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終戦

「原理は簡単だ。キミの魔導回路に私が駆動式として接続してアゥクドラに直接干渉するんだ。大丈夫。接続と出力は私の方で合わせるからキミは回路の維持とアゥクドラに集中して貰えれば良い。ただ、その時1つ注意することがあるんだ。アゥクドラに干渉しやすくする為にキミとアゥクドラの言語野を同調するんだけど、そうするとあの歌が人の言葉に翻訳されてしまう。何て言うか……あまり精神衛生上よろしくないから気をしっかり持ってね」


 相変わらず注意に緊張感が無い。

 これから大精霊を鎮めなければならないのに言うことが、気をしっかり持ってね。である。


 むしろ逆に気が抜ける。


「歌、と言うのはこのなんというかギュラギュラ聞こえるこれでしょうか?」


歌以前にそもそも音として聞こえているという確信が無い。耳で聞いていると言うよりは脳が勝手に受信しているかのような妙にフィルターのかかったような感覚がある。


「そうだよ。アゥクドラの夜半とは人の世の混迷、絶望、嫉妬、憤怒、懐疑、怠惰とかのネガティヴな思念が煮詰まり、凝り固まり産まれたあの紅い月の世界だ。精霊界の6界位172層目の深度に存在するこの世界は滅多に現界する事はないんだ。アゥクドラに主体性は無いからね」


 精霊達が存在する位相の世界、精霊界。全部で8界位存在すると言われているところの6界位目。普段魔法使いが接触する精霊はせいぜいが2界位迄である事から考えるととんでもない深度だ。


「奴は何をするでもなく歌っているだけなんだけど、たまにあまりにネガティヴな思考に囚われた人と接続してしまう事があるんだ。するとその人の言語でこの歌が聞こえてしまい大体あっさり発狂する。キミも知っていそうな例だと、300年くらい前に起こった血の豊穣期の元凶たる狂王ゲルプシュニクはアゥクドラの歌によって発狂した人間の成れの果てだよ」


 この男はまたさらりと世間話のようにとんでもない話を持ち出してくる。


 血の豊穣期とはエレンディア大陸全土を覆った血の戦乱の事だ。

 当時、アージェス大陸ルネシオンを統治していたセドナの王、ゼクンドゥス・ド・ナル・アシュレイ・ゲルプシュニクは王都エレンディアとは友好関係にあったが突然反旗を翻した。開戦に反対した重臣達を自ら殺害し、戦線布告も無しにエレンディア大陸西の港町アルタに上陸、侵略を開始した。アルタから王都までの凡そ2000キロを僅か12日で蹂躙したその行軍の跡には、老若男女一切の区別なく殺された民の臓物がばら撒かれ、その光景はさながら臓物で出来た畑のようだった事から血の豊穣期と呼ばれている。


 しかし、史実ではルネシオンの資源の枯渇に窮したゲルプシュニクがエレンディアの肥沃な大地を手に入れる為に開戦したとあったはずだ。


「本に書かれているのは事実と異なる、ということですの?」

「いや、実際ルネシオンの資源の枯渇は今でも現実的な問題だし、切っ掛けに過ぎなかったとは思うよ。でも子供の腸を喰らいながら娘を陵辱しその夫の首を引き千切りながら村々を焼くあの姿は狂王そのものだったよ」

「まるで、見てきたかのように話しますのね」

「まあお察しの通り見た目より年寄りだからね。その辺も戻ってから話すよ。さ、くれぐれも気を付けてくれよ?前向きに、ポジティブに、だ。負の思考に囚われたらあっという間に飲み込まれるからね」


 ここまで来たら腹を括るしかない。


「契起―エンゲージ―」


 ベルトに吊るしたまま魔杖を展開。魔導回路の保持安定の為に出力を固定する。

 それを見たクオ・ヴァディスは自身の回路をハルメニア式の書式に変性。リーリエの回路の接続部にカチリと据える。


「じゃあ、行こうか」


 声と共にクオ・ヴァディスの頭部の突起を中心に恐ろしい速度で演算が始まる。接続部からリーリエの魔力が基底部たる突起に流れ込み、そこから数百倍に増幅され駆動式と化したクオ・ヴァディスの回路を巡って行く。明らかに異常な増幅率で膨れ上がった魔力は容易に回路を励起し、臨界へ向かう。


「ど、どうなってますの⁉︎」


 体験した事の無い自身の魔力の奔流に魔導回路が悲鳴を上げる。魔杖の補助効率を大幅に越える処理に回路の構成式が耐えられないのだ。


「焦らないで魔力の流れを視るんだ。キミなら視覚的に演算の補助が出来るはずだ」

「そ、んなこと、言われましても……!」


 竜巻が視えるからと言ってその風に乗れるかと言われれば話が違う。ともすれば方向性を失いそうな魔力の流れを一定方向に抑え込むだけでリーリエの演算能力は限界に近い。回路から逆流した負荷がリーリエの脳神経を圧迫し視界が赤く濁り始める。


「ぐっ……! く……っ⁉︎」


 胃から内容物が逆流しそうになるのを必死に堪えながら、それでも制御の手綱を手放すまいと紙一重で意識を保つ。この挙句、あの紅い月に干渉するなどリーリエには不可能に思えた。


「循環の中心を私の角に据えるんだ。自分を中心にしていると供給が間に合わなくなるぞ」


 やっぱりそれ角なんだな、と我ながら場違いな感想を覚えながら魔力の供給の中心点を必死に移動させる。

 すると先程までの暴風のような魔力の流れが嘘のように穏やかになった。いや、流れの速さは変わっていないが、例えるなら枝分かれした金鑢のようだった表面が大理石の様に滑らかになった様だった。


 あの角。


 実体があるようには視えないが恐ろしく高効率な増幅器として作用しているようだ。リーリエの記憶の内では、宝具と呼ばれるような増幅器でも凡そ30倍から40倍の増幅率でしかない。数百倍の増幅率を誇る増幅器など語るのも烏滸がましい程の代物の筈だ。しかし事実としてそれはそこに存在する。異常な物を1日の内に散々見せ付けられたリーリエにはあり得ない物をあり得ないと断ずる事が出来なくなっていた。


「よし、それで良い。じゃあアゥクドラとの接続に移るよ? 再三言うようだけど……」

「気をしっかり持って前向きに、ですわね」


 その言葉にクオ・ヴァディスは満足気に微笑み、踵を返してアゥクドラに向き直った。


 増幅され循環していた魔力が指向性を与えられ、アゥクドラに放射される。それはアゥクドラという構成式に直接干渉し、式の隙間に割り込んで行く。

 次の瞬間、今まではただの不協和音でしかなかった音が形を成し、リーリエの聴覚に叩き込まれた。


「私は焼き払い流れを引き合う物は蔓延った家々を踏み潰し立憲すると共に猛々しい巌は闘う熟れを馬原へと高く浅はかな身悶えは馥郁たる深海と開闢に揺蕩う天辺と獣と死に絶え輝く引き潮に満ちるべく飛散した環状と行き来果実は鏃を蝕に絶え完全成るを今今今今今今今今今今今今今いまイマ忌真伊魔意先」


 幼児と、青年と少女と老人と、幾層もの聲が混ざり合い歪んだ耳障りな呪詛がリーリエの神経を苛む。言葉から意味は読み取れないが言い様の無い不安感が背筋を滑り落ち全身に鳥肌を立たせる。

 根源的な恐怖にリーリエは一瞬回路の制御を手放してしまう。方向性を失った魔力は回路を逆流し循環の中心たるクオ・ヴァディスに殺到した。


 空白は刹那。


 ミヂッという硬い繊維質を引き千切るような音と共にクオ・ヴァディスの全身から鮮血が迸った。


「クオさんっ⁉︎」


 その光景に正気を取り戻したリーリエは全力で手放した手綱を引き絞る。荒波が去るように魔力の流れは秩序を取り戻したが、一瞬とは言え膨大な魔力のフィードバックは甚大な被害をもたらした。


 クオ・ヴァディスの右肩から先が殆ど千切れかけている。筋繊維が断裂し、上腕骨が内側から粉砕されたように断面から覗いていた。


 しかし背後からで表情はわからないが、全身を紅く染め、千切れかけた右腕をぶら下げたまま、それでもクオ・ヴァディスは変わらず立っていた。


「私……私のせいで!」


 注意されていたと言うのに制御から意識を離してしまった自分の所為で目の前の男が傷を負った。その事実がリーリエの平常心を揺さぶる。産まれてしまった罪悪感は鎌首を擡げ生きているかのように周囲の心を侵食して行く。

 負に囚われたリーリエの心中を読んでか、紅い月はゲラゲラと嗤っていた。

 不味いと判っていてもリーリエの心は下へ下へと堕ちて行く。


「何て事を!」


 取り返しの付かない一線を越える寸前に、伏せてしまっていたリーリエの頭にポンと、優しい重みが掛かった。


「え……?」


 顔を上げるとそこには血塗れになりながらリーリエの頭を撫でるクオ・ヴァディスの困ったような笑顔があった。


「いけないと判っていたのに、私……」


 頭を撫でる暖かい体温に涙が溢れてくる。


「腕が……、ごめんなさい私のせいで……」


 何故この男はこの後に及んで笑っていられるのか。何故失敗を責めないのか。どれもこれもリーリエには理解の外だ。

 この不可思議な男はこんな事で、自分の所為なんかで傷を負って良い人物ではないのに。


 千切れかけた腕に目を向けようとして、真正面にあったクオ・ヴァディスの顔と鉢合わせる。


 混乱。


 状況がどうとかそういう問題では無かった。


 距離が近い。単純に。


「んー」


 無事な方の左手を顎の下に当て、呻く。

 紅の双眸がリーリエの泣き顔を観察することたっぷり10秒。

 血塗れの男はこんな事を呟いた。


「キミの泣き顔は可愛いな」

「ふぇっ⁈」


 変な声が出た。


「普通もっとくしゃくしゃになるだろうに」


 普通このタイミングでそんなことはどうでもいいだろうに。


「い、痛くないんですの?」

「痛いよ?」


 ですよね。


 馬鹿な事を聞いたとまた顔を伏せるとまたポンと頭に手が置かれ、優しく撫でられた。

 あまりにも自然な撫で方は兄のような、父のような。異性に慣れていないリーリエにしても案外不愉快では無かった。


「何にしてもキミが無事で良かった。ちょっと派手に血が出てるからビックリしただろうけど気にしない気にしない。死んでないだけマシだと切り替えてもう1回行ってみよう」


 今にも死にそうな当人に言われると最早冗談にもならない。

 しかし変わらぬ笑顔を見せられて、少なくともリーリエの罪悪感は和らいでいた。


「こんなとこ早く出て治療をしましょう。多少は治癒の魔法も心得があります。元通りになる保証はありませんが全力を尽くさせていただきます!」


 クオ・ヴァディスから視線を外し、再びアゥクドラを睨めつける。


 相変わらずゲラゲラと嗤いながら呪詛を垂れ流す紅い月だがしかし、先程より随分余裕を持って対峙出来る気がする。やや癪だが、頭を撫でられた事で随分落ち着いたようだ。


 アゥクドラも、同じようにしてやれば良い。

 リーリエは直感でそう感じた。


 アゥクドラに割り込んだ式を更に同調。一切流れを乱す事なく月の全身に行き渡らせる。

 主体性の無い狂気は見方を変えれば子供の癇癪とそう変わらない。リーリエは張り巡らせた式の速度を少しずつ落として行く。


「成る程。式で構成されている以上、循環の速度を落として活性を下げれば良いということか」


 クオ・ヴァディスの関心したような声が聞こえるが、それもどこか遠い。リーリエの意識はアゥクドラと深く同調し、誘導していた。


「煩くしてしまってごめんなさいね。貴方の歌を邪魔するつもりではなかったのよ? 直ぐに出て行くから気を鎮めて下さいましね」


 言葉と共に歌は小さくなり、遂に止まる。

 アゥクドラは小さく全身を震わせ、満足気に、まるで猫が喉を鳴らすように呻いた。


 次の瞬間、血のようだった空が嘘のように色を失い黒い夜空へと変化して行く。アゥクドラに引き摺られるように辺り一帯の魔素の振動率が低下。現界を保てなくなった世界が元の位相に退行して行った。


 リーリエとクオ・ヴァディスを心地よい夜の空気が撫ぜて行く。

 すっかり夜も更けた森は白い満月に照らされた冷厳たる懐で2人を迎えた。


「……戻って来れましたのね?」

「そうだね。精霊達がすっかり鎮まっている。まさかアゥクドラの歌を止めてしまう程とは思わなかったよ。イルガーと契約したのは伊達じゃないな」


 心底関心したクオ・ヴァディスの声に胸を張って見せたい気持ちも湧いてきたが、そんな事より凄まじい眠気がリーリエを襲っていた。記憶にも新しい、魔力欠乏による強制的な睡眠欲だ。


「駄目……まだ……腕を……」


 ふらふらと、前後不覚に陥りながらもクオ・ヴァディスに向き直る。せめて出血だけでも止めなければ命に関わる。


 しかしリーリエの目が捉えたクオ・ヴァディスの右腕は既に出血が止まっており、あろう事か傷口が自らうねり再生を開始していた。

 あまりの衝撃に強烈な眠気が一瞬引いていく。

 反射的に魔眼による視界で確認すると傷口の損傷した細胞1つ1つに施されていると思われる無数の青い駆動式が見えた。


 セーフリームニル。

 数ある魔法の中でも唯一無二の治癒の魔法である。

 損傷箇所の細胞を万能細胞に作り変え対象を治癒する魔法であるが、正直効果は然程ではないのが実情である。術者に莫大な魔力を要求する割に作用が遅く傷口の再生は蝸牛が這う程度の速度でしか進まない。その上それは切傷のような損傷部の細胞が綺麗な状態での話だ。火傷や引き千切れた箇所での効果は更に遅くなるし、そもそも構造が複雑な神経や内臓等の器官に於いては殆ど作用しない。

筈なのだが、そうしてる間にもクオ・ヴァディスの右腕は再生し今や刺青が途切れている事を除き傷口すら無く、傷があった事が嘘であったかのように修復されていた。


 具合を確かめるように五指を開閉している右手を間の抜けた顔で見つめるリーリエに気付いたのかクオ・ヴァディスが解説を始めた。


「知っての通りセーフリームニルは応急処置程度の効果しかない。それは損傷部全体に対して術式を展開しているから作用が散漫になってしまっているからなんだ。そこで駆動式を小型恒常化して細胞単位で動作させてみたんだけど、まあ、効果は見ての通りだよ」


 今、また1つ魔法の常識が覆ったわけだがこの男は恐らく気にもしていないのだろう。


 細胞単位ということはどう贔屓目に見ても数億。それを常時展開していると言うのか。意識を割いて出来る事ではない。身体を構成式に見立ててそこに直接編み込んであるのだ。

 理屈はリーリエにも判る。しかしそれを実現出来るだけのセンスと魔力容量が圧倒的に足りない。


「今日はちょっとお肉の味付けを変えてみた、みたいなテンションで仰る内容ではありませんよ……」

「キミは結構エスプリに富んだ比喩をするね。さて、そろそろ限界だろう? 寝てしまって構わないよ。私が負ぶってアレッサのところまで送って行くから」


 指摘されると自覚してしまったからか、また怒涛のように眠気が押し寄せてくる。このまま意識を手放してしまいたい衝動に駆られるが、リーリエには1つだけ伝えたい、いや伝えねばならない事があった。


「アレッサさんに……なにか……塩気のあるおつまみを……お金は……ポーチに……財布……を……」


 眠りに落ちていく意識は遠くにクオ・ヴァディスの爆笑を聞いていた気がする。


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