桜
久しぶりの連載小説です。私も高校生でなかなか忙しいのですが
毎週金曜日更新を守って頑張って書いていきます!
よろしくお願いします。
一つ二つ、桜が咲いている。この春は、桜の散るのを見たくない。
すぐ近くを電車が通る。線路の刻むリズムが地を伝う。今の蓮にはやけに大きく、心に迫ってくるように感じられた。
花びらが頼りげなくなびき、また蓮の心もそうだった。
もう今には戻れない。
高橋蓮たちは三年間通った中学校の卒業式を終えて、いつものように春香の家に集まった。夏は白いシャツで、冬は紺のブレザーで、放課後三人が暇な時は頻繁に春香の家に集まっていた。何も特別なことをするんでもなくて、ただ最近の出来事だとか愚痴だとか話したり、ただゲームをしたり、そんなものだった。――そんなものだったけど、なぜか、僕ら三人がこうやって集まることは自分の中の大事な一部分であると、蓮は無意識のうちに自覚していた。
蓮は中学の制服をとりわけ気に入っているわけではなかったが、三人がこうやって集まる時の制服姿に、なにか特別な意味があると強く胸に訴えていた。四月になれば蓮、伸明、春香はみな別の高校の制服を着て、違う通学路で、違う高校へ通い……学校生活ももちろん、別々だ。
今日が終われば僕らはみんな新しい一歩を踏み出して……そして、僕らは僕らではなくなる。
蓮はネクタイに手をあて、きつく締めた。
「もうすぐだねぇ……桜が満開になるの」
春香の桜を見上げおっとりとした声に、いつもと違った様子はみられなかった。
春香の家から少し歩いたところに、一本の桜の木がある。なぜ一本だけなのか、たまに寂しさを感じる時もあるが、蓮たちはこの桜が何よりもお気に入りだ。蓮たちが小さい頃はこの木は少しいびつな形をしていた。ピンクの花をめいっぱい咲かせた時にも、茶色い枝が目立つ部分があった。しかし今では立派に枝を伸ばして、去年の春は枝が見えなくなるほど綺麗に桜が咲いた。
「なんか、ようやく卒業したって気分になったぜ」
「もう、伸明ってばドンカンなんだから」
「お前に言われたくねーよ」
伸明と春香はいつも通りの表情とセリフで、それが逆に蓮には遠く冷たく見えた。思わずポケットにしまい込んだ右手の感覚に、携帯電話がない。
「あ、」
さっきまでいた春香の部屋に、置きっぱなしなのを思い出した。
「どうしたの?」
振り返った春香の顔に、いまだ視点が遠く定まらないまま、蓮は忘れ物と言って走り出した。
夕日が差し込む春香の部屋で、蓮はそれをすぐに見つけた。ポケットにしまいこむと、その場に立ったまま少し動かずにいた。
見慣れた場所……この部屋に集まり始めたのは小学五年生になった時だった。きっかけなんて決して大きなことではない、その当時子供たちの間でちょっとしたブームになったボードゲームの最新版を、春香が持っていたからだ。それまでは外で遊んだり、それこそこの家の前にある公園でずっと遊んでいたりした。初めて春香の家で遊んだときのことを、蓮は今でも憶えている。震える手でコマを進めて、進める方向を間違えてしまって。なぜあんなにも緊張していたのか胸の高鳴りが抑えられず、とにかくこの部屋の不思議な雰囲気に慣れるのに時間が必要だった。しかし、彼を惑わしていた雰囲気に助長される高揚感に、段々と居心地のよさや素敵なものを感じるようになった。それからというもの、蓮たちは幾度となく春香の部屋に集まり、たわいもない会話でもずっと、どうでもいいことでもずっと、過ごしていた。
なにも、ずっとこんな日が続くとは思ってなかった。いつかみんな大人になったら、もっと楽しいことができて、幸せなこともどんどん増えていくんだろうと思っていた。三人の志望校がそれぞれ違った時。覚悟はできたつもりだった。けれど今になって、やり残したこと、後悔しそうなこと、たくさんが胸の中をごちゃごちゃに荒らしている。
春香の机の上に置かれた卒業証書から、蓮は目をそらした。
「僕らはいつまでも、年中のさくら組のままじゃないんだ」
心からあふれ出た苦い思いを振り切るように、蓮は春香の部屋を後にした。
階段を駆け下りて玄関を走り去り、道に出ると遠くには、先ほどの場所と変わらず伸明と春香の後ろ姿が見える。蓮は胸の前にあるシャツのボタンを、無意識のうちに触っていた。昔の蓮ならばただ純粋な気持ちで、穏やかな気持ちで二人を見守ることができた。しかしある時から、自分の知らない別な感情が蓮の胸を支配するようになっていった。その感情は長い槍を振り回し、いやな痛みを与える。蓮はそれをシャツのボタンのせいだと、自分を騙すように押し付けた。
やっと歩き出した蓮は、段々と二人の会話が聞こえてきた。
「それ、一年前も言ってなかったっけ。その前も」
「いいじゃん。桜を見ると言いたくなるの」
聞かなくてもわかった。春香はこの季節になるといつも、桜が世界で一番好きな花だ、と言うのだ。それは蓮も同じで、もしかしたらきっと伸明も、そうなのかもしれない。
「何を忘れ物したの?」
と聞く春香の顔に携帯電話を見せて、
「これ忘れちゃった」
「お前が一番抜けてるんじゃねーの。もう俺ら、高校生だし……」
伸明の言葉が、蓮に重く突き刺さった。
「そうだなー……気をつけなきゃ」
「……帰るか」
「……うん」
蓮たちは歩き出した。春香の家の前まで歩く間、三人は言葉を発することはなかった。
「次会う時は、春香の誕生日だな」
春香の家の前に着いて伸明が言ったその言葉に、蓮は少なからず安堵した。
「じゃあ、またね」
手を振った春香に頷き、蓮と伸明は同じ方向に歩く。
しばらく無言で歩いていた。蓮は伸明の顔色を伺った。そこにはさっきの伸明のようなはっきりとした顔はなく、沈んだ顔とも深刻な顔ともつかぬような、伸明にしては妙な表情をして歩いていた。
蓮にはその意味を考えてみても、思い当たる節はない。
伸明がこんなにも黙りこくっていることなんて、そうなかった。やがて、伸明と喋らず歩いているこの空気に耐えきれず蓮が口を開いた。
「なんか、あれだよな。ちょっとさみしい気持ちもするよな」
「あ、あぁ……」
何かがおかしい。そう思っても、まだ蓮は伸明の心中を推し量ることができずにいた。その時、伸明が続けて口を開いた。
「……俺がやり残したこと、あるかもしれない」
「え?」
蓮の口から拍子抜けしたような声が出た。
伸明も、僕と同じようなことを考えている……?
「……いや、なんでもない」
そう言って笑って見せる伸明を見て、蓮も顔を緩ませずにはいられなかった。
「じゃ、また今度!」
「あぁ」
伸明は角を曲がって行って、やがて見えなくなった。
なんだ……伸明も同じ思いを抱えているんじゃないか……。
さっきまでの不安が、ちょっとバカらしく思えてきた。
少しだけ体が軽くなったような気がして蓮は、また歩き出した。
その時はまだ、蓮は伸明の言葉に隠された本当の意味を知らなかった。