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狂気は大気に満ちて

 大量の液体を含んだ重量物が地面に落ちる、どちゃっという音が響く。地下とは思えない程の大空洞の中で、その音は思ったよりも大きく反響した。

 空中に浮かぶ合計8つの発光酵素による灯りに照らされたそれは、茶褐色をした肉片だった。

 人族の手が入っていない洞窟などに滞留した魔素によって低位の精霊が受肉した、野良と呼ばれる不定形生物の一部である。

 元々自我の境界も曖昧な低位精霊のなれの果てであるその像は統一性の無い、溶け崩れかけの蝋燭を幼児がぐちゃぐちゃに捏ねたような外見をしている。構成物も受肉の際に周囲にあったものを無作為に取り込むようで、発生した地点が変わるとまるで別の構成物で構築されていたりする。

 洞窟などの調査を請け負うことが多い代行者や傭兵の間では、ぐちゃぐちゃした何だかよくわからない像をしているものは全て野良という認識が出来上がっていた。


 しかし今回のように、ともすれば竜にも匹敵するような巨躯を誇る野良の記録は皆無であった。


「おかしいだろ……、おっかしいだろ! なんだこりゃ⁉︎ デカいにも程があるだろうが⁈」


 10mはあるであろう鉱脈の天井部すれすれに位置した野良の頭部であろう器官を見上げながら、黒髪隻眼のソーン、エドは叫ぶ。

 右手には野良の、ヘモシアニンを含んでいるのだろう青い血液で濡れた両刃のロングソードを携えている。柄の部分に流麗な女神像が彫刻されたそれは、先程野良の一部を斬り飛ばした際に返り血を浴び、見るも無惨な姿を晒していた。


 野良の方はと言えば、足代わりの触腕の1つを斬り飛ばされたにも関わらず全くこたえた様子はない。

 代わりに身動ぎを1つ。頭頂部に口の様な穴を開け、濁点の付いた「ま」と「も」の中間の様な声で雄叫びを上げた。


 鉱脈全体を揺さ振るような大音声に、野良を取り囲むように陣取っていたジャッカルの面々が思わず耳を抑える。


「うぅるせえぇぇっ! 声はでけぇわタフだわオマケに臭ぇわ何なんだこいつは⁈」

「横でぎゃんぎゃん喚かないでちょうだい! あんたも十分五月蝿いわよ!」


 野次を飛ばすダービッドに至っては背中に背負った戦鎚を抜いてすらいない。不定形生物である野良には打撃武器は効果が薄いと最初から魔法による補助に徹しているのだ。

 セドナという、魔力的には恵まれていない種族であるが故に目に見えた成果がある訳ではないのだが。


「デカいってだけで雑魚でも厄介なもんだな。しかしあれだ、竜が居るとこにはデカい野良が湧くって言うしこいつは期待出来るな」


 高台で傍観を決め込んでいたザラは攻めあぐねる他の面々とは対照的に喜色満面の表情で野良を見つめている。根拠のない余裕では当然、ない。

 絶対的な仲間への信頼と、何よりも自らの力の自負がそうさせるのか腕を組んで眼下の戦場を睥睨する様は彼の狂王、ゼクンドゥス・ド・ナル・アシュレイ・ゲルプシュニクを連想させた。


「木偶の坊相手に何をもたもたしてやがる! テメェ等それでも竜狩か!」


 ザラの檄にジャッカルの空気が一変。エドとハインツが装具による攻撃を破棄、得物を畳み野良の両サイドに陣取る。

 そのポジションで全てを把握した他の団員は何の目配せや合図もなく各々が各々の役割を果たすために散開する。


 先程よりも広い円形に組まれた陣形から10を超える魔導回路の光。

 展開されたのはハルメニア式魔導回路であり、据えられた駆動式は『グレイプニル』と呼ばれる、対象を拘束する為の魔法だ。


「斉射!」


 ダービッドの声を契機に全ての駆動式が発動。

 放たれた蒼白く輝く縛鎖は互いに干渉することなく一瞬で野良の巨体を雁字搦めに拘束する。

 魔力の制御を阻害する補助式を編まれた縛鎖は、魔素によって受肉し魔力で維持されている野良の巨体を難無く捕縛した。


「お前ら耳ぃ塞いどけよ!」


 捕縛が成立したと見るや否やエドとハインツがムーサ式魔導回路を展開。人族の喉から発生しているとは思えないような高周波音が場を支配する。

 微妙に層をずらされた聲が重奏効果により数倍に増幅。しかし補助式による制御で指向性を持った音波は必要以上に拡散せず、野良をすっぽりと包み込む程の球状の力場の中で反響を繰り返す。

 反響する毎に振れ幅を増す音波はやがて臨界に達し、エドとハインツが同時に発した一際強い聲に呼応して力場内の物質を塵と化して行く。


 ムーサ式魔導回路によるヘーシオドス系統物理系現象儀式魔法『テルプシコラ』。

 本来9人での魔力供給を必要とするこの儀式魔法は力場内の物質の固有振動数を計測し、その共鳴によって対象の分子間結合を断裂崩壊させる必殺の魔法だ。


 9つしか存在しないヘーシオドス系統の魔法は全てが儀式魔法であり、且つ全てが音に関係した魔法である。ソーンという種族に限っては自らのエコーロケーションを用いる事によってこの駆動式を簡略化させ少人数で展開することを可能とするのだ。


 分子結合を解体され灰色の塵の山と化した野良を、ザラと同じく静観していたアンナがつま先でつつく。


「こちらの術式、相変わらず無茶苦茶」


 根本的な魔法の構造が異なる東国出身のアンナはうんざりとした顔で呟いた。


「あぁ、お前んとこの国に魔法は自分に付加するタイプの魔法ばっかりだもんな。ゴエティア系統とか、セーフリームニルとかこっちにもあるにはあるけど自分の身体に駆動式を作用させるなんてよっぽど滅茶苦茶だと思うんだがなぁ」


 エドがうへぇ、と紫色の舌を出す。


「魔法違う。術式」

「ジュチュシキ?」

「……魔法でいい」

「おい諦めんなよ、ヂュチュスィキ? ジュチュスキ?」

「うるさい魚。エラに空気入れてやるか」

「東国の言葉は難しいんだよ……」


 エドの言葉が終わるか終わらないかの刹那、何かに気付いたようにアンナが突然顔を上げる。


  「どうした、アンナ?」


 高台から降りてきたばかりのザラがアンナのただならぬ様子に気付き、声を掛ける。


「ピリッと来た。何かにこちらを探知された可能性」


 特に何らかの魔法を使っていた訳でもなく、肌に感じる感覚のほんの僅かな差異にアンナは警戒のレベルを上げる。


「マジかよ? 何の音も無かったぜ?」

「ってぇことは反響定位じゃないのか。どっかの系統に大規模探知の魔法なんかあったか?」


 ザラに掛けられた問い掛けに団員全員が首を傾げる。


「あるにはあるけど……戦略級魔法よ。性質上、洞窟内では使えないし万が一使われたなら私達にもわかるわ」


 ダービッドが答えるが面々に浮かぶ疑念の色は消えない。


「アンナ、何かの間違いの可能性は?」

「無い。明らかに触られた」


 第六感とも言える超感覚で魔素の揺らぎすら肌で感じ取れるアンナには確信があった。まるで巨大な掌で洞窟内を撫でて行ったような不可解な感覚を、アンナの知覚は確実に捉えていたのだ。


「アンナがそこまで言うならまず間違い無いな。各自警戒レベルを上げろ。スペースが許す限り輪形陣で進むぞ。エド、ハインツは前後でエコーロケーションによる動体索敵を常時展開。カルラは念の為にシャックスで異音を探れ」


 カルラと呼ばれた黒いローブで全身、頭までを覆い隠した魔法使いがロメロ式魔導回路を展開。即座にシャックスを起動する。


「うふ……ふ。みんなの心音が聞こえる……わ。早鐘のような命の音……、ふふ、誰か早く死なないかしら」


 洞のようなフードの隙間からまろび出た、外見からは想像も出来ないほどの艶やかな声は明らかに成人女性のものだった。

 カルラは嬉しそうに嗤いながらその場でくるくると踊り出す。


「うるせぇ変態糞ドMめ。お前が死ね」

「エド君は照れ屋さん……。死んだら開きにして部屋に飾ってあげるわ……ね」


 表情は見えなくともフードの奥で亀裂のような笑みを浮かべたのがわかる。


「お前が死んだらそのフード引っ剥がしてどんな面してるか拝んでやる」


 エドの悪態が聞こえているのかいないのか、カルラはふわふわとした足取りでザラの元に歩み寄る。


「私達にはハズレだけど、少佐には当たり……ね」

「居るのか?」

「ええ。地底湖でもあるのか水音が反響しててわかりにくいけど……大きな心音が1つ。大きさと心拍数からして恐らく竜……ね」


 カルラの言葉にザラの表情が獣じみた狂相を浮かべる。それは久しぶりの餌を見付けた肉食獣のようであり、また新しい玩具を与えられた幼児のようでもあった。

 くつくつと嗤うザラを見て、カルラはまた嬉しそうにくるくると踊り出す。


「少佐の心臓も嬉しそう……。少佐が死んだら綺麗に剥製にしてあげるから……ね」

「あの内臓フェチはちょっとあたしも理解しかねるわね……」

「ダービッド、聞こえてるわ……」


 文字通り地獄耳と化したカルラの聴覚は、ダービッドの独り言を当然の如く聞き分ける。

 しかし、シャックスを使えれば誰でもが同じ様に出来る訳ではない。魔法に依る五感の強化というのは其れ程簡単な事ではないのだ。


 シャックスを例に挙げると、魔法による効果は聴覚系神経伝達物質であるグルタミン酸とアセチルコリン、及びその受容体の増加と上行性及び下行性聴覚伝導路の強化だ。これにより使用者は通常の数十倍から百倍の聴覚を得る事が出来る訳だが、詰まるところそれだけである。

 普段であれば音として捉える事が出来ないような、遥か遠方からの空気の振動までもを耳で聞く事が出来るが、それらは全て一緒くたに聞こえてしまう。常人であれば、大脳皮質聴覚野が強制的に流入し続ける膨大な情報を処理し切れず精神に異常を来すことすらあるのだ。

 隣に居る人物の心音どころか筋肉の収縮する音や血管を流れる血液の音、そして周囲で飛ぶ羽虫の羽音や風に揺れる枝葉の音が区別無く流れ込んでくる状態は容易く人を狂わせる。

 この音の雪崩の中から必要な音を取捨選択出来るようになるまで、使用者は地獄のような鍛錬を積まなければならない。少なくとも、カルラのように涼しい顔で居られるようになるまでには果てしない時間が必要だったはずである。


「ダービッドもシャックスで人間の音を聞いてみたらわかる……わ。私の魔導回路を使って試してみる?」

「元々拷問に使われてたような魔法、誰が試すもんですか! だからロメロ式使ってる奴は変人が多いって言われるのよ!」

「残念……ね。呼吸の度に肺胞で行われるガス交換の音とか……芸術的……よ?」


 一般常識とあまりにかけ離れた前衛的な芸術はさすがに理解しかねたのか、ザラを除く団員全員が一様に顔を顰めた。


「しかし竜が居るって言うならさっきの探知はその竜じゃあねえのかぁ?」


 思い付いた様にハインツが声を上げるが即座にカルラによって否定される。


「恐らく違う……わ。ついさっき入り口の方で人間大の心音が3つ増えた……。探知はその3人がしたと考えるのが妥当でしょう……ね」

「正体不明の探知魔法を使える奴等か。良いじゃねえか。ちょいと人数が少ねえが歯応えはありそうだ」


 やる気十分といった具合にザラが胸の前で手甲に包まれた拳を合わせ、ガシャンと硬質な音を立てる。


「退屈な仕事だと高を括ってたが張りが出て来たじゃねえか。索敵はそのまま、その3人の位置を正確に把握しておけ。向こうが探知を使ったならどうせ此処に来る。竜は後回しだ、迎え撃つぞ!」


 ザラの声に団員からの応えと、拳が突き上げられる。

 未知の強敵との会合を期待しているのは、何もザラだけではないということだ。


「敵は殺す。金は稼ぐ。竜は殺して持ち帰る。……なぁんだ」


 ザラの巖の顔に、朏の笑み。


「今日は良い日じゃねえか」


 揺らぐ陽炎のような狂気が、鉱脈を満たす。

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