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正義と正義

挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


 何故こうなった?


 粉々に砕け散った分厚い木製の机の破片を蹴飛ばしながら、無数の賞状が掛かった壁に前衛芸術のように背中からめり込んだクオ・ヴァディスに駆け寄る。

 頭は力無くだらんと垂らされており、無事なのかどうか、その表情を窺い知る事は出来ない。

 しかしそこから滴り落ちるドス黒い内臓出血の血の色は最悪の状況を想起させるのには十分だった。


「むざむざ敵地に踏み込んで来たりするからそうなるのだ、魔導災害!」


 ツーブロックの金髪を後ろに撫で付けた、前にアリエル・ダンブラスマンと名乗った女性に良く似た顔をした青年が声高に叫ぶ。


「邪悪は、須らく滅べ」


 端正な顔に亀裂のような笑みを浮かべ、青年は一歩を踏み出す。







「おぉ〜」


 驚くほど快適な車内で窓にへばり付き感嘆の声を漏らすクオ・ヴァディスはまるで子供のようで少し可愛かったが、これから疑惑の相手の本拠地に乗り込もうという此方の心中は穏やかでは居られない。

 初めて乗る魔素式発動機搭載型の4輪自動車にもはしゃぐことが出来ず只々押し黙るばかりである。


「ギ・ナイアの化石燃料を使う車と違って魔素式は静かだし揺れないな。発動機の仕組みが違うのかな?」

「彼方の機械式の発動機は化石燃料を発火させてその力でピストンを動かし、その運動エネルギーを歯車に伝えて車を動かす。それが連続して起こっているから揺れるのは当たり前だ。我が国の魔素式発動機は名前の通り、車体前面の吸気孔から取り入れた魔素を運転手の魔力によって励起し直接歯車を動かしているのだ。余計な運動エネルギーが生まれない以上、揺れは少ないし音も無い。まあ魔力容量の低い者には扱い難いだろうがな」


 ハンドルを握って車を運転しているのはトリスタンだ。

 ハルメニアを追って王都からレゾに1日半で辿り着いた理由はこれのようだ。不眠不休でこの車を全速力で走らせていたのかと思うとつくづく化物じみた魔力容量だが、言わないでおく。魔眼でザッと視てみたが、自分だったら恐らく3時間と保たずに魔力欠乏に陥りそうだ。


「ちょっと運転させてくれないか? 前から車には興味があったんだ」

「馬鹿を言うな、ハイエステスに着く前に死ぬ気か貴様。それにバラバラになったコイツを弁償出来るのか?」

「……参考迄に聞きたいんだが幾らするんだい?」


 緊張感が無いのは今に始まったことでは無いが、疑いをかけた身内の懐に乗り込んで行かざるを得なくなったこちらの身にもなって欲しい。


 最初にハイエステス支所に乗り込もうと言われた時は何を言っているのかわからなかったが、説明されてみれば確かに納得の行くものだった。

 仮にクオ・ヴァディスが魔導災害指定であると知れているとすれば、その魔導災害指定本人が直接乗り込んで来たならどう思うか。

 自分なら死を覚悟する。

 突如として現れた未曾有の災害に巻き込まれたくないが為に必死に体裁を取り繕おうとするだろう。

 取れる行動は1つ。

 偵察などしていない、何も知らない。だから何もしないでくれ。

 そう信じてもらう他ない。

 魔導災害指定は最低でも高位代行者10名以上での対応が義務付けられている。つまりは万が一にも相手方が迎撃の態勢を整えてしまう前に威圧してしまえという乱暴なやり方である。

 乱暴ではあるが、効果的であると思った。

 相手方に準備する時間を与えてしまえば取り返しが付かない事になりかねないのだ。行為自体は褒められたものではないが、色々考えてみたものの他に無血で事を沈静化する法案は浮かばなかった。


「うぇ。そんなにするのかコレ?」

「ハル様名義の特別仕様だからな。本来なら私が勝手に乗り回して良い物ではないのだがハル様が居ないのならば仕方が無い。私はフヴェズルングで跳んだり出来ないからな、此奴に乗って、持ち帰らねばならぬ。その為には多少の寄り道程度、止むを得ぬというものだろう」

「物は言いようだな」


 人が真剣に考えているというのに、この2人の気楽さはなんだ。まるで真剣に考えている自分が馬鹿みたいではないか。

 天国と地獄程の温度差に溜息が漏れる。


 これから探るのは身内の腹である。

 どう転ぼうとも、自分の協会内での立ち位置に影響が出るだろう。恐らく悪い方向に。別段今の地位や名声に固執している訳では無いが、複雑な心境である。


 相手がシロなら良い。先日の報告書の事でお話があって来たとでも言っておけば向こうが勝手に対応してくれるだろう。

 クロだったなら、自分は魔導災害指定と繋がった異端と認識されているだろう。レゾとクオ・ヴァディスの為には大人しく脅されていて欲しいと思うのだが、正義の味方的には、自分が所属している組織には脅しになど屈しないで欲しいとも思っている。

 二律背反だ。


「リーリエはさ」

「うぇっ⁈ ハイ⁈」


 急に名を呼ばれ返事の声が裏返る。

 この唐突さは未だに慣れない。


「いや、正義の味方的にこの状況はどうなんだろうと思ってさ。私はレゾとキミに危害が及ばないようにと思ってこうしているけども、相手は正義の味方たるキミが所属する組織の身内だ。自分が所属する組織を、一部とは言え相手取る正義の味方ってあまり聞かないからさ。気になった」

「直球ですわね……。不本意と言えば不本意ですが、状況証拠から鑑みるに確率が高いのだから仕方がありませんわ」

「仮に相手が予想通りクロならキミは少なくともハイエステス支所内では異端として認識される訳だがそれについては?」


 先程考えていた事を改めて聞かれて言葉に詰まる。


「正義の味方が自分の組織に異端として認識されても、キミは真っ向から自分を正義の味方だと言えるかい?」

「当然‼︎」


 ちょっとした苛つきを振り払うように叫ぶ。


「私の正義は私自身が定義しますわ! 私の寄る辺は私であって、組織ではありません! 仮に身内でも悪であれば私が討ってみせます!」


 独善的な思想だとわかってはいるが正直な気持ちだった。

 正義の味方になる為に魔導協会に身を寄せただけであって、正義の味方たる為に魔導協会が必要な訳ではないのだ。少なくとも自分ではそう思っている。


「良かった、そう言ってくれて助かるよ。キミの立場もあるからね、正直気が気じゃなかったんだ」

「気にしないで下さいまし。例え協会に居られなくなっても正義の味方は出来ます」

「素晴らしい覚悟ですリーリエ様。私、感銘を受けました。やはり正義とはそうでなくては」


 真剣な顔で握手を求めてきたトリスタンの手を固く握り、お互いに笑う。

 何だか仲良くなれそうな気がする。


「本当にいよいよとなったらリーリエの身柄は頼むよトリスタン。私からもハルに連絡しておくけど、最悪ほとぼりが冷めるまでティア・ブルーメに置いてやってくれ」

「ふむ。立場上、直接事に与する事は出来んがそれは任せておけ」


 最悪。


 最悪、自分は魔導協会に居られなくなるだろうが、其れ程大した事だとは思っていない。元より貴族の家を飛び出した身だ。何処に居ようとも正義は行える。それは魔導協会に居ようが居なかろうが普遍の事だ。


「でも、クオさんはどうなさいますの?」


 車内に静寂が訪れる。


 最悪の場合、クオ・ヴァディスは漸く身を落ち着ける事が出来た安寧の地を手放す事になるという事は分かっているはずだ。

 それはたかが18年しか生きていない小娘の野望が多少回り道になる程度の事とは比べ物にならないほど、重い。


「んん、また適当にプラプラするさ。私の目的も別に何処に居ようが変わらないからね」

「ならば貴様も我が国に身を寄せれば良かろう」

「や、さすがにそれは迷惑をかけてしまうじゃ……」

「我が国を、我らが女王を其処いらの輩と一緒にするなよ? 貴様如き抱えたところでティア・ブルーメは何も揺らぎはせぬよ」


 目を丸くして、その後でクオ・ヴァディスは楽しげに笑う。


「何だか励まされてしまったな。最悪の場合、考えておくよ」







 本当の最悪は考え付く事程度ではなくて、更にその何歩か先にあるという事を思い知らされると、この道中ではまだ思ってもいなかった。







 レゾを発って凡そ15時間。ハイエステスに着いた時には既に翌日の朝であった。

 トリスタンを郊外に残し支所に向かった自分とクオ・ヴァディスを、支所の受付はすんなりと迎え入れた。

 豪奢な応接室に通されて数分、ノックも無しにドカドカと部屋に入って来た金髪の代行者は挨拶をするでもなく、逆に挨拶をしようと立ち上がったクオ・ヴァディスの足元のテーブルを勢いのままに踏み砕き、目の前の腹に拳を打ち込んだのだ。

 凡そ人が人を殴った時にするような音ではない、まるで爆発のような音と共にクオ・ヴァディスは吹っ飛び、壁に突き刺さったという訳だ。


「邪悪は、須らく滅べ」


 歩み寄る金髪の代行者が拳を合わせると鋭い金属音が響く。見るとその拳には式を組み込まれたナックルダスターが嵌められていた。

 魔眼で視ると、着弾時の衝撃を魔素を介して増幅する式が彫られている。この礼装といい、身のこなしといい恐らく相当の実力者であることが見て取れる。


 こんな実力者が居た事も最悪だが、その実力者がここまで問答無用で襲い掛かってくる最悪は全くもって予想外だ。


 金髪の後方、開け放たれた扉から覗く廊下からバタバタした足音が聞こえてくる。加勢とは、最悪に最悪が重なっていく事態に目の前が暗くなる。


「何をしているんだジェド‼︎」


 怒声と共に廊下から現れたのは見覚えのある初老の騎士だった。あの悪趣味な鎧は身に付けてはいないが。


「貴様何をしているか分かっているのか⁈」


 脂汗に光るその顔は、どうやら向こうとしても予想外の事が起きているということのようだ。


「勿論分かっていますとも親父殿。我等が地に、無礼にもずかずかと乗り込んで来た邪悪と異端を今から排除しようとしているのですよ」


 ジェドと呼ばれた代行者はナッシュの方を振り向き、両手をヒラヒラとしながら答える。


「甘いのですよ親父殿は。魔導災害指定相手に様子を見るなどと臆病風を吹かせている暇があるなら、一撃でも多く打撃を、斬撃を、射撃を、魔法を、見舞ってやれば良いのだ」

「おまっ⁈」


 期せずして言質が取れた。

 間違いなく、ハイエステス支所はクロだ。


「初めまして、リーリエ・フォン・マクマハウゼン殿」


 ジェドは再び此方に向き直り、優雅な動作で一礼する。


「俺はエレンディア魔導協会ハイエステス支所所属能天使—エクスシア—、ジェド・ダンブラスマン。先に会ったであろうアリエル・ダンブラスマンの双子の弟だ。『血塗れ聖者』と言えば少しは知ってくれているか?」

「ハイエステス支所の血塗れ聖者と言えば、協会内で知らない者は居ませんわ……」


 皮肉をどう受け取ったのか、ジェドは灰色の眼を細めて笑う。


 非常に不味い。

 先手を取ったつもりが完全に裏目だ。

 魔導災害指定と知っても尚仕掛けてくる程高位の代行者は所属していない筈だと少々舐めすぎていた。血塗れ聖者の二つ名は知ってはいたが、これ程の狂犬だとは思ってもみなかった。

 しかも、見るからに高速近接戦闘型のスタイルだ。対する此方はどちらも魔法使い。

 基本的に中・遠距離を得意とする此方と極めて相性が悪い。


「待て! 待つのだジェド! 誰が事を構えろと言った⁉︎ 相手は魔導災害指定なのだぞ⁈」

「それが何だと言うのだ?」


 あっけらかんとして、ジェドは小首を傾げる。


「態々斥候なんぞ飛ばしておいて何を今更。今やめるのならばハルメニアが出て来た時点でやめておけば良かったのだ」


 灰色の双眸に、狂信者の焰が揺らぐ。


「我々は代行者であり異端審問官だ。邪悪たる魔導災害も、それと行動を共にするクソ異端者も、総て滅ぼさずして何とする。なあ、姉上!」


 叫ぶと同時に廊下の奥側の窓が割れ、閃光が飛来した。

 展開しておいた魔眼が閃光の正体を魔弓から放たれた魔素弾であろう事を教えてくれる。機動力を奪う為に右脚を狙って飛来した魔素弾はしかし、役目を果たす事は無かった。


 いつの間にか壁の芸術品から人に戻っていたクオ・ヴァディスの手が、あっさりと魔素弾を掴み取っていた。


「今回は助けていただかなくても不意打ちに備えて準備していましたのよ?」

「痛たたた……。せっかく頑張って壁から尻を引っこ抜いたんだから少しは褒めてくれても良いんだよ?」


 魔素弾を握り潰した左手をプラプラと振り、打たれた腹を右手で撫でながらクオ・ヴァディスは不服げな顔で笑う。しかし声を出す度に喉の奥がゴボゴボと嫌な音を立てている辺り内臓の損傷が回復した訳では無さそうだ。


「さすが魔導災害指定されるだけはあるという事か?ふざけた耐久力だな」

「キミこそ馬鹿げた馬力じゃないか。ゴーレムか何かに殴られたのかと思ったよ」


 殴られた事があるのか。

 呆れつつ腰のゼフィランサスを抜くが、その手をクオ・ヴァディスに抑えられる。


「キミは防御と探知に徹してくれるかい?特に映写機と人口精霊には注意してくれ」

「どういうことですの?」

「どうもあっちの騎士の慌てぶりを見るに、これはあの暴れん坊の暴走みたいじゃないか。だから、ほら、つまり、アレだよ」


 言葉が出てこなかったのか、人差し指をピンと立ててくるくると回し一頻り言い淀んだ後、思い付いたように言う。


「この先も私達に対して変なやる気を出さない程度に擦り潰せば、目的は達成出来るんじゃないかな? その為にはこの戦闘の証拠があると不味い」

「話は分かりましたが擦り潰すという表現は些か物騒に過ぎませんか?」

「いやいや、あの手の上司も手綱を握れないような暴れ馬を黙らせるにはそれくらいの腹積もりが無いと」


 この状況で軽口に付き合えるようになって来た事に自分で呆れながらジェドとナッシュに向き直る。


「恐らく弟の近接戦闘を姉の魔弓が援護するツーマンセルでの戦闘スタイルなんだろう。あの魔弓の性能が分からない以上気を抜かないようにね」

「言われるまでもありませんわ!」


 腹が、決まった。1回捩じ伏せてから考えよう。

 どの道、口火を切られてしまった以上収まりがつかない。話をするにも1度黙らせる必要がある。確実に、絶対、誓って、判然たる判断だ。そう決めた。


「酷い怪我をさせてはいけませんよ!」

「おぉ……だんだん私の扱いに慣れて来たね、感慨深いな」


 うんうんと頷いているクオ・ヴァディスを無視してゼフィランサスを伸長。魔導回路を展開、駆動式を励起する。発動する座標を開け放たれた扉に設定。


「『スヴェル』!」


 声と同時に設定した地点の床の組成が組み代わり壁のように屹立して行く。

 ナッシュを逃さないため、更に魔弓での援護をさせないための目隠し兼壁だ。組成変換によって分子間強度を上げた壁はそう簡単に破壊出来ない。


「さて」


 退路を断った事を確認したクオ・ヴァディスはゆっくりとジェドの眼前まで歩いて行く。

 ポケットに両手を突っ込んだままのその余りに無防備な歩みに、ジェドは攻撃の切っ掛けを見付けれずに接近を許してしまう。

 手を伸ばせば届く距離まで近付くと20cm程背の高いクオ・ヴァディスがジェドを見降ろすような状態になる。


「こんな狭い所で魔法なんか使ったらみんな巻き込んでしまうし、どうだろう」


 クオ・ヴァディスの顔が嬉しそうに、本当に嬉しそうに歪む。


「殴り合いで、雌雄を決しようじゃないか」


 魔導災害指定とは言え魔法使いに自分の得意とする殴り合いを要求され、ジェドのプライドはあっという間に沸騰した。


 ドズン! という腹に響く音と共にジェドの震脚が床を踏む。

 全身の柔らかい関節とバネのようにしなやかな筋肉が連動し、震脚を起点とした運動エネルギーと体重を右拳に乗せていく。

 ただの右順突きにも関わらず、腹に着弾する瞬間にはそこに込められた運動エネルギーは人どころか亜人種すら致死せしめる程のものになっていた。


 爆発音。


 弾けるようにクオ・ヴァディスが吹っ飛び遥か後方の壁にめり込む。と、同時に再び夥しい量の吐血。

 しかし、その口は笑いの形を崩さない。


「あ゛ははははは! 凄いな! 本当に馬鹿げた威力だ!」


 ドス黒い血を撒き散らしながらクオ・ヴァディスは嗤う。

 そして再びジェドの元に歩み寄り、見降ろし、宣う。


「今のが全力じゃないだろう?じゃあもう1回だ」


 撫で付けた金髪が逆立つ程の怒りを示しジェドが第二撃を構える。

 先程とは違い、左足を踏み込みながら同時に腰を回転させ、左拳を突き出して来る左の刻み追い突きだ。

 しかしその左拳は引かれ、それと同じ速度で右拳が繰り出される。


 渾身の右逆突き。


 思わず目を閉じたくなるほどの轟音が響くが、先とは違いクオ・ヴァディスはその場から動いていない。


 踏ん張って、耐えた。ようにしか見えなかった。その証拠にクオ・ヴァディスの両足はくるぶしの辺りまで床に食い込んでいる。

 その状況に1番驚いているのはクオ・ヴァディスの腹に深々と拳打を突き刺したままのジェド本人だ。


「なんっ……⁉︎」

「こうか……なっ!」


 ジェドと同じように、クオ・ヴァディスの右の震脚が床に突き刺さる。

 身長が低いジェドに合わせ深く腰を落とし、背骨を中心に神速の円運動が行われその勢いそのままに右拳ががら空きの腹に叩き込まれる。


 鈍い轟音が応接室を満たす。


 それほど大きくないとは言え、人の身体だとは思えない程の勢いでジェドの身体が後方へ吹き飛び、ソファに直撃する。

 魔法使いの拳が招いた惨状だとはとても思えない。

 しかし当人は突き出した拳を見て、怪訝な顔をしていた。


「見た目ほど効いてはないだろう。演技はいいから立ちたまえよ」


 そんな筈があるかと訝しむ間も無くソファの残骸がけたたましい音と共に吹き飛び、確かに思ったよりは元気そうなジェドが立ち上がる。

 右手で腹を抑え蒼白な顔をしてはいるが、兎にも角にも立ち上がりはしたジェドを見て内心、安心する。


 正直、死んだと思った。


「着弾の瞬間に不自然な斥力があった。何かしらの礼装を仕込んでいるね?」

「貴様こそ、殴った感触が人のそれではなかった。どうなっていやがる」

「ちょっと骨と筋肉の組成を弄ってあるだけだよ。見た目はこんなだが体重は160kgくらいかな」


 体組成そのものの物質置換。

 理論的には可能とされ、一部では実装されたという話も聞いたことがあるが魔法使いがわざわざ行っている例など聞いたことがない。

 と言うのも、身体としては異物が投入されたのと変わらない状態であり当然、免疫系は拒絶反応を起こしてしまう。これを抑えるため胸腺や骨髄などの一次リンパ器官に働きかけ、特定のリンパ球が特定の器官にホーミングするのを阻害する組成式を身体に組み込むのだが、これには少なくないリソースを割かねばならず魔法の行使に魔力を使う魔法使いには致命的になりかねないからだ。


 そもそもそれが必要なほど近接戦闘を考慮に入れている魔法使いを見たことがない。


「貴様、本当に魔法使いか? 亜人種すら殴殺せしめる俺の拳打を喰らって、何故まだ生きていて、剰え立ち上がる事が出来るのだ」


 こちらからすれば2人共大概なのだが本人達は御構い無しである。むしろ何だか楽しそうにすら見える。


「ただの片田舎の牧師だよ。ちょっと魔法が得意で、やや力持ちの、ね。と言うか良くわかっていないのに殺す気で殴るなよ。普通の人だったらどうするんだ」

「物的な証拠は取り損ねたが言質は取っている。魔導災害指定ならば人類の敵だ。敵は殺さねばならぬ」

「まだ若いのによくもまあそこまで偏った思考が出来るもんだね」


 やれやれといった顔でクオ・ヴァディスが肩を竦めて見せる。


「貴様は災害なのだ。人が人足る権利などとうに無い」


 言ってジェドが胸の前で拳を合わせる。


 魔力波長。

 しかし何も、魔眼を持ってしても何の式も視えない。


「お望み通り全力で滅ぼしてやる」


 瞬間、ジェドの服の下、胸の中心辺りで魔力が不自然に増大した。補助式も、そもそも魔導回路自体が無いはずなのにも関わらず魔力は増大を続けジェドの制服の下を帯のように巡っていく。


 あの現象は見た事がある。

 アゥクドラの夜半でクオ・ヴァディスの魔導回路に接続した時と同じなのだ。


「まさか……!」


 思考が結論に至る瞬間に、ジェドの身体がまるで全身の筋肉が突然発達したかのように膨張した。


「死ね」


 言い終わりはジェドが立っていた場所からたっぷり10mは離れていたクオ・ヴァディスの眼前で聞こえた。


 轟音。


 目で確認する事は出来なかったが音の正体は直ぐにわかった。

 クオ・ヴァディスの姿は既に無く、ジェドの直線上の壁に大穴が開いていたのだ。


 クオ・ヴァディスはジェドによって吹き飛ばされ壁にぶち当たったところで勢いは死なず、壁を突き破り外へ放り出されたのだ。

 何という常識外れの膂力か。


「……っ」


 軽く二回りは膨張した異様のジェドは何故か小さく舌打ちし外へと歩み出る。

 その背中を追うような形で外に出ると建物から更に5mは離れた樹木に背中から衝突し、その幹と地面に血の染みを広げているクオ・ヴァディスを見付けた。

 幹に凭れ掛かるように地面にへたり込んだその身体はピクリとも動かない。

 攻撃の衝撃か衝突の衝撃かわからないが、ズタズタになった黒い法衣はじっとりとしていて、それが夥しい量の出血であると頭が理解した瞬間、クオ・ヴァディスに向かって駆け出していた。


 しかし、1歩を踏み出したその足元に魔弾が突き刺さる。


「動かないでいただきたい、リーリエ殿」


 右手の樹上から声を掛けて来たのは先日レゾで会ったアリエル・ダンブラスマンだった。

 無視してもう一歩を踏み出そうとした刹那、機先を制され、足元にもう一撃見舞われる。


「もう1度だけ言います。動かないで下さい、リーリエ殿」


 アリエルの美しい顔に、何故か悲哀が滲む。


「今ならまだ、それと関係ない事に出来ます。形ある証拠は無いのです、むざむざ代行者の名を穢す事などないでしょう」

「何を甘い事を、姉上。そいつはそれの連れだろう。同じ邪悪だ」

「黙りなさいジェド。リーリエ殿はエレンディアの、人の至宝だ」


 アリエルの一喝にジェドは舌打ちを1つ、こちらから目線を外しクオ・ヴァディスに歩み寄って行く。


「待っ……!」

「リーリエ殿!」


 反射的に止めに入ろうとした矢先にアリエルの制止が掛かる。


「何故それの肩を持つのですか?貴女は誉れ高き神天でしょう。それは貴女の敵の筈です」

「確かに肩書だけを見ればそうなのでしょうね」


 アリエルの言う事はもっともだ。正論過ぎて反論の余地は無い。人類に対して無差別に甚大な被害を与え得ると認定されたからこその魔導災害指定なのだ。代行者たる自分が肩入れするべきでは無いのは重々承知している。


 だが、しかし、だ。


「レゾでの私達の会話を聞いていたのでしょう?」

「……そうですが?」

「あの会話を聞いていて、それでもクオさんをそれなどと呼べる方にはわかりませんわ」


 アリエルから視線を切り、クオ・ヴァディスの元に駆け出す。

 一瞬躊躇したかのように動きを止めたアリエルが視界の端に見えるが、数瞬後には再び魔弓を構える。

 次の射撃は当てて来るだろうが、知ったことか。


 あんなにも人間であるクオ・ヴァディスを魔導災害指定であるというだけで断じるのは間違っている。

 第一、災害は人を救わない。

 事情も何も知らない身の上で肩書だけを見て悪だと決めつける事に正義は無いと、自らの正義は定義する。それが非常に危うい思想だというのはわかっているがそう生まれてしまったのだ。

 それが彼等の中では悪だと言うならば、自分は彼等の悪として戦ってやる。


 引き絞られた殺気に鳥肌が立ち、足が止まりそうになるが意地だけで走り続ける。

 この瞬間にもこめかみを射貫かれそうな予感に身が竦む。


 明確な死のビジョンに何故か、笑ってしまっていた。


 風切り音が、耳元に聞こえた気がした。

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