1週間と少し
頭を撫でられる心地好い感覚にぼんやりと目を覚ましてみればどうやら誰かに膝枕をされているようだった。
少し前に嗅いだ覚えのある良い香り。
まだ微睡みの中何処か遠くに聞こえた、ガラス製のベルのような美しい響きをもつ女性の声。
「でもリリたんが可愛いから全部引っくるめて広〜い心で許してあげる」
リリたん⁈
驚きのあまり目を開くと、淡い青のシースルーの向こうの形の良いヘソが視界に飛び込んでくる。どうも頭を撫でやすいようにお腹側に向かって寝かされているようだ。
あぁヘソにも美醜があるんだなぁそう言えば自分のヘソはどうだったろうか出ベソではないけどあまりしっかり見た事がないなぁそれにしてもウエスト細っ。などとリーリエが若干厄介なフェチズムに覚醒しそうになった時、それは聞こえた。
「あなた自分が魔導災害指定されてるってわかって……」
魔導災害指定。
その単語にリーリエは脊髄反射で反応した。
「魔導災害指定ですって⁉︎」
まだ靄のかかった頭を無理矢理起こしてみると、目の前には3日前に別れた筈のクオ・ヴァディスの顔があった。「あ」の口で固まった顔は見るだに間の抜けた顔であり何故だかその表情を目撃してやった事に奇妙な優越感を覚えたがそんな事より、だ。
何故クオ・ヴァディスが目の前に居るのか。
ついさっきまでハルメニアと共に王都に居た筈だ。
辺りを見回してみるとそこは見慣れた魔導協会本部の会議室ではなく、数日前に見たスタッコ塗りの美しかったレゾ村の教会だ。
自分がレゾ村に居る。
何故だ。
リーリエの混乱が極まった時を狙い済ましたかのようなタイミングで、未だ上体を起こしただけのリーリエの頭上から声がかかった。
「あー、リリたん位相反転の反動で記憶が混乱しちゃってるのね」
先ずあまりの声の近さに驚く。更にその声がハルメニアのものであるということを思い出しまた驚く。
そういえば自分はどうやら誰か女性に膝枕をされていたようだった。という事は。
恐る恐る上体ごとふり返ると、焦点が合わない程の距離にハルメニアの美しい顔があった。
虹色の双眸がリーリエの翠碧の瞳を覗き込む。
硬直。
「ん?」
まるで自分の膝で眠る子猫を愛でるかのようにハルメニアはリーリエの頭を撫でる手を止めない。
先程の混乱など凪いだ湖面程度だったと言わんばかりの濁流のような混乱がリーリエを支配していた。
「ねー、クーたん。もうさ、リリたんも共犯にしちゃえば良いじゃない」
「掌返すのが早過ぎるだろう。あとクーたんって何だね」
「あたしとクーたんの仲じゃない。お堅いこと言いなさんなって」
「キミ……ハルとは永い付き合いだが、私は未だにハルがわからないよ……」
何故かドヤ顔のハルメニアを取り敢えず放って、クオ・ヴァディスは石のように動かないリーリエに話し掛ける。
「もしもしリーリエさん? 大丈夫かい?」
その声に反応したリーリエが油が切れた機械のようにギシギシとクオ・ヴァディスの方に振り返る。
ありとあらゆる感情がない交ぜになったのであろうその何とも言い表せぬ表情に、クオ・ヴァディスは何だかとても可哀想になってきた。
「……先程、魔導災害指定と聞こえました」
「そうだね、私の事だよ」
「……個人が魔導災害指定されるなんて聞いた事ありませんし、何より魔導災害指定目録にクオ・ヴァディスの名前はありませんでした」
「暗記してるのかい……。まあその辺の説明をするってなると私の事をちゃんと話さなければいけないね。キミとの約束を今果たしてしまおうと思うんだけど、どうだね?」
「……お願いしますわ」
混乱が行き過ぎて既に半泣き顔のリーリエではあったが、それでも聞きたいものは聞きたいし約束は約束である。
クオ・ヴァディスと出会って1週間と少し。たったそれだけの期間だと言うのに精神的に数年分は老けた気がする。
「じゃあ例の如く、ゆっくりお茶でもしながら話そうか。今日はマイルドなディンブラがあるからアプタルのパイを焼いたんだ。ミルクティーが良いならバタークッキーもあるけど、ストレートとミルクどちらがお好みかな?」
たとえどれだけ老けたとしても、良い組み合わせが約束されたティータイムの誘惑には抗えないものだとリーリエは確信した。
「両方いただきます」