ダブラス・E・シュトラッセ
「……」
「……」
ハーヴェスト・デリカテッセンからギルド迄、2人共パンを囓りながらの道中は当然ながら無言だ。
男女が2人で商店街を並んで歩いているというのに色気もへったくれも無い。
同じ店の袋を抱えながら2人共同じようにパンを囓っているのだからもしかしたら凄く食いしん坊のカップルの様に見えているかも知れないが少々遠慮しておきたいレッテルである。
……。
どちらの意味においても。
「ところで」
意識してしまったら恥ずかしくなってきたので気を紛らせるために取り敢えず口を開く。
「私の魔杖がアルルトリス・エナの作品だと、と言うかフィッツジェラルド製だとよくわかりましたね?」
「エナの意匠は独特だからね。起動状態に移行する際に花が開くように見えるその機構はエナの立案だろう?」
その通りだ。オーダーメイドの際、機能に関しては散々言及したが外見に関しては全てお任せにしたらこうなった。もっと無骨で飾りっ気の無い物を想像していたのでこんな女性的な装飾が施された物が出来上がるとは思わなかったのだが。
「おそらくエナがキミの名前を見て花の装飾にしたんだろう。あの娘は自分が作った装具はその持ち主だけの物ということに執念を感じる程に拘っているからね」
「何故私の名前を見て花の装飾を?」
まさか女の子だから花ということもあるまい。
「ん?キミはまさか自分の名前の由来を知らないのかい?」
逆に何故知っているのかと。
「リーリエという言葉は1000年程前まで大陸東部で使われていたハウル語の言葉で、ユリという意味だよ。キミの家は東部からの出なんじゃないのかい?」
「いえ……お恥ずかしい話ですが私、貴族構造がどうにも肌に合わなくて家を飛び出した身ですので、あまり実家の事もわからないんですよね……」
「おぉ、思ったより大胆な事をするね。家には帰ってないのかい?」
「ここ2年程帰っていませんわ。なかなか機会がありませんので……」
機会が無いと言うより、帰る機会を作らないようにしているだけなのだ。勝手を言った手前、おいそれと顔を出す訳にも行くまい。
「ふむ、せっかく家があるというのに勿体無い」
他の誰でもなくクオ・ヴァディスに言われると言葉に妙な重みがある。
しかし、自分が如何に恵まれた境遇かは理解しているがそれでも自分の主義として今はまだ帰るつもりにはなれなかった。
そうこうしている間に既にギルドがあるブロックに到着していたのだが、どうも様子がおかしい。
ブロック1区画を占める巨大なギルド庁舎の正門に、何やら野次馬がたむろしていた。
野次馬達の顔は総じて興奮が入り混じっていて、それに時々聞こえる怒声や嬌声が喧騒の中心にあるものを教えてくれていた。
恐らく、ただのケンカだ。
「お、ケンカかな? こんなところで珍し……くもないか」
思わず頷く。
ギルドの性質上腕に覚えのある者が集まる訳だが、当然その中には品行方正とはいかない者も居る。
正式に協会に所属している代行者だけならまだしも、クオ・ヴァディスのような臨時指名代行証を持つ者の中には元軍属の傭兵やら本当に堅気なのか怪しいような者も居るのだ。
そんな者達が日常的に往来していれば、まあそれなりの頻度で諍いが起こったりもする訳で然程珍しい事でもない。
「でも今日はいつもより野次馬が多いですわね。誰か有名な方なのでしょうか?」
少し興味が湧き覗き込もうとするも低身長が災いしどう背伸びしても何も見えない。四苦八苦していると野次馬の中心から男性の声が聞こえた。
「だから俺はお前達なんか知らないって言ってるじゃねえか!」
その声を聞いた瞬間のクオ・ヴァディスの反応は劇的だった。
特に興味も無く庁舎に向かおうとしていたのに首だけがぐりんと野次馬の中心を向き、普段絶対にしないような鷹のような眼差しで野次馬の中心を睨めつける。
「そうかそうか成る程こんなところに居たのかそうか」
ブツブツと呟きながら野次馬に真っ直ぐ向かっていく。どう考えても様子がおかしい。
「クオさん?どうしましたの?」
「リーリエ、野次馬を抜けたら魔眼だけでケンカしている奴等を視てごらん。興味深い物が視れるから」
クオ・ヴァディスはそう言いながら器用に野次馬を掻き分けて行く。仕方無くその後ろを付いて行くと程なく野次馬を抜けた。
言われた通り魔眼を起動。生身の左目を閉じて輪の中心を見やる。
不思議な光景だった。
ぼんやりと魔力波長によって象られた3人の人物が、空中に浮かぶ幾つかの球体と向かい合っていた。
「視えたかい?」
「ええ……なにか……球体が浮いていますわ」
「うん、そしたら魔眼を切って両目で見てごらん」
何の事やらわからないまま魔眼を停止。両目でもう一度球体が浮かんでいた地点を見ると、そこには何故か球体は無く、1人の男性が立っていた。
服の上からでもわかる鍛え抜かれた2メートルを越える巨躯の、ブラウンヘアーの青年だった。荒く後方に流された頭髪と何処と無くニヤ付いた表情は粗野な印象だが、立ち振る舞いと絶妙に着崩された軍服には奇妙な気品を感じる。しかし階級章を付けていないところを見ると正規兵では無い、傭兵だ。その証拠にその男性が背中に背負っているのは官給品の大剣などでは無く、剣先が2つに割れた異様な大剣だった。
しかしそんな事より異様なのは。
「え?」
確認の為、もう1度魔眼だけで男を視る。
しかしやはり魔眼に映るのは幾つかの球体だけだ。しかも良く視るとその球体1つ1つには異常とも言える密度で何らかの式が書き込まれている。
生身の視界と重ねて視ると、その球体が男の胸や腕などに直接埋め込まれているのが見て取れた。球体は恐らく補助式が書き込まれたアミュレットであろうが、そんな事よりも魔眼で球体だけしか視えない事の方が異常だった。
魔力波長が視えないとかそんな次元の話では無い。輪郭すら視えないということは魔力が無いということだ。
それは生き物の成り立ちとして、有り得ない。
「どっ、どういう事ですの⁈」
「視たままだよ。奴には、奴の体内には魔力が存在しないんだ」
「そんな、そんな生き物が有り得ますの⁈ と言うかクオさん知り合いなんですか⁈」
この世界に生きとし生けるもの、存在するあらゆる物質には必ず魔力が含まれている。魔素に満ちたこの世でそれは当たり前の事なのだ。魔力が無いという事はそれはつまり魔素に、式に干渉出来ないという事だ。ある意味、クオ・ヴァディスのような存在よりも軛から外れた存在であると言える。肉を捨て魔素に依る事は出来ても、魔素を否定し肉に依るという事は難しいのだ。
「まあ異端児仲間かな?仕事で何度か行き合っている内にお互い異常さに目を引かれてね。それについて世話をしたこともあるんだが……お?」
クオ・ヴァディスの声に男の方に視線を戻すと、あろうことか3人組の内の1人が市街であるというにも関わらず魔導回路を展開していた。
「手前ぇに心当たりが無くてもこっちにゃ大アリなんだよ! 俺の女に手ぇ出した事を後悔しろや!」
「あ〜、そういう事か。しかし俺から言わせりゃ手ぇ出されてる側にも問題あるぜ? 俺は無理強いはしない。お前の女が俺の誘いに乗って来た時点でお前に落ち度があるのさ」
その言葉が契機になった。
魔導回路を展開していた男が駆動式を接続。怒りから何のためらいも無く一息に励起状態に移行する。
「これは不味いな。リーリエ、野次馬の前方を囲むようにスヴェルを展開してくれ。補助する」
クオ・ヴァディスの声とほぼ同時に魔導回路を展開。即座にスヴェルの駆動式を接続し、展開する座標を設定する。魔杖を抜いている時間が無いが、この程度なら補助式無しでも制御をしくじるような事も無い。
それに合わせるようにクオ・ヴァディスも魔導回路を展開し、やはりスヴェルの駆動式を接続。変成された式を読んでみて、意図を把握する。
「燃え尽きちまえこの野郎!」
男の駆動式が赤光と共に発動。大剣の男に向けて紅蓮の炎が殺到し全身をあっという間に飲み込んだ。
同時にこちらも魔法を発動する。
「『スヴェル』!」
野次馬の前方を円周上に取り囲むように石畳を組成とした厚さ50cm程の壁が屹立する。
「良い瞬発力だ。さすがだね」
うんうんと頷きながら重ねるようにクオ・ヴァディスのスヴェルが発動。屹立した石の壁が泡立ち、更に膜を張るように硬化する。
発動される魔法が、トリニトロトリオールの燃焼反応によって炎を生み出すケルト系統の物理系現象魔法『ブリギッド』だと読み切って、断熱のためにキチン質の膜を作り出したのだ。
相変わらず芸術的な制御と応用である。
キチン質の膜に覆われた石壁は炎の奔流を容易く遮断する。ブリギッドの効果時間は、トリニトロトリオールの気化燃焼時間の早さ故非常に短い。瞬きの間に炎は消え失せ漏れ出た余熱が肌を撫でる。
「あ」
忘れていた。
大剣の男は魔力が無い。つまりは防御のしようが無いということだ。スヴェルによって遮蔽された空間はさながら灼熱の坩堝と化していたことだろう。
生身の人間に耐えられるものでは断じてない。
「ク、ククククオさんっ!」
「慌てなくても大丈夫だよ。スヴェルを解除してごらん」
そう言われて慌てない訳もなく即座にスヴェルを解除。石壁が崩れ変換された分の石畳が抉れ、ドーナツ状のクレーターを刻む。
野次馬から歓声が起こる。
クレーターの中心に、大剣の男は立っていた。
異様な光景だった。
ブリギッドを放った男と取り巻きの2人は防御はしたようだがかなりの火傷を全身に負っているというにも関わらず、大剣の男は無傷で、尚且つ汗ひとつかく事もなく涼し気な顔で居るのだ。
反射的に魔眼で確認。すると大剣の男の体表を覆うように構成式で出来た膜が形成されている。秒単位で組成を組み替えていくその様は見た事があった。
クオ・ヴァディスの魔導回路に似ているのだ。
発生源を探すと、男の身体に組み込まれているアミュレット群が励起状態に移行しているのが見て取れる。
しかし、魔力が無いはずなのに何故アミュレットが稼働しているのか。
「貴様等、動くな!」
その時、騒ぎを聞き付けた憲兵が野次馬を掻き分けて男達を取り囲む。既に抜剣済みの臨戦態勢である。
本来市街地での魔導回路を必要とするような魔法の使用は原則禁止されている。細かなルールはあるものの当然往来での物理系現象魔法の使用などは問答無用での拘束が適応される。
「禁止魔法式使用の現行犯だ!使用者は……どっちだ!」
あからさまに魔法使いの装備である、発動した当人が火傷を負っていて、明らかに大剣士である方が無傷な為憲兵が判断しかねる。魔力波長の残滓を辿れば一目瞭然なのだが、見たところ魔法使いでもない憲兵にそれを求めるのも酷と言えば酷だ。
「ブリギッドを使用したのはそちらの3人組ですわ」
「む?……おお、代行者の方ですな。では先程のスヴェルは貴女が?」
「ええ、ただのケンカのようだし結果的に自爆しただけで一般人に怪我人は出ていないようだから、程々にしてあげて下さいましね」
まあ、話の流れ的に魔法を撃ってしまった気持ちもわからないでもない。
「心得ました。御協力感謝致します」
憲兵は一礼し、火傷の3人を引き連れて近くの駐在所に向かって行く。多少の罰金は発生するだろうが前科とまではいかないだろうから、少し頭を冷やして来れば良いと思う。
「いやぁ、助かったよお嬢さん。礼を言う」
事の次第を見ていた大剣の男がやたらと朗らかな笑顔で歩み寄ってくる。
「俺はダブラス・E・シュトラッセ。宜しかったらお名前をお聞かせ願えるかな」
……胡散臭い。
クオ・ヴァディスもなかなかのものだがこの男もまた違った系統で相当胡散臭い。
「やあダブラス。宜しかったら1年以上音信不通だった理由をお聞かせ願えるかな」
掛けられた声に一瞬、ダブラスと名乗った男の表情が固まった。硬直すること5秒、いやいやまさかと言わんばかりに苦笑しながら声のした方に視線をやりクオ・ヴァディスの姿を確認した瞬間、そこそこ二枚目のはずの顔が崩壊した。
「げぇっ⁉︎ 旦那ぁ⁉︎」
もう見てて可哀想になるくらいの狼狽を見せたダブラスは最早蛇に睨まれた蛙状態だ。こちらに話し掛ける為に身を屈めていたのも災いして、変にお尻を突き出した中途半端な姿勢で固まってしまっている。
「随分ご挨拶じゃないか。いやなに、別に私も高利貸しじゃないんだ。キミがいつまで経っても借金を返さないからと言って岩に括り付けてアントレア海溝に突き落としたりはしないさ。しかしだ。額面的に見てももう少し計画的に返済しないと先にキミの寿命が尽きてしまうと思うんだがどう思うね?」
柔らかな物腰とは裏腹にその目は全く笑っていない。
「借金? えと、そこまで怒る程の額なんですの?」
「そうだね。3億7500万イクスの借金に目くじら立てない人類は多分居ないと思うよ?」
「さっ⁈」
想像したより2桁程多かった。それはもう怒るとか怒らないとかそういう次元の話ではない。
エレンディア大陸では公共通貨としてイクスという単位が使われている。
1イクス、10イクス、100イクス、500イクス、1000イクスが硬貨。
5000イクス、10000イクスが紙幣といった具合だ。
さて、3億7500万イクスがどれ程の額かと言う例えを挙げてみよう。
レゾの名産のアプタルが1つ凡そ120イクス。
先日の喫茶店のポトフが1食1300イクス。
一般的な事務職の初任給が1月20万イクス。
ギルドの依頼は内容によるが簡単な害獣駆除で凡そ1日25000イクスで、企業からの依頼による禁足地での調査が凡そ1日10から20万イクス。
魔導災害指定に関わる依頼は王国からの補助金が含まれる為高額だが、それでもC級で200万イクス。竜等との戦闘が含まれる超級で5000万イクスだ。
ちなみにゼフィランサスは1000万イクスの100回払いである。
3億7500万イクスという額は到底個人でどうこうなるような額では無い。
むしろどうやって貸したのか。
「ダブラスの身体に埋め込んであるアミュレットは私のお手製なんだ。魔力が無い体質で魔法に対して何の抵抗も出来ないからどうにかならないかと散々頼まれたものだから、私の魔導回路の変性式とトリスタンのリュミナリティアを基本に完全自立稼働でセーフリームニル以外の魔法の構造式に片っ端から割り込むように作ってある。と言っても1つ程度じゃ全く演算速度が足りないから20個で1つの式として稼働するように組んであるんだが、まあ素材が非常に高価になってしまってね。頼みを聞いた手前ツケにしてやったんだが散々滞納しててこの始末さ」
完全に宝具から神具級のアミュレットではないか。
詰まる所、あのアミュレットを前に魔法使いは殆ど無力化されるという事だ。程度はわからないがブリギッドを完全に無効化していたのを見るに相当高位の魔法でない限り看破される事は先ず無いだろう。
魔力が無い特異体質でなかろうが喉から手が出る程欲しい逸品であることは間違いない。
と言うかこの似非牧師は絶対に職種を間違えていると思う。絶対にだ。
「へへへ、だって旦那、3億7500万だなんて言われたら誰だって冗談だと思うぜ?」
「使ってみてどう思ったね?」
「5億でも買いだと思ったわ」
同調せざるを得ない。
「こんなところに居るのだから仕事はしているんだろう? その報酬を返済に充てる気は無いのか」
半ば呆れ気味にクオ・ヴァディスが聞く。
「いや、漸くこの剣の返済が終わったからよ。これからはバッチリ! 旦那の借金を返すぜ!」
そう言ってダブラスがこちらに見えるように大剣を掲げる。魔眼で確認するも何の式も施されていない素の大剣だが、素人目に見ても恐ろしく精緻な仕事が為されているのがわかる。
柄の銘を見て納得が行った。
ゼフィランサスと同じく、アルルトリス・エナの銘が刻まれている。
恐らく20代半ばであろう若さでアルルトリス・エナ謹製の装具の月賦を返せるのだから腕は間違い無く立つのだろう。
「って事で旦那。割の良い仕事紹介してくれないか? さっきギルドは見て来たんだがフリーだと碌な仕事が無いんだ」
「ああ、だったらちょうど今からこの娘とエナの仕事を受けに行くところだ。私の名前で紹介してやるから手伝って貰おうか。勿論、返済分は天引きだがね」
そう言ってギルドに向かってクオ・ヴァディスは歩き出す。
肩を落とし、それも仕方無いと渋々ダブラスもクオ・ヴァディスに続く。
クオ・ヴァディスより悠々頭1つ分以上大きいはずの巨躯がその時ばかりは悪戯を咎められた子供のようだった。




