味い。


 スコーンは固過ぎず柔らか過ぎず絶妙な食感であり、且つ南瓜の濃厚な香りと甘味が鼻腔と口腔を満たす。そして何よりクロテッドクリームだ。リーリエはどちらかと言えばバター寄りのクロテッドクリームが好みだが、通常そこまで濃厚なものは口溶けが悪く乳臭さも目立つ。しかしこのクロテッドクリームは上質なバターのような香りとまるでソフトクリームのような口溶けを両立している。ちょっとした通であるリーリエからしたら神業である。


「これは……!」

「美味いだろう?王都のヴァン・サン・ミッシェルのクロテッドクリームを長年掛けて再現したんだ」

「どおりで!」


 貴族御用達の老舗の名前だ。再現出来たとするならば不味い方がおかしい。

 先程までの不信感は何処へやらリーリエは2つ目のスコーンに取り掛かった。


「紅茶もヴァン・サン・ミッシェルで扱っているティア・ブルーメ産の高級茶葉だ。ゆっくり楽しんでくれ。話はそれからだ」


 牧師はどうだと言わんばかりの顔で蒸らしの完了した紅茶をティーカップに注いでいく。澄んだ琥珀色の紅茶から薫るのはまごう事なくティア・ブルーメ産の香りだ。


 お礼もまだだし聞きたい事もあるしそう言えばまだ名前も聞いていないしとリーリエは逡巡するが、大好物の魔力には抗えるはずも無く、ここは一旦ご相伴にあずかる事にした。









「改めまして、私、エレンディア王立魔法教会所属、リーリエ・フォン・マクマハウゼンと申します。重ね重ね先日は助けていただき誠にありがとうございました」


 結局20個ほどあったスコーンの半分を平らげたリーリエが椅子から立ち上がり頭を下げる。座り直す動作が緩慢なのは腹がきつい為であろう。


 リーリエ自身理解している事だが全くもって格好がつかない。


 その様子を見ていた牧師は馬鹿にするでもなく満足げに笑った。


「わざわざ御丁寧にお礼を言いに来なくても構わなかったんだが、こうして有意義なお茶も出来た事だしこちらからも礼を言うよ。私はクオ・ヴァディスという者だ。この教会で牧師の真似事をしている」

「真似事、ですか?」

「もう亡くなってしまったんだが元の持ち主に世話になっていてね。恩返しにと思って彼の代わりに村の子供たちに勉強を教えたり、怪我や病気を治したりしているのさ」

「そうでしたの……申し訳ありません。私、貴方の外面だけを見て誤解していましたわ」

「まあ第一印象が最悪なのは自覚しているよ」


 あっけらかんとクオ・ヴァディスは笑っている。嫌味や軽蔑は微塵も感じない。見た限り本当に気にしていないようだ。


「ところで、ヴァディスさん?」

「あぁ、いや私はクオ・ヴァディスで1つの名前なんだ。どうしても長いようならクオと呼んでくれ。ヴァディスだと厳しくて敵わない」

「ではクオさん、聞きたい事が御座いますの」


 本題に入る為に、リーリエは意識して空気を変える。


「竜を倒したのは貴方ですか?」


 相対したのは短い時間だったが、リーリエはクオ・ヴァディスの人間性を信頼して敢えて直球で質問を投げかける。


 竜という単語に驚いた様子はない。少なくとも、一昨日あの場に竜が居た事を知っているとリーリエは確信した。


「ぬかったなぁ」


 クオ・ヴァディスは頭をポリポリとかきながら呟いた。


「その話をされたらちゃんと驚いて知らない振りをする準備をしてたのにまさかいきなり直球で来るとは思わなかったな」


 失敗失敗と楽しそうに笑うクオ・ヴァディス。本当に失敗したと思っているのか、その様子は本当に楽しそうだ。


「では……」

「そうだよ。キミが討ち漏らした竜を倒したのは私。でも、だとしたらキミが本当に聞きたいのはそんなことじゃないよね?」


 バレていた。


 そんなに顔に出ているだろうかとリーリエは自分の顔をペタペタと触る。素直過ぎる、嘘が壊滅的に下手と散々言われて来たがリーリエからしたら表情を読める人種の方が異常なんだと思っている。

 どうせバレているなら遠慮なく聞ける。聞きたいのは当然……。


「魔導回路」


 クオ・ヴァディスに先手を打たれリーリエは開けただけになってしまった口をパクパクする。


「キミの年齢で魔法協会に居るならよっぽどの天才か秀才だ。正直あのミョルニルの威力は私も驚いたし。まあそんなキミなら私の魔導回路の異常さはわかるだろうし、未認可未発表の魔導回路だという事も察しが付いているんだろう? 見た事の無いものには興味を持って然るべきかな。と思ったんだけどどうだろう?」

「……返す言葉もありませんわ」


 何だかからかわれているような気持ちになって来たリーリエは唇を尖らせて言葉を吐き出す。しかしクオ・ヴァディスの言葉は全くの図星である。見た事も、そもそも読めもしなかった魔導回路は秀才たるリーリエの知識欲を強く刺激していた。とは言え固有の魔導回路なんて物はおいそれと創れる物ではない。体系化された回路を使うのとは訳が違うのだ。知識、才能、センス、努力。それに長い年月を掛け漸く生み出せるかどうかの代物である。


 ハルメニア式魔導回路を創り出したセロの女王、ハルメニア・ニル・オーギュストも300年という長い時を経て体系化に至ったのだ。このクオ・ヴァディスも見た目通りの年齢ではないのだろう。種族的にか魔法的にかは不明だが相応の年齢なのは間違い無い。


 学会に発表し魔法協会に認可されて体系化に成功すれば地位も名誉も思うままだというのに何故発表すらしないのか。寿命の短い人族であり長命の魔法など心当たりがないリーリエは心から勿体無いと考えている。物理的に時間が限られている自分には成し得ないであろう偉業だからだ。


 だからこそ知りたい。


 魔法の深淵を覗きたいと思うのは魔法使いであれば皆そうであろう。ましてこんな未知との出逢いはそうある事ではないのだ。断られてもどこまでも食い下がってやろうとリーリエが覚悟を決めるが、続くクオ・ヴァディスの言葉はその覚悟を横合いから引っ叩いた。


「あー、うん。良いよ、教えるのは構わない」

「よ、宜しいんですの⁉︎」

「代わりにちょっと手伝って欲しい事があってね。手伝ってくれたらって条件を飲んでくれるなら回路くらい好きなだけ見せてあげ……」

「やります! 何でも手伝いますわ!」


 リーリエの人生で、おそらくこれ程まで即断即決することは多分2度と無いだろう。

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