あの日の春
夕の改札を飛び越えて、蓮は線路沿いを駆けた。メールの通知を見るのがなんだか怖かった。駅前のレストランの看板を過ぎると、もうすぐであの桜の木が見える。公園を象徴するその桜は、遠目から見てもピンク一色に染まっていた。
公園の休憩所に腰を掛けていた伸明と春香は、蓮を見た途端に席を立ち、一方は怒ったふうな顔で、もう一方は苦笑いで蓮を迎えた。
「遅すぎる。何十分待ったと思ってんだ」
「ごめん、本当に待たせた」
すねた振る舞いをする伸明に、まぁまぁ、伸明が遅れてくることもあるじゃない、と春香が制止しながら、
「蓮が遅れるって珍しいよね。何かあったの?」
「ちょっと、入部届を職員室に出すだけのはずだったんだ。だけど顧問の先生の話が長くて……」
「あ、部活決まったの?」
「うん。写真部に入るんだ」
「写真部! あはぁ、だからあの時カメラで写真撮ってたんだ」
「うん、まあね」
「あの時?」
内容を知らない伸明に春香は、先日の話をし始めた。その間に蓮はあがった息を整えた。
最終的に蓮は、写真部に入部することを決定した。入部届提出期間のギリギリまで粘って、写真部が過剰な人気による過密状態にならないかと見張っていたがそんなことはなかった。幸いにも入部する人は、蓮の知るところでは出てこなかった。そこで蓮は今日、職員室に入部届を出しに行った。顧問の、中年で大柄な男性の話は長期に及んだ。
「はぁ、そうなんですか……」
「そうそう。――あ、そういえば今日が入部届の期間最後か。なんとか二人集まったねぇ」
「二人、ですか」
先生の長話の終わりに聞いた一言で、それまでの退屈だった蓮の心に一つの電流が走る。
「うん。……あれ、なんだ、二人とも同じクラスじゃないか」
「えっ?」
「ほら、瀬川って子も入部届を出してきたぞ。知ってるだろう?」
まさか。蓮は鳥肌がたつのを抑えるようにして腕をさわった。
知ってるもなにも……そんなこと。
瀬川と聞いただけでこれほどまで過剰に反応してしまうとは思っていなかった。蓮の思っている以上に蓮は瀬川のことをあの夢の一件から意識しているようだった。胸の奥に居座りもはや動かしようのない重厚な駒となって回り、止めようと触れるたびの痛みを我慢する。
「あ……あぁ、瀬川さんですね、わかります……」
うわの空で続きを聞いていた話は終わり、職員室を出た蓮は携帯のメール通知が届いているのを見た。
「やべっ」
伸明から何通もメールが届いていた。時計をよく見ると、約束した時間から信じられないほど過ぎている。蓮はその後も来るメールに何度も急かされながら、急いで電車に乗った。
「蓮、今はカメラ持ってないの?」
「あ、うん。持ってない」
「惜しいなぁ。本当に綺麗だよ、桜。絶好の被写体だよ」
春香は興奮気味に話す。春香は本当に桜が好きだ。今回こうやって集まったのも、春香が桜が満開だから見に来てとのメールがあったからだ。
「桜さん、私たちは高校生になりました。これからも見守ってね」
この桜は今年も、春の訪れを告げるために立派に咲いた。
「なんで桜に話しかけてるんだよ。ちょっと気持ちわりぃよ」
「えー、そんなこと言わないでよ」
「いや絶対おかしいって。なにが『桜さん』だよ」
「じゃあ、じゃあさ、この桜に名前つけようよ」
「そういう問題じゃないし……」
僕ら三人に、この桜はどんな春を配ったのだろう。言い合い続ける伸明と春香の間に桜の花びらがひとつ、落ちる。
そう、春は出会いと別れの季節。11年前、彼女は唐突に現れ、そして、僕らを僕らにめぐり合わせてくれた。
桜を見ると思い出す。紗希が、僕らに春の出会いを配ってくれたこと。