破魔
フワフワと空中に浮かぶ発光酵素によるぼんやりとした灯を上書きするかのように剣戟の火花が散る。
ダービッドが振るう戦鎚をダブラスの大剣が受ける度に薄暗い鉱脈が一瞬だけ明るくなる事を繰り返していた。
俯瞰で見れば優位に立っているのは攻め続けているダービッドだが、両者の表情はまるで真逆だ。
圧している筈のダービッドの顔には困惑と焦り。反対に、受けるダブラスの顔には余裕とも取れる笑みがあった。
「なんなのアンタ⁉︎ 本当にただの人なわけ⁈」
ダービッドの表情の原因はこれだ。
人とセドナは同じ人族であるものの身体構造が異なる。外見上は肌の色と、人には無い硬質の鱗のような外皮がセドナには点在する以外其れ程の差は無いが、こと魔法の資質と筋力に関しては大きく異なる。
人族総じて平均的な身体性能を持つ人に対して、セドナは魔法の素質が著しく低い。その代わりにセドナは人族随一の膂力を誇る種族なのだ。敢えて数値化するならば平均的成人男性で人の凡そ3倍から5倍。専門的な鍛錬を積んだ者ならばこの数字は更に跳ね上がる。
詰まるところ、純粋な力比べで人はセドナと同じ土俵に上がる事すら出来ないというのが定説なのだ。
「見ての通り、純血の人だぜ?ちょーっと普通より力持ちだけどな」
「見ての通りじゃないから言ってるんじゃない! 悪夢を見てる気分だわ!」
細身とは言え、バネにも優れた純血のセドナであり尚且つ2m近い身長を誇るダービッドの一撃は、決して軽くない。しかもただでさえ優れた身体能力に、身に付けたリッテンバーグ・クラフトワークス性の儀礼済み礼装と戦鎚の筋力増強補助式によって強化された攻撃は、本来であれば竜ですら打倒せしめる程だ。
しかしそれを大剣の腹で受けるダブラスは体勢を崩す事すら無い。
何か特殊な補助式によって衝撃を殺されているのかとダービッドは疑うが、攻撃を受ける度に地面を割るダブラスの踵を見るに攻撃自体は通っているのだ。
その事実が、ダービッドの自尊心を深く傷付ける。
「ふざけんじゃないわよ! たかがちょっと力持ちの人風情にあたしの打撃を防がれてたまるもんですか!」
ダービッドは一旦距離を取り、ダブラスを見物する。
身長は2mと少し。打ち応えからして体重は恐らく130kgといったところか。
確かに人にしては非凡な身体の持ち主ではある。あの骨格にそれだけの筋肉を搭載出来たならば、少なくとも人の中ではトップクラスの膂力を誇るのは当然であろう。
ただし、あくまで人の括りでの話だ。
「わかったわ。その直接身体に埋め込んであるアミュレットに秘密があるのね?」
「残念だがこれは別件だ。馬鹿力は家系だよ」
「家系……だぁ?」
ダービッドは言われて思い出す。セドナの間では有名な話だ。人という種族にも関わらず純血のセドナに比肩する膂力を誇る一族が居る、と。
やれ酒場でセドナと殴り合いをしてそいつが勝っただの、やれ戦馬の突撃を正面から受け止めただのあまりに荒唐無稽な噂話しか聞いたことが無かったため忘れていたのだ。
その一族の名は、何と言ったか。
「確か……人の分際で随分厳しい二つ名があったような……」
「『鐡の城』、だろ?」
「それよソレ! ……じゃあ何、あんたがそれだって言う訳? それにしちゃ随分若いじゃない」
「有名なのは親父と兄貴達だよ。俺は養子に出てるからな」
言いながらダブラスが大剣を正眼に構える。
「アイゼンブルグ男爵家の逸話の真偽、確かめてみるといい」
言葉の終わりと共に、ダービッドの目にはダブラスが突如として眼前に瞬間移動したかのように映った。
「っ⁉︎」
コマ送りの様な光景に完全に意表を突かれたダービッドは回避のタイミングを逸し、大上段から振るわれる大剣の一撃を戦鎚の柄で受けるしか無かった。
先程までの金属音から倍する程の轟音と共に受けたダービッドの両足が踝まで地面に沈む。
戦鎚を取り落とさなかっただけ僥倖と言えるだろう。柄の中程で受けた戦鎚は折れこそしなかったものの打点を中心としてやや弧を描いてしまっている。ダブラスの一撃はダービッドの想像を遥かに超越していた。
それだけに、ただでさえ傷付いていたダービッドの自尊心は更に傷口を抉られていた。
ダブラスが大剣を振り切らず、脇を絞っていたのをダービッドの目は捉えていたのだ。
万が一、ダービッドが戦鎚を取り落としてしまった時に唐竹割りに両断してしまわないように手心を加えられていた事実に、ダービッドは歯噛みした。
加えて、今をもって荷重を掛けられている大剣から伝わる剛力の凄まじさたるやセドナどころかゴーレムの拳にも比肩する程だ。
ミチミチという自分の筋繊維が断裂していく音を耳に聞きながら、ダービッドはアイゼンブルグの逸話は全て真実であると確信していた。
「まっ……たく、イヤんなるわ……ね! セドナの面子丸潰れよ……!」
奥歯を噛み締めながらダービッドが吐き捨てるように言う。単純な力もそうだが、ダブラスの速力は常軌を逸していた。
力のみに特化した筋肉ではこうは行かない。第一歩から最高速に達する神速の踏み込みは、ダブラスが赤筋と白筋を理想的な比率で搭載している事を意味する。
力みにより血走る目で睨めつけながら、ダービッドは目の前の大剣士を今までで最強の敵だと認識を改めていた。
「丸潰れついでに降参してみる気は無いか? お互い余計な手間も怪我も無くて良い事尽くめだと、俺は思うんだが」
軽口を叩いている間にもダービッドに掛けられている重圧は微塵も揺るが無い。然程力を入れているようには見えないと言うのにダービッドが体感している圧力は戦鎚ごとダービッドを大地に埋め込んでしまうのではないかという程だった。
「ハッ!」
掛かる圧力を押し返すように、ダービッドが鼻で笑う。
「冗談。仮にもジャッカルの一番槍、ダービッド・ブリスキン様がどうして降参なんかしなきゃならないのよ! だったらまだ、死んだ方がマシよ!」
血を吐くような叫びと共に、ダービッドの魔導回路が展開。
据えられた駆動式はルーン系統物理系現象魔法最速にして高い殺傷能力を誇る『グングニル』だ。
『グングニル』は非常に複雑な構成式の為使用者が極端に少なく、また軍用規格でないにも関わらず稼働に必要とされる魔力の量が莫大故に労力に見合わないとされ、魔法使いの間で敬遠されている駆動式である。
しかし、最大の利点は稼働から発動までのその早さにある。
魔力量さえ確保出来るならば、発動までの所要時間は単純な生活魔法よりも早く、対象が駆動式を目にした時には全てが出遅れなのだ。
魔力的な素養の低いセドナという種族であるダービッドにとってこれ1つを使用するだけで魔力欠乏は必至の最後の切り札である。
「死になさい!」
全身の魔力が駆動式に流れ込み即座にグングニルが発動する。
金色に輝く駆動式は焦点温度5000℃を超える光の槍を発射。眼前に立つダブラスの腹を蒸発させ大穴を穿つ。
筈だった。
「なっ⁉︎」
驚愕に見開かれるダービッドの目は発射された筈のグングニルがダブラスに着弾する直前で魔素に分解還元されて行くのを捉えていた。
ダブラスの首元に露出したアミュレットと、恐らく同じものであろう補助式の輝きが身体の数カ所から発生している。
何が起こっているか、魔眼を持たないダービッドには視る事は出来ないが、アミュレットの効果によって自らが放ったグングニルが防がれたという事は理解出来ずとも認めざるを得なかった。
「セドナのくせに魔法が切り札とは驚かせてくれるじゃねえの」
うねる補助式の膜の内側で、ダブラスがカラカラと笑う。その表情に本当に驚いた様子は微塵も無い。
つまり確信があったのだ。
魔法で絶対に傷付かない確信が。
ここへ来て漸くダービッドは思い出す。
アイゼンブルグの逸話と同じく、傭兵の間でここ数年実しやかに語られている噂があった事を。
曰く、その男には魔法という魔法が通じない。
スヴェルやヤルングレイプのような物理系防御魔法を使う訳ではなく、発動した魔法がその男に着弾する直前に掻き消えてしまうと言うのだ。
聞いた時にはそんな事があるものかと取り合わなかった。
無理も無い。
発動する前の駆動式の稼働に干渉して魔法を阻害する事は理論上可能だ。しかし発動してしまった現象自体に干渉するなどどれ程の演算速度が必要か想像もつかない。其れこそ神の御業だ。
ダービッドの常識は根も葉も無い噂でしかないと確信していた。
「あんた……、あんたが噂の『破魔』の傭兵だって言うの……? 魔法なんてまるで知らなそうな面して……詐欺もいいとこ……ね」
グングニルを放った事による魔力欠乏によって朦朧とする意識を何とか保って、ダービッドは言う。
戦鎚を保持していた腕は既に力無く垂れ、支えていられなくなった戦鎚がガランと音を立てて地に落ちた。
ダブラスは既に大剣を引き、肩に担ぎながら笑っていた。
「これはあっちの刺青の旦那に貰った力さ。俺自身は魔法なんざこれっぽっちも使えねえよ」
「ヤキが回ったものね……こんなのにやられるなんて……」
ダービッドが気力で支えていた膝が、遂に折れる。
「あんた、名前は……」
「ダブラス、ダブラス・E・シュトラッセだ」
名前を聞いたダービッドが最後の力を振り絞り、ダブラスの顔を見上げ皮肉げに笑う。
「ここで殺さなかった事、後悔させてやるからね……。あんたの……その顔剥いで、部屋に飾ってやるんだか……ら?」
ヤだ、これじゃあカルラと同じ文句じゃない。と自嘲気味に思うと共に最後の気力の糸が切れる。
それと同時に天井にぶら下がっているクオ・ヴァディスのグレイプニルから新たな鎖が伸び気絶したダービッドを捕縛。吊り上げられたダービッドはグレイプニルの繭に飲み込まれて行った。
「なんか食人花の触手みたいだな……」
その様子を見ていたダブラスはげんなりした顔で呟き、クオ・ヴァディスとリーリエの方を見やる。
「ま、これであと3人だ」
その呟きが聞こえたのかは定かではないが、ザラの背中から発せられる黒い殺気が膨れ上がるのをダブラスは感じていた。




