斥候を追って
久しぶりの戦闘回。
リーリエは飛び出すやいなや腰のゼフィランサスを抜き、伸張。臨戦態勢を取る。攻撃の為に魔導回路の展開を必要とする魔法使いは遭遇戦に向かない。前以て回路を励起状態にしておく必要があるのだ。
即座に魔眼を起動し辺りを見回すが斥候どころか既にトリスタンとクオ・ヴァディスの姿も見えない。
動揺し初動が遅れてしまった事を悔いるが今更どうなる訳でもない。確率的に1番高そうな、トリスタンが睨み付けていた林に駆け込む。
リーリエの魔眼はありとあらゆる魔法的事象を視覚化する事が出来るがそれはあくまでリーリエの視界に限った事でしかない。
目で見える範囲しか魔眼で視る事は不可能なのだ。
「こういう時っ、千里眼とかに憧れますわねっ!」
全力疾走に慣れていない肺腑はいとも簡単に悲鳴を上げ始める。林は思ったよりも鬱蒼としており平地を走るよりも数倍の体力を消耗してしまうのだ。
代行者になるにあたり一通りの訓練は受けてきたリーリエではあるが、そこはしかし魔法使いである。座学に多くを割いてきた身体は容易には付いてこない。
「こんなことなら……もっと実技訓練受けておけば……良かったですわ……」
走り出して数分だというのに既に青色吐息のリーリエは脇腹を抑えて立ち止まる。
鬱蒼と繁った林は視界を遮り、風に靡く葉音は聴覚すら欺く。こんな中他の2人はどうやって斥候を追っているのか。
とにかく立ち止まっているよりは動いていた方がマシだと一歩を踏み出した瞬間、リーリエの耳元を羽音のようなものが掠めて行き後方の幹に突き立った。
驚愕と同時に緊急回避。
掠められた右耳側を嫌い左側方の木陰に身を隠す。
飛来物を確認するとそれは刃渡り7cm程度のダガータイプのスローイングナイフだった。
「接敵前に取り敢えず一撃って事ですの⁉︎」
右耳を触って出血が無いのを確認。
刃渡りから見て、狙いは直接的な外傷ではなく恐らくは刃に塗られた毒だ。致死性のものでなくともここで動きを封じられたら詰みだ。
「くっ⁉︎」
距離を取ろうと木陰から出ようとすると、見極めたかのようなタイミングで進行方向上にスローイングナイフが突き立つ。
「手の平の上って事ですか……」
しかし相手はナイフを投げて来るだけで決定的な手を打ってこない。リーリエが隠れている木の幹程度魔法ならどうとでもなるのにも関わらずだ。
決定打を打つなら姿を確認されていない今の内だというのに……。
「そうか!」
リーリエは思い当たる。
トリスタンは屋内から斥候の存在を看破した。方法は不明だが何らかの探知魔法を持っているのは確実である。相手はそれを警戒して物理的な方法のみで攻撃してきているのであろう。
「威力偵察にしては失敗しましたね!」
木陰に隠れたままゼフィランサスの補助式を全力展開。駆動式の効果半径を最大に設定する。
姿が見えなかろうが知ったことか。
「契起―エンゲージ―!」
裂帛の気合いと共にリーリエの周囲の魔素が青白く輝き、電光を発する。蛍火のような光は瞬く間に空間を埋め尽くし最終的にリーリエを中心とした半径50m程にまで拡大していた。
見えないなら、全てを攻撃してしまえばいい。
「『ユピテル』!」
声と共に、リーリエを中心に電撃の渦が発生した。
『ユピテル』。
どちらかと言えばマイナー寄りなディエーウス系統に分類される魔法である。マイナーな理由はひとえに威力が無いからという一言に尽きる。
しかし比較的簡素な構造式は様々な魔導回路での使用を可能とし、また簡素故に魔力消費も少なく発動も早いとメリットも大きい。
本来は術者の他にもう1つ、異なる導体を設定しその電位差を利用し地電流を流すという単純なものだ。しかしリーリエは凡そ数百の導体を円状に配置する事により範囲攻撃を可能としている。
また導体との距離を取る事により電位差は大きくなり、電圧の増幅に割く式を結果的に節約しているのだ。
雷に特化したリーリエだからこそ出来る離れ技である。
「ぎゃっ⁉︎」
リーリエの前方、10m程の地点から絞るような悲鳴が聞こえ、続いてバキバキと枝の折れる音と共に重量物が地面に落ちる。
「よしっ!」
確かな手応えにリーリエは木陰から音のした方へ駆け出す。
音の発生源は全身黒尽くめの人物だった。目元以外は全て黒い装束で覆われているため男性か女性かも判別が難しい。ご丁寧に隊証の類は一切身に付けておらず、一見して何処からの斥候なのかは不明だった。
「死なないにしても暫くは動けないはずです。さあ、洗いざらい目的を……」
言い終わる瞬間、リーリエの魔眼が視界の端に違和感を捉える。
即座に反応するが哀しいかな魔法使いであるリーリエの身体能力ではその方向に首を巡らせるのがやっとだった。
一見何も無い空間が不自然に歪み、次の瞬間には歪みの中心からカーテンを破くようにもう1体の黒尽くめが現れた。
『グラシャラボラス』。
先のシャックスと同じくゴエティア系統に分類される魔法だ。
効果は周囲の光の屈折率を任意で変更し姿を隠す所謂光学迷彩である。主に隠密任務等で使用される魔法であり、魔眼を持つリーリエでさえ意識の外からではこの有様なのだ。肉眼での発見は先ず不可能であろう。
意識外からの奇襲は必殺のタイミングだった。
逆手に持った短刀を胸に構え、後はがら空きの肋骨の隙間に刃を滑り込ませるだけでリーリエはいとも簡単に絶命するだろう。
斥候が複数だという可能性に考えが及ばなかった事を悔やむ間も無く凶刃がリーリエの脇腹に突き刺さり、肋骨の奥の肺や心臓に向かって押し込まれる……。
「⁉︎」
黒尽くめの驚愕の声を聞いて、リーリエはまだ自分が生きている事を自覚した。
脇腹に走る鋭い痛みはあるがそれは表面的なものでしかなく、せいぜい切っ先が刺さった程度だろう。
恐る恐る視線を落とし脇腹を確認すると、リーリエの後方から生えた屈強な腕が短刀を握り締めて止めていた。
「まっっっっっったく、無茶な事をするなキミは!」
後方から掛かる声は最早聞き慣れたクオ・ヴァディスのものだった。
「クオさん……!」
安心して膝から力が抜ける。
それと同時に、ビクともしない短刀を捨て黒尽くめが距離を取る為に後方に跳ねた。その体捌きは熟練したものであり、目にも留まらぬものだった。
しかし、クオ・ヴァディスの更に後方から現れた突風は、黒尽くめの後退を許さなかった。
「私の前で婦女子に傷を負わせるとは良い度胸だな、小童」
一陣の風と化したトリスタンの踏み込みは黒尽くめの軸足が地面から離れることすら許さない速度だった。
一閃。
いつ抜剣したのか、どう剣を振るったのかもわからなかった。気付いた時にはトリスタンは眼前に剣を掲げており、黒尽くめの四肢は千々と消えていた。
ドシャッという音と共に四肢を失った黒尽くめの胴体が落下。続いて夥しい量の血液が生い茂った緑を赤く染めて行く。
拷問に対する訓練も受けている筈の斥候が苦悶の声を漏らす。
「楽には死なせんぞ。貴様等何処の間者だ?」
黒尽くめは浅い呼吸でトリスタンを睨みつけ、目元だけで嗤う。
体内に高密度の魔力が集束。明らかに人体の許容を超えた循環速度で式を内向きに走る。
機能不全状態に陥った式はゲシュタルト崩壊し行き場を無くした魔力が周囲の魔素を無作為に巻き込み爆裂する。
「危ない‼︎」
自爆する気だ。
脇腹の痛みも忘れてリーリエが叫ぶ。
だが、炸裂する筈の魔力は無音で心臓に滑り込んだトリスタンの剣によって式ごと霧散していた。
未だ電撃によって動けずにいるもう1人の黒尽くめから驚愕の気配が伝わるが、それ以上に驚いていたのはリーリエだった。
臨界状態だった式が跡形も無く消えた。
竜などの高次の存在がするような回路そのものの阻害とは訳が違う。既に魔力が流れ励起状態にある駆動式を根刮ぎ無かった事にするのは理論上不可能なのだ。
投げた石を投げていなかった事にするようなものだ。ペテンでもなければ説明がつかない。
「驚いたろう? あれがトリスタンの剣、神具『リュミナリティア』の力だ」
「神具⁈ あれが……」
神代の力の物質世界への顕現として語り継がれている伝説の装具の事を、人は神具と呼んでいる。
現在確認されているのは8つのみだと言うが、詳細は一切伝わってすらいない。所有者どころかどのようなものであるかも、だ。
それは余りに強大な力故にその存在自体が戦争の火種になり兼ねないからである。
その内の1つが、目の前にある剣だという。
「トリスタン・エインズワースの武功は広く伝わっていますのに神具の事は記述に上がっていませんでしたわ……」
「記述自体はあるのですよ? 少しマニアックなだけで」
「神具を所持しているのが判明しているのはキミと鉄槌王くらいだが、どちらも禁書指定の記録だろう? マニアックと言うには些か敷居が高くないかね」
「貴様に言われると一層腹立たしいな」
小声で話している辺りもう1人の黒尽くめに聞こえないよう配慮しているのであろうが、内容がショッキングに過ぎる。
「さて」
リュミナリティアを引き抜き、トリスタンが残った黒尽くめに向き直る。
「行動は良く選べよ、小童。貴様等何処の間者だ?」
突き付けられた切っ先よりも、トリスタンから発せられる威圧感に気圧され黒尽くめが身震いする。
矢面に居ないリーリエにもわかる。
答えて綺麗に死ぬか。
抵抗して苦しんで死ぬか。
突き付けられているのは絶対の死だ。
「あ……が……!」
異常な程の圧迫感に窮した黒尽くめは固く目を閉じ、もう1人と同じように体内の式を暴走させようと試みる。
「そうか」
やはり無音でトリスタンの右手が閃き心臓ごと式を貫く。
後に残ったのは物言わぬ骸が2体だけだった。
相手が斥候であった以上、殺すしかないのはわかっていたがリーリエにはまだそこまで割り切る事が出来なかった。
ユピテルではなく、ミョルニルのような殺傷能力の高い魔法を打たなかったのは何も情報を聞き出そうとしたからという訳ではない。
ただ躊躇っただけだ。
正義を行う為に覚悟はしていてもやはり人を殺すという行為には抵抗があった。殺さなくて済むならばそれに越した事はない。強い正義への執着と相反してリーリエはこの葛藤の答えを見付けられずにいた。
「う、ぐっ⁈」
突如として湧き上がった脇腹の灼熱感にリーリエが苦悶の声を漏らす。
痺れるような激痛は傷口を中心にゆっくりと広がり深くに浸透していくようだ。
「やはり毒が塗ってあったか。クオ・ヴァディス、どうだ?」
トリスタンがリーリエに駆け寄り患部を確認する。
傷口自体は1cm程度の刺し傷でしかないが、周囲が腫れ上がり止め処なく出血を続けている。
「受けた感じだとタンパク質分解酵素か何かの作用によってフィブリンを分解する出血毒だな。プロトロンビンが選択的に活性化されている辺り恐らく魔法由来の毒だ。大丈夫、これなら話は早い」
痛みから身体をくの字に曲げるリーリエを地面に寝かせ、クオ・ヴァディスが魔導回路を展開する。
「いいかいリーリエ、今からセーフリームニルの応用でキミの脇腹を中心に幾らか血液の組成を弄る。自分以外に施した事が無いからちょっとどんな影響が出るかわからないんだが死ぬよりはマシだと思って我慢してくれ」
リーリエの痛みに明滅する視界にクオ・ヴァディスの困ったような顔が映る。
「お、願いします、わ。死にたくは、ありません、もの」
「よし、痛かったら叫んでも良いからね? 聞かなかった事にしてあげるから」
此の期に及んで軽口を叩くクオ・ヴァディスに奇妙な安心感を覚え、リーリエは目を閉じる。
「行くぞ」
「⁉」
声と共に訪れた先程とは比べ物にならない激痛に、リーリエは声を出す暇も無く一瞬で彼方へと意識を手放した。




