甲角族
クオ・ヴァディスの掘り下げ回前半です
「私はね、甲角族と呼ばれていた古い種族の生き残りなんだ」
庭のガーデンテーブルに3人分の紅茶とお茶菓子を準備して腰を落ち着けたクオ・ヴァディスはそう切り出した。
「こうかくぞく?」
「1500年以上前に絶滅した、頭部に角を持つ種族だよ。アゥクドラの夜半でキミが見たあれは構造式じゃなくて本当に私の角なんだよ。それで……」
「ちょっ、ちょっちょ⁉︎」
「ん?」
「1500年以上前に絶滅したって聞こえましたけども?」
「言ったね」
「……えぇと、そう言えば聞いていませんでしたが、クオさんはお幾つなんですの?」
「クーたんはあたしより歳上だよ?」
アプタルのパイを堪能していたハルメニアが次のパイに手を伸ばしながら口を挟んでくる。
余程パイが気に入ったのか、笑顔で頬を桜色に染めているその可愛らしい様子からは全く読み取れないが、ハルメニアはおよそ1700年もの永きを生きている。人族の中でも長命であるセロにおいても最高齢を誇るのだ。
「やだコレほんと美味しい」
全くもって見えないが事実は事実である。
セロのような、生命活動が魔力に依るところが多い種族は自身、もしくは何らかの外的手段による魔力供給によって肉体の老化をほぼ停止させる事が出来る。
セロに生れながら在る『アルジャーノン』と呼ばれる魔法の構造式のような紋様は内在する魔力容量が大きさに比例するのだが、ハルメニアは背中一面にアルジャーノンが広がっている。
掌程度のサイズが一般的と言われている事から考えれば如何に異常な大きさであることか専門家でないリーリエにも判る。
「大体1800くらいじゃないかな? いい加減数えていられないから多分だけども」
1800年。
有史以来それ程の時を生きた生物は唯一、竜族穏健派のアノードステル以外確認されていない。
俄かには信じられないが、それならばと合点がいくところの方が多かった。
しかし、ならば。
「なぜ、甲角族はクオさんを残して絶滅してしまったのですか?」
リーリエの問いにクオ・ヴァディスの表情に僅かながら翳りが掛かる。
配慮の無い質問だという事はリーリエも承知の上だったが、純粋に疑問だった。
クオ・ヴァディスが特殊という事でもなければそこまで優れた種族がどうして絶滅しなければならないのか甚だ想像出来なかったのだ。
「魔法使いらしい直球な質問でかえって有難いな。甲角族は額に1本必ず角があるんだ。セロのアルジャーノンのように内在する魔力容量によって本数が増える事があるのだけども私の場合は額に1本、側頭部に6本ずつが融合したものが1対、存在する。甲角族は、この額の角が核、人族で言う心臓なんだよ」
リーリエの背筋に電撃が走った。
何気なく言っているが、それはつまり人族としての定義から逸脱しているということだ。
「甲角族は額の角から魔素を取り込み循環させる事で生命を維持している。キミたちが心臓で血を循環させているのと同じことさ。純然たる生物と言うより肉を持った精霊に近い甲角族はどうしても比重が魔素寄りになってしまっているがね」
まるで信じられないような事を言われているようだが、リーリエには心当たりがある。アゥクドラに干渉した際にクオ・ヴァディスの魔導回路に接続し、クオ・ヴァディスを循環の中心にした時の異常な増幅率だ。
史実に残る如何な礼装、魔具、神具を見回しても比肩するものが無い程の『純粋な魔力の増幅率』。直接触れたリーリエだからこそ判る異常。
クオ・ヴァディスは式など関係無しに魔力を増幅していた。
通常、魔法の行使のために魔力を増幅する際には補助式を介する事によって行われる。装備品による外的な要素もあれば直接駆動式に組み込まれるものなど様々だが、これらの要因無くして魔力そのものの増幅は為し得ないのが常だ。
しかしリーリエの記憶にあるあの角に、魔導回路の基底部たるあの角には式らしきものなど無かったのだ。
それこそが人工物ではなく、生きているモノである証明であると定義は出来る。出来るが、しかし。
「肉を持った精霊に近い……という表現は理解しかねますが、それが本当なら生物学の根底が覆りますし、何よりそのような種族が居たという記録に一切憶えがありませんわ。自慢じゃありませんがその手の文献は片端から読破してますが、先ず絶滅した人族の記載自体見た事がありません」
「だと思うよ。種族の絶滅に際して、そこに居るハルに情報を全て隠蔽して貰ったからね」
リーリエがハルメニアの方に向き直ると、ハルメニアはバタークッキーにとりかかっている最中であった。
視線に気付き、口元の食べかすを拭い話し出す。
「仕方が無かったのよ。甲角族の絶滅は、当時の人族達の角狩りが原因だったから。それに……」
ハルメニアが確認を取るようにクオ・ヴァディスに視線を送る。
視線を受けたクオ・ヴァディスは仕方が無さそうな複雑な笑顔で、頷いた。
「一応確認するけど、これからする話は好奇心で聞く話じゃないわ。クーたんの魔導回路が気になってるだけなら聞かない事をお勧めするけどどうする?当然、魔導災害指定や甲角族の事も聞かなかった事にしてもらう」
ハルメニアの真剣な表情に、リーリエは一瞬たじろいでしまう。
確かに好奇心や知識欲が先行しているのを自覚しているからだ。
「何よりね、哀しい話なの。クーたんの、この人の事をリリたんが怖がってしまったりしたらと思うと、あたしは辛い。クーたんが他人と個人的な交友を持つなんて今迄あまり無かったから出来ればリリたんにはこれからも仲良くして欲しいし」
「真剣な話をしてるところ悪いんだが母親みたいな事を言わないでくれないかな」
「なによー、せっかくシリアスなんだから口挟まないでよ。それでどうかな?結構衝撃的な話が出て来ると思うんだけど、それでもリリたんはクーたんと仲良く出来るかな?」
結論を言ってしまえば、正直なところリーリエは判らないでいた。
クオ・ヴァディスという人物にこれ以上深く踏み込むには少々動機が弱いとも思っている。
突き詰めてしまえば、現状自分は娯楽本のヒーローのような人物に出会って浮かれている子供と大差は無いのだ。そのヒーローのようになりたいあまり根掘り葉掘り全てを暴いてしまって良いものかとリーリエの自制心は告げていた。ましてやクオ・ヴァディスはヒーローでも何でもない1人の個人である。子供のように無邪気に踏み込んで良いはずが無い。無いのだが。
「安易に仲良く出来ますとは言えません」
その言葉にハルメニアの表情があからさまに曇る。
「ですけれども!」
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がったリーリエにハルメニアとクオ・ヴァディスが目を丸くする。
「手始めに一緒に世界を救った仲です。娯楽本のような展開で恐縮ですけども、盟友は裏切らないものですから!」
やや薄い胸を張りフンと鼻を鳴らすその様はまるで子供が親に『100点取った! 凄いでしょ⁈』と息巻く様子のようだったが、当人はそんな事は露知らず会心の表情を浮かべている。
クオ・ヴァディスはいよいよ口までポカンと開け、ハルメニアに至っては口元を押さえ下がり眉でワナワナしながら「えへんぷいしてるリリたん可愛い……!」と呟いている。
「えぇと……?」
「つまり‼︎」
急な大音声に思わずクオ・ヴァディスがビクッと肩を揺らす。
「毒を食らわば皿までも、ですわ。それに魔導回路云々関係無くここまで来てしまってから仲間外れは寂しいですもの。私これでもお友達って多くないので、なんと言いますか、その、仲良くしていただけるならこちらからお願いしたいと言いますか……」
後半ゴニョゴニョと口ごもってしまったリーリエを見てクオ・ヴァディスが吹き出す。
「あっはっはっは! いやぁ、キミは本当に面白いな。盟友、友達と来たか、くっくっく……!」
手で顔を覆ってプルプルと小刻みに震えるクオ・ヴァディスはどうやら本気で笑いを堪えているようだ。友達が少ないのを馬鹿にされているようで少々腹立たしい。
幼少期から魔法学に憧れ本を読む事に生活のほぼ全てを捧げていたリーリエにとって、友達という概念自体が縁遠いものだったのだ。学園時代の少数の友人を除き、人付き合いなどよく行く店の店員程度である。
最初は魔導回路の好奇心と、力への憧れだった。
しかし突き放されてみて、漠然と思ったのだ。
嫌だな、と。
言ってしまえばそれだけである。大層な理由も覚悟もありはしない。
只々、深まりつつある関係性を手離したくないと思ってしまったのだ。
「ま、まあハルメニア様と旧知でいらっしゃるようですから魔導災害指定にも何かしら理由があるのでしょう? まさか大犯罪者って訳では無いのでしょうから……」
気恥ずかしくなって捲し立てていると、笑いの波が落ち着いたクオ・ヴァディスが口を挟んで来る。
「それはどうだろうな。ある意味有史以来最大の犯罪者と言えると思うんだが?」
それを聞いたハルメニアが悲痛な表情を浮かべ、首を横に振る。
「そんな事言わないで。あれは私達人族全体の罪よ。貴方だけが悪い訳じゃない」
強く、断言する。
「リリたんはさ、黒い獣の御伽噺は知ってる?」
「え……と、子供の頃に聞かされた憶えがありますわ。確か今は無い大陸を滅ぼした獣のお話でしたっけ」
「あれは御伽噺じゃないの。昔、本当にあった事が時を経て、御伽噺になっただけ。文献はあたしが軒並み処分しちゃったからね。口伝でしか伝わらなかったのよ」
「そういう意味ではハルも立派な犯罪者だな」
「言われてみればそうね。バレたら女王じゃ無くなっちゃうかも。それはそれで気楽で良いけど」
「お2人の会話のスケールが大き過ぎて今更ながら自分の判断に自信が無くなってきましたわ……」
笑いながらハルメニアが紅茶を1口、仕切り直して語り出す。
「今は無き大陸の名はアシャンテ。1500年前にクオ・ヴァディスが滅ぼした大陸よ」