表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
残された禍根  作者: 長谷川龍二
第十二章 因果
82/82

疑念

慶長十二年 十二月十三日 武蔵国 



 德川家に手を貸す意思が無いと述べた左馬助に対して、秀忠が如何なる返答をするか忠勝は瞑目して聞く姿勢をとっていた。



 前田、上杉、立花の三家に亡き結城秀康と本多冨正が駿府で起こった件を知らせている恐れがあるという秘事を明かしてしまった以上、結城家の安泰のみを願っている左馬助を翻意させる事が出来なければ、北陸の諸大名を敵に回す恐れがある。


 忠勝は秀忠がその事を承知の上で話を持ちかけているのではないかと考えていた。


(駿府での一件を我等以外の者が知る事を上様は土屋殿に話した。德川の御家を取り巻く環境を思えば自らの頸を締めるも同然の事だが、それを承知の上で土屋殿に話を持ちかける御意志を上様が御持ちならば、儂や佐渡の諫言は聞き入れられぬであろう。最早全てを捨てる覚悟を決めて勝負に出たという事か……)



 忠勝が秀忠を静かに見つめている時に左馬助もまた秀忠の思惑を看破しようとしていた。


(亡き殿が謀殺された事自体が徳川家の秘事のはず。なれど上様はそれを承知の上で某に前田、上杉、立花の三家がその事を知っていると打ち明けた。小賢しい策ではあるまい。仮にそれを利用して当家が叛旗を翻せば、北陸以西で反徳川の動きが起こる事は防げまい。その事を上様が考えなかったとも思えぬ。ならば某に秘事を打ち明けたのは如何なる事を御考えか是が非でも聞き出さねば……)



 秀忠は左馬助を見つめて話を続けた。


『土屋。お主ならば今の徳川家と結城家がどれ程危うい状況に置かれているかを良く理解しているはずだ。無論、この状況を招いたのが父上である以上、德川家がその罪を償うのが当然ではある。だが、今の状況では私も正信や忠勝も身動きが取れぬ。ならばこの状況を打破するには、全ての禍いの根を断つ以外に術が無い』



 秀忠の発言から不穏な気配を感じた左馬助は素早く反論した。


『上様が申された全ての禍いの根を断つ事が、上様や佐渡守様、中務大輔様が自害する事であれば到底承知できませぬ。なんら非の無い亡き殿を害し奉り、かつ忠直様を取り巻く危険な状況を改善せずに放置するなど無責任としか言えませぬ。徳川家の問題は上様や徳川家中の方々で解決すべき事。我等結城家の者には関係ありませぬ』



 秀忠に反論した左馬助の両眼に事と次第によっては德川家と敵対する覚悟を感じ取った忠勝は異様な緊張感を感じていた。


 秀忠と左馬助の問答は将軍と徳川一門最上位にある結城家の全面的な争いを引き起こす事をお互いが覚悟した上で行われている。そして、そうならないように自身と正信が奔走したにも関わらず、本多冨正に欺かれ徳川秀忠を絶対絶命の窮地に追いやった事を忠勝は悔いていた。


(亡き伊豆守との話し合いの場で儂が切腹し、佐渡が事を解決した暁には自身も切腹すると申せば伊豆守とて結城家安泰を思い、自害する事なく家中を纏め幕府と対峙して妥協点を探ったかもしれん。だが、我等が亡き中納言様の御無念と伊豆守の怒りを見極める事が出来なかったが為にこうなった。最早儂に出来るのは上様と土屋殿の問答を聞き、その結果を実現する事しかあるまい。その後に儂が死に、本多家が潰されれば土屋殿を含めた越前の者達の怒りも多少は収まるかもしれん)



 忠勝が過ぎ去った日々を振り返って後悔している時に秀忠が左馬助に静かに語りかけた。


『土屋。私は忠直の娘を倅の竹千代の正室に迎えたいと思っている。その事は忠勝から聞いておるはずだ』



 秀忠の問いかけに対して左馬助は僅かに頷き、返答した。


『中務大輔様からそのような御話を聞いた覚えは御座います。なれど結城家としては無用な混乱に巻き込まれる恐れがある為、はっきりと御断り致しましたが、上様は御存じないのでしょうか』



 左馬助の返答を聞いた秀忠は微かに笑みを浮かべ、返答を聞いてはいるが秀忠自身の望みが正しく伝わっていないと口にした。 


『土屋。お主は私が結城家を德川家に取り込む為だけにそのような望みを持ったと思って忠勝の話を断ったのであろう。無論、私とて德川家を守る事だけの為に忠直の娘を竹千代に嫁がせようと思っている訳では無い。忠直は亡き兄上の嫡男である以上、秀頼殿にとっては直接の縁は無いが縁戚とも言える。その忠直が幕府内にて無二の発言力を得れば、豊臣恩顧の者達は豊家安泰の為に行動を起こす事もあり得る。無論、それが戦になるか德川家への臣従になるかは、秀頼殿の判断次第になる故に、はきとした事は言えぬ。なれど私が悪御所と呼ばれるような振る舞いをすれば、自然と多くの者達は一門の筆頭である忠直に私を諌めるように望むであろう。そして忠直の諌めを私が無条件に聞き入れれば忠直は制外の家の当主として、亡き兄上と同等かそれ以上の信頼を諸侯から得られる事になる。そうなる事を私は臨んでいる』



 左馬助は秀忠の言葉を聞いて顔を顰めた。


 秀忠は自身を悪とし、忠直を善とする事で忠直の存在を何人も手を出せぬ高さに置き、亡き結城秀康と同様に制外の家の存在を維持すると口にしたが、豊臣家や他の大名、幕府内から忠直の地位を利用して結城家に接触を図り、忠直の存在を利用する者が出る事を想定していないと感じた為である。


 左馬助は自身が感じた疑問を秀忠に問うた。


『上様。仮に上様の御申出を受け入れれば、豊家や豊家恩顧の大名、幕府の重臣達などが邪な意図を抱いて忠直様に近づく事もあり得まする。我等は結城家の安泰以外に興味は無く、幕府内にて忠直様が権勢を得る事を望みませぬ。亡き殿もそのような真似は一度も為さいませんでした。上様とて忠直様を利用して己の野心を果たそうとする者が居る事は御存じではありませぬか』



 秀忠は左馬助の問いに頷き、野心のある者が居るであろう事と結城忠直に幕府内で屈指の力を与える事が危険である事を肯定した。


『土屋。確かにお主の申す通り、忠直を利用せんと思う輩がおる事は否定出来ぬ。前田や上杉、豊臣といった者達は忠直の存在を利用せんと動く事もあり得る。また、その者達の動き如何によっては陸奥の伊達、西国の池田や毛利、九州の鍋島、黒田、島津なども徳川に叛旗を翻す事もあり得る話だ。その意味でお主が忠直と結城家を守る為に幕府と距離を取ろうと思う事は理解できる。だが、既に亡き父上と私が兄上を謀殺したと広く世に知れ渡っている以上、仮に私が結城家に触れるなと申しても、幕府内で私の意見に従う者は忠勝と正信のみ。他の者達は時は経てば結城家に幕府の為に力を貸せと言いだすのは避けられぬ。だからこそ今の内に手を打たねばならぬ』



 秀忠が左馬助の危惧を肯定し、具体的な危険性を口にした事で結城家の置かれるであろう環境を理解した左馬助は秀忠の申し出を受け入れる事と結城家の安泰が繋がりを持つものであるかを考え始めた。


 亡き結城秀康と同じように一定の敬意を持たれながらも、家中に余計な口出しをさせぬ事を左馬助は望んでおり、秀忠の申し出を受け入れる事でその考えが実現されるならば検討の余地はあると思っていた。


 しかし、あくまでも秀忠の発言は秀忠個人の意図するものであり、幕府として公的に示されたものではない。迂闊に返答すれば今までの苦労が水の泡になるだけでなく、主君と筆頭重臣を失った結城家はいきなり諸大名の野心や幕府の動きに否応無く巻き込まれてしまう恐れがある。


 秀忠の申し出はその問題に対する備えがあるか曖昧であり、今の内容では受け入れは困難だと左馬助は判断した。


(上様の申す事は理解できるが、結城家の安泰のみを考えれば御申出を受け入れるのは危険過ぎる。諸大名や幕府内の諍いに当家が巻き込まれる恐れがある以上、御申出を拒否したほうが良い。今の当家に必要なのは時間だ。忠直様が亡き殿と同様に見事な御器量を持つ主君として家中を差配される日が来るまでは、幕府と距離を取るほうが良い。上様の御申出は当家に利があるが、家中をいらぬ争いに巻き込まれる危険も含まれている。そうである以上は受け入れられぬ……)



 左馬助は姿勢を正して秀忠を見つめ、申し出を受ける事を拒否すると述べた。


『上様。結城家の将来を思えば上様の御申出は受け入れる事が出来ませぬ。某を含めた結城家の重臣は忠直様が亡き殿のように恩威を以て家中の者を統率する優れた主君として御成長為される事を望み、その為に出来る限りの事をする所存に御座います。なれど上様の御申出を受け入れれば、結城家が幕府を取り巻く様々な問題に巻き込まれる事は必定。その問題に巻き込まれる事は我等結城家の者からすれば迷惑極まりないとしか言えませぬ。結城家に必要なのは穏やかに忠直様が御成長なされる時間に御座いますれば、只今の御話は聞かなかった事に致したいと存じます』



 左馬助の返答を聞いた秀忠は無言で左馬助の目を見つめていた。


 そして忠勝は拳を固く握りしめて望みが潰えようとしていると感じていた。


(やはり土屋殿を翻意させる事は出来なんだか。儂があの時死んで詫びていればこうはならなかったはず。儂は徳川の御家を守れなんだか……。皺腹を掻き切って亡き大御所様と中納言様に詫びに行くしかあるまいな。儂の人生は無駄な生涯であった、否、中納言様の事を無視したが為に無駄になったという事であろう。最後の最後で儂は取り返しの付かぬ失敗をした。是非も無い。この会談が終われば何も申さず死を以て詫びる。それ位しか儂に出来る事はあるまい)

 


 力の限り握りしめた拳から血が流れ袴に己の血が滲むのにも気づかず、忠勝は己の不甲斐なさを呪っていた時に秀忠が口を開いた。


『土屋。確かに私は父上の愚行を見抜けず兄上を死なせた。また兄上を謀殺された伊豆守の怒りをも見極める事が出来ずこの事態を招いた愚か者だ。だが、これでも将軍として何を為すべきか、亡き兄上の弟として何をすべきかは理解しておる。見くびってもらっては困る。話を最後まで聞いてから返答せよ』



 秀忠の思わぬ発言に正信は驚愕して秀忠を見た。そして秀忠の表情には焦りも怒りもなく能面のように感情が消え失せていた。


 正信はその表情がかつて越前で自らを謀り、徳川家を追い詰めた本多冨正と瓜二つのものである事に気づき、秀忠に何事かを言おうと口を開いたが正信の膝を忠勝が押さえ、発言を遮った。


 忠勝は微かに頸を振り、正信を静かに見つめていた。それが秀忠が述べた最後まで話を聞けという事が理由であると正信は理解し、微かに頷いて忠勝に返答して秀忠の言葉を聞く姿勢を取った。



 正信の発言を遮った忠勝は心中に浮かんだ疑念を懸命に解こうと考え込んでいた。


(上様の御申出は我等にかつて述べた事。土屋殿が理解しないであろうことは予測していた故に驚く事は無いが、上様が土屋殿に見せたあの表情は何だ。かつて伊豆守が我等との会談で浮かべていた表情と良く似ておる。己の命を捨てて事を為そうという事ではあるまい。それは土屋殿が明確に拒否した以上あり得ぬ。なれど何らかの重大な覚悟を以て土屋殿を説き伏せようという事であろうか。土屋殿が申された通り、越前の家中の者は平穏な時間を必要としている事は理解出来る。越前の家中には徳川家への不信が渦巻いていた。土屋殿が時間が必要と述べたのも家中に燻る幕府への不信が容易には消えぬと判断したからであろう。その思いは儂にも理解できるし、そうせねば家中に騒動が起きかねん。上様には越前の家中の事は全て報告した故に、それを御理解為されているはず。それをも承知で今の次期に何か手を打つならば余程の覚悟があっての事か……)



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ