密会
一人の紗希は、いつも通りに蓮の隣町の駅で静かに降りた。
八巻から、紗希のことを見守った思いやりのお願いをされてもなお、蓮は行動を起こせないことに負い目を感じていた。今の蓮の中には伸明に対する罪悪とそこからうまれる恐怖が張り巡らされている。紗希が突然、蓮たちの前から姿を消した真相、それは伸明が握っていると考えたが、彼に対しての恐怖が蓮にそれを知ることを阻んでいた。
蓮は今になって信じられないほどに一人の幼馴染に怯えていた。彼のことは誰よりも、幼馴染で同性であるこの自分がよく分かっているつもりだった。それが、高校生になって初めて見せる彼の表情に、今までにないくらい脅かされていた。
卒業式の日に静かに見せた彼の暗く湿った表情は、その時同じように蓮も感じていた都合のいい考えなんかを映していたのではなく、春香の想いに向き合おうとしていた過程に見せたものだったのかもしれない。そう気付くとき、蓮はその過去から目をそらしたくてたまらなくなるのだ。そして、紗希の名前を口にした瞬間に見せた伸明の急変。あの時のことを思い出しては、蓮はどこからかくる得体のしれない恐怖心に苛まれる。
伸明が恋に振り向かないこと、春香はそんな伸明を追い続けるから、この三人は「三人」のままでありつづける。そんな蓮の意思で勝手に敷かれた安寧という夢世界に寄りかかっていたのだ。しかし今となっては、その夢世界は伸明と春香の変化によって崩れ去ろうとしている。
……いや違う。本当に変わってしまったのは蓮の方だった。
かつて蓮は春香の想いが実ることを願っていた。偽りのない心で、春香が本当に楽しそうに伸明と話している姿を見て、蓮は自分でも心底嬉しかった時がたくさんあった。地元の中学校へ三人で入学した時、慣れない制服に袖を通す自分たちが少しだけ大人になったように感じて、春香の恋にもきっと進展があるんだろうと、蓮は心が弾む思いだった。春香の気持ちに目を合わそうとしない伸明に呆れることもせず、ただひたすらに彼女の恋を応援していた時が、蓮にはあったのだ。しかし、その清白な心がいつしか変容していき、自身を邪悪な、それでいて誰にも、大人でさえも分かってもらえない獣へと化かしたのだ。全ては変わってしまった自分が悪い。伸明と春香の想いの行き違い、そして蓮はその状況に締め付けられている。それらはすべて自分のせいだと、蓮は思い込んだ。
蓮も一人、電車を降りる。この町には、蓮を受け入れてくれる人がいる。
蓮は改札を抜けて、春香の家のある方角へ進む。春香は、牙を隠し持った獣にも歩み寄ってくれる。
蓮と春香は今日の放課後、伸明のいない、二人で会う約束をした。
この密会がどう作用するのか。伸明に恐怖を感じていた蓮にとってこの機会は偶然の産物ではあったが、同時にまたとない絶好の機会ともなり得ると感じる邪な心も存在した。蓮は春香を自分の手の中に飲み込もうとする邪悪を抑えられるか心配だった。しかし、一度飲み込んでしまえば、伸明や紗希の問題も解決できるのではないかという、自分の内の強硬派が剣をふるっていた。
「いらっしゃい」
家の前まで来たところで、二階の部屋の窓から春香が顔を出していた。
「鍵開いてるから、上がって」
春香の声色はいつも通りの、おっとりと落ち着いた形をしていた。しかしその声が今の蓮には、自分が今感じている後ろめたさを写しているように聞こえた。
蓮は二階の春香へ表情を変えずうなずき、玄関扉を開けた。




