再びのレゾ
360度の夜空にあまねく星空を見た気がする。
本来青空である筈の上空に薄い水面があり、そこに昇る雄大な滝を見た気がする。
四角い巨大な石の箱が林立し、赤い金属の骨組みの塔を見た気がした辺りで、リーリエの意識は彼方へと消えて行った。
「やっほー、クーたん。会いに来てやったぞこのやろー」
小脇にグロッキー状態のリーリエを抱えたハルメニアがそう言いながら教会の扉を破壊せんばかりの勢いで開ける。
教会の中では状況を全く把握出来ていない相変わらず胡散臭い銀髪の男が箒を持ったまま目を丸くして硬直していた。
「なにそのしみったれた顔は? このあたしが公務の合間に態々会いに来たっていうのにちょっとくらい嬉しいとか無いの?」
「いや、その前に色々と腑に落ちない事が多くてね……。何故ここに、と言うかどうやってここに? その子を連れて来るとすれば計算が合わないんだが……」
リーリエがレゾを発って3日。
恐らく今日の朝方に王都に着いた筈のリーリエと同伴するならば、もう3日後になるか若しくは道半ばのリーリエを攫って来るしかない。
「『フヴェズルング』で来たに決まってるじゃない?」
何言ってんだと言わんばかりのその言葉にクオ・ヴァディスが盛大に噴き出す。
フヴェズルング。
ハルメニア・ニル・オーギュストの固有魔法である。効果は単純明解。瞬間移動である。
移動先の座標指定に多少条件があるが、ハルメニアはこの魔法により距離という概念を物ともせず移動する事が出来る。
仕組みとしては、基本的に時間と距離の概念が無い精霊界へと繋がる位相界面を作りその中を通って移動するというものだ。精霊界への扉自体は実は精霊の力を借りる類の駆動式に組み込まれているポピュラーな技術であるのだが、そこに肉を持った人体が浸入するとなると話が変わってくる。
肉体が精霊界で存在を許されるのは、先のアゥクドラの夜半のように通常空間に限定的に現界した場合に限られるのだ。
肉体のままあちら側に直接介入出来るのは人類で唯一、精霊に愛されたハルメニアのみなのだ。
つまり。
「リ、リーリエを一緒に運んだって言うのか⁈ キミ以外が向こう側に入ればどうなるかわかって……!」
「キミじゃない。ハルって呼んで」
「そんな事を言って」
「ハル」
「……」
「ハールー」
「……わかった。私の負けだ、ハル」
完全に聞かん坊の顔をしていたハルメニアが一気に花も咲かんばかりの笑顔へと変わる。そこには人類の頂天たるハルメニア・ニル・オーギュストではなく、1人の女性としてのハルメニアが居た。
「念の為に聞くんだが無事なんだろうね?」
クオ・ヴァディスがハルメニアの小脇に抱えられたまま微動だにしないリーリエを指差しながら、溜息混じりに聞く。
「無事に決まっているじゃない。この子は4界位242層の住人たるイルガーと契約してるのよ? それはもう精霊に愛されているって事に他ならないわ。今はちょっと向こうの空気に酔っているだけよ」
ここへ来て漸く荷物扱いだったリーリエを教会の長椅子に寝かせる。しかし固い木製の椅子に頭を直接乗せるのが可哀想になり、一頻り辺りを見回した挙句。
「よいしょ」
自ら椅子に腰掛け、太腿にリーリエの後頭部を安置した。
所謂膝枕である。
「気が利かないわね。枕の1つくらいサッと準備しなさいよ」
「私の記憶が確かなら軽く100年程会ってなかったと言うのに自由過ぎやしないかね」
「あたしの連絡を無視し続けた唐変木に言われたくないわ。それで100年振りに連絡が来たかと思えば何? 他の女の面倒を見ろって?」
寝ているリーリエの頭を聖母のように優しく撫でながらも、ハルメニアの顔はみるみるうちに険のある表情に変わっていく。
「でもリリたんが可愛いから全部引っくるめて広〜い心で許してあげる」
「リリたん……」
ハルメニアと旧知の仲であるクオ・ヴァディスからしても、未だにこのネーミングセンスは理解出来ずに居た。
どう切り返して良いかわからず頬を掻いていると、リーリエにデレデレだったハルメニアが急に真顔で切り出してくる。
「どういうつもり?」
簡素な問い掛けだったがクオ・ヴァディスは問いに含まれた意味を如実に理解していた。
「成り行き上の気紛れだよ。それ以上の意味は無いさ」
「あなたこの子に自分の事を教える約束をしていたらしいじゃない。よりにもよって魔導協会の子によ?正気とは思えない」
「それは完全に不可抗力なんだが……」
「要所を誤魔化してもこの子の立場と頭ならあなたの正体まで簡単に辿り着く……あぁもう、なんでこう歳を取ると脇が甘くなるのかな。あなた自分が魔導災害指定されてるってわかって……」
瞬間、寝ていた筈の。いや、寝ていたと思っていたリーリエが跳ね起きる。
「魔導災害指定ですって⁉︎」
「あ」
「あ」
脇が甘いのはハルメニアにしても同じ事のようだった。