ハイエステス支所
「エレンディア魔導協会ハイエステス支所所属主天使―ドミニオン―、ナッシュ・サンドマンである。先日発生した魔導災害級の魔力振動について説明出来る者が此処に居ると聞いたが誰だ?」
アレッサ邸での楽しいお茶の時間を邪魔したのは何だかやたらと感じの悪い偉そうな初老の騎士だった。
ハイエステス支所。
レゾの村から王都に向かって行くと、王都から300キロメートル程手前に存在するハイエステスという都市にある協会の支所だ。主天使級までの中級代行者しか所属していないが協会内でも武闘派として知られ、王都の協会本部も腫れ物を扱う様に接している様な輩である。
見知らぬ他人の家にノックもせず、帯刀したまま上がり込んで来るような騎士が、曲がりなりにも同じ協会の所属であることにリーリエは眉を顰めた。勿論、表情に出す事などしないが。
「エレンディア魔導協会王都エレンディア本部所属座天使―オファニム―、リーリエ・フォン・マクマハウゼンです。恐らく私の事だと思いますわ、サンドマンさん」
リーリエの言葉を聞いたサンドマンは、こちらはあからさまに眉を顰めた。
「座天使だと? 貴様のような小娘が?」
主天使、座天使等エレンディア魔導協会に所属している代行者に9つの階位が存在する。
天使―エンジェル―、大天使―アークエンジェル―、権天使―アルケー―の下位代行者。
能天使―エクスシア―、力天使―デュナミス―、主天使―ドミニオン―の中位代行者。
そして座天使―オファニム―、智天使―ケルビム―、熾天使―セラフィム―の上位代行者だ。
恐らく、と言うより間違いなく、サンドマンは年端もいかない少女が自分より上位に位置しているのが癪なのであろう。
リーリエからすれば今迄何度も遭遇した事態だ。サンドマンのようにあからさまに悪意を向けてくる方がまだ幾分かましである。陰湿なものだと協会の長老の愛人だのと流言を撒かれた事すらあるくらいだ。
最初こそ酷くショックを受け1人枕を濡らしたものだが今となっては、誰があんな年寄りと。と鼻で笑えるくらいには逞しくなった。
慣れとは恐ろしい。
「魔力振動の原因は先日私がレゾ村に派遣された際に会敵した竜単体、及びそれを契機に集結した変革派の竜複数体との戦闘を起因とした精霊界の現界だと思われますわ。戦闘が重霊地にて行われてしまった為深層と接続してしまいましたから……」
説明しながら思い返すと良くもあんな窮地から生還したものだ。自分1人では間違いなく為すすべなく発狂して憤死かなにかしてただろうが。
「竜を、貴様が倒したと言うのか⁈ 挙句に精霊の怒りを鎮めたと⁈ 馬鹿な⁈」
違う、と思わず口に出かけたところで静観していたクオ・ヴァディスが口を挟んだ。
「さすが金星天、八面六臂の大活躍だったよ。次々襲い来る竜達を千切っては投げ千切っては投げ……」
「貴様はなんだ? 現場に居たのか?」
「私はレゾの牧師だよ。重霊地までの道案内を頼まれたんだがそのまま巻き込まれてね。もう駄目かと思ったんだが彼女のおかげで助かった」
椅子にゆったりと座って足を組みながらホットミルクに満たされた杯を傾けるその様は、どう贔屓目に見ても助けられた牧師の態度ではないがナッシュは既にクオ・ヴァディスを見てはいなかった。
「貴様のような小娘が竜狩りだと……」
リーリエを見るナッシュの目はありありと嫉妬と憤怒の色を映していた。
竜を狩る事は至高の名誉であるという風潮が騎士にはある。特に単騎で竜を仕留めた者は竜狩りの二つ名を冠し、英雄として呼ばれるのだ。それは騎士にとって最大の矜持であると言える。それを目の前の小娘が成し得たというのが許せないのであろうことは騎士ではないリーリエにも手に取るように理解出来た。
全てそこで呑気にミルクを飲んでいる牧師擬きの仕業だと言ってしまいたいが、してしまった約束を違える訳にもいかない。
「詳細は私の方で協会に提出しますので、何かあれば報告書を参考して下さいませ。この場でお答え出来ることは以上ですわ」
「それで納得しろと言うのか?」
ふふっ、と意味ありげに笑って誤魔化してみたつもりのリーリエだったがその実、内心は濁流のようだった。
虚偽の申告をする後ろめたさもあるが、何より自分が徒党を組んだ竜を倒し、挙句の果てに大精霊を鎮めたと報告しなくてはいけない重圧に胃が悲鳴を上げているのだ。
何1つ自分の力ではない成果を自分の手柄のように報告しなくてはならないのは、正義の味方を志すリーリエの倫理観から外れた行為である。これによって得られるであろう報酬は全てレゾに還元しようとリーリエは心に決めた。
「リーリエ・フォン・マクマハウゼン。確か最年少で金星天の称号を得た天才魔法使いでしたか」
突如として掛けられた声は鈴の音のような澄んだソプラノ。ナッシュの背後から現れた声の主は、それを持つに相応しい凛とした美少女だった。
歳の頃は16、17だろうか。ショートボブに切り揃えられたプラチナブロンドの髪。やや吊り上がり気味の双眸はしかし狼のようなグレーの瞳と相まって少女の気高さを象徴するかのようだ。無駄な肉の無いそれでいて良く鍛えられた痩躯を、背負った弓を使うのに邪魔にならない程度の軽装が包んでいる。癖のようにリーリエが魔眼で確認すると、少女が装備する弓、ブレストアーマー、籠手、腰当て、フットプレート全てが聖別済みである事が見て取れた。このような装具は礼装と呼ばれ、通常の装具より高性能かつ高価格である。全身を礼装で揃えるとなるとそれなりの額になり、詰まるところ彼女がかなりの実力者であることが推し量ることが出来る。
図らずとも少女の顔を凝視してしまっていたリーリエに少女が軽く頭を下げる。
「失礼。私はエレンディア魔導協会ハイエステス支所所属能天使―エクスシア―、アリエル・ダンブラスマンです。御噂は予々伺っております」
少女、アリエルはにこりともせずリーリエに手を差し出す。
笑ったら可愛いだろうなぁとおっさんじみたことを考えながらリーリエはその手を取る。
「良い噂なら良いんですけどもね」
リーリエの皮肉じみた返答にもアリエルは微塵も表情を変えることは無かった。
読めない。
悪意を向けられる事ばかりが多かったリーリエにはいまいち苦手な手合いだ。
「人類で初めて翠嶺王イルガーと契約したと聞き及んでおります。私は魔法の方はからきしですので体感では判りかねますが、偉業であることは十分に理解しているつもりです。お目通りが叶い恐悦至極」
アリエルはそう言いながら改めて頭を下げる。
歳の割には騎士のような堅苦しい言い回しをするのは恐らく直属の上司であろうナッシュの影響だろうか。
ハイエステス支所は身寄りの無い子供を引き取り代行者として育てていると聞く。恐らくアリエルも幼くしてハイエステス支所に引き取られ、英才教育を施されて来たのであろう。慈善事業と言えば聞こえはいいが、リーリエはアリエルの境遇に同情した。と同時にその同情が遥か高みから見下ろす感情である事に気付き自らの思考回路に吐き気を催す。
裕福な家があり、両親とも健在で、貴族の境遇に反発しその家を出たそんな恵まれた境遇に居る自分が何を偉そうに人に同情しているのか、と。
家を出たままで居られるのは両親がそれを許しているからだ。甘やかされている身でありながら同情など失礼にも程がある。
その心情を察してかクオ・ヴァディスが口を挟んでくる。
「そういうキミも随分とやり手みたいじゃないか。その装具一式は能天使じゃなかなか持てるものじゃないよ」
「わかるのですか?」
クオ・ヴァディスの言葉にアリエルが少なからず驚きの表情を見せる。
「聖別された装具は雰囲気が違う。矢を持っていないところを見るとその弓は魔弓だね?魔法はからきしと言うがそれを使えるのなら素養が無い訳ではあるまいに」
魔弓。
魔素を矢の形状に形成して射撃を行う礼装の1つだ。魔素の振動率や付加する式によって射撃の質自体に変化を付けられる柔軟性に富んだ武装であり、確かに能天使級の収入で手に入れるには高価な代物であろう。
「この弓自体が魔導回路みたいなものでして、私が出来るのはこの回路の励起だけなのですよ。恥ずかしながらハルメニア式の構築式すら理解出来ていません」
リーリエも使用しているハルメニア式魔導回路は、基本的に魔法使いが最初に使用する魔導回路だ。対応する駆動式の豊富さ、比較的簡易な構築式、使用者の魔力量に無理の無い増幅率と初心者に打ってつけなのである。
勿論、多く使われている理由はそれだけではないのだが。
「余計な事を喋るなアリエル。世間話をしに来た訳ではあるまい」
「はっ。申し訳ありません」
ナッシュの一声でアリエルは雷に打たれたように背筋を伸ばし、後方に下がる。
「一先ずこの場は引いてやる。報告書を提出の後、査問会に掛けられる事になるだろうから覚悟しておけよ小娘」
言うだけ言ってナッシュはドカドカと扉を潜る。
後を追うアリエルは薄っすらと申し訳なさそうな表情を見せ、リーリエに軽く頭を下げた。
「台風みたいな騎士様だったねぇ」
クオ・ヴァディスの横でミルクを飲みながら静観を決め込んでいたアレッサが溜息交じりに呟いた。
「そう言ってやるなよ。自分より遥かに若い娘に騎士の最大の矜持を成されてしまったんだから心中穏やかに居られないんだろう」
「あ、貴方が言えたことですか!」
面倒事を全部その小娘に擦りつけておいてどの口が言うのか。
「まあまあ。私も手は打っておくから査問会の心配はしなくて良いよ。だからキミはひたすら堂々としていておくれよ?」
手を打つ?
この浮世離れした牧師擬きがどうやって?
「本当はあまり気乗りしないんだけれども、キミにばかり負担を掛けるのも申し訳ないからね。安心して竜狩りに相応しい報告書を提出しておくれ」
相変わらず何一つ安心出来ない太鼓判にリーリエは諦めの溜息を吐き、唯一の癒しであるホットミルクの消費を再開した。