感謝祭2
夏口の夜の独特な清涼感。
喧騒とはまた違った人々の声。
頬を涼やかに撫ぜていく山あいの風に乗った出店の食べ物の薫り。
王都生まれ王都育ちのリーリエにはどれも刺激的であり心を揺さぶられる。王都のカーニヴァルはもっと儀式めいた堅苦しさがありいまいち居心地が悪かったのだ。元来人混みがあまり得意ではなかった為、単純に人口密度の高いところに居たくなかっただけでもあるのだが。
楽しい。
リーリエは生まれて初めて祭というものを楽しんでいた。
広場の中央に設けられた噴水を取り囲むように配された木製のテーブル席。その1番外縁の席にリーリエは1人で座っていた。
テーブルの上には、モールのヒレ肉の香草焼き。蒸した野菜の盛合せ。鍋ごとのミネストローネ。それに氷カゴに入ったアプタルのジュースの瓶が並べられている。
これだけでも大した量だがあの3人はテーブルの占有率が足りないと散り散りに物資の捜索に旅立って行った。どうも4人で掛けるには大きなこのテーブルを食べ物で埋め尽くしたいらしい。
先に食べていて良いと言われているのだが、マナーに煩い家に育ったリーリエにはどうにも手を付けることが出来ず、結果として生殺し状態になってしまっていた。
「駄目、駄目よ私。みんなで一緒に食べるんですのよ。先にいただいてしまうなんてそんなはしたないこと絶対にいけませんわ。ああぁでも良い匂いがする……」
目をぐっと閉じ、呪詛のようにブツブツと呟く様は滑稽だが当人はいたって本気だ。全力を尽くし目の前の誘惑と戦っているのである。
年の差や身分的に失礼なのかもしれないが、友人と祭に参加することなど初めてなのだ。
マナー云々以前に、先に1人で味わってしまうなど勿体無くて出来る訳がない。
誘惑を断ち切る為にリーリエは別の事に想いを馳せる。
手隙の代行者が自分しかおらず単独でレゾに派遣されてからというもの、一生分驚いたのではないかという程驚天動地の日々だった。
竜と戦い、クオ・ヴァディスとアレッサとハルメニアに出会い、誰も知らぬところで世界を救い、また誰も知らぬ歴史を知った。
そればかりか、これが実は一番大事なのだが友人が出来た。魔法使いにあるまじき発想であるとリーリエも理解していたが未知の魔導回路よりも、人類の頂点たるハルメニアとのまさかの会合それ自体よりも、新たに3人の友人が出来た事の方がリーリエには嬉しかった。
「ふふっ」
知らず笑みが零れる。
本の虫たるリーリエには所謂腹を割って話せる友人は居ない。学園時代の友人は結局級友ではあるが深く知り合う事は無かった。それ故必要以上に他人と関わる事を苦手としていたリーリエは、初めて他人の内面に踏み込んだ妙な高揚感を不謹慎ながら楽しんでいた。
自分も誰かに関わって良いのだと思える充足感はリーリエ・フォン・マクマハウゼンという個人にとってそれほど大きなものだったのだ。
ふと、視界の端によぎるものがあった。
光。
しかし夜の広場を照らす魔素灯の光ではない。魔法使いのリーリエにはある意味もっと馴染み深い見慣れた光。
駆動式の光だ。
明らかに生活魔法式の光ではない魔導回路を必要とする類の駆動式。およそこの場には似つかわしくないものの筈だ。
広場から離れた林の木陰であり、リーリエの位置からだと広場を挟んで逆側の為距離的に判別はつかないが、リーリエは反射的に魔眼を起動し……。
「その魔眼ってさ」
何の前触れもなく掛けられたハルメニアの声に冗談ごとではなく心臓が跳ねた。
いつの間にかリーリエの右隣に立っていたハルメニアはその細腕に似つかわしくないほど大量の肉串の皿と、あろう事か子供程のサイズのビア樽を抱えている。今の格好と相俟って凄まじくシュールな絵面だ。
おかげで駆動式の光から意識が完全に離れてしまい、再び見やるもそこには駆動式どころか何の光もありはしなかった。
「びっくりさせちゃった?」
優しい声に相反して、手にしていた皿とビア樽をドカドカとテーブルに置いていくハルメニアに駆動式に気付いた素振りはない。
ハルメニア程の人物が気付かないのであれば自分の気の所為ではあるまいか?
事実、林の中には魔法が発動した残滓は見て取れない。
リーリエは深呼吸をしてハルメニアに向き直った。
「ちょっとぼーっとしていましたわ。大丈夫です」
「そ? リリたんのその魔眼ってイルガーの翠眼だよね? 神格級の魔眼なんか授かって大変じゃなかった?」
言いながらやれやれと着席するハルメニア。
大変と言われれば、そうだった気もする。
今は意識的にスイッチのオンオフが出来る為生活に支障は無いが、授かって間も無い頃は制御が上手く行かず絶えずスイッチが入ったままになっていたのだ。
つまり通常の視界に魔眼による視界が重なり合っている状態が続いていたということである。
大気中や物質に含まれる魔素の流れ、更に生活魔法式迄が全て通常の視界に重なっているというのは言わば視界に絵の具をぶちまけられたに等しい。しかも起動状態の魔眼は馬鹿にならない量の魔力を常時消費して行く。魔力欠乏による慢性的な倦怠感は仕事はおろか私生活にも多大な影響を及ぼし、休暇には日がな一日中寝ている事が殆どだった。
「そうですね、私の魔力容量で扱うには過ぎたものだと思います。多少制御出来るようになった今でも10分以上起動しているだけで魔力欠乏を起こしてしまいますし」
「ぶっちゃけた話、制御出来てるだけでもよっぽどな事よ? 神格級で尚且つ身体に直接授かる系統のものって大体授かった側が破滅するからね。神格の気まぐれで授かる事が多いから適性とか度外視されてるものだし」
ちょっと血の気が引いた。
気まぐれという言葉に無視出来ない心当たりがあるからである。
あの鳥なんてことしてくれてるのか。
「片目だけって辺り優しいとは思うけどね。両目とも急に魔眼にされたりなんかしたらその場で発狂ものだよ」
「ええ……、暫く目を開けるのも嫌でしたもの」
「でも魔法使いである以上その魔眼は凄いアドバンテージよ? 他の魔法使いが視えないものが視えるんだから」
椅子に腰掛け、テーブルに頬杖をついてハルメニアが笑う。
確かにこの魔眼のおかげで神天の称号を得たと言っても過言ではない。
魔導回路や駆動式、またそこを流れる魔力を直接的に視認出来るリーリエにとってその制御は言ってしまえば其れ程時間を要するものでは無かったのだ。
「そうだね。事実、私の魔導回路を制御してみせた訳だし」
声のした方に目を巡らせると、ハルメニアと同じようにあり得ない量のパンとアプタルのパイを満載した皿を持ったクオ・ヴァディスが居た。
「あれを? やだちょっとなにそれ詳しく」
「そもそも私が精霊の怒りなんぞ鎮められる訳がないじゃないか。リーリエが私の回路を使ってアゥクドラを鎮めたんだよ」
「確かにクーたん1人だったら鎮めるどころか大戦争勃発がいいとこよね」
「……否定出来ないだけに腹立たしいな」
不服げな表情でクオ・ヴァディスがテーブルに皿を並べていく。8割方食べ物と飲み物で埋め尽くされたテーブルはどう考えても4人で消費する為の状態ではない。
「あとはアレッサがアプタルの果実酒を持って来れば完璧だな。魚もあれば良いんだがやたらと並んでいたし望み薄かな」
この挙句まだ増やす気らしい。
「何にしてもリーリエは天才だよ、贔屓目無しにね。最悪、アゥクドラの封滅も止むなしと思っていたんだが杞憂に終わった。どうもキミは自分に自信が無さそうな様子だけどもっと胸を張っても良いと思うんだけどね」
予想だにしていないところで褒められて思考が混乱する。
天才。
史上最年少で神天を授与した際に巷で騒がれた事だが、凡百に騒ぎたてられたのと目の前の魔導災害級魔法使いに言われたのでは言葉の重みがまるで違う。
「人の身でどんな境地に辿り着くのか、年寄りとしては楽しみな逸材だよ」
「精霊界に踏み入れるあたし以外の唯一の人族って時点である種の境地ではあると思うんだけど?」
「精霊界?」
なんの事かわからず漏れた声に2人が『あぁ』という顔になる。
「そうか、気を失ってて覚えてないのか。そもそもキミは王都でハルと会っただろう? 私の教会で目を覚ます前にハルと扉をくぐったと思うんだが覚えてないかな?」
魔導災害指定や甲角族の話で有耶無耶になっていたが、そう言えば気付いたら目の前にクオ・ヴァディスが居て、自分がレゾに戻って来ている事を知ったのだった。
扉?
微妙に靄が掛かった記憶に、微かながら覚えがある気がする。
ハルメニアに手を引かれ……、そうだ、彼女は言っていた。
『じゃあ今から顔でも拝みに行ってやろうか』
声と共に恐ろしく精緻な魔導回路と見た事もない書式の駆動式が展開したのを見た。
次の瞬間には魔導協会の見慣れた会議室に大理石のような滑らかな表面を称える、豪奢な装飾の為された純白の扉が現れたのだ。
その扉をくぐるやいなや意識を失ったわけだが……。
「あれは『フヴェズルング』というハルの固有魔法でね。直接精霊界に踏み込んで時間と距離を概念ごと跳び越える、本来ハルにしか許されていない超定理魔法なんだ。肉体を持った存在が物質世界から精霊界に踏み込む事は自殺行為だからね。キミはイルガーの加護でどうやら平気なようだけど、普通は肉体を魔素に分解されて物理的には文字通り消滅してしまう。何事も無かったから良かったようなものの正直肝を冷やしたよ」
「なによ、このあたしが大丈夫だと思って連れて来たんだから大丈夫に決まってるでしょ?」
「どうもハルが言うと根拠に聞こえないんだよ……」
喧々囂々言い合う2人を見ながらリーリエは人知れず、笑う。
魔導協会に認められた事よりも。
世間に認められた事よりも。
この偉大な魔法使い達に認められた事が何より誇らしかった。
「おや、リーリエちゃん何か良い事でもあった?」
背後から掛かる声に振り返るとそこには前の2人と同じように大量の酒瓶を抱えたアレッサが立っていた。
「ちゃんとリーリエちゃんの為にノンアルコールもあるから安心して良いよ。あれでも王都って18歳は呑んで良いんだっけ? お酒の方が良かった?」
「法律的には大丈夫ですけど私はジュースをいただきますわ。お酒は呑んだことありませんし……」
そう言ってアプタルのジュースの瓶に手を伸ばすとクオ・ヴァディスが既に栓を開けたジュースを差し出してくる。
「まあ、あれだ」
言葉を切り、何だか照れ臭そうに頬を掻く。
「新しい友人に乾杯といこうか」
見れば既に3人とも杯の準備が出来ている。
リーリエを待つ3人の笑顔を見ていると、何だか鼻の奥がツンとしてきてしまう。
「あ、ありがとうございます! クオさん! ハルメニア様! アレッサさん! どうか宜しくお願いします!」
涙の兆候を振り切るかのように力一杯瓶を掲げる。
待っていましたと言わんばかりに力強く打ち付けられる杯の感触に、リーリエは涙を堪えるばかりだった。
「リリたん、もう友達なんだからハルメニア様は無しだよー。勿論アレたんもね?」
「うぇっ⁈ あたしも⁈」
「あったりまえでしょ?なんで友達に様呼ばわりされなきゃなんないのさ。ハルよ。ハールー」
「ハ……ハルさんからで良いっすか? 急に呼び捨ては敷居が高いっす……」
その光景を見ていると自然と笑顔が溢れてくる。
「良いものなんですね」
「ん?」
呟きにクオ・ヴァディスが返事を返す。
「友達って良いものなんだなって、私、初めてそう思いました」
安っぽいかも知れないが、本心だった。
こんなにも心安らぐものだとは知らなかった。
こんなにも掛け替えの無いものだとは思わなかった。
「ありがとうございます。友達に、なってくれて」
「殆ど友達の居ない私が言うのもなんだが、キミは随分な生き方をして来たみたいだねぇ」
「返す言葉もありませんわ。私の正義の為には勉強が1番でしたから」
「まあ私は魔導災害指定の身だしハルは女王だし、本当に友達と呼べるのは殆ど居ないんだ。アレッサやキミみたいな人は何と言うか、実は有り難い」
クオ・ヴァディスの表情が照れているような、痛みを堪えるような複雑なものになる。
「私は人が大嫌いで大好きだ。矛盾しているがそういうものだと、私は思っているし納得している。私の種族は少しばかり他と違った為に滅んでしまったが、かく言う私だって人だからね」
そこで言葉を切り、クオ・ヴァディスはヴァイツェンの杯を呷る。
「1人で呑む酒よりみんなで呑む酒の方が美味いし、私が作った料理を誰かが美味いと言ってくれればとても嬉しい。……んん、何が言いたいのかわからなくなって来たな……」
「あんな複雑な演算をしている人にもわからなくなる事があるんですのね」
クオ・ヴァディスが一瞬、目を丸くした後、カカッと笑う。
「その通り、全くその通りだ。人間は本当に難しい。だからこそ面白いのさ」
そう言ったクオ・ヴァディスは空になった杯を置き、次に果実酒に取り掛かる。ならうようにリーリエもジュースの瓶に手を伸ばし、そのついでに肉串を2本掻っ攫う。話している間に肉串の3分の1程が既に消費されているのだ。確保しておかねば恐らく瞬殺される。
出来上がりつつあるアレッサとハルメニア、それに苦笑するクオ・ヴァディスを見ながら、リーリエはある決意を新たにしていた。
翌朝、ハルメニアによって死体同然まで酔い潰されたアレッサを家に運び、教会に戻り1夜を明かしたハルメニアとクオ・ヴァディスの前に、リーリエは床に額を擦り付けんばかりに突っ伏していた。
所謂、土下座である。
「えぇと、リーリエさん。一体何をしているのか聞いても良いかな?」
起き抜けに居間に降りてくるや否や丸まった子猫のような状態のリーリエに出会したクオ・ヴァディスが困惑気味に問い掛ける。
テーブルでは既に起きていたハルメニアが、こちらは何やら喜色満面の顔で昨夜の残りのパイを齧っていた。
「お願いが御座います」
饅頭状の物体から地を這うような声が発せられる。端的に言って少し怖い。
「不肖、リーリエ・フォン・マクマハウゼン。若輩ながら御二方にお願い申し上げます」
「うん、取り敢えず頭を上げないかな?若いのにそんな東方式の作法なんか何処で覚えたのさ」
渋々といった様子で頭を上げ、上体を起こし、背筋を伸ばしてそのまま床に正座で座る。
その顔は見たことも無いような凛々しい表情であり、何故だが見る者の良心を擽る。
「で……」
凛々しい顔が一変、急にモジモジして言い淀む。
その様子にクオ・ヴァディスはなんだか可哀想な気持ちになってきた。
「何でも言ってごらんよ。ほら、友達なんだし固っ苦しいのは無しでさ」
「弟子にしてくらはいっ!」
割と盛大に噛んだ。
此処ぞというタイミングでの失態に真っ赤になり再び饅頭のように丸まるリーリエを見てハルメニアは絶賛大爆笑中である。
混沌、此処に極まれり、である。
「え……と、うん? 弟子? どういうこと?」
「あの……お2人の……魔導回路とか……魔法のイロハを……ご教授願いたいと……」
恥ずかし過ぎたのか最早涙目である。
「あぁ、なんだそんなことか。良いよ。弟子とかじゃなくて普通に。ハルも構わないだろ?」
「当たり前じゃない。リリたんなら大歓迎!」
「……へ?」
「と言うか私の魔導回路は私が使うの前提だから人に教えてもなぁ。せっかくハルメニア式のオリジナルが居るんだし、大衆用のではなくて原型のハルメニア式を教えてもらえば良いんじゃないか?」
「確かに。試しに読んでみる?」
言葉と共にハルメニアの眼前に魔導回路が展開される。
その全貌はリーリエが使う大衆向けのハルメニア式の5倍程の直径を持つ、紅く輝く円形の式だ。
基底部たる中心の五芒星を核として内と外、2層に分かれた式が其々逆の方向にゆっくり回転している。回転する式は見慣れたハルメニア式とは比べ物にならない密度の構成式で満たされており、一見何がどうなっているのか想像もつかない。
「凄い……」
リーリエの素直な感想だった。
構築されている式の密度で言うならばクオ・ヴァディスの魔導回路よりも遥かに高い。この式全てに満遍なく魔力を行き渡らせる作業を思い浮かべて、リーリエは血の気が引く。
「私の魔力容量では丸っきり足りませんわ……。全力で4割、循環速度を統一するとなると2割に届くかどうか……」
「うわ、ホントに隅々まで視えてるんだ。魔力容量はとにかくとして、視える事っていうのは重要だよ。あたしやクーたんの回路って結局自分用の固有体系だから誰かが使うには向かないのね。でも自分に都合の良い所を視て、取り入れる事が出来る。それを繰り返していればいつの間にかリリたんの固有体系が出来上がるってことよ」
「私の、固有体系……」
今迄考えた事も無かった発想だった。
体系化された魔法は汎用性が上がった反面、柔軟性と発展性に乏しい。それは勿論今定義されている魔導回路が完成されているが故ということもあるが、そもそも概念としてしか魔導回路を認識出来ない者が殆どの為に丸っきり新規の魔導回路を組む事は疎か、既存の魔導回路を改良・改変する事すらままならないのだ。
しかし、視界に魔導回路を認識出来るリーリエはそれとは一線を画す。
「私の回路の変性式の要領だ。キミは脳内に焼き付けた魔導回路を随意で上書き出来る筈だよ。今は無理かもしれないけれど回路図や書式は私達が教えようじゃないか。なんだか楽しそうだ」
時間が大きく制限される人の身では無理だと思っていた。
全ての魔法使いの夢である固有体系を持つ事など正義の味方という目的以上に不可能だと思っていたのだ。
しかし、光明が示された。
「ありがとう、ございます」
目から鱗とはこの事だ。
「あぁ、でも暫くはクーたんから教わってね?そろそろ撒いた爺がここに着いちゃう頃だから、あたしはその前に一旦帰らないと」
「爺?あぁまさかトリスタンか?ちょっと待ってくれ、今帰られたら私は彼にどう説明したら良いんだ」
途端にクオ・ヴァディスが取り乱し始める。
「フヴェズルングで帰ったって言っておいてよ。あたし王都に公務で行くって言って出た手前今捕まる訳にはいかないのよ」
「彼の事だ、どう説明したところで私が悪者になるに決まってるじゃないか」
「そもそもあたしにリリたんの事頼んだのはクーたんじゃない。そのくらい請け負ってよね!」
言い争う側からハルメニアがフヴェズルングを展開する。
登場も、また帰る時も台風のような人だなとリーリエは切実に思っていた。
「リリたん今度は私の国に遊びに来てよね! 歓迎するから!」
「是非伺わせていただきますわ! その時色々教えて下さいましね!」
その言葉に満面の笑みで返事をし、ハルメニアは扉の中に消えた。扉が閉まると同時に扉を構成していた魔素が大気に還元され青い粒子へと分解されていく。
あとには床に正座したままのリーリエと、ハルメニアを追おうとして失敗し床に突っ伏したまま中空に手を伸ばしたクオ・ヴァディスが残るだけだった。
「あらゆる意味で凄い人でしたわ……」
「最後にとんでもない問題を残して行ったな……。どうする……いっそ何も見なかった事にするか……」
ブツブツと物思いに耽るクオ・ヴァディスを見るにトリスタンという人物の事が随分と苦手なようだ。
「トリスタン……?」
リーリエにはその名に聞き覚えがあった。
ハルメニア・ニル・オーギュストに爺と呼ばれる程のトリスタンという名の人物。
「まさか英雄トリスタン・エインズワースのことですの⁉︎」
「そのまさかさ」
トリスタン・エインズワース。
ティア・ブルーメにおいてハルメニア・ニル・オーギュストと双璧をなす英雄の名である。
魔法使いの最高峰がハルメニアなら、剣士としての最高峰がトリスタンだ。
ハルメニア式を用いた魔法剣を得意としその威力は強力無比。精霊の力を宿した剣閃は竜の鱗すら斬り裂く本物の竜狩である。
「彼もハルと同じく古い知り合いでね。角の回収の為に無茶をするハルを側近として見ていたものだから私を快く思っていない……と言うか多分滅べば良いと思ってると思う」
「それは……穏やかではありませんね」
「多分魔力波長でハルを感知してここに向かっているんだろうから上手く出会さないように出掛けて……」
言い切るか言い切らないかというタイミングでけたたましい音と共に玄関の扉が蹴破られる。
「ハル様あぁぁっ‼︎ ハル様はおられるかっ⁉︎」
耳を劈く絶叫と共に息も絶え絶え踏み込んで来た老紳士こそ、英雄トリスタン・エインズワースその人だった。




