真意
慶長十二年 六月六日 越前国
冨正は亡き結城秀康が残した駿府城で口にした言葉の真意を誤って理解していたのではないのかと焦りを感じて、険しい表情を浮かべて思案していた。
結城秀康が冨正に残した文箱の中に収められていた書状を宛先に送る事で秀康の考えた策が成就すると思っていたが、秀康の無茶な事を頼むとの言葉は何らかの意図が込められていたのではないかと感じていた。
本多正信、本多忠勝の両名との会談までに冨正の脳裏をよぎった疑問に対する回答を得なければ、百戦錬磨の古強者を相手にした一度きりの勝負の場で勝つことは不可能になる。多くの家中の者を欺き、亡き主君の無念をはらすべく行動してきたことの全てが無駄になる恐れを感じた冨正は必死に亡き主君の残した言葉の真意を読み取ろうと考え続けていた。
(秀康様が申された無茶な事とは何を意味するのであろうか。文箱の書状を出すことや将軍家からの使者を相手にするのは某にとって当たり前の事。亡き殿もそれを無茶とは思うまい。ならば某が為すべき事が無茶な事になるのか。たしかに佐渡守様と中務大輔様のご両所を某一人で相手にするのは無茶な事かもしれぬ。だが殿の残された書状と駿府で起きた事の真相を知るという優位が某にはある。亡き殿が駿府から越前に某の身を案じて戻された事が今になって活きておるのだ。ならば秀康様が仰せになられた無茶な事とはいったい何なのだ……)
冨正は結城秀康の意思を実現する事が無茶な事なのかとも考えたが、病躯を押して駿府へ赴き徳川家康を刺殺したことや、事を起こした後に備えて冨正に宛てた書状で事の真相を明らかにしたこと、文箱の中に多くの諸侯に宛てた書状が残されていた事実から秀康の意思は徳川家と戦い、勝利することにあったと考えた。
だが、駿府城で秀康が冨正に無茶を頼んだと詫びた事から冨正にしか出来ない何かが未だに残されていると感じていた。
(亡き殿のお立てになられた策は周到な用意を整えたもの。その策に瑕疵があるとは思えぬ。書状の内容を盗み読むような真似は非礼になるゆえにしておらぬが、内容は概ね想像できる。ならばどう考えても使者となるであろう佐渡守様への対応について、某一人では無理だとお考えになられたのであろうか。たしかに才覚も実績も某とは比較にならぬ御方である事は否定できぬが、その為に某宛ての書状で真実をお知らせ下さった。事が起きた真相を知っておれば佐渡守様のような老獪な御方を相手にしても五分の勝負に持ち込めるはずだ。亡き殿はそれでも無茶と思われたのであろうか。いや、そうではあるまい。秀康様が無茶な事と申されたのは使者の方々との対応に関する事ではなかろう)
正信たちとの会談まで半日の猶予しかない状況で冨正は努めて冷静に今までに起きた事と今後のことを案じて、結城秀康が富正に語った最後の言葉の意味を読み取ろうとしていた。
瞑目して今までの事を考え込んでいた冨正は、閏四月一日から六月六日までに秀康が望んだ事を進めてきたと確信した。結城秀康の意思を汲んだ冨正の行動によって徳川家は確実に不利な立場へと追い込まれようとしている。そして冨正が徳川家への敵対心を捨てるような事は絶対にあり得ない事である。
その事から富正は秀康の言葉は富正が起こす何らかの行動にあてたものだと考えついた。
(亡き殿は某のに詫びの言葉を述べられた。二十余年もお仕えしていながら大御所様の姦計を見抜けず、殿の御身を危険にさらした某に詫びるなど本来ならあり得ぬ。叱責されて当然のことを某は犯しておるのだ。だが、それにもかかわらず殿が詫びの言葉を述べたのは某の身が危うくなる事を案じての事としか思えぬ。佐渡守様や中務大輔様との会談が危険であることは事実だが、策が見抜かれるという意味で危険であるだけで某が謀殺される事は無いと思うが……)
冨正は将軍からの使者との会談の席がある程度は危険だと思ったが、仮に使者の両名の意にそぐわぬ対応をしたならば相手がどう思うかを思案して、危機があることを悟った。
(ご両所が越前に赴かれてからの某の対応は佐渡守様たちからすれば納得できぬものであろうな。亡き殿が徳川家への復讐のために策をお立てになり、大御所様を殺めた事はご両所にとって悪夢ともいえよう。駿府で何が起きたかの真実を知るのは、亡き殿と大御所様と某しかおらぬ。生きておるのは某しかおらぬゆえに、万が一徳川家に結城家が敵対する可能性があると思えば、佐渡守様も中務大輔様も某を謀殺する決意を固めても不思議ではない。亡き殿の策により、徳川家が追いつめられておるのは事実だ)
だが、富正はその危機を平然と受け入れるつもりだった。越前結城家を守るために冨正はどのような苦難をも受け入れる覚悟を決めている。そして今の状況で冨正を謀殺することは事態を更に悪化させるだけだと冨正は判断した。
将来、冨正の身に何かが起きる。結城秀康の残した言葉はその将来に起こる事に対してのものだと冨正は考え始めていた。結城秀康は冨正の身を守るために駿府で事に及ぶ前に急ぎ越前に戻るように厳命し、冨正の命を救った。冨正が一緒に駿府城に控えていれば確実に討たれると思い、危難を避けるべく越前に戻すことで身の安全を図ったと今までは思っていたが、秀康の真意は冨正が秀康亡き後に進める策の成就を念頭にしたのだと冨正は理解していた。
(亡き殿が身罷られてから今日まで特に危うい事は無かった。将軍家からの使者として赴かれたご両所との会談も問題は無いはずだ。ならばあの御言葉は先に起こる事にたいしてのものとしか考えることが出来ぬ。もはや全ての手を打った以上、策は成る。某は秀康様の策を成就させる事ができるならどうなろうとも構わぬ。だが、秀康様が最期に述べられたお言葉の意味がどうにも気になる。某の将来に何が起きるのであろう……)
冨正は己を害そうとする者を思い浮かべた。そして自身を害する可能性があるのは徳川秀忠、本多正信、本多忠勝の三名しか残らない事を思いついたが、この三名は冨正を害する可能性は低いと考えた。冨正を殺めても既に策が進んでいる事や、冨正を殺める事が越前結城家を幕府へ敵対させる結果となりかねない事をよく知る者達であるのがその理由だった。
結城秀康の復讐の為に全てを捨て去る決意を固めている冨正は、自分を殺める行為が幕府にとって最悪の結果をもたらす事をよく理解しており、愚かな者が誰かを考え続けた。
そして四半刻ほど考えて後、冨正は突然笑みを浮かべた。結城秀康の言葉の意味を理解したと思えたからである。
(秀康様らしいお気づかいだ。某のような役立たずにそこまでお気にかけて下されたのか。だが秀康様には申し訳ないがご配慮は無用なもの。秀康様からの書状を読んだあの日から某は如何なる事も為す覚悟を既に決めておる。それが変わる事などあり得ぬ。秀康様のご厚意を無にするのは気が引けるが、今更になって己の意思を変えるつもりは無い。策が成就したあかつきには某から秀康様にご厚意を無にしたことを詫びねばなるまい。秀康様の御下知に背くと承知して事を為そうというのだから無理もないが、こればかりは絶対に譲れぬ)
結城秀康が残した言葉の意味を理解した冨正は、静かに笑みを浮かべて物思いにふけっていた。全ての事は成し遂げており、後は将軍家の使者を欺く事だけが残されている。そして会談の席での対応も既に考えており、後は状況を見極めながら考えた策の実行する時を静かに待つ。
冨正の表情から険しさは消え、微かな笑みを口元に浮かべて、宵闇が訪れるのを黙して待っていた。




