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日常への回帰

 甘い甘い、馥郁たる香りに包まれた入浴だった。


 身体を滴る絹のような肌触りの湯は上質なミルク。甘い香りの源泉はミルクに溶け込んでいる蜂蜜からのようだ。このともすれば重いとも取れる程の濃密な花の香りは、希少価値が高いとされるティア・ブルーメ産ヴィンター・ドルヒの蜂蜜であろう事は確定的に明らかである。冬季に1日だけ花を咲かせるヴィンター・ドルヒと、共生関係にあるシュネーヴァイス・ケーニギンという冬に繁殖する非常に珍しい蜂から成る奇跡の蜂蜜だ。植物が持つ凝固点降下作用により限界まで濃縮されたこの香りをリーリエが間違える事などあり得ない。それにこの甘い香気の中にほんの僅か、しかし確かに主張するスパイシーな香りは何だ。これによってただ甘いだけで無く素晴らしく引き締まった、より高貴な甘さを演出している。これは……シナモンだ!


 気付いた瞬間我慢の限界を越え、至福の液体に満ちたバスタブに頭の天辺まで潜る。さあ全身で飲み干してやるぞと大口を開け口腔が歓喜で満たされ……。


「食いしん坊かっ⁉︎」


 自分の夢に突っ込みを入れながら飛び起きた。


 自らのあまりのテンションに混乱しながら辺りを見回すと、まだ記憶に新しい、やはり掃除の行き届いたアレッサ邸の寝室だった。あの後、無事にクオ・ヴァディスによって担ぎ込まれたらしい。


 全身の力が抜ける。


 見慣れた日常に帰って来たという安堵がリーリエを包み、1度起き上がった上体を再びベッドに倒す。


「帰って来ましたのね……」


 言葉に出す事で確認し、溜息を1つ。漸く人心地ついたところで、リーリエは鼻腔をくすぐる香りに気が付いた。


 夢の中で嗅いだ香りと同じ香りだった。


 せっかく寝転んだというのに忙しなくベッドから飛び出し部屋を出る。香りは階下から漂っているのを確認し、猫のような軽やかさで階段を下って行くと、ダイニングではアレッサが上半身裸のクオ・ヴァディスにその手をしなやかに這わせていた。


 なんということだ。

 不味い場面に遭遇した。


 独身のアレッサとやはり独身であろうクオ・ヴァディスがただならぬ関係だったとしても何ら不思議はない。手ずから好物のパンを焼いてやったりそう言えばアレッサは随分クオ・ヴァディスに親切だったのはそういう事か、と乙女の邪推が感極まったところでクオ・ヴァディスが階段を下りきった姿勢のまま固まっているリーリエを見付けた。


「なんだね年頃の女子がはしたない。寝間着くらい着替えておいでよ」


 ハッと正気に帰り、自分の姿を確認すると確かに寝間着だ。いやしかし、その前に自分のその姿ははしたなくないのかと突っ込もうとして、アレッサがクオ・ヴァディスの裸体に這わせているように見えた手に持っている物に気付いた。


 彫り針だ。

 アレッサは、再生時に途切れたクオ・ヴァディスの刺青を修復していたのだ。


「あ、おはようリーリエちゃん。裸の男に言われたくないよねぇ」


 まるで熟練の彫り師かのような手付きで刺青を施すアレッサが笑いながら言った。


「あの、もしかしてクオさんの刺青って」

「うん。あたしが彫ったんだよ。あたしんちって父方が代々彫り師でさ。小さい頃からデザインとか良く見てた訳よ。あたしは継がなかったんだけど絵は好きでね。その話をこいつにしたら、じゃあ彫ってくれって話になって今じゃこの有様さ」

「私の身体をこの有様とか表現するのはやめてくれまいか……」


 会話の間にもクオ・ヴァディスの身体にみるみる黒い紋様が彫られていく。下書も無しに何の迷いもなく針を進めるその仕事振りは、刺青の施術風景など当然初見であるリーリエにも匠の風格を感じさせた。


「さて、お姫様も起きた事だしちょっと休憩しようかね。リーリエちゃんもミルク飲むでしょう?」


 相変わらずの甘い魔力にリーリエは待ってましたとばかりに全力で頷く。

 バスタブ一杯とは行かなくとも、正夢ってあるんだなぁとリーリエは確信していた。

ホットミルクが飲みたかったのです・・・

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