幕間—アニエスにて—
クオ・ヴァディスのちょっとした事情? を書いてた筈なのに我慢出来なくてグルメ描写が打ち込まれております。
投稿時間的に飯テロになりかねないのでご注意下さい。
「そう言えば」
アニエスに着いたのは既に深夜だった為、そのまま宿を取り1泊。念の為もう1日滞在しようと決めたもののやる事もなく、見付けた喫茶店で3人でお茶をしていたのだが、ふと思い出した事を何となく口にする。
「クオさんは補助具の類は使いませんの?私、服に儀礼編みでも施しているものと思ってましたが、あれは普通の布地のようでしたし」
朝一でトリスタンが購入して来た灰色のニットを着込んだクオ・ヴァディスは、珈琲の杯に口をつけたまま目を丸くしている。
「魔力を制御する為にあの魔導回路を維持するのであれば補助具に頼るのも手段だと思うのですが」
「あー、いや」
杯を置き、何故か照れ臭そうな顔でクオ・ヴァディスは話し出す。
「儀礼編みとか身に付けられる類の補助具に組み込まれている補助式って基本的に画一的なものだろう? 私の魔導回路の変性式と干渉してしまって殆ど役に立たないんだよ」
「成る程……。あと、ずっと気になっていたのですが、クオさんは武具も使いませんよね?改変しているとは言え駆動式を用いて魔法を使っている訳ですから増幅器的な意味合いでの武具は持つに越した事はないのでは?」
ジェドのような生粋の前衛系と真っ向から殴りあえる魔法使いに言っても説得力が無いが、そんな魔法使いは全世界見回したところでクオ・ヴァディスのみであろう。
魔法使いは肉体的には脆弱である。勿論戦闘など考慮に入れない一般人とは比べるべくも無いが、戦場に立つ身にしては前線に出るには心許ないと言わざるを得ない。そのため、衣服に儀礼編みを施し物理保護を強化したり、武具に補助式を組み込んで魔法の発動を少しでも早めたりと、魔法使いはどう生き残るかを考慮して装具を選ぶ傾向がある。
クオ・ヴァディスの不死性からするとそういった一般的な考えは考慮に入れる必要がない分、存分に魔力の増幅や、式の補強などにリソースを割ける筈なのだが。
「何と言うか……、私は対象に危害を加える意図で何かを使うということ自体が出来ないんだよ」
……何を言っているのかよく分からない。
「多分そういう顔をされるんじゃないかと思っていたけどいざ向けられるとちょっと傷付くね。ええと、呪いみたいなものさ。概念的に私は自分以外の力が付与された状態で何かと戦う事が出来ないんだ。例え木の枝だろうとね」
「え……と、まだちょっと理解が追い付いていないのですけれど、じゃあ例えば剣で相手を斬りつけるなんてことは……」
「出来ないねぇ。振ろうとした時点で剣を落とすか、身体が固まる」
「じゃあ弓矢での射撃は……」
「試した事は無いけども矢を番える事がそもそも出来ないと思うよ。ちなみに料理に包丁やナイフを使う事は出来るし、木を切る為に斧を振る事は出来る。ただ戦闘という概念が含まれると一切の道具が使えなくなるんだ」
魔眼を起動。クオ・ヴァディスをつぶさに観察する。
しかし、呪いのような操作系の付与式は当然の事ながら見当たらない。
「もしかしたら種族的なものかも知れないね。検証する材料が無いからどうしようもないんだけどもさ」
「昔、他の甲角族の方が武具で戦っていたのを見た事は無いんですの?と言うかその症状は昔からですか?」
「私が言うと信じて貰えないかもしれないけど、甲角族はかなり牧歌的な種族だったからねぇ。ファガールと呼ばれる私のような複数の角を持った変異体以外は戦うという発想すら無かったよ。そしてファガールは、自分が武具を使えないというのを本能的に知っている」
「ああ、それで貴様はヴィレカダゥの時に敵兵の武具を奪って振ろうとしては投げ、振ろうとしてはすっぽ抜けとやっていたのか。何かの冗談かと思っていた」
「余計な事を思い出さないで欲しいな……」
種に根付く呪い。
多種多様な種族が存在するこの世でも特に生命活動が魔素に比重を置いた種族で稀に聞かれる現象だ。
例えば竜という種にもそれに近いものがある。
基本的に竜は同じ色の鱗同士でしか子を成せないのだ。彼等はその呪いと、高いプライドの所為で子孫を残す事が難しいという論文を読んだことがある。
そもそも永い寿命を持つため然程問題視されていなかったようだが、人族とのいざこざや覇権争いなどで数を減らしてきた昨今では種としての変性が起こり異なる鱗同士でも繁殖出来るようになったと言う。本来、赤、青、黄、黒の4色しかなかった鱗が若い竜程多彩なのはそういう理由だということらしい。
これと同じように、甲角族にも種族的な呪いが組み込まれている可能性は十分にある。
「それにしても勿体無いですわね。クオさんに神具級の魔杖が組み合わさりでもしたら鬼に金棒ですのに」
規格外の魔導回路で存分に強化された改変駆動式が、神具によって更に何倍にも強化されるのだ。考えるに恐ろしい。
「私は今でも十分だと思っているんだがね。まあでもこの先角を回収するに当たって拡張されてしまう魔力容量を処理し易く出来ると言うなら、少し惜しい気はするな」
残り数十本の角をその身に収めた時どれ程の魔力容量になるのか予想も付かないが、恐らくクオ・ヴァディスは今の魔導回路を更に改変していくのであろう。
一魔法使いとしてその革命は強く興味をそそられる事柄であった。
そこで更に思い当たる。
「もう1つお聞きしたいのですが、クオさんは既存の駆動式を改変して使っていますが固有魔法はお持ちではありませんの?先日の花火も言ってしまえば固有魔法ですけれども、もっとこう、ハル様のフヴェズルングのような……」
「ああ、あるよ?」
あっさり肯定された。
考えるまでもなく当たり前ではあるのだ。
即興で駆動式を1から書けるほどの者が固有魔法の1つも持っていない訳がない。
しかしいざ肯定されると俄然興味が湧いてきた。
「竜達との戦闘でも使っていませんでしたけどどのような……。あ、もしかして黒龍の息吹を防いだのがそうですの?」
思い返してみると、突発的過ぎて確認出来なかったがあの黒龍の息吹は直撃していたはずだ。しかしクオ・ヴァディスは無傷で、衣服に焦げ跡1つ無かった。
「や、あれはヤルングレイプだよ。お察しの通りちょっと弄ってるから断層の規模はだいぶ大きいけれども」
『ヤルングレイプ』。
励起した魔素により空間の大気組成に物理干渉し完全真空の断層を作り出す魔法だ。
完全に成立した真空は如何なる熱量や電流も通さない鉄壁の防備を誇るのだが、通常は真空による爆縮を防ぐ為断層を極めて薄くする必要があり熱量による気流や、大気が電離することによって発生したプラズマに容易く貫通されてしまう。これを防ぐ為に断層の維持に殆どのリソースを割く必要があり、発動までの時間短縮と範囲の拡大が絶対的な壁として立ち塞がる、ルーン系統の駆動式の中でも非常に高難度に分類される魔法である。
正直、維持の難易度の所為もあり使い熟す自信は無い。
「そんなものをあの一瞬で展開したんですか……。本当に常軌を逸してますわ」
「リーリエも前線に出るタイプの魔法使いだったらヤルングレイプとスヴェルの練度は上げておいて損は無いよ。現象魔法はヤルングレイプで、物理攻撃はスヴェルで。咄嗟に展開出来るってだけで生存確率が飛躍的に上がる」
ぐうの音も出ない程の正論である。
「スヴェルの練度は十分のようだったから後でヤルングレイプはコツを教えてあげよう。……で、何だったっけ?」
「クオさんの固有魔法ですわ。複数の竜との戦闘でも使わない理由が気になりまして……」
「んー、なんと言うか、私の固有魔法はちょっと過剰に過ぎるからあまり使いたくないと言うか、創っといてなんだけど出来れば使う機会が無い方が良いと思ってると言うか」
鳥肌が立った。
結果として圧倒的に竜達を蹂躙し尽くしておいて、まだあれで手加減をしていたと言うのか。ガーンディーバですらよっぽど過剰だと言うのにこの上その戦略級魔法よりも過剰に過ぎる魔法を持っていると、目の前の男は言っている。
言っているのがクオ・ヴァディスでなければただの妄言として聞き流すところだ。
「過剰というのはやはり威力が、ということですの?」
「威力もそうだが……効果範囲の加減が出来ないんだよ。性質上、制御がどうのという事ではなくてね」
「あれは……出来れば2度とお目にかかりたくないな……」
話を聞いていたトリスタンが苦い表情で呟く。トリスタン程の騎士にここまで言わせるような魔法とは一体どんなものなのか。ハルメニアとクオ・ヴァディスに言われるまで教科書通りの理論でしか考えた事のなかった凝り固まった想像力では思い描く事すらままならない。
「トリスタン様は……」
「そんなに畏まらず、トリスとお呼び下さい」
「え……と、トリス様は見た事がありますの?」
トリスタンは満足気に頷き、クオ・ヴァディスの方を見る。
「今でこそ此奴はこんなですが、昔はもっと野蛮でしてな。その頃の気勢のままに創り出されたアレは最早魔法と呼ぶのすら憚られるようでした」
「うわぁ。なんだろうねこの気恥ずかしさは。おねしょをバラされたような気分だよ」
話の内容と例え話の内容にギャップがあり過ぎる気もするが本人は随分と恥ずかしげである。
ハルメニアも言っていたが、昔のクオ・ヴァディスは今と違って随分と荒々しい様子だったようだ。
後でその辺も掘り返さねば。
「私を以ってしてその構造はさっぱりでしたな。ただ何と申しますか……。アレはまるで世界そのものを書き換えるかのような……」
世界を、書き換える、魔法。
駄目だ。全く想像もつかない。トリスタンがわからない物を自分程度がわかるわけが無いのだが、その固有魔法の持ち主がやけに呑気に珈琲を啜っているものだからどうにか一泡吹かせたくなるのだ。
「まあほら、機会があればリーリエも見れるかも知れないし今考えたってしょうがないじゃないか。と言うか見る機会が出来るという事は物凄く窮地に立たされるって事だけどね」
「クオさんの言う窮地というのが、私の中での窮地とどれ程乖離しているのかが先ずわかりませんわ」
「? 窮地は窮地じゃないのかい?」
皮肉を天然で流された。感覚の相違とは恐ろしい。
「くっくっく。まあお二方共、お話に花を咲かせるのも宜しいですが食事が来ましたぞ。ご相伴にあずかろうではありませんか。こう言っては何ですが、なかなかに美味しそうですぞ?」
トリスタンが笑っているそばから何故か女中さんの格好をした店員が食事の乗った皿をテーブルに並べていく。店に入った時から疑問だったが、店主の趣味だろうか。可愛いけれども。
並べられた食事は、プーレ・オ・コニャックのキノコバターライス添え。キャベツたっぷりのベーコン入りポトフ。牛肉の赤ワイン煮にパンが1籠だ。
凡そ喫茶店で提供されるクオリティの食事ではない。
「喫茶店にプーレ・オ・コニャックとは異端も異端だな」
「そうは言うがこのブランデーの香りはなかなかのものだぞ?盛り付けも申し分ない」
「鶏肉の料理でしたのね……」
鶏肉を塩胡椒とブランデーで漬け込みコンソメと生クリームを加えて煮込む料理だと後で聞いたのだが、普通知るかそんなもの。
「うむ、美味い。これは酒が欲しくなるな」
「ワイン煮もいけるなぁ。ケチケチしてなくて肉が大きいのがまた良い」
トリスタンはプーレ・オ・コニャック。クオ・ヴァディスは赤ワイン煮を食べながらウンウンと頷いている。勝手な印象だが、この2人に美味いと言わせるのだからここの料理人は大したものなのだろう。
否応無しにポトフへの期待が高まる。
「いただきます」
先ずはスープを1口。
「!」
何だこれは⁉︎
本当に調味料は塩しか入っていないのか疑問に思える程の複雑な味覚が口腔内に広がる。そしてそれを嚥下した後鼻腔に抜けるベーコンの仄かな薫香が舌に残る余韻とマッチして絶妙なハーモニーを奏でている。
美味い。
これはちょっと王都でもお目にかかれるかわからない次元のポトフだ。
「その顔は知ってるな。美味しかったんだね、ポトフ」
「ちょっと冗談じゃなく美味しいですわ……。家庭料理と思って油断していました」
「侮るなかれ、ポトフは調味料が塩だけというのもあって実は出汁と具の組み合わせを考えるだけでどこまでも美味しく出来るんだよ?例えばここのポトフは香りからいっても出汁に拘っているだろう?その場合、一般的なジャガイモではなくてサツマイモを入れるんだ」
確かにキャベツの陰に覗く芋は黄色味が強いサツマイモだ。
「正直ミスマッチな気がしますけど、どうしてですか?」
「ジャガイモはあれで結構香りが出てしまうからね。ポトフのような淡白な煮込み料理には実は向かないんだよ。出汁の全力を堪能したいなら俄然サツマイモだね。絶妙に溶け出た澱粉とキャベツの甘みが出汁と塩をより引き立てるのさ」
この牧師、もう料理教室でも開けば良いのではないだろうか。
なんだかんだ繁盛する気がする。
「それにこのベーコン。入るとき店の外に箱があったけどもサン・ヴェルジュのアプタルスモークドベーコンだよ」
「こ、高級品じゃないですか……」
アプタルの果汁で漬け込み甘味と柔らかさを増し、尚且つ肉臭さを消した豚肉をやはりアプタルの木のチップで燻製したサン・ヴェルジュ社の高級ベーコンだ。肉も上質であり、煮ても焼いても余分な油が出る事なく旨味を逃さない逸品である。不味い訳がない。
なんだか畏まってしまって恐る恐るベーコンを1切れ、口に運ぶ。
「あぁ……」
煮ても尚身に残る肉汁と薫香、そして決して過剰ではない油分。
値段イコール味だとは思っていないが、成る程、これは値が張るだけの仕事がされていると納得出来るだけの味だ。
「リーリエ殿のリアクションは見ていて飽きませんな」
「そうだろう?これだから何か美味い物を食べさせなきゃいけないという気になるんだ」
「人を食いしん坊みたいに言わないで下さいまし」
美味い食事に舌鼓を打ちながら、談笑する。
前日とは打って変わった平和なひと時を堪能しながら、頭の片隅でそろそろ協会に顔を出さないと仕事もせずにぶらぶらしていると思われかねないなぁ。などとぼんやり考えていた。
と言うより、ナッシュ・サンドマンの動き次第では事情聴取くらいされるだろう事も覚悟しておかねばならない。
気は進まないが、何にしても1度王都に帰らねばなるまい。ハルメニアのフヴェズルングで跳んでしまった為、恐らく協会内では行方不明と変わらない筈だ。最悪、ハルメニアに事情を説明して貰うより他ないのが心苦しいが背に腹は変えられない。
覚悟を決め、絶品のポトフが冷めてしまう前に消費を再開した。




