海軍と海賊②-赤い影が別つもの-
日の光に真っ白な海岸が浮かび上がる。
夜があける瞬間の空と海を、二人の子どもが眺めていた。
一人は波打際で、もう一人は海の中から顔を出した岩の上で。
その小さな島とそこから見える海が、子ども達の世界の全てだった。
「ビブルクは金持ちになりたいらしい。マーサは医者だとさ。スピーザは動物使いで、ケイミーは料理人か」
「君は?」
「俺か? 俺は、海に出たいね。広い世界をいつかお前達に教えてやるよ。でもって世界一になる」
「なにそれ」
「だから、一番になって、お前達の夢が邪魔されないように見張ってやる」
「偉くなるってこと?」
「いや。誰にも文句を云わせないってことだ」
「君の話は、よく解らない」
「そうか? なら、お前は?」
「何になれなくても、皆で笑っていられたら、それで良いよ」
「そうか」
朝の光は眩しいほどなのに、何処からか、暗い足音がひたひたと押し寄せていることを知っていた。
不意に頬を打った雫にふっと我に返ると、じゃらりと手足の鎖が音をたてる。
自分の状況を再認識して、あんな懐かしい夢を見た理由を悟った。
アリスト・ロウ。
再会したとき、男は海賊になっていて、今では名の知れた海賊船の船長だ。
そのくせ相変わらずお人よしで、ぶっきらぼうに優しくて、どうしても強く突き放せなかった。
だから、こんな時もいつかは来るかもしれないと思っていた。
両手足を繋ぐ鎖も、取り囲む鉄格子も、仲間であるはずの海軍に刺された脇腹の傷も。
えぐれたような湾の真ん中に飛び出した断崖絶壁の上。
鳥籠のような檻の中から、波間を見下ろして、自分のことなのに、妙に冷めた目で事態を眺めていた。
『お前を餌に、アリスト・ロウをあぶり出す』
そういったベルーガ大尉の冷ややかな言葉が蘇る。
彼が来るはずがない。
仲間を危険に晒して、こんな罠の中に彼はこない。
そう思っているからこそ、喚くことはやめた。
秤にかける物がないなら、騒いで体力を失うのも馬鹿らしい。
結局、海軍として生きていても、彼を捕まえる覚悟は出来なかった。
きっと自分には捕まらないことを何処かで安堵していたのだ。
彼の生き方が好きだった。
何だかんだ、多分。
彼が海賊でなければ良いと何度も思ったが、彼はきっと海賊以外の何にもならなかっただろう。
縛られることが嫌いで、度胸があって、自分の信念を崩さない、海の好きな男だ。
彼には海賊が似合っている。
そう思ったら、少し笑えた。
どうやら予想以上に弱っているらしい。
脇腹から溢れる血が、軍服を真っ赤に染めていた。
足の自由を奪う鎖がじゃらじゃらと耳障りな音を立てる。
「ルイガドル」
不意に届いた声に顔をあげると、どこか痛そうな顔をした同僚が鉄格子に手を触れていた。
「どうしたの、セブクア」
「すまない」
「君が謝る意味が解らないよ」
微かに笑うと、同僚はますます顔を歪める。
「こんなことは、間違っている。お前が、どれだけ軍に尽くして来たか、真っすぐでいたか、僕は知っている。それなのに、こんな、」
「彼と会っていたことは事実だからね。君が騒いで、無為に睨まれることはない」
口を開くと傷に響いた。
けれどそんなことは顔に出さない。
海軍にいて、こんなことばかり、旨くなった気がする。
嘘が効かないのは、結局あの男だけだ。
「アリスト・ロウは確かに、賞金は高いが、」
「ねぇ、セブクア。偉くなって」
「なに?」
「偉くなってさ、子ども達が夢を諦めなくていい時代を作ってよ」
目を見張ったセブクアが何か云う前に、かしゃんと背後の昇降機が音を立てる。
「…セブクア・オルグ大佐? こちらで何を、」
降りてきたバクルー大佐が、セブクアに目を止めて不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「彼女は僕の同期だ。様子を見に来て何が悪い」
「いけませんな。罪人ですぞ?」
「なっ」
「セブクア大佐は、餌が餌として機能するように様子を見に来てくれたんだよ。役に立つ前に死体になったら、職務怠慢で貴方の首が飛ぶかもしれないしね。バクルー大佐」
気色ばむセブクアを遮って、目を細めて面倒臭そうに言い放つと、バクルーはさっと顔色を変える。
「何を、それだけ気丈に」
気丈に見えるのなら、まだ大丈夫だろう。
「お前の処刑予定日は5日後だ。それまでにアリスト・ロウが現れるように精々祈ることだ」
不機嫌に云い放って、さっさと昇降機に乗ったバクルーを睨みつけたままのセブクアに小さく苦笑する。
「顔が怖いよ」
「彼は、来るかい?」
「罠だと解ってくるような馬鹿なら、とっくに海軍に捕まってるよ」
「ルイガドル」
振り向いたセブクアは今にも泣き出しそうに見えた。
「今回ばかりは、僕は海軍なんぞ辞めてやりたいと心から思ったよ」
「それは困るな」
「解っている。辞めないさ。偉くなってやる。こんな馬鹿なことがまかり通らないくらい、僕は偉くなる」
「あぁ。期待してるよ」
閉じた瞼の裏で、今はない島が真っ赤に燃えていた。
あき