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残された禍根  作者: 長谷川龍二
第八章 敗北
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陥穽

慶長十二年 七月二日 越前国



 正信と忠勝が結城秀康が徳川家康を刺殺した件の真相を知ると考えていた本多冨正は両名との会談の直前である六月二十九日の夕刻に己の屋敷で自害した。


 冨正の家臣からその言葉を聞いた両名は何故に冨正が自害したのか理解出来ずに、江戸へ冨正が自害した旨の急使を送ると同時に越前結城家の家臣達が徳川家へ叛旗を翻す事を恐れて、冨正の死後も越前に留まらざるを得ない状況に置かれていた。


 そして、冨正が自害した件がきっかけとなって結城家は徳川家への不信感を強めていると感じた両名は、一刻も早くこの状況を改善しなければ徳川家への叛意に繋がりかねないと悟り、両名に宛がわれた屋敷でどう解決すればよいのかを話し込んでいた。


 正信は冨正の自害は亡き結城秀康が立てた策の根幹を為すものでは無いかとの疑念を抱き、忠勝に自身の推測したことを語っていた。


『忠勝殿。伊豆守は上様と我等を手玉にとって見事に事を成し遂げたと某は考えておる。あえて上様をも事の解決に巻き込んだ上で、己の命と引き換えに真相を闇に葬ると同時に徳川家への不信感を家中に植え付けるのが伊豆守の目論見であったのではあるまいか。事情を知らぬ者から見れば、我等は上様の使者として越前に赴き、伊豆守と内密に会談の席を設けた。そして我等との二度目の会談の直前に伊豆守が自害した。これでは上様の意を受けて我等が伊豆守を自害に追い込んだと思われても否定出来ぬ。それこそが伊豆守が自害した理由であったと思うが、忠勝殿のご意見を伺いたい』



 忠勝は顔を朱に染めて正信に強い口調で応えた。


『佐渡。お主は何を寝ぼけた事を申して居るのだ。我等は亡き中納言様が駿府で起こされた一件の真相を確認する為に越前に赴いた。上様も事情を承知なされておる。お主の申した事は上様が我等を使って伊豆守を謀殺したという意味になるのだぞ。戯言を申すのもいい加減にせよ。この危機的な状況を理解しておらぬのか』



 忠勝は正信に強い口調で反論したが、その表情には怒りとともに疲労の色が浮かんでいた。そして忠勝に問いかけた正信の表情にも同じく疲労の色が浮かんでいた。


 冨正が自害したのが正信と忠勝との二度目の会談の直前であった事から、結城秀康の死に関して何らかの圧力を掛けていたのでは無いかとの疑いを結城家の者達が抱いている事は忠勝にも理解できたが、正信から言われた事は事実とは真逆の事であり忠勝は怒りを込めて返答した。


 徳川家康の刺殺という天下を揺るがしかねない事件をもう少しで闇に葬れるとの希望を抱いていた両名を冨正は見事に欺いた。そして、皮肉にも冨正が自害した事で真相を闇に葬るという正信と忠勝の望みは達成されたが、同時に正信達が最も恐れていた結城家の家中に徳川家への拭い難い不信感を植え付ける結果をもたらしたと両名は感じていた。


 正信と忠勝は冨正の死を聞かされた直後には冷静さを失い、冨正の家臣に何度も自害したのは何かの間違いではないのかを詰め寄る醜態を見せた。だが冨正が自害した事が事実だと知ると自分達を含めて全ての者を欺き、冨正が何事かを画策して事の成就の為に自害したとの強い疑念を抱いた。


 正信は忠勝が怒りを露わにした事を当然と思いながらも、本多冨正の自害が何を意図したものかを懸命に思案していた。


(伊豆守は間違いなく上様を事に巻き込んで徳川家が亡き中納言様に何らかの謀略を仕掛けたと余人に思わせるように策を講じたとしか思えぬ。某も忠勝殿も伊豆守の腹の内を見抜けず見事に欺かれた。よもやこれも亡き中納言様の策の一つであろうか。否、そうではあるまい。中納言様は家臣に恩威を持って接したと聞いておる。伊豆守は中納言様に二十年近くも傍らで仕えた股肱の臣とも言える者。その男を策の成就の為に駒とするような策をお立てになられたとは考え難い。ならば伊豆守が自害したのは何事かを為すべく、己の意志で自害したとしか思えぬ。伊豆守は何を狙って事を起こしたのだ)



 正信が思案しているのと同時に、忠勝も冨正が自害した理由を考え込んでいた。


(もう少しで望みが達成されるとあらば、人は誰もが冷静さを失う。謀略だけでなく、戦でもよくある事。しかし関ヶ原以来、久しく戦っておらぬ故に伊豆守の策に見事に嵌められた。ここまで見事に欺かれるとは、儂も耄碌したものよ。今になって思えば、伊豆守は我等を誘っておった。ほんの少しで望みが叶うと思えば、どれ程危険だと承知していても踏み出してしまう。それを伊豆守にしてやられた。あ奴は最初から自害する積りで我等を欺き続けたのかもしれぬ。だが我等を欺く事に何の意味がある。越前の御家が叛旗を翻す事を伊豆守が、いや亡き中納言様が望んでいたならば既に挙兵しておるはずだ。伊豆守の望んだ事は一体何なのだ。死を持って完成する策など儂には想像も出来ぬ……)



 正信と忠勝は互いに無言で冨正が自害した理由、そして自害した事で達成される内容を考えていたが、室外から屋敷の者が両名への対面を求めている者が来ているとの声で考えを中断した。


 そして、正信は忠勝を見て来客者を通すように返答した後で忠勝に対面を求めた者の目的を問うた。


『忠勝殿。我等に対面を求めてきた者は何用だと思われるかを伺ってもよろしいか』



 忠勝は渋面を浮かべて正信の質問に応えた。


『伊豆守の一件以外に何があるというのだ。我等が伊豆守を謀殺したのかを確認しにきたと見てよかろう。腹立たしいが事情を知らぬ者から見れば、そう思われても致し方あるまい』



 正信は忠勝の返答を聞いて溜息を漏らし、同意するかのように言葉を続けた。


『我等との二度目の会談の直前で伊豆守は自害した。亡き中納言様が身罷られた真相を伊豆守が家中の者に説明したとは考えにくい。忠勝殿が申された通り、我等を問い質す為に使者となった者が来たのかも知れぬ。恐らく我等が江戸へ戻る事を越前の者達は認めぬであろう。もしも我等が揃って上様に事の経緯を御報告致すために越前を離れる事になれば、忠直様や中納言様の家臣達は徳川家への叛意を固める恐れがある。忠勝殿が申された通り、今の状況で我等が急ぎ江戸に戻って上様と此度の件を協議致せば我等と上様が結託して伊豆守を自害に追い込んだと思われかねぬ』



 正信の言葉を聞いた忠勝は返事をせずに顔を顰めて無言で何事かを思案していた。そして、室外から両名に入室を求める声が掛けられ、正信が部屋に入るように返答した。


 部屋に入ってきた者は三名であり、正信と忠勝は緊張した表情を浮かべて名前と対面を求めた理由を問うた。


『お初にお目にかかる。某は本多正信と申す。失礼ながら貴殿の御尊名と我等に対面を求めた理由をお伺いしたい』



 正信の問いに三名の内、最も上席に座っている者が返答した。


『某は土屋左馬助と申します。佐渡守様と中務大輔様の御尊顔を拝し、恐悦至極に御座います。それがしの右におる者は関根織部、左におる者は吉田好寛と申し、某と同様に亡き殿に仕えていた者に御座います』



 正信と忠勝は訪問者が結城家の重臣である土屋左馬助と結城秀康が家中で信を置いていた関根織部と吉田好寛と知り、応対を誤ると非常に面倒な事になるかも知れないとの予感を抱いた。


 そして忠勝が左馬助に対面を求めてきた目的をあらためて質問した。


『土屋殿。某は本多忠勝にござる。結城家の重臣である貴殿が亡き中納言様の信が厚いと言われておる関根殿や吉田殿と揃って我等との対面を求めた理由をお伺いしたい』



 忠勝と正信は本多冨正が自害した件に関する詰問があると身構えていたが、左馬助の口からでた言葉は両名には思いもよらないものであった。


『失礼ながら、御両所は伊豆守様に欺かれ今の状況に追いやられたかと我等は考えており、その推測が誤っておるのか否かを確認させて頂くべくご対面を求め申した。何故に我等がそのように考えたかもご説明致しますが、御両所にも我等に真実を語って頂きたいとお頼み申し上げます』



 左馬助の口調は礼儀を弁えたものであったが、その表情は真剣であり関根織部と吉田好寛も同様の表情を浮かべて正信と忠勝を見つめていた。そして正信が発言の意味を尋ねた。


『土屋殿。我等が伊豆守殿に欺かれてこの状況に置かれておると申されたが、如何なる意味かを伺ってもよろしいか』



 正信からの問いを受けた土屋左馬助は越前結城家の状況を説明した。


『家中の恥を晒すようで面目無い次第に御座いますが、伊豆守様が御両所との会談を前に自害なされた事で家中が割れようとしております。恐れながら短慮な者は将軍家の意を受けた御両所が伊豆守様を自害に追い込んだと考え、御両所を呼び出して詰問するべしとの声すら挙がっておるのが現状に御座います。無論、伊豆守様の自害に御両所は何ら関係無く、むしろ伊豆守様が何らかの意図を持って自害為されたと考えておる者も御座います。我等は後者ではないかとの疑念を抱いております』



 左馬助の発言を聞いた正信は忠勝を見た。そして忠勝は渋面を浮かべて正信に無言で頷いた。両名が恐れていた事が起きつつあると理解した正信は左馬助に自分達に何を求めているか単刀直入に尋ねた。手遅れになる前に、少しでも状況を改善したいとの思いを込めて正信は左馬助に応えた。


『土屋殿。我等も何故に伊豆守殿が突如自害なされたのか知りたいと思っておる。我等だけでなはく、江戸の上様も同じ思いを抱いていると我等は感じておる。貴殿は先程、我等が問いに対して正直に応えるならば、伊豆守殿が我等を欺いたと御考えになられた訳をご説明頂けると申された。貴殿と同じく我等も伊豆守殿が何故にあのような事をなされたのか理由を知りたい。貴殿の申し出を我等は受け入れる。越前の御家中が割れようとしておるならば、我等は協力してそれを防がねばならぬ』



 正信と忠勝は許容できる限界まで駿府での事を話す決意を固めた。本多冨正が自身の死と引き換えに越前結城家に徳川家への拭い難い不信感を植え付けようとした可能性がある以上、徳川家は越前結城家に何ら害意を抱いていないと説得できなければ大騒動となる事を恐れての決断だった。


 正信の発言を聞いた左馬助は本多冨正はが忍びを内密で動かし、何事かを成し遂げようとしていた事を口にした。


『当家には亡き殿が召し抱えた忍びがおりまする。御両所ならば風魔と申せばご理解頂けるかと存じます。亡き伊豆守様は風魔の者達に内密である指示を下していたと我等はつい先日に知る事ができ申した。伊豆守様の指示は御両所との会談の前から、より正確に申すならば殿が駿府へ赴かれてから様々な指示を風魔の者に下していたと我等は報告を受けたので御座います』



 左馬助の発言を聞いた正信と忠勝は表情には出さなかったが、内心では驚いていた。風魔とは滅亡した関東の北条家に仕えていた忍者衆である事を両名は知っていた。だが、北条家の滅亡とともに消え失せたと言われていた風魔が結城秀康の家中で養われていると聞き、背に冷たい汗が流れるような思いがした。風魔といえば世に名の通った忍者衆であり、それを召し抱えていたという事は何らかの意図を秀康が持っていたとも考えられるからである。


 正信は風魔が秀康の家中で養われていたとの言葉を聞き、嫌な予感を感じながら左馬助に問いかけた。


『土屋殿。亡き伊豆守殿が風魔の者に下した密命とは何事かをご説明頂きたい。そも風魔と申せば北条家が抱えていた忍びだと某は記憶しておる。何故に北条家の忍びであった風魔が中納言様の御家中におるのか、伊豆守殿は風魔の者に如何なる命を下したのか我等両名に理解できるようにご説明頂きたい』



 だが左馬助は先に駿府で起きた件について納得のゆく説明を両名に求めた。


 悪意のある流言を撒くという冨正が起こした行為を徳川家がどう捉えるかを判断しかねていたのも理由だったが、結城秀康が四月に駿府へ赴いてからの行方が不明になった事に冨正の自害は関係していると左馬助は考えており、駿府へ赴いた秀康の件について納得できる説明を求め、正信と忠勝が納得できる理由を返答するのか否で、結城家の騒動を解決すると口にした事が本心なのかを確認しようと考えてのことだった。


 左馬助から最も触れられたくない点を指摘された正信は忠勝に視線を向けた。忠勝は眉間に皺を寄せて無言で思案しているように見えたが、正信には忠勝の心中を容易に察する事が出来た。


(何とも面倒な事になった。駿府での事を全て伝える事など出来ぬが偽りを申しても看破され、あらぬ疑念を持たれる恐れがある。我等を信じておるような事を申していたが、心中ではやはり疑いを抱いておると見たがよい。伊豆守は突如として自害する事で越前家中の者に我等と上様へ疑念を抱かせる策を立てていたのであろう。そうでなければ我等の前にいる者が真っ先に駿府の事を問い質す事など考えられん。伊豆守の仕掛けた罠にはめられたのかもしれぬ。この問いへの返答を誤れば取り返しのつかぬ大騒動となるは必定。上様に相談せねば返答出来かねる事柄だが、実際に越前から動けば中納言様の家臣は徳川家への叛意を持つのは間違いない。如何様に返答すべきか判断が難しい)



 正信と忠勝は冨正が死を持って仕掛けた罠に嵌められた事を痛感し、左馬助にどのように返答すべきか表情にださず懸命に思案していた。



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